東京 三.
青島孝は、父の屋敷を出てホテルに戻る車中で、今日の目的が無事に果たせたことに安堵していた。母の安全確保、そして父からの資金提供。特に後者は、底をつきかけていた彼らの活動資金にとって不可欠だった。今の仕事は低料金で行っているため、蓄えはさほどない。生まれて初めて父に頼ったのだが、結果的にそれが功を奏した形だ。
父と酒を酌み交わしたことで、父の機嫌が上向いたのだろう。そのおかげで時間を費やし、帰りの終電に間に合わなくなってしまった。北島がホテルまで送ってくれたが、その帰路で、彼らが尾行されていたことには、まったく気づいていなかった。
青島孝はホテルに戻ると、シャワーを浴び、ベッドに横になった。明日のこと、由紀と康夫伯父さんのことを考えていたが、いつの間にか深い眠りに落ちていった。
その頃、青島孝たちが宿泊しているビジネスホテルの近くに、一台の車が停車していた。車の中には、二人の男女がいる。運転席には**アーク日本支部司令官の林田未結が、助手席には統括リーダーの桐生明**が乗っていた。
「間違いないわ、あれは青島孝よ。……あれで変装しているつもりなの?」
林田未結は、ホテルの入り口に入っていく青島孝の姿を捉え、嘲るように言った。
「確かにあの程度の変装は素人がやることです。しかし、なぜ、わざわざビジネスホテルなんかに入っていったのか……」
桐生明が、首を傾げた。
「ちょっと、宿泊者カードでも拝見してきましょう。あんたはここで待ってなさい」
林田未結はそう言うと、車のドアを開け、外に出た。
外に出た彼女は、ホテルの周囲をゆっくりと歩き始めた。彼女の動きは、まるで影のように滑らかで、ほとんど音を立てない。
足を止めた彼女は、ホテルの裏にある非常口のドアの取っ手に手をかけた。鍵開けが必要かと思っていたが、ドアノブを回すと、あっけなくドアは開いた。 (不用心だなぁ……) 彼女は心の中で呟いた。
じっと耳を澄ます。鋭敏な彼女の耳には、内部からの異常な気配は一切感じられなかった。減光された薄暗がりの廊下を進む。しかし、彼女の目には、その薄暗がりすら明るい廊下として写っていた。彼女の視覚は、常軌を逸した性能を持っているのである。
(こっちがフロントかな……) 廊下の突き当たりを左に曲がる。さらに進むと、その先には広い空間が見えた。 (フロントを見つけた)
フロントが見える場所まで来たが、そこには誰もいない。 (バックヤードに気配がある……) 彼女はそう思うと、フロントのカウンターをフワリと飛び越えた。その着地は、ほんのわずかな音を立てただけだった。バックヤードにいる夜勤の従業員は、テレビに夢中で、その音には気づかない。そこに侵入した林田未結は、すかさず背後から従業員を締め落とした。桁違いのパワーを持つ林田未結にとって、首の骨を折らないように力を加減する方が難しい作業だった。
カウンターに行き、宿泊者カードを探す。それは、程なく見つかり、彼女は満足のいく結果を得ることができた。
締め落とされた従業員は、何があったかよく分からなかった。あっという間の出来事であり、苦しいと思った次の瞬間には、もう意識がなかった。侵入者がいたことさえ気づかず、自分の体調が悪いのかと思ったほどで、警察に連絡するのにも躊躇した。もし侵入者がおらず、ただ自分の体調が悪いのが原因だったら、恥ずかしい思いをしなければならないからだ。また、カウンター周辺も荒らされた形跡はなく、盗まれた物もなかった。
車に戻った林田未結は、桐生明に、青島孝だけでなく、関森康夫と関森由紀も同じホテルに宿泊していることを伝えた。そして、川永リーダーと稲原リーダーのチームを至急呼ぶように指示を出した。
招集を受けた川永リーダーは、急いで駆け付けた。先の事件で手榴弾を使ったり、ミニロケット弾を使って騒ぎを起こし、組織に迷惑をかけた負い目があるため、挽回のチャンスを伺っていたのである。一刻も早く駆け付けて、林田司令官に良い印象を与えたいと焦っていた。
林田未結は、それまでどこか物憂げな表情を見せていたが、川永リーダーのチームが到着した途端、その表情は晴れやかへと変わった。まるで、吹っ切れたとでも言わんばかりの清々しさだった。
五分後には、稲原リーダーのチームも到着し、桐生だけがホテルの見張りとして残った。林田未結は、川永リーダーチームのワゴン車に乗り込んだ。