鍾乳洞 二.
「これで少しは楽になったはずよ」
由紀が安堵したように、しかしどこか疲れたような声で言った。
「ああ、確かに和らいだ……」
康夫は、まだ息苦しそうではあるものの、苦痛に歪んでいた表情が少し緩み、目にも生気が戻っている。彼が絞り出すようにそう答えた時、由紀は康夫の体に流れる**『気』**が穏やかになっていくのを感じていた。
「狭心症なのね。今、楽になったのは、狭心症が治ったわけじゃなくて、脳に痛みの信号が伝わってないだけだから、まだ動かないで。徐々にだけど、心臓の機能も回復していくはずよ」
康夫は目を見開いた。
「驚いたよ、由紀ちゃんに、こんな能力があったなんて知らなかったよ」
彼は懐中電灯を点け、由紀の顔を照らした。その光の中で、康夫の瞳は、目の前の女性が、かつて知っていた「由紀ちゃん」であること、そして同時に、全く別の存在になっていることへの驚愕を隠さない。
「伯父さんの中にある、悪い気の流れを断ち切って、良い流れに変えたの。でも、それだけじゃ根本的な解決にはならないわ。病は精神的なものにも大きく左右されるものだから。伯父さんは何かをずっと抱え込んでいて、その重圧が狭心症を悪化させてる……それは、**『智石』**のことね?」
由紀の言葉に、康夫の表情に動揺が走った。彼の目がわずかに見開かれ、全身に緊張が走る。まさに核心を突かれたかのように。
康夫はゆっくりと、うずくまった姿勢から胡座へと体勢を変え、重い口を開いた。
「なぜ、智石の事を知っているんだ? それに、そこの若者は……君は一体、何者なんだ?」
彼の視線が、由紀の横に立つ男──青島孝へ向けられた。警戒と、わずかな疲労が入り混じったまなざしだ。
「彼の名前は、青島孝さん。大学の時に知り合って、今、一緒に仕事をしています」
由紀はそう答えると、青島と顔を見合わせた。長時間の洞窟探索と、直前の由紀の能力使用が、二人を疲弊させていた。腰を下ろしたい、そう伝え合った時、懐中電灯の光がちょうど良い具合に、二人が座るのにぴったりの岩を捉えた。二人は並んでその岩に腰掛けた。
「智石のことについては、青島さんから説明してもらうわ」
そう言って、由紀は背中のザックからミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、喉を潤した。冷たい水が喉を通るたびに、体内の熱が少しずつ引いていくのを感じる。
その動作を康夫が確認するように見守った後、青島孝はゆっくりと口を開いた。
「智石のことは、僕もごく最近知りました。由紀さんが言ったように、僕たちは今、一緒に仕事をしていて……簡単に言うと、由紀さんの能力を使って、病気で苦しんでいる人たちの苦しみを和らげる手助けをしています。ただ、正直に言って、あなたが狭心症だと由紀さんが言い当てた時には驚きました。これまでは、患者さんの病名を尋ねないと分からなかったものだから」
青島の言葉に、由紀が頷き、康夫に視線を向けた。
「ここに近づくにつれて、どんどん感覚が変わってきたの。今では、集中すれば、人の考えていることが、何となくわかるようになった」
「なに……すると、人の心が読めるというのか?」
康夫は思わず身を乗り出した。
「心の中を隅々まで探るようなことは、まだやってないから分からないわ。たぶん、できるとは思うけど……。ただ、心の中に入り込むっていうのは、その人の感情や記憶の全てが、私の中に飛び込んでくるかもしれないから、まだ怖い気がするの」
由紀はそう言いながら、わずかに体を震わせた。その顔には、新たな能力に対する期待と同時に、未知の力への畏れが入り混じっていた。
康夫が険しい表情で尋ねた。
「智石が近くにあるから、そんな力が発現したのか?」
「近くに感じるわ。あるんでしょう?伯父さん」
由紀は康夫の目を真っ直ぐに見つめた。
「石はあるが、今はただの石でしかない」
康夫は、どこか諦めたように呟いた。
「そんなことはないわ! 智石が放つ力をはっきりと感じるもの」
由紀は康夫の言葉を遮るように強く言った。
「そんなバカな……あり得ない……。とにかく、話しの続きをしてくれ。智石の話は、その後だ」
康夫はそう言って、由紀の言葉をねじ伏せるように話を促した。彼の顔には、智石の話題から逃れたいような焦りが見て取れた。
「分かりました。話しの続きですが……」
青島は康夫の目から逃れるように視線を外し、話を始めた。
「先日、ある男性が治療を受けに来ました。その男性は精神状態がかなり悪くて、初めて会った時は本当にひどい状態で、何を言っているのか、さっぱり理解できませんでした。けれど、治療を続けていくうちに、いきなり抜け殻のようになったかと思ったら、突然、意識が正常に戻ったんです。そして、彼は信じられないような話を始めました。彼は大学生で、“ある人”から教えられ、不思議な石の能力を身につけた、と……」