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008・さようなら。あなたの命をもって、この惨劇の幕とします

 ひ弱な男が潰されるのを見届けた男の子は、乱雑に積み重なっている無数の鉄骨の手前で歩みを止める。そして、鉄骨と、その下にいるであろうひ弱な男をしばし見下ろした後で、こう告げた。


「さようなら。あなたの命をもって、この惨劇の幕とします」


 この言葉を聞き、七海はひ弱な男の死を確信する。


 そう、二人の殺人鬼は死んだ。


 一人は、圧倒的力の前に粉微塵になり、溶けて消え。もう一人は、絶望の最中に鉄骨に潰され、息絶えた。


 粉微塵にしたのは一人の男の子。鉄骨で潰したのは、上空にいるであろう不思議な声の持ち主だ。


「お疲れ様。終わったよ」


 鉄骨の山から視線を外し、夜空を見上げる男の子。七海も、それに合わせ顔を動かし、それを見つけた。


 それは、月を背に夜空を舞う、一つの鳥影。


 その鳥影は、男の子の声に応えるように徐々に高度を下げ、男の子の左肩にとまる。月明かりの下、ようやく鮮明になったその姿は――普通のカラスだった。


 普通のカラス。そう、これ以上ないというほどに、普通のカラスだった。特徴などまったくない。どこにでもいる、日本人なら誰でも見たことがあるであろう、ごく普通のカラスだった。もっとも、これは見た目に限っての話である。


 ほんの少し注視すればわかる。翼をたたみ、男の子の肩に悠然ととまるその姿、威圧感が半端じゃない。


 見た目は普通。だが、その中身は、間違いなく普通じゃない。


 その証拠に、あのカラス――


「よし。過程が少し変わったが、こっちは予定通りに潰れたな。明日の夕刊の見出しは『天罰!? 無差別連続殺人犯、工事現場で潰される!』で決まりだ」


 喋るし。


 しかし、何度聞いても不思議な声である。何が不思議かと言うと、性別も、年齢も、声だけではまったく判断がつかないのだ。声優であり、声に強い拘りを持つ七海が、である。


 声に感情以外の特徴がまったくない。かといって、喋るインコのような片言の言葉とも違う。ただ聞くぶんには、とても流暢な日本語だ。


 様々な声を聞き、みずからも様々な声を出してきた七海も初めて耳にする、とても不思議な声。特徴がないのが特徴の、分類不能の声。


「いつもごめんね。裏方と汚れ役、両方ともやらせちゃって」


「気にするな、空羽くうは。適材適所だ。しかし、予定していた封印処置はできなかったな。運が悪いと――」


「二度手間になるね。まあ、そのときはそのときだよ。これも想定内、想定内」


 空羽。それが男の子の名前らしい。


 空羽と、人語を操る不思議なカラス。見た目は普通の一人と一羽。都内を騒がせる無差別連続殺人事件を解決したコンビで、罪人に死という制裁を科したツーマンセル。そして――


「さて、それじゃ……」


「残った問題を片づけるか」


 七海の明日を左右する、見た目に反して普通じゃない、怪物タッグだ。


 カラスを肩にとまらせたまま、歩いて七海に近づいてくる空羽。それを見た七海は慌てて立ち上がる。立ち上がるが、それまでだった。


 逃げることも、立ち向かうこともできない。


 文字通り、何もできない。


 女戦士のなりきり自己暗示はすでに解けてしまっている。今の七海は声優の仕事をしている以外は普通の女子高校生なのだ。そして、再び自己暗示が使える精神状態じゃない。もっとも、たとえ自己暗示が使えたとしても、状況はまるで変わらないだろう。


「あ、あの……その……」


 しどろもどろになりつつも、どうにかこうにか口を動かす七海。そんな七海を見つめながら、歩みを進める空羽。そして、ある程度七海に近づくと、空羽は右手を胸の高さまで上げ、手なれた動作で指を鳴らした。


 中庭に響く乾いた音。


 するとどうだろう。中庭に転がっていた男性と思われる死体三つが、空気に溶けるように消滅した。地面に散乱していた内臓も、水溜りのようになっていた血液も、何もかもが、一瞬にして消滅したのである。先程の大男と同じように。


「嘘……」


 突然の事態に唖然とし、目を丸くして左右を見回す七海。中庭を再度確認する。


 やはり、死体などどこにもない。


 幻や白昼夢の類を見ていたのかと一瞬思ったが、違う。


 圧倒的な存在感、血の滴る生々しさ。あの死体は、間違いなくこの場に存在していたはずだ。そう断言できる。


 自分がこの目で見て、怒りまで覚えた死体。それはいったいなんだったのだ――と、いったいどこに消えたのだ――と、七海は狼狽する。


 いろいろなことが起こりすぎて、混乱し、迷走する七海。そんな七海を落ち着かせようと思ったのか、いつの間にか手が届く距離にまで近づいていた空羽が、ポケットからハンカチを取り出し、笑顔で口を開いた。


「これ、よかったら使ってください、お姉さん」


「え……?」


「左手。血が出ていますよ」


 空羽の言葉に促され、七海は左手を胸の前で広げ、掌を見下ろした。


 薬指の第二間接のあたりに、確かに傷があった。深く切ったのか、赤い鮮血がトクトクと流れ出ている。


「あ……ほんとです。さっき地面についたときに切ったのかも……」


 ひ弱な男の炎をかわしたときだ。左手と右膝で制動をかけたときに切ったのだろう。


「ですからどうぞ。使ってください」


「あ、その、ありがとう……ございます」


 右手でハンカチを受け取り、傷口に当てる七海。


 空羽の声からは、殺意などの負の感情は感じない。感じるのは、優しさや、労りの類の温かい感情。それらの感情が、僅かではあるが七海の心を落ち着かせてくれた。


「絆創膏や消毒液でもあればいいんですが、最近は持ち歩かないんです。すみません」


「い、いえ! 十分です! はい!」


「そうですか、よかった。えっと、それでですね。早速なんですが、お互いの今後について話し合いたいと思うのですが――」


 空羽はここで言葉を区切ると、ざっと左右を見回した。次いで、少し首を傾げつつ、七海に尋ねる。


「あの、お姉さんの想力体はどこですか?」


「……え?」


 空羽が何を言っているかわからず、七海は少し間の抜けた声を漏らす。


「えっと……そうりょくたい?」


「ええ、お姉さんと契約している想力体です。ああ、ご心配なく。たとえどのような由来の想力体であっても、いきなり襲いかかったりはしません。約束します」


「……あの」


「はい?」


「想力体って……何ですか?」


 七海の質問に、今度は空羽が目を見開いた。空羽の肩にとまるカラスも、七海の言葉に少し驚いたように見える。


「え、あの、お姉さん? さっきの大男、ちゃんと見えてましたよね?」


「はい。あんなの初めて見ました」


「……初めて、ですか?」


「初めて……です」


「――っ!」


 七海が肯定の返事を口にした瞬間、空羽が弾かれたように後ろに跳んだ。七海と空羽、二人の間にかなり広い間合いができる。


 そして、着地と同時に空羽が叫んだ。


「内在想力値の測定と、広域探知!」


「え?」


 咄嗟のことに声を漏らすことしかできない七海を置いてけぼりにして、事態は進む。


 空羽の左肩にとまっていたカラスが、左翼だけを大きく広げ、勢いよく振り抜いたのだ。


 生み出される凄まじい強風。


 その強風は、カラスを中心にしてドーム状に広がり、七海の全身をくまなく撫でた後、周囲に広がるコンクリートの密林を駆け抜けていく。空羽のハンカチが七海の手から離れ、夜の街へと飲み込まれていった。


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