紡がれてゆく絆 4
アドル。
短く刈り込んだ赤毛とバンダナが特徴的な戦士である。
本名はアーシアという女性で、ある貴婦人の護衛騎士だった。
つまり、正規の軍事教育を受けたエリートだ。
ある事件で騎士として生きることに見切りをつけ、主人たるアリザードとともに新天地を求めて旅立った、はずである。
「なんでこんなところにアドルが……?」
「それはこちらの台詞だが……シリングがいるということは、そっちの黒装束はミクか」
「正解ー 久しぶり。アドル」
肩をすくめながら誰何に、あっさりと自分で頭巾を取るミクだった。
夜風に緑の髪が流れる。
「立ち話もなんだ。入ってくれ」
赤毛の剣士が天幕へと導いた。
もちろんシリングにもミクにも否やはない。
どうしてアリザードがサラス軍の大将になっているのかも訊かないといけないし。
頷いてアドルの後に続く。
そして結論から言えば、シリングの予想は大外れだった。
天幕にいたのが予想外の人物だった、ということではない。
「ひさしぶりだね。シリン。ミク」
懐かしい笑顔で迎えたのは、紛れもなくアリザードである。
ある事件で彼が命を助けたシャノア伯爵家の令嬢アリスで、今は性も名も変えている戦士だ。
だが、彼はべつにサラス王国に仕官したわけではなかったのである。
「『ホープ』って名前の傭兵団をやってるんだ。今は」
「傭兵て……」
シリングがサラス軍の本隊だと思ったのは、なんと一傭兵部隊に過ぎなかった。
びっくりである。
「いちばん士気が高そうで、精強そうな部隊が本隊だと思ったんだけどな」
「それはありがと。シリン」
とびきりの笑顔だ。
元騎士のアドルに鍛えられた部隊である。そんじょそこらの傭兵団とはわけが違う。
彼の直属の部下である四人も正規の軍事教育を受けており、右腕として辣腕を振るっているらしい。
「僕など、お飾りのようなものさ」
「謙遜だな。頭がしっかりしてるから、短期間でここまでの勢力になれたんだろ」
たしかにアリザードは、ほかの五人に比較したら戦闘力は低い。
しかし伯爵家の令嬢として充分な教育を受けている。例えば領地経営のノウハウだったり外交的な弁舌だったり。
これがあるから、傭兵団『ホープ』は短期間で急成長できたのだろう。
おそらく結成から一ヶ月も経ってないのに団員規模が七十名って、ちょっと信じられない数字なのだ。
「しかもこの練度だしなあ」
やや悔しそうなシリングである。
サラス王国軍の精鋭部隊だと思って近づいたから。
逆に言えば『ホープ』は、正規軍より強いってことだ。
「で、なんでここにシリンが? もしかしてずっとイケブクロ遺跡群に住んでたの?」
「住まねえよ。なんで遺跡に住むんだよ」
笑いながら問うアリザードに、やはり笑いながら応えるシリングだった。
やや慌ただしく情報が交換される。
それにより、アリザードはサラス王国軍の目的がモンスター討伐などではないことを知ったし、シリングとミクもアリザードたちの立志伝を知ることができた。
別れてから二ヶ月ちょっとの間、それぞれにドラマチックな人生行路を歩んできたようである。
「それで、俺たちとしてはプラネタリウムを守りたい。ここは見なかったことにしてくれないか?」
シリングが懇請した。
アリザードたちにとっては、敵を見逃せと言われているようなものだが、ここは友誼に免じて目をつぶってくれ、と。
「それはできないよ。シリン」
きっぱりとアリザードが拒絶する。
が、拒絶の方向が予想とは違っていた。
「命の恩人が死地に向かおうってとき、黙って見過ごす馬鹿がどこにいるんだい?」
一度言葉を切って笑う。
「助けるに決まってるだろ。ともに戦うに決まってるだろ。あんまり見くびってもらっちゃ困るよ」
「まさしく報恩の時だ」
アドルも大きく頷いた。
この瞬間、傭兵団『ホープ』は、サラス王国軍から離脱することが決定した。
「お前ら……もうちょっと考えて発言しろって……」
頭を抱えるシリングだった。
思いっきり裏切りである。
もう彼らはサラス王国には帰れない。団員七十名の生活をどうするんだって話だ。
「そこはそれ、シリンが大陸一の錬金術師に口をきいてくれるんでしょ? アマルで働けるように」
ぱちんとウインクするアリザード。
本当は女だと知っているだけに性質が悪い。
「仕方ないね。頑張って顔つなぎしましょ。お前さん」
ぐう、と詰まるシリングの肩を、ミクがぽむほむと叩いてやっていた。
『ホープ』が離脱した以上、サラス王国軍は二百三十。
このうち正規軍の数は百五十と変わっていないが、二VS百五十より、七十二VS百五十の方がまだ勝算が立つ。
「ゼロ割が一割五分になった程度にはな」
両手を広げるシリング。
軍事に明るいわけではないが、戦力差が二倍強というのはかなり絶望的だということくらいは知っている。
もちろん彼は、個人レベルで五倍十倍の敵を倒してきたことは幾度もある。
しかし軍隊同士のぶつかり合いということになれば、そういう個人戦の強さはほとんど意味がなくなるのだ。
「いや。もっとあるだろう。魔剣持ちのシリングと怪力無双のミクがいるんだからな」
三割くらいだ、と、アドルが笑う。
そして三割というのは、勝負に出ても良い数字らしい。
「傭兵部隊のことは考慮に入れなくて良い。僕たちが本隊に夜襲をかけたら、たぶん混乱に乗じて逃げるだろうからね」
床几に腰掛けたアリザードが言う。
堂々たる若武者っぷりだ。
サラス王国軍の士気は元々高くない。
ぶっちゃけ、なんで他国まで来てモンスター退治をしなくちゃいけないんだよ、というのが兵士たちの思いだ。
士官級の連中は戦略目的をっているだろうが、それを口にすることはできない。
まさか他国にある遺物を盗むのが本当の目的だ、なんて。
「ただでさえ士気が低いのに、裏切りなんか出たら致命傷だ。異国の地、意味不明の任務、そして裏切り。さらに夜襲。これだけ重なったら、まともな戦いになんてならないだろう」
自信に満ちて断言するアドル。
さすがは専門家だ。
実際に兵を動かすより前に、状況と条件をきっちり見定めている。
「作戦としては非常にシンプルだ。ここから紡錘陣形で一気に本陣になだれ込む」
夜襲にそれ以上複雑な作戦指示は必要ない。というより意味がないらしい。
一気呵成に襲いかかり、そのまま駆け抜ける。
そして再び陣形を整え、また襲いかかる。
「これをひたすら繰り返す。司令官の騎士ギュスタブレ卿を討ち取るまでな」
「ものすごい大雑把だな。けど気に入った」
シリングが床几から立ち上がった。
突如として湧き上がる悲鳴と絶叫、そして怒号。
サラス王国軍の本陣は、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「敵襲! 敵襲! 敵襲!!」
伝令武官が、見れば判るようなことを喚き散らず。
武器を振りかざして突っ込んでくる集団は、誰がどう見たって敵に決まっているのだ。慰問部隊が遊びにきた、なんて幸せな夢を見ている連中は、最初の衝突で永遠に戦いのない世界へと旅立った。
先頭を駆けるのはシリング、ミク、アドルの三人。
主将たるアリザードは紡錘陣形の中央近くで分厚い守りに囲まれている。
彼自身も戦えないというわけではないが、さすがに隊長を危険な位置に置くことはできないのだ。
二、三人の敵を切り伏せ、一気に敵陣を抜けるシリング。
『魔剣ピクルス』は鉄製の鎧すらチーズやバターみたいに切り裂いてしまう切れ味だ。
「何人やっつけた! ミク!」
隣を駆ける相棒に声をかける。
怒鳴るような感じになってしまうのは、そうしないと聞こえないからだ。
声が剣戟の音にかき消されて。
「四人! 走りながらだと、ばんってぶん殴っておしまいだから!」
狙いを定められない、ということらしい。
とりあえず、あたるを幸いなぎ倒しているといったところか。
なぎ倒された方はたまらない話である。
それでもシリングやミクは戦果を上げている方だ。
ほとんどはすれ違っただけで終わり。
高速で駆けながら剣を振るっても、当たるものではない。
『ホープ』はそのまま時計回りの軌道を描いて、再突撃を計る。
しかし、すでにそこには敵兵が陣形を整えつつあった。
「さすがにはやいな」
ち、と、アドルが舌打ちする。
もう一回か二回、好きなように蹂躙したかった。
敵も然る者、というやつだ。
最初の激突で、おそらくサラス軍は二十名程度の死者を出しているだろう。対する『ホープ』は損害なし。
しかし、次の突撃はそう上手くはいかない。
陣形を整えられてしまったら、こちらにも損害は出るからだ。
そうなると、数の差が響いてくる。
「苦戦しそうだな! アドル!」
「知れたこと! 勝算は三割程度だと最初に言ったぞ!!」
怒鳴りあい、ふたたび剣をかざして襲いかかるシリングたち。
血の饗宴は、まだ始まったばかりだ。