ウエノ大迷宮 2
ランタンを片手に回廊を進む。
ここウエノ大迷宮は、かつて人の往来を支えた場所らしく、通路はかなり広く取られている。
二人が横に並んでも立ち回りに不都合がないほどに。
天井が低くて中腰姿勢を強要されたり、狭すぎて身体を横にしなくてはいけないようなダンジョンに比べれば、はるかに行動はラクだが、良いことばかりというわけでもない。
通路が広いということは、ランタンの灯りが届かない場所もあるということだ。
それはまさに死角である。
神出鬼没が身上のモンスターどもが潜むには絶好のポイントだろう。
だからといって、そこだけ警戒していればいいというわけではなく、前後左右、あるいは天井や床まで、なにが飛びだしてくるかわからない。
しかも道の狭隘さを利用して迎撃するってこともできないから、単に数の多い方が有利になってしまう。
「大迷宮っていわれるののほとんどが未踏破なのは、そういう理由だな」
横を歩くミクに、シリングが説明した。
道幅が広いダンジョンは、むしろ大人数での探索の方が向いている。軍隊が横一列で歩調を合わせながら進むとか、そういうやり方だ。
個より衆の力。
ただ、軍隊だろうと調査隊だろうと動かすには金がかかる。
予算を組んで都市なり国家なりが動かすべきものだから当然だ。そして必要なのは金だけではない。
食料や生活物資だって必要になるのだ。
仮に百人の部隊が十日間行動するとしたら、三千食の食料が必要だって話である。
それを用意し、どうやって運搬するのか、どのように管理するのか計画を立て実行するだけの能力が組織になくては、話にもなんにもならない。
「で、そこまでの準備をしたってダンジョンなんて水物さ。潜ったけど空振りだった、なんてのは珍しくもなんともない」
「お金と時間と人手をかけて成果なしじゃ、領主さまもやってらんないわよね」
肩をすくめるミク。
何もないことが判ったんだから良いじゃないか、というわけにはいかないのである。
領主にしても国王にしても、常に結果を求められるのがガリア王国だ。
チャレンジが尊いのではなく、成果を上げることが尊い。
「もともとはニホン人が持ち込んだ考えらしいがの。成果主義というのは」
魔法の杖をついた老人が笑う。
隊列の二段目。女傭兵リリアに左側を守られる位置だ。
最後列はザガートで、つねに後方を警戒している。
「俺はそんなに好きな考え方じゃないですがね」
ふんとシリングが鼻を鳴らした。
確実に結果を出せることだけやって、何が面白いんだと思ってしまう。
勝てるか勝てないか判らないから面白いのだ。挑む遺跡が巨大で複雑だから面白いのだ。そこに何があるか判らないから面白いのだ。
「チキュウの文献などにも残っておる。とにかく他人を否定したくてたまらないという人々が、かなりの数いたようじゃな」
「ひっでぇ世界ですね。ヴォーテンさま」
「理想郷ではなかったようじゃの。チキュウというのも」
ガリアと同じように、と、付け加える魔導師に一同が苦笑する。
どこの国でも、どこの世界でも、いろいろあるのだ。
笑いの波動を遮るようにシリングが右手を挙げた。
それからミクに視線を送れば、軽く頷きが返ってくる。
「足音の軽さからしてコボルド。数は十から十二ってところかな」
「おしい。十三匹よ」
「さすが」
まだまだ相手が見えるような距離ではないのに、しっかりと足音を聞き分けられるミクに手放しの称賛を送る。
異世界チキュウの科学力が生み出した有機アンドロイドだ。
その基本性能は、人間の及ぶところではない。
「コボルドが十三匹か。ここはわしにやらせてくれんかの」
そういってヴォーテン卿が前に出ようとする。
「ヴォーテンさま」
「しばらく実戦からはなれていたからの。早い段階で勘を取り戻しておいた方がいいじゃろ」
押し止めたシリングに笑ってみせた。
それからゆっくりと杖を掲げ、呪文を唱える。
何を言っているのか彼以外には判らないが、ミクだけは興味深そうに老人の口もとを見つめていた。
やがて、ヴォーテン卿の魔法が完成する。
同時にランタンの光が届かない暗がりから、犬頭小鬼どもが飛びだしてきた。
ぬらぬらと牙をぎらつかせて。
目を細め、慎重に距離をはかったヴォーテン卿が杖を敵に向ける。
「氷の嵐」
発動ワードとともに。
虚空に生まれた無数のつららが、錐のように回転しながら飛び、次々と犬頭小鬼の胸に突き刺さる。
ほぼ一瞬で終わってしまった戦闘に、仲間たちが息を呑んだ。
「第三位階の魔法……はじめてみた……」
かすれた声を絞り出すのはリリアだ。
傭兵稼業の彼女は、一般人に比較すれば魔法を目にする機会に恵まれている。
しかし、それはあくまで第一階層くらいで、それでもすごい威力だと思っていた。
「単体攻撃なら第一位階の『これでもくらえ』で充分なのじゃよ。リリア嬢ちゃんや。あれはあれで使い勝手の良い魔法なのじゃ」
今回はたまたま相手が複数だったため、範囲攻撃の魔法を使ったのだとヴォーテン卿が説明する。
自分の魔法がどのくらいキレてるか、確認しておく必要があったから。
「そ、そっすか……」
微妙に引き気味の女傭兵である。
魔法使いが強力なのは判っていたが、やはり魔導師の称号をもつものはハンパではない。
第三位階の魔法をこともなげに使いこなし、おそらくはもっと上の魔法もつかえるのだろう。
逆らってはいけないタイプの人間だ。
「お尻さわられても我慢します」
「嬢ちゃんは、わしをなんだと思っておるのかのう」
馬鹿話の間にもシリングとミクが先行し、犬頭小鬼の死体を検分する。
死体は口をきかないが、それを調べることで判ることも多少はある。
「武装してるな。群れがあるかもしれない」
「斥候?」
「たぶん。もしかしたら警邏かもしれないけど」
「なら、急いだ方がいいわね」
頷きあう。
警邏でも斥候でも良いが、異常がないか確かめるという役割は一緒だ。
その連中が戻らないとなれば、本隊はすぐに動くだろう。
まさしく異常事態だから。
となれば、騒がれる前にとっとと移動してしまうのが得策である。
「この階層の探索は諦めるしかねーか」
やや悔しそうなシリングであった。
目的は最下層だが、途中の階層にだってお宝はあるかもしれないのだ。
みすみす見逃すというのは、やっぱり悔しい。
「ぼやかないぼやかない。お宝があったとしてもコボルドたちに荒らされているって」
慰撫するように言って、ミクが腰のあたりを叩いてやる。
優しいパートナーなのである。
二階層で出くわしたのは小鬼だった。
撃破そのものは難なく成功し、特筆することもなかったわけだが、登場するモンスターが変わったことは、シリングにひとつの推論を与えた。
「勢力争いをしてるってことかもしれない」
「じゃろうな。下に行くほどに、より強いモンスターが現れるということじゃ」
厄介じゃのう、と、ヴォーテン卿が笑う。
モンスターどもにとってみれは、地上からより遠い場所の方が住みやすい。人間に襲撃される心配が減るから。
人間にとってモンスターが脅威であるのと同様、あるいはそれ以上に、モンスターにとって人間は脅威なのだ。
なにしろ共存できないため、出くわしちゃったら戦闘になってしまう。
遭遇戦なんて、どっちの側からも絶対に避けたいもののひとつだろう。
自分だけ一方的に準備して、相手を一方的に狩るのなら人間もモンスターも大好きだろうけど。
ともあれ、ウエノ大迷宮のなかに勢力図があるとするなら、勢力争いに勝った強力なモンスターほど、安全で快適な奥へと進む。
二階層ではゴブリンだったが、三階層ではそれ以上の敵が出てくるということだ。
面倒といえば面倒な話である。
「ま、このくらいは予想の範囲内さ」
にっと笑ったザガートが、長剣でとんとんと肩を叩いた。