050・消えてなかった……
「ふむ……ふむふむ……」
人気の少ない団地裏で、目の前にいるソルト――正確に言えば、ソルトの肉体を自身の肉体上に具現化、上書きし、人格さえも多重人格であるソルトに譲渡することで、身も心も魔法洋菓子職人ソルトへと化した七海を、値踏みでもするかのような視線で観察するアモン。一方のソルトはというと、アモンの視線に居心地悪そうにはしていたが、無言で値踏みに耐えていた。
興味が尽きないのか、何度も何度も首を縦に振り、ソルトの観察を続けるアモン。その時間は永遠に続きそうだったが、唐突に終わりを迎えることになる。
なぜならば――
「しっ!」
何の脈略もなしにアモンが右手を振り上げ、手刀でソルトの首を狙ったのだ。
「はぁ!」
だが、ソルトも然る者。アモンの手刀に即座に反応し、ケーキナイフで迎え撃つ。
甲高い金属音と共に、アモンの籠手と、ソルトのケーキナイフが激突した。
互いに一歩も引かず、鍔迫り合いに似た均衡を見せるアモンとソルト。ほどなくして、互いに弾かれるようにバックステップを踏み、間合いを空けた。
「何ですか、いきなり!」
鋭い視線をアモンに向け、ケーキナイフを両手で構えるソルト。すると、アモンは右手をソルトに向けて突き出し、こう告げる。
「戦闘は無駄だ、お前に勝ち目はない。お前の体は、私から七海に供給される想力で具現化されている。そして、私と七海は正式な契約を結んでいない。私が想力の供給を絶てばどうなるか――わかるな?」
「く……」
アモンの言葉に悔しげに俯き、ケーキナイフを降ろすソルト。次いで、降参ですと言わんばかりに、力の源であるケーキナイフを普通の大きさへと戻し、アモンと自身の立ち位置、その中間へと放り投げた。
一方のアモンはというと、そんなソルトを再び値踏みするように見つめ、やがて大きく頷いた。次いで、実に満足そうな声でこう呟く。
「ふむ。これは……使えるな」
ソルトの口から「え?」という疑問の声が漏れると同時に、アモンは踵を返した。そして、楽しげに笑いつつ歩き出す。
「アモン、器に戻る前にデカラビアを回収してあげて。まだ毒で動けないはずだからさ」
ソルトとアモンのやり取りを傍らで見守っていた空羽が、歩みを進めるアモンの背中に声をかけた。するとアモンは「承知した」と短く答えた後で、地面を強く蹴り、跳躍。彼方の空へと消えていった。
「あの、今のって?」
アモンが消えていった方角を指差しながら、空羽に尋ねるソルト。すると、空羽は少し弾んだ声でこう答える。
「認められたんですよ。あなたの――延いては七海さんの力が、アモンに」
「なら、七海ちゃんは……」
「はい、アモンは七海さんを生かしておくことに賛成してくれるでしょう。これで賛成三、反対二ですので、もう大丈夫です。七海さんは助かります」
「よかった」
ソルトは右手を胸に当て、心底ほっとしたように深い息を吐く。
「これで、安心して七海ちゃんの中に戻ることができます」
「あの、もう消えちゃうんですか? 僕、あなたともっとお話ししてみたいんですけど……」
空羽が名残惜しそうに引き留めると、ソルトは困ったように笑った。次いで、こう続ける。
「この体は七海ちゃんのもの、そして私は……七海ちゃんの別人格にすぎません。やはり、長く表に出るべきじゃない。それに、正直疲れました。何せ、七海ちゃんに呼ばれて目が覚めた途端、即戦闘でしたので」
「そう……ですか、残念です」
「そんな顔しないでください。空羽さんは七海ちゃんと交流を持ち続けるつもりなのでしょう? なら、いずれ機会もありますわ」
「ですね、そのときを楽しみにしておきます」
「はい。そのときは、腕によりを掛けてお菓子を作らせていただきます」
ソルトはそう言った後で優しく微笑み、空羽も笑った。
「それでは、私はこれにて。空羽さん、あまり私の友達を……七海ちゃんを虐めないであげてくださいね?」
この言葉とともに、ソルトの体が空気に溶けるように消え始めた。そして、その下から徐々に七海の体が現れる。ほどなくして、ソルトの体は完全に消失し、七海の姿が明確になった。
その直後――
「七海さん!?」
七海の体が力なく崩れ落ちる。空羽は、慌てて七海の体を抱き留めた。
「七海さん!? 大丈夫ですか!? 七海さん!?」
「空羽……さん?」
「はい、僕です。よかった、意識はあるみたいですね」
「空羽さん……う、うう~」
空羽の背中に両腕を回し、いきなり泣き始める七海。自身の腕の中で、大粒の涙を次々と零すその姿に、空羽は慌てふためいた。
「想定外の事態!! でも何だか嬉しくない!? ど、どどどうしました!? 体痛いですか!? 今すぐ病院に――」
「……えて……なかった……」
「え?」
「消えて……なかった……」
「あ……」
「ソルト、消えてなかった……私の中に……ずっといてくれたんだ……よかった……よかったよ~」
七海は、空羽の胸に顔を埋めながら、涙声で安堵の言葉を紡ぎ続けた。消えたと思っていた友人、もう一人の自分。その無事を知り、喜びの涙を止めどなく流し続ける。
空羽は、そんな七海の背中を優しく撫でた。
何度も何度も、七海が泣き止むまで、撫で続けた。




