007・さて、次はあなたの番ですね
突然の事態に何がなんだかわからず、体を硬直させる七海。だが、そんな七海を無視して事態は進む。前を向いていた男の子がいきなり下を向き、七海の顔を上から覗き込んできた。そして、七海と目が合うなり、真顔で告げる。
「降ろしますよ」
「ふえ? きゃあ!?」
言った後は早かった。七海の返答も聞かずに、男の子は七海の体から手を離し、移動の勢いを利用して、七海を少し離れた地面へと放り出す。
お尻を地面に打ちつけた後、もう少し丁寧に扱いなさいよ! と、七海は胸中で叫んだ。次いで、お尻を摩りながら体を起こす。すると、少し離れた場所で佇む異形の大男の姿が見えた。だが、様子がおかしい。自身の右腕をじっと見降ろすだけで、一向に動こうとしない。
その理由はすぐにわかった。異形の大男の右腕、あのナイフが生えた右腕に、新しく別のものが生えていたのである。
それは、先の尖った鉄パイプ。見間違いでなければ、男の子が握っていたもの。その鉄パイプが、異形の大男の右腕に深々と突き刺さり、反対側から突き抜けていた。
七海が聞いた生々しい音は、異形の大男の右腕に、鉄パイプが突き刺さった音だったのだ。
まだ事態が飲み込めていないのか、異形の大男は鉄パイプが生えている右腕をしばし見降ろしてから首を捻る。その後、ゆっくりと七海の方へと顔を動かした。
真紅の瞳に見つめられ、七海の体が再び恐怖に震える。どうやら女戦士のなりきり自己暗示は、殺されかけたときのショックで解けてしまったようだ。
キャラクター設定が普段の七海、女子高生声優に戻り、体の震えは増すばかり――と、思いきや、その震えは長くは続かなかった。あの男の子が、異形の大男の視線から七海を庇うように、二人の間に体を割り込ませたのである。すると、なぜか震えは自然と消えた。
背中越しではあるが、七海は改めて男の子を観察してみる
七海より二、三歳年下に見える男の子。流行など知らぬ存ぜぬの、まったく手が加えられていない黒髪で、これまたまったく手が加えられていないオーソドックスな黒の学生服に身を包んでいる。靴は何処にでもある市販の運動靴で、アクセサリーの類は一切身につけていない。
体の線は細く、身長は七海と同じか少し高いくらい。正直あまり目立たない。だが、抱えられたときに確認した彼の顔立ちはけして悪くなく、むしろ美形と言っていいものだった。目敏いクラスメイトの女子が、休み時間の何気ない話題にする。そんな、ほどほどに美形で、適度にかっこいい男の子。どこにでもいる、磨けば光るかもしれない男の子。
だが、違う。普通の男の子に見えるが、どこか違う。確実に違う。そして、違うことはわかるのに、どこが違うかがわからない。
どこにでもいそうなのに、どこにもいない。そんな、不思議な印象を受ける男の子。
「グ……グルゥアァァアァー!」
ようやく事態を飲み込んだのか、常人ではありえない角度まで口を開き、絶叫する大男。その絶叫に込められた怒気は、声優である七海でなくとも感じ取れるであろう、凄まじいものだった。
右腕に突き刺さっている鉄パイプを力任せに引き抜いた異形の大男は、右腕と一体になっているナイフを振り上げる。その後、包帯の上からでもわかる憤怒の形相で、七海と男の子に向かって突進してきた。
対する男の子は、迫りくる異形の大男を真っ直ぐに見据えつつ、ごく自然な動作で両手を胸の前に動かし、左半身を前に出した簡単な構えを取る。そして、自分からは動こうとせず、その場で異形の大男を待ち受けた。
そう、男の子は、あの化け物相手に素手で挑もうというのだ。
誰もが無謀だと思うだろう。武器の有る無しの以前に、体格差があまりに絶望的である。
だが、七海は男の子の背中を見つめながら、漠然とこう思った。
男の子が勝つ――と。
「ガァアアァーーー!!」
ナイフが届く間合いにまで男の子に近づいた異形の大男が、絶叫と共に右腕を、ナイフを振り下ろす。
怒りと殺意、その双方が込められた凶刃が、男の子に迫る。
対する男の子は、迫りくるナイフを避けようともせず、無造作に左拳を一閃。
拳とナイフの軌道が交差し、それに一瞬遅れて、甲高い音が中庭に響く。
その音は、男の子の裏拳が、異形の大男のナイフを根元からへし折る音だった。
ナイフを折られたことがよほどショックだったのだろう。腕を振り下ろした体勢で、大男が目を見開き、硬直する。しかし、男の子の方は止まらない。なんの迷いも、躊躇もなく、大男に向かって右足を強く踏み出した。そして――
「予定変更。あなたは封印せずに、今すぐ無力化させてもらいます」
この言葉と共に、腰の回転を見事に乗せた右フックを、大男の脇腹へと叩きこんだ。
男の子の拳を中心に、くの字に折れ曲がる大男。次いで、体が折れ曲がったことで低くなった大男の顔面に向かって、男の子が両の拳を繰り出した。
回数なんてとても数えられない拳の弾幕。その弾幕に晒された大男の顔面が、瞬く間に変形していく。歯は次々にへし折られ口外に飛び出し、包帯の間で赤く光っていた真紅の瞳は、変形していく顔面に徐々に隠されていった。
元々人間離れしていた大男の顔であったが、もう完全に人間のそれじゃなくなり、すでに軟体動物のようにグニャグニャである。しかし、大男も意地を見せた。悪夢のような拳の弾幕に晒されながらも、右腕を下から上に振り上げ、折れたナイフで男の子を切りつけてきたのである。
残す力のすべてを振り絞った、最後の抵抗。
だが、その抵抗も――
「おっと」
あの男の子には届かない。
男の子は助走もなしに三メートル近く跳び上がり、大男のナイフを容易くかわした。そして、もう立っているだけでやっとであろう大男の脳天に向かって、右の踵を振り降ろす。
「これで終わりです!」
言葉通り、とどめの一撃だった。
男の子が放った斧のような右の踵落としが、吸い込まれるように大男の脳天にめり込む。その衝撃に首が耐えられなかったのか、大男の頭部が丸ごと胴体にめり込む。最後に大男の上半身、そのほとんどが剥き出しの地面にめり込んだ。
静寂が訪れる中庭。といってもそれは一瞬のことだった。静寂を打ち破ったのは、潰れた大男の断末魔でも、仲間があっけなくやられたひ弱な男の悲鳴でもない。
衝撃波だった。
男の子の踵落としにようやく世界が追いついた――とでも表現すればいいのか? 巨大な鉄球が地面に落下したかのような轟音と共に、男の子の右踵を中心にして、地面がさらに陥没したのである。
陥没だけでは衝撃を逃がしきれないのか、地面はさらに無数にひび割れ、弾け飛ぶ。直接当たっていない地面ですらそれだ。衝撃の中心である踵の真下にあった大男の上半身は、陥没どころでは済まない。爆発四散。原型を留めることなくバラバラとなり、残った下半身だけが力なく地面に転がっている。
今更かもしれないが、かなり現実離れした光景だった。そして、現実離れした光景は更に続いていく。
地面に転がっていた大男の下半身と、爆発四散した上半身が、空気に溶けるように消滅したのだ。血の一滴も残っていない。どう見ても人間の死に方ではない。
「うん。ネットとテレビ、あと噂の相乗効果で偶然具現化できた想力体なんて、やっぱりこの程度だよね」
大男の消滅を見届けた後、男の子はこう呟いた。あれだけの動きをした直後だというのに、まったく息を切らしていない。
文句なしの圧勝だった。先の苦戦が嘘のような圧勝。いや、事実嘘だったのだろう。七海が目にしたあの苦戦は、何かしらの理由があっての時間稼ぎに違いない。
「ひ、ふひぃぃいぃ!」
大男の消滅と、男の子の驚異的な戦闘力を目の当たりにしたひ弱な男が、情けない悲鳴を上げて腰を抜かし、尻餅を突いた。体は大きく震えており、その両目からは恐怖の涙が止めどなく流れ出ている。
「な、何で! 何で何で~!?」
意味もなく同じ言葉を繰り返すひ弱な男。尻餅を突いたまま、少しでも男の子から離れようと必死にもがいている。
「さて、次はあなたの番ですね」
陥没した地面から視線を外し、ひ弱な男を見下ろしながら、男の子はさも当然のように呟いた。
「ひ、ひぃいぃいいぃ!」
ひ弱な男は引きつった声を上げると、尻餅の体勢から体を半回転させ、両膝を地面につける。その後、何度も失敗してからどうにか立ち上がり、覚束ない足取りで駆け出した。男の子に背中を向けて、必死に逃げる。
走って逃げるひ弱な男。それに対し、男の子は走ろうとしなかった。少しずつ離れていくひ弱な男の背中を見つめつつ、歩いて後を追う。
中庭から逃げ出し、骨組み段階の建物に駆け込むひ弱な男。そんなひ弱な男が、首だけで後ろを振り返る。すると、色々なものでグシャグシャになっている顔で、小さく笑みを浮かべた。引き離し、小さくなった男の子の姿を見て、僅かな希望でも見つけたのだろう。
だが、その瞬間――
「じゃ、そっちは手筈通りに」
男の子が口を動かした。まるで、ひ弱な男が希望を見つけるのを待っていたかのようなタイミングで、男の子は何者かに呼び掛ける。
「承知した」
男の子の呼び掛けに応じる形で、上空から突然声が聞こえてくる。
どこか違和感のある不思議な声だった。その違和感に突き動かされ、七海が空を見上げると、視界の端に何かが映る。
それは、ひ弱な男に向かって降り注ぐ、無数の鉄骨だった。
七海に少し遅れて、自らに降り注ぐ鉄骨の存在に気づくひ弱な男。浮かべていた小さな笑みは、迫りくる死と絶望によって、凄惨な笑みへと豹変した。
「ひゃ、ひゃはは! あひゃひゃひゃぁぁぁああぁぁあ!」
絶望の笑い声を上げながら、なす術なく鉄骨に押し潰されるひ弱な男。鉄骨の下敷きになったその姿は、もう七海には見えなかった。




