星空の守り手 5
「私をどこかへ……」
ヴォーテン卿の声とともに景色が変わり、シリングたち三人の前にはウエノ大迷宮の入口がそびえ立っていた。
転移魔法である。
術者が正確にイメージできる場所にしか跳べないが、二百キロ以上の距離を一瞬でゼロにできるのだから、とんでもない技術だ。
「こんなの、チキュウの科学力だって無理よ」
とは、ミクの感想である。
「これがプランBなんですか? ヴォーテンさま」
「まさかの。儂の魔法で跳べるのは十人が限度じゃよ。しかも、日に何度もこんなことをしておったら、自分自身の仕事も研究もできんわい」
シリングの問いに、ふぉふぉふぉ、と老人が笑った。
ウエノ大迷宮まで跳んだのは、ここからイケブクロ遺跡群に移動するためである。
ここからなら徒歩三時間ほどだ。
「まずは現物をみておこうと思っての」
学者だけが見れば良いというものなのか、それとも広く大衆に見せてこそ価値のあるものなのか。
そこを見極める。
「つまり、プランBというのは大がかりなものだってことですか?」
何をたくらんでいるのだろう。
ちょっと楽しくなってきているシリングだった。
人間を襲わないモンスターには、さすがのヴォーテン卿も驚いたようだ。
幼体のときからの馴化。それを何世代も繰り返して、人間とは敵対しないよう深層意識に植え付ける。
洗脳というより、品種改良に違いだろう。
「まさかこんなことが可能とは、想像の外側じゃよ」
「俺もです。夢でも見ているのかと思いましたよ」
「理屈としては、そんなに難しい話じゃないらしいわよ。本能のままに行動する動物なんかと違って、ものを考える程度には脳が発展しているから」
男どもにミクが解説する。
もちろんマルティナと情報共有した際に得た情報だ。
たとえば動物に人間の言葉を教えることはできない。訓練や調教によって命令を聞かせることはできても、それは言葉を理解しているわけではないのである。
これは脳の使い方が決定的に違うから。
動物は羞恥心というものを理解できないが、モンスターは理解できる。それゆえに粗末な腰布などで局部を隠しているのだ。
この差である。
「簡単にいうとタブーがあるってこと。そういう部分がある存在は、教育によって変えることができるのよ」
人間を襲うのは良くないこと、恥ずかしいことだという情報を擦りこんでゆく。幼体のうちから何年もかけて。
それはニホンでもおこなわれていた初等教育に近いものがあるだろう。
考え方の基礎が叩き込まれるのだ。
こうして作られた、人間的な倫理観を持つモンスターが子を産み、同じように育てる。
三世代か四世代もすると、その価値観はしっかりとコミュニティ全体に馴染み、思想の根底を司るようになるのである。
「……ニホン人はおそろしいのう。種としての思想そのものをコントロールしていくとは」
うそ寒そうなヴォーテン卿である。
ミクが語ったやり方の有用性が、聡明な老魔導師には理解できる。できるがゆえに、ニホンという国のありように恐怖を感じた。
おそらく、人間にもごく幼少のうちから教育を施し、共通した価値観を植え付けてゆく。
彼の国には画一的な人間しかおらず、他人と違うことをするのが悪とされる。
「俺たちが戦ったオーガーは、はみ出し者ってことだな」
「そそ。そういうのをゼロにすることはできないのよ」
シリングとミクの会話で、ヴォーテン卿はよりいっそう恐怖を深めることになった。
ニホン人たちは、はみ出し者が出ることを承知で、このようなやり方をしている。
つまり、正しいやり方ではないと判って押し通しているということ。
それは効率的だから。
支配者にとっては、民が自由に考え行動するより、画一的で右を向けと命じれば何も考えずに右を向く方がラクに決まっている。
そして、絶対に出てくるはみ出し者を、差別し攻撃させることによって団結まではかれるという寸法だ。
「べつに彼の国が理想郷だと思っていたわけではないがの……」
老魔導師が考えていた以上の魔境かもしれない。
「おじいちゃん?」
「どうしたんです? ヴォーテンさま」
「なんでもないぞい」
心配そうなミクとシリングに笑ってみせる。
すでに滅び去った文明について、良いだの悪いだの考えてしまっていた。
悪い癖である。
「いらっしゃいませ。お客さま」
一階のロビーで雑談に興じていると、エレベーターでマルティナが降りてきた。
シリングたちがプラネタリウムに入ったことは、すでに察知していたのだろう。
周囲のあちらこちらに監視装置はあるだろうから。
「俺たちの魔法の先生で、すごくえらい魔法使いのヴォーテンさまだ」
紹介に微妙な顔をするヴォーテン卿。
ちょっと雑すぎる。
魔法使いと魔導師は、階級が天と地ほども違うのに。
魔導師っていっても、理解できないかもしれないけど。
「はじめまして。ヴォーテンさま」
ぺこりとマルティナが頭を下げた。
「プラネタリウムを見せてもらいにきたぞい。マルティナ嬢ちゃんや」
「はい。よろこんで」
そういって美少女ロボットが魔導師をエレベーターに案内する。
今度はミクが微妙な顔をした。
「どした?」
「なんでマルティナが嬢ちゃんで、私はミク坊なのかしら」
すごくどうでも良い。
魔法使いとか魔導師とか、嬢とか坊とか。
よくもまあそんな実利のないことを気にできるもんだ。
と、シリングは思ったが、賢明にも口には出さなかった。
間違いなく、二人からやいやい言われるだろうからね。
肩をすくめながらエレベーターに乗り込むトレジャーハンターであった。
ヴォーテン卿が涙ぐんでいる。
ミクも涙ぐんでいる。
気持ちはすごく判るが、先に泣かれてしまうとシリングとしては二人の肩を叩いてやることくらいしかできない。
自分だって感涙にむせびたいのに。
今回の上映はやばかった。
星の名前の意味などの解説に加え、最後にはマルティナ自身による独唱があったのである。
BGMとして流れているのは賛美歌『Erie』なのだが、『星の世界』という別名でも知られているという。その歌の成り立ちや作詞者の思いなどが解説され、星空との関わりを聞いたあと、マルティナの口から紡がれる流麗な歌声。そりゃたまらんってもんですよ。
「どうでしょう。ヴォーテンさま。プラネタリウムは次代に伝えるに値しますでしょうか?」
「もちろんじゃとも。マルティナ嬢ちゃんや」
ロボットの問いに老魔導師が大きく頷く。
ほっと息を吐くシリングとミクだった。
プラネタリウムの価値について疑っていたわけではないが、ヴォーテン卿の協力が取り付けられるかどうかというのは、やはりひとつのカギなのである。
これで、話はようやく技術論に移ることができる。
「プラネタリウムは学者が独占して良いものではないじゃろうな。もちろん、研究せねばならんことも多いがの」
つまり、一般来場者はこのチキュウの星空を楽しみ、研究者たちはこの施設について学ぶ。そういうかたちになるだろう。
「そこで、どうやって客や研究者をブラタリウムまで連れてくるか、じゃが」
徒歩で、というのは現実的ではない。
一番近いミタラの街からなら半日くらいの行程だが、一人二人でイケブクロ遺跡群をうろうろするのは危険すぎる。
となればキャラバンを組んでの行進ということになるだろう。
五十人くらいの規模になれば、モンスターに襲われる危険はまず少ないから。
もちろん可能性の問題なので、ゼロではないが。
「もっと速く移動できて、人を守れるように馬車を用意するとか」
「んむ。いいところに気付いたの。シリング坊や。儂のアイデアも、それが根底じゃよ」
に、と笑う老魔導師。
まるで悪戯小僧のように。
あー、絶対ろくなこと考えてないなー、と、内心で嘆息するトレジャーハンターだった。