イケブクロ遺跡群 2
ソルレイからウエノ大迷宮までは八日ほどの距離だが、イケブクロ遺跡群もほとんど変わらない。
「もともと近いしね。頑張れば歩いていけるくらい」
「頑張ればってのが徒歩一時間とか二時間程度なんだから、チキュウ人の感覚ってすごいよな」
並んで街道を歩きながら、ミクとシリングが会話を楽しむ。
ガリア王国の人間なら、頑張ればいけるって距離は百キロとか二百キロ彼方の話だ。
もちろんそのくらいの旅だと、途中に宿場がいくつもあるので逆にラクなのだが。
「むしろ片道四十キロとかが、地味にきついよな」
一日で徒歩移動できる距離としては、ちょっと遠い。
一気に踏破して現地で野宿するか、途中で一泊するか。かなり悩ましい判断になる。
「シリングのプランって、基本的に宿場から宿場へ街道を使うって感じよね。すごく堅実」
「そんなところでギャンブルしても仕方ないからな」
ミクの言葉に肩をすくめてみせた。
遺跡に潜ったら、賭けに出なくてはいけない場面などいくらでもある。
極端なことをいえば、分かれ道を右に進むか左に進むかってだけで、神経にヤスリをかけるような賭博性があるのだ。
判断を誤れば遺物をゲットできないだけでなく、命まで失うのだから。
そんなトレジャーハンターだもの。街から街への移動くらいは緊張感から解放されたい。
きちんとした食事を摂り、清潔なベッドで疲れを取る。
これらは金で買うことができる類のことだ。
街の外で野宿なんかしたって疲労は回復しない。反対に疲れるだけだ。いつ襲ってくるか判らないモンスターや野盗をつねに警戒しなくてはいけないのだから。
つまり、コンディションはどんどん悪くなっていくってこと。
「そりゃあ宿屋だって完全に油断はできないけど、野宿よりは十万倍くらいマシだからな」
「トレジャーハンターって、もっと冒険野郎かと思ったわ」
くすくすと笑うミク。
釣られるようにシリングも微笑を浮かべた。
冒険と自殺は別なのだが、わりと世間様では混同されてしまっている。
死ぬために遺跡に挑むのではない。
遺物を発見して持ち帰り、莫大な金銭と栄誉を得る。
それこそが目的なのである。
当然のように充分な準備が必要だし、十重二十重の安全対策をしておくものだ。
プロだもの。
そういうのを怠るような連中は、たぶんF級のうちに命を落としちゃう。
「でもまあ、どんだけやっても完璧からはほど遠いんだけどな」
「それは仕方ないでしょ。本気で百パーセントの安全性を求めるなら、街から一歩も外に出られないじゃない」
否、街の中にいたって事件や事故に巻き込まれる可能性はある。
勤めていた商家が倒産してしまうことだってある。
あるいは、昨夜食べた食事に当たってしまうかもしれないのだ。
結局、なにが安全なのかというのは、自分次第ということだろう。
もちろん勤め人よりトレジャーハンターの方が安全だ、とは、逆立ちしてもいえないだろうが。
「ふむ……」
平べったい岩の上に地図を広げ、シリングは下顎を右手で撫でた。
目前に広がる奇怪な建造物たちと地図上の座標を幾度も見比べる。
間違いなくイケブクロ遺跡群だ。
「世界に冠たる摩天楼が、いまじゃ三十ていどのビル跡を残すのみか。諸行無常よねえ」
額の前に手をかざしてぐるりと遺跡群を眺めやりながら、感慨深げにミクがいった。
彼女の記憶にはかつてニホンで隆盛を誇っていたイケブクロの映像が保存されているらしい。
それによると、チキュウ世界のものは、すべて完全にこちらに混じったわけでもなく、時空の狭間に消えてしまったものも多いのだという。
ニホンの王城であるコウキョや、元老院であるコッカイなどもそうだ。
もしそれらも混ざっていたら、ニホン国とガリア王国の間に戦端が開かれたかもしれないし、逆にもっと効率的にニホン文化が継承されたかもしれない。
「どーかなー? かえって混乱したしただけかもしれないよ? なにしろニホンの統治能力って低かったから」
とは、そのニホン生まれのミクさんの言葉である。
あんまり母国愛とかはもっていないらしい。
ともあれ、三十足らずでもこれだけの建造物が残っているのだから、遺跡群という呼称で問題ない。
「問題はそこじゃなくて、どれに潜るかって部分だよな」
危険度でいえば、ウエノ大迷宮よりも高いイケブクロ遺跡群だ。
地上の遺跡だから根城にしているモンスターも多いし、食い詰めた山賊などが入り込んでいるかもしれない。
長期間の滞在はできれば避けたいところである。
きっちり目標を定めて、それを達成したらぴゅーって撤退するというのが理想だ。
もちろん、そうそう上手くはいかないだろうが。
「あそこなんかどうかな」
すっとミクが指さすのは、ひときわ巨大な廃墟を中心とした一群だ。
複合型商業施設でイケブクロの中心のひとつ、だったらしい。
「それがどういうもんなのかは判らないけど、遺物がある可能性が高そうな響きだな」
いい加減なことをいうシリングだった。
まあ、どのみちヒントなんて何もないのだ。
でかい施設なら、それだけ遺物があるかも、というだけの話である。
連れだって歩き出す二人。
穴が空き、草がぼうぼうに生えたアスファルトを踏みしめながら。
「道もボロボロだな」
「百年も放置されてたら、そりゃそうよ」
人間が住み、手を入れるから建物でも道でも維持されるのである。
住まなくなったら、建物なんてあっという間に痛んでゆく。
そして自然へと帰るのだ。
「つまり、人間そのものが不自然ってことだよな」
シリングの苦笑だ。
結局、人間は自然の中では暮らせない。
自分たちが住めるように環境を変えなくてはいけないのである。
自然を壊し、大気を汚し、海を潰しながら、人類はチキュウの覇者となった。
この世界でも、いずれそうなるだろうと学者たちは口を揃える。チキュウの文化や技術を入手できたから、より速度は速まるだろうと。
それが良いことなのか悪いことなのか、もちろんシリングには判らない。
進化の果てにチキュウがどうなったのか知る術がないから。
『ミキシング』が起きちゃったし。
彼に判るのはひとつだけだ。
もしこの星に人が住めなくなったとしても、星はまったく困らない。
困るのは人間だけだ、と。
「社会派のシリングさん。何か近づいてきますぜ」
ミクの声で少年は無作為な思考を中断した。
「敵かな?」
「味方って感じの気配じゃないわね。警戒バリバリ」
シリングにはまだ探知できないが、ミクの感知範囲は彼のそれよりずっと広い。
もちろんシリングが無能なのではなく、ミクの能力が人間離れしすぎているだけだ。なにしろ有機アンドロイドなので。
「迎え撃つか。このままついてこられても面倒だし」
「おっけ」
頷きあい、手近な遺跡に身を隠す。
飲食店の跡地だろうか、テーブルや椅子の残骸が散乱している。
それらの影に身を潜め、油断なく通りに視線を投げる。
やがて、がゆがやと騒ぎながら小鬼どもが接近してきた。
数はざっと三十。
少しばかり厄介な戦力差である。
「やる?」
「やりたくないけど、やるしかないだろうな」
小声の会話。
かなり執念深い敵のため、ここでやり過ごしたとしても、しつこくしつこく追いかけてくるだろう。
匂いや痕跡を辿って。
逆に臆病で狡猾な性質のため、絶対に勝てない相手だと悟れば、もう手出しをしてこない。
ようするに、こちらが圧倒的な強者だと思い知らせれるのが戦術上の命題となるわけだ。
「リーサルモードで動いて良い?」
「許可だ。手加減してる余裕はないだろうからな」
ミクの申請に頷き、シリングもまた小声で呪文をはじめた。
同時に飛び出す。
まさか出てくるとは思っていなかったのだろう、小鬼どもが驚き戸惑う。
にやりと笑ったシリングが両手を前に伸ばす。
「これでもくらえ!」
先頭の小鬼が驚愕の表情のまま吹き飛んだ。
いきなりの魔法攻撃。
驚きから恐慌へと小鬼どもの精神が坂を転げ落ちる。
そこにミクが飛び込んだ。
そこら辺に落ちていた瓦礫をむんずと右手に掴んで。




