不審者 一.
県道は駅から鍾乳洞方面へと緩やかに上っている。鍾乳洞入口のバス停手前百メートルほどで左へ曲がると、道幅は急に狭くなり、普通乗用車がようやくすれ違える程度になる。その道をさらに二百メートルほど進むと、道は直角に左へカーブしていた。そのカーブ地点から約百メートル先、右手に見えるのが関森康夫の家だ。彼の家は周囲から隔絶されるように一軒だけ建ち、裏手に別の家がポツンとある他は、県道の脇道に入れば民家は一切ない。道はさらに二百メートルほど行くとやがて途切れ、その先は深い山へと続くのみで、獣道を探すのがやっとの有様だった。
関森康夫の家から山へ向かって五十メートルほど離れた場所に、一台の白いライトバンがひっそりと停まっていた。その中に、一人の男が座っている。男のポケットには超小型通信装置が収められ、左耳にはイヤホン、ピンマイクを装着し、時折低い声で会話を交わしている。右手には小型の暗視カメラを握りしめ、モニター画面を食い入るように見つめていた。
「何も変わったことはないか?」
イヤホン越しに、無機質な声が響く。
「何もない」
男は簡潔に返事をした。
関森康夫を待ち伏せしているこの男は、苛立ちを募らせていた。康夫は一向に帰ってこないし、「リーダー」からの新たな連絡も途絶えている。ただ闇雲に待つ時間が、彼を焦らせる。
やがて、再びイヤホンに連絡が入った。先ほど話した相手の声だ。
「パトカーが一台、そっちに向かった」
男は素早く小型暗視カメラをバッグにしまい、左肩に掛けた。そして、車を降りると、迷うことなく藪の中へと駆け出した。彼自身は気づいていないが、その方角こそ、青島孝と関森由紀、関森康夫が隠れている場所だった。男が藪に入る寸前、ちょうどパトカーがカーブを曲がって、その姿を現した。
男は瞬時に姿勢を低くし、鬱蒼とした藪の中に身を隠す。
「もう一台、パトカーがそっちに向かった」
イヤホンから、わずかにトーンの上がった声が聞こえてきた。状況の変化を知らせる緊迫した響きがある。
「救援に来い。カーブの手前で待機しておけ」
男は冷静に、しかし有無を言わさぬ口調で命令した。
「了解しました、サブリーダー」
相手の声が、明確な返事を返した。
間もなく、二台のパトカーがカーブを曲がりきり、康夫の家へと続く道に停まった。それぞれから二人ずつ、計四人の警察官が降り立つ。彼らは周囲を警戒するように見回した後、ライトバンが停まっていた方へ向かって歩き出したが、途中で藪の方に向きを変えた。
サブリーダーから指示を受けた男が運転する車は大型のワンボックスカーだ。フロントと運転席側、助手席側のウィンドウ以外は厚いカーテンが引かれ、見た目はキャンピングカーに改装されているように見える。だが、異様なのは天井の高さだった。不自然なほど高く、それはまるで何かを隠しているかのような違和感を覚える。
男は命令通りにカーブの手前まで車を走らせた。一見キャンピングカーのようなその車の中は、全くの別物だった。複雑な通信装置が並び、複数のモニター画面が光を放っている。そして、その奥には、様々な武器や弾薬が整然と積まれていた。
警察官が藪の中に入り、数歩進むとサブリーダーは直ちに指示を出す。
「直ちに、カーブを曲がってクラクションを鳴らせ!」
警察官たちが藪の中へ踏み込んだその時、車のクラクションが響き渡った。警察官四人は一斉に、その音のした方向へ振り向く。
同時に、サブリーダーと呼ばれた男は、腰に吊ってあったケースから既に抜き取っていた手榴弾の安全ピンを素早く外した。そして、レバーを離し、信管に点火する。二秒を数える間もなく、彼はその手榴弾を、信じられないほどの肩とコントロールで一台目のパトカーに向かって投げつけた。
五秒後、パトカーは激しい炎に包まれた。それは、高温で全てを焼き尽くす焼夷手榴弾だった。瞬く間にパトカーのガソリンに引火し、猛烈な爆発音を立てて炎上する。続けて、サブリーダーは二投目を行った。すぐ傍にあったもう一台のパトカーも、たちまち炎に包まれ、爆発した。
警察官たちはパトカーからまだあまり離れていなかったため、凄まじい爆風と飛び散る破片によって傷つき、次々と地面に倒れ伏した。その隙を突き、サブリーダーは、酒井宅の裏手へと回り込み、そこから関森康夫の家を目指して走った。
そして、康夫の家の脇を通り抜け、停めてあったワンボックスカーに乗り込んだ。
「よし、後退だ。リーダーたちのほうが気になる。鍾乳洞の入口に行くぞ」
と、男は指示を出す。
「ライトバンは?」
別の声が尋ねた。
「心配するな。調べられても、何も出てきはしない」 サブリーダーは、冷笑を浮かべた。
ワンボックスカーはエンジンを響かせながら後退を続け、県道に出て、鍾乳洞の入口へと向かって走り去った。