044・私が選んだ男をなめるなよ
「ふっ!」
気合の掛け声と共に、右腕を高速で振り下ろすアモン。黒炎で作られた剣がその刀身を伸ばしながら突き進み、イナゴの軍勢を直撃。炎剣は速度を減じることなく振り切られ、イナゴの軍勢を一薙ぎした。
アモンの炎剣が通過した場所に存在していた無数のイナゴたちは、黒炎に触れた瞬間焼き尽くされ、灰も残さず焼失。そして、炎剣が通過した場所、その先に、想力で造られた東京の街並みが垣間見えた。しかし――
「無駄です」
アモンの攻撃によってできた軍勢の綻びは、瞬時に無数のイナゴたちによって塞がれてしまう。そして、数にしてみれば、数百、数千のイナゴが一度に焼失したというのに、イナゴの軍勢全体には、ほとんど変化が見られない。
「しっ!」
先程アバドンの声が聞こえてきた方向に向けて、今度は左手を一閃するアモン。左手の炎剣がイナゴの群れを薙ぎ払い、再びイナゴの軍勢にわずかばかりの綻びを作る。が、またもや別のイナゴたちがその綻びを塞ぎ、アモンと外界とを遮断してしまう。
「それも無駄です。何度やっても同じですよ、アモン卿」
アモンの剣が通過した場所、そことはまるで違う方向から聞こえてくるアバドンの声。軽く舌打ちをした後でそちらに視線を向けるアモンだったが、その視線の先に存在するのは、イナゴの大軍勢だけである。
現在アモンは、アバドンとの空中戦の真っ最中である。旗色は、良くもなければ悪くもない。膠着状態だ。
イナゴの軍勢が想界の一角を埋め尽くし、アモンの周囲を全包囲した後、アモンとアバドンの戦いは、小競り合いの一言に尽きるものが続いていた。
アモンが攻撃。
イナゴの数が減少。
アバドンがイナゴを補充。
以上の三つが延々と繰り返されている。このサイクルの終わりは見える気配すらない。
「守勢に回ったこの私を打倒することは、いかにあなたとて不可能ですよ。アモン卿」
今度は三方向から同時に聞こえてくるアバドンの声。その二つに向け、即座に両手の炎剣を振り下ろすアモンだったが、結果は同じ。周囲のイナゴの数をわずかばかり減らしただけだ。大局は動かない。
「何度同じことを繰り返すおつもりですか? いい加減大人しくしていただきたいのですがねぇ。ここで私と共に、契約者同士の戦いが終わるのを静かに待とうではありませんか」
「聞けん相談だな。私の攻撃で減じるイナゴの数が、お前のイナゴ生産速度を大きく下回れば、その余剰分を空羽に差し向ける腹積もりなのだろう?」
「はは、そんなまさか。そのようなこと、私は――」
「ふん」
今度は声が聞こえた方向とは反対方向に剣を振るい、イナゴを薙ぎ払うアモン。だが、そこにもアバドンの姿はない。
「聞く耳持ちませんか。まあ、いいでしょう。先の宣言通り、私の分身があなたの契約者を倒すまで、足止めに専念させていただきます」
口を出すだけで手は出さず、決して攻勢に出ようとしないアバドン。攻勢に転じれば手痛い反撃を受けるかもしれない。空羽と樹梨のことは分身に任せておけば大丈夫。この二つの考えに基づいた判断、そして行動。
そんなアバドンに対し、アモンはつまらなそうに鼻を鳴らした。次いで、炎剣を構え直しつつ、姿を見せない敵対者に向け、こう告げる。
「相手になると言ったからな、つき合ってやるさ。だが、一つ忠告をしてやる、蝗の王」
「何です?」
「私が選んだ男をなめるなよ」
◆
「くそ、何なんだこいつはよ!?」
驚愕と焦りを色濃く感じさせる声で、巨大イナゴが叫んだ。次いで、背中にある四つの底無し穴から、イナゴの卵を一斉に産卵。空中に放り出された卵は瞬時に羽化し、新たなイナゴが誕生。そのイナゴ四匹が、順次空羽へと襲い掛かった。
産卵速度、発射速度共に、本体であるアバドンと比べ大きく劣るが、あの巨大イナゴも眷属生産能力を有しているらしく、空羽との戦いの当初からその能力を使用。眷属版のイナゴと連携して、四方八方から空羽を攻め立ててきた。
数の上では常に有利である巨大イナゴ。だが、その表情は険しい。なぜならば――
「あははは!」
空羽が、数の不利をまったく感じさせない、一騎当千の戦いを見せているのである。
空羽は心底楽しそうに笑いつつも、自身に向かって突撃してくるイナゴに向け、正確無比な拳を両手から繰り出した。羽化したばかりで固まっていないイナゴの外骨格を素手で貫き、イナゴ四匹を瞬く間に死骸へと変え、獣のさながらの動きで路地裏を駆ける。
「くそが!」
悪態をついた巨大イナゴが尻尾を動かし、毒針で空羽を狙う。それに対し空羽は、掠った時点で動けなくなるであろうその毒針を、あろうことか紙一重でかわし、前進。巨大イナゴとの距離を更に詰める。
「だったらこうだ!」
巨大イナゴは再度尻尾を操作した。尻尾の進行方向を力尽くで変え、空羽の死角から毒針で足を狙う。が、空羽はまるで背中に目でもあるかのような超反応を見せ、斜め上に跳躍。毒針をかわした。
「跳んだな! 終わりだ!」
叫び、小さく笑みを浮かべる巨大イナゴ。三度尻尾の進行方向を変え、空羽の動きを追尾。跳躍した空羽を、下から毒針で狙い撃つ。
空中に身を躍らせた空羽は機敏に動けない。なす術なく毒針に貫かれる――はずだった。
「何ぃい!?」
巨大イナゴが目を見開き、驚愕の声を上げる。空羽が空中で何かを蹴り、もう一度跳躍。進行方向を大きく変えたのだ。
イナゴの毒針は、すでに空羽がいなくなった場所目掛け直進し、そこで何かを貫いた。
それは、透明な板。
空羽が想力で具現化し、空中に設置したであろう、ガラス板によく似た、六角形の足場である。
空羽は、それと同じものを更に二つ空中に設置し、再度跳躍。飛翔とは違う鋭い動きで空を駆け、巨大イナゴとの間合いを、ついに手が届くまでのものにした。
「しっ!」
空羽、右足での渾身の回し蹴り。巨大イナゴは、左足二本を防御に回し、それを受け止めようとした。だが、遅い。
「ぐぎ!」
巨大イナゴの口から苦痛の声が漏れる。次いで、その体から何かが飛んだ。
左前足である。
空羽の回し蹴りによって圧し折られた、巨大イナゴの左前足が、放物線を描いてコンクリート製の地面に落ちていく。
「こぉんのぉ!」
仲間の危機に樹梨が動いた。右腕を極彩色の百足に変え、空羽へと嗾ける。
樹梨の右腕から伸びた極彩色の巨大百足は、空中をうねりながら突き進み、自然落下途中だった空羽の脇腹に直撃した。
初めて見る空羽の回避失敗。その光景に七海は息を飲み、樹梨は笑みを浮かべ――
「ふふ」
空羽も笑った。
空羽は、自身の脇腹にめり込んでいる百足の頭に右手を乗せると、その右手を強く握り締める。すると、空羽の指が外骨格を貫き、百足の頭部に突き刺さった。
両足が地面につくと同時に、百足の体を背負い投げでもするかのような、大きな動作で引っ張る空羽。当然、百足と繋がっている樹梨の体も引っ張られることとなり、樹梨の体は地面を離れ宙を舞う。そして、樹梨の落下地点には、左拳を握り締めて身構える空羽の姿がある。
ここにきて、ようやく七海も理解した。空羽は、樹梨からの攻撃を避けられなかったのではない。この状況を作り出すために、あえて避けなかったのだと。
「いやぁぁああぁ!」
このままでは自身がどうなるか悟ったのか、恥も外聞もかなぐり捨てて、あらんかぎりの声で悲鳴を上げる樹梨。そんな樹梨の悲鳴に、巨大イナゴが反応する。
「チッ! 世話の焼ける!」
巨大イナゴは右足を動かして、樹梨から伸びる極彩色の百足を中ほどから断ち切ると、宙を舞う樹梨の体に尻尾を伸ばし、絡め取った。
巨大イナゴの尻尾を支えにして、空中で静止する樹梨の体。そして、そのすぐ下を、暴風のような風切音を伴った空羽の左拳が通過していく。
「っひぃ」
引き攣った声を口から漏らす樹梨と、そんな樹梨を抱えて空羽から距離をとる巨大イナゴ。その両名を、空羽は無言で見送った。
空羽と巨大イナゴとの間合いが再び開き、連綿と続いていた攻防がようやく途切れる。路地裏に、一時の静寂が訪れた。
「強ぇえ……」
樹梨を地面に降ろした巨大イナゴが、苦々しく呟く。
「ちょ、あんた、なに!? 弱音!? 許さないわよ!」
「気楽なこと言ってんじゃねえよ。単独であそこまで戦える想力師は滅多にいねぇ。大手の幹部クラスか、それ以上だ」
焦燥を強く感じさせる声でこう告げる巨大イナゴ。空羽に圧し折られた左前足からは、紫色の体液が止めどなく溢れ出ている。
七海は、巨大イナゴと樹梨、そして多数の眷属を、たった一人で相手取る空羽の後姿を見つめながら、ある言葉を思い出していた。
想い次第で、人は神も悪魔も越えられる。
他ならぬ空羽の口から語られたこの言葉。これはまぎれもない真実だった。人は、想いの力で、神も、悪魔も、堕天使だって越えられる。
「ど、どうにかなさい! このままじゃ私たち――」
「頑張って、空羽さん!」
気がつけば七海は、樹梨の言葉を遮るように声を上げていた。声優として鍛え上げられた七海の声が、樹梨の声を掻き消して路地裏に響き渡る。
瞬間、樹梨の顔が弾かれるように動いた。憎々しげな顔で七海のことを睨んでくる。だが、七海も怯まなかった。負けてなるものかと、勇気を振り絞って樹梨の顔を睨み返す。
互いに険しい表情で睨み合う七海と樹梨。だが、ほどなくして変化が起きた。七海を見つめる樹梨の表情が、憎々しげなものから嬉しげなものへと、徐々に変化していったのである。
「え?」
樹梨の表情の変化に困惑し、小さく声を漏らす七海。そんな七海の視線の先には、すでに笑顔と言ってもいいものにまで表情を変えた樹梨がいた。そして、樹梨はその笑顔を保持したまま、右手の人差指で七海を指差し、こう口を動かす。
「イナゴ、あの男じゃなく、御柱七海を狙いなさい」
「「――っ!」」
瞬間、空羽の表情から笑みが消えた。七海も、自身の体から血の気が引くのを感じる。
「そう、そうよ。何も、力であの男を上回る必要はないのよ。あの男は、自らの勝利条件に、御柱七海の生存を入れているはず」
言葉の途中であったが、樹梨が何を言わんとしているのか悟ったのだろう。巨大イナゴは視線を七海へと向け、下卑た笑みを浮かべた。次いで、背中の底無し穴からイナゴの卵を産卵。空中に放り出す。
「そこを突き崩してさえしまえば、あの男の勝利は消える。そうすれば、思考に敗北が過り、想力行使に支障をきたすはずだわ」
ここで七海は思い出す。これも、空羽の口から語られた言葉だ。
想力師はイメージを具現化して戦う。戦闘時は負けることを考えてはいけない。敗北をイメージした瞬間、負けが決定する。
「忘れていたわ。そうよ、想力師の戦いは力比べじゃない。想いのぶつけ合い、世界の塗り潰し合い、そして――」
両腕を極彩色の百足に変えた樹梨、尻尾を振りかぶる巨大イナゴ、卵から羽化したイナゴたち、それらの視線が、一様に七海に向かって注がれる。そして――
「心の折り合い」
樹梨のこの言葉を合図に、一斉に七海へと襲い掛かってきた。




