伯爵家の暗闘 3
「……やはり兄は信じなかったか。相変わらず偏執的だな」
シリングの話を聞き終えたアリザードが長い足を組んだ。
なかなか堂に入った仕草で、実際に正対しているシリングですら彼が女だとは信じられないほどである。
「偏執的?」
ミクが首をかしげた。
「僕が本当に死んだのか、しつこくしつこく訊いてきただろう?」
「ええ。かなりしつこく。シリングがどん引きするくらい」
あのときのことを思い出しながら応える。
椅子を勧めるよりはやく、つかみかかりそうな勢いで迫っていたエルダーの姿を。
「兄は、僕のことを偏愛していたのさ」
「偏愛て」
「そのままの意味だ。他の弟妹そっちのけで僕のことを愛していた。それはもう異常なほどにね」
肩をすくめるアリザード。
エルダーはアリスを可愛がった。家族愛という範疇を超えるくらいに。
で、アリスにとってその愛は重かった。
言葉を飾らずにいうと、気持ち悪かった。
このままでは犯されると思った。
実の兄に対して貞操の危機を感じるというのは、尋常なことではない。
そこで彼女は一番上の兄、ようするに次期伯爵たるサリトスに相談を持ちかけたのである。
物理的にエルダーと距離を置きたい、と。
その答えが、行儀見習いと称してガウリーム侯爵の元へ行くいうものだった。
「じゃあ、伯爵家が金銭的に逼迫してるってのは嘘なのか?」
半ば挙手するようにしてシリングが訊ねる。
「嘘というわけでもないさ。今日明日に借金で首が回らなくなるってほどじゃないけど、このままいけば数年後にはいくつかの事業から手を引かなくてはならなくなる」
アリザードが苦笑した。
先代の当主が遺した借金は膨大な額で、けっこう上手いこと経営されている領地からの収入だけでは利息分も払えないという状況なのである。
「なにやったんだよそのひと……」
おもわずシリングの口調が平坦になってしまう。
伯爵なんて諸侯の位だ。
そのまんまの意味で王侯貴族の暮らしが約束されている。
「芸術家のパトロンになったり、小説家を援助したり、とにもかくにも文化の香りが大好きでね。ガリア各地から絵師だの文士だの楽士だの集めて、育成したりしていたらしい」
伯爵家の屋台骨を揺るがす規模で。
立派なんだか愚かなんだか、よく判らない。
ともあれ、アリスがガウリーム侯爵に身売りすることによって、莫大な借金の一部を肩代わりしてもらう、という約束だったのは事実である。
そしてアリスは、最低限の護衛とともに王都ソルレイにある侯爵家の上屋敷を目指した。
「んー? それだとイケブクロを抜けようとした理由はなくない?」
ミクが首をかしげる。
べつに急ぐ旅だとも思えない。
危険を冒す必要なんかどこにもないだろう。
「エルダーが僕を連れ戻そうとしているという情報を、次兄のマルクがもたらしてくれたんだ」
サリトスの腹心として、すでに領地経営で辣腕を振るっている人物である。
普通に街道を使っては追いつかれる。ここは賭けになるが、イケブクロ遺跡群をショートカットして一気に目的地に近づいてはどうかと、という作戦を提案してくれたのも彼だ。
「……ハメにきてるな。それは」
「ああ。今にして思えば、罠の香りがぷんぶんする」
シリングとアリザードが肩をすくめ合う。
マルクという人物にとってサリトスは邪魔な存在だ。まあ、これはべつに固有名詞は必要なくて、次期当主の第一候補なんて第二候補からみたら、つねに超えるべき存在なのである。
サリトスの失点ほどありがたいものはない。
「つまり、ガウリーム侯爵との約束を反故にしちゃったことで、サリトスの立場は悪くなった?」
小首をかしげるミク。
策略を巡らせて妨害するほどたいした計画ではないないような気がしたのだ。
アリスが到着しないから、援助もおこなわれない。
ただそれだけの話だろう。
正直、さほどの失点になるとも思えない。
「そうだミク。僕の存在なんか、しょせんその程度のもんなんだ」
自嘲するアリザードだった。
イケブクロ遺跡群で死んだらラッキー、くらいのもの。無事に王都に辿り着いたら、それはそれでべつに問題ない。
シャノア家の財政がごくわずかに好転する。ただそれだけだ。
「競争相手にちっちゃい傷をつけられるか、つけられないか。どっちでもいい程度の捨て駒さ」
アリスをイケブクロ遺跡群に向かわせたのは、サリトスに対するちょっとした嫌がらせでしかない。
エルダーもアリスも、正直なところ眼中にはないだろう。マルクにとっては。
「あっきれた……貴族ってそんなもんなの?」
「僕もすべての王国貴族を熟知しているわけじゃないけどね。多かれ少なかれこんなもんなんじゃないかな」
ミクが呆れて、やれやれとアリザードが両手を広げてみせた。
ひとつの椅子に複数の候補者。争わないわけがないのだ。
跡目争いを避けるのではあれば子供は一人しか作らないというのが理想だが、たとえばその一人が病死や事故死すると、いきなり詰んでしまう。
スペアはいくつかないと、家中のものすべてが不安になる。
「貴族の力学はともかくとして、問題はエルダーだな」
ううむとシリングが腕を組んだ。
サリトスとマルクについては、もう考える必要はないだろう。
アリスがイケブクロ遺跡群で死んだ時点で、彼らの思惑は終結している。これ以上、関わってくるとも思えない。
しかしエルダーは違う。
実の妹に懸想するような変態で、しかもまだ諦めてないっぽいのだ。
「さてさて、後を付けてきたヤツはアリザードで騙されてくれるかな」
まあ、そんなわけはない。
アリスたちは六人だった。そしてアリザードのチームも六人。
このふたつを等号で結ぶのは、べつに難しくもなんともない。
前者は全員が女性で後者は全員が男性だが、むしろその完全逆転があやしいという見方だってできる。
ミタラの街でシリングたちが待ち合わせていたのは、アリスとはまったく関係のない人物でした。
アリスチームと人数は同じでしたが、たんなる偶然でしょう。
なんて報告を信じるような、エルダーがそんな素直な性格をしているなら、そもそも尾行なんかさせないだろう。
彼が欲しいのは、じつはアリスは生きている、という報告なのだ。
死んでますねー、なんて報告を上げても信じるわけがないのである。
「典型的な、見たいモノしか見ないタイプの人間だろうし」
「じゃあどうするの?」
訊ねるミクにシリングが腕を組んだ。
尾行者がエルダーにどこまでの忠誠心を持っているかで、話はちょっと違ってくる。
めんどくせー上司だなあ、つきあいきれねえぜって思っているなら、わりと交渉の余地があったりするのだ。
シリングは誰とも会わなかった、みたいな報告をしてもらって話を終わらせる。もちろん金を握らせて、ということだが。
ただ、虚偽の報告をすることは絶対に嫌だ、と考えるタイプだったり、エルダーさまに嘘は付けないって考える忠臣だったりすると、この手は使えない。
むしろ、へんに交渉を持つのはやぶ蛇だ。
「一番簡単なのは口封じだけどな」
ちらりとアリザードに視線を投げる。
彼にしてみれば、かつては自分と同じ陣営にいた人間である。
殺すというのにはさすがに躊躇いがあるだろうと思ったのだ。
「どうせ殺すなら、エルダーを殺した方が禍根が残らないんじゃないかな」
だが、返ってきたのはより過激な発言だった。
しかも、いつのまにか兄じゃなくてエルダーって呼び捨てにしてるし。
「や、アリザードがそれで良いならいいんだけどさ」
「僕はね、シリン。いまのこの状況ってそんなに悪くないと思っているんだよ」
ついでにシリングのことも愛称呼びだ。
「というと?」
首をかしげる。
けっこう最悪の状況だと思う。
貴族の令嬢がモンスターに犯され、帰る家もなく冒険者になる。
絵に描いたような成り下がりだ。
「血の繋がった兄の玩具になって飼い殺しにされるか。親ほども歳の離れたヒヒジジイの愛人としてもてあそばれるか。ゴブリンチャンプに強姦されたけど助けられて自由に生きるか。この三つの中から、シリンだったらどれを選ぶのかって話だよ」
あっけらかんと笑う元伯爵令嬢である。
どれも選びたくない究極の選択に、なんともいえない表情を浮かべるシリングだった。




