発端 一.
青島孝と関森由紀が**「智石」**を求めて鍾乳洞へと足を踏み入れたそのきっかけは、さらに時を遡らねばならない。
塚田俊也は、都内屈指の名門大学に通う三年生だ。彼がまだ小学生だった頃、叔父からもらった数種類の石の欠片──雲母、石英、凝灰岩、砂岩など、それぞれが異なる光沢と質感を持つそれらに、俊也は一瞬で心を奪われた。しかし、当時の彼には、その魅惑的な石に没頭する時間は与えられなかった。
彼は生まれつき聡明で、両親にとっては何よりの自慢だった。小学生低学年で既に高学年の問題も解き、周りの大人を驚かせた。
高学年になると、将来を見据えた進路が彼を待っていた。有名私立中学校の受験を見事に突破し、息つく間もなく有名私立高校の受験が控える。そして、最終的に日本で屈指の名門大学、それも地学を専門に学べる学科に合格した時は、心底から喜びが込み上げた。どれだけのものを犠牲にしてきただろう。遊びも、趣味も、友人との時間も。ようやく、本当に欲しかったものが手に入ったのだ。
大学一年と二年を、俊也はひたすら勉強とアルバイトに費やした。その甲斐あって、取得できる単位の上限まで取り、それなりの貯金もできた。これでようやく、長年封印してきた「石」への情熱に、わずかではあるが時間を割き、資金を使うことができる。そう思うと、胸が高鳴った。
今日は穏やかな日曜日。大学の図書館は遠いので、俊也は自宅近くの公立図書館へ足を運んだ。
広い館内は、日曜日にもかかわらず利用者が少ない。蔵書はかなりの数に上る大きな図書館だ。彼は早速、石に関する専門書を三冊ほど手に取り、閲覧コーナーへと向かった。
閲覧コーナーには、一つのテーブルにつき椅子が二脚ずつ向かい合う四人掛けの席が四十組ほど並び、その半分が埋まっていた。俊也は空いている一番端のテーブルを選び、腰を下ろした。
本を読み始めてしばらく経った頃、ふと気配を感じた。隣の席に、一人の男が腰掛けている。向かい側の席が空いているというのに、わざわざ隣に座るとは奇妙な奴だ、と俊也は思った。自分なら絶対に選ばない席だ。
男が座って間もなく、かすれた声で話しかけてきた。
「石がお好きなんですか?」
男は五十代くらいだろうか。妙に顔色が悪く、疲れているというよりは、何かにやつれているように見える。
「ええ、いろいろな石に興味があるんです」
俊也は警戒しつつも、差し障りのない返答をした。
「変な奴だと思われたでしょう? 私も石に興味がありましてね。あなたが熱心に石の本を読んでいるのを見た時、つい声を掛けたくなってしまったんですよ」
「そうですか……」
男の言葉に、俊也はますます不審を募らせる。
「ここで話をしては、他の利用者の迷惑になる。どうでしょう、少し喫茶コーナーに付き合っていただけませんか? 石について、じっくり語り合いたいのです。それに、不思議な石の話も、ぜひあなたに聞いていただきたくて。なかなか、こういった話ができる相手がいませんもので」
確かに、自分にも同じ情熱を分かち合える友人はいない。滅多にない機会かもしれない。今日は特に予定もないし、と俊也は考えた。相手はかなり年上だが、話し方は丁寧で、悪い印象は受けなかった。
「……お付き合いしましょう」
そう言って、俊也は手にしていた本を貸出カウンターに持っていき、手続きを済ませる。男は、元々持っていた本を棚に戻しに行き、手ぶらで戻ってきた。
二人は連れ立って、喫茶コーナーへと移動した。 喫茶コーナーには、他に数人の客しかいない。二人は一番奥の席を選び、コーヒーをオーダーした。
「まず、自己紹介をしなければなりませんね。私の名前は、**守部健**と申します。現在は、鍾乳洞のガイドをしております」
「僕は、塚田俊也です。大学三年生です」
それからしばらくの間、二人は石に関する他愛のない話に興じた。オーダーしたコーヒーがテーブルに運ばれても、その話は途切れることなく続いた。
そして、さらに時間が経ち、俊也は内心痺れを切らし始めた。肝心の「不思議な石の話」が出てこないからだ。
「ところで、その不思議な石の話というのは、いったいどのようなお話なのでしょうか?」
俊也が尋ねると、守部健は居住まいを正した。少し身を乗り出し、周囲に誰もいないことを確かめるように見回すと、トーンを落として話し始めた。
「この話は、信じていただけるかどうか分かりませんが、紛れもない真実です。日本には古来より、不思議な石が四個、存在します。その石は、人間の能力を飛躍的に高める途方もないパワーを秘めている。一般にパワーストーンと言われるものとは一線を画す、まさに**『スーパーパワーストーン』**とでも言うべきものです」
「スーパーパワーストーン、ですか……」
俊也の心臓が、微かに跳ねた。
「信じがたい話でしょうが、これは真実なのです。私がその存在を知る石の一つは、**『智石』**という名称で呼ばれています。その石は、物質的な面でも特異性を持つ。見た目は軽石のようですが、手に持てば、それが全く別物だと、すぐに理解できるでしょう」
「石の魅力は、その神秘的なところにありますからね。金剛石なども、美しさゆえに醜い争いの元になる、一種の魔力を持つと言われます。ところで、その智石は、今、お持ちになっているのですか?」
俊也は身を乗り出し、興奮を抑えきれない様子で尋ねた。
「いえ、石のある場所は知っていますが、ここへ持ってくることはできません」
守部は、残念そうに首を振った。
「その石は大変珍しいものですので、安全だと思う場所に置いてあるのです」
守部の言葉の裏に、何か深い意味があるように俊也は感じた。
「もうすぐ夏休みでしょう? 遠い場所ですが、その石を見に来られませんか?」
「夏休みは、全国各地を回って、いろいろな石を見たいと思っています。智石、ぜひ拝見しに伺いますので、その際はよろしくお願いします。ところで、他の三個の石については、ご存じないのですか?」
俊也の目は、既に未来の探求を見据えている。
「多少は知っていますが、具体的な場所までは分かりません。それら四個の石を総称して**『四石』**と呼びます。詳しい話は、智石を見に来られた時にお話しましょう。そろそろ失礼しなければならないので」
二人は、再会を約してその場を後にした。