036・チェックメイトだ
「は、腹癒せ!?」
腹癒せ。つまりは憂さ晴らし、八つ当たり。
「そ、腹癒せ。私より若くて可愛い大西芽春ちゃんが、ちょっと気に食わなくてね」
若くて、可愛い。それって――
「あなた、昨日の『天使のホイッスル』のオーディションで芽春に負けて、音響監督に突っかかったっていう?」
「あら、聞いてたの? ええ、私のことよ」
七海の言葉を素直に肯定する樹梨。そして、こう言葉を続けた。
「声優としての実力だけを見れば、間違いなく私の方が上だった。なのに、私は負けた。実力と関係ない、若さと、ルックスなんていう要素のせいでね。とてもじゃないけど納得できなかったから、こうして襲うことにしたの」
「そ、そんな理由で――」
「そんな理由? 十分すぎる理由よ。そして、誰もが普通に思ってることでもあるわ。自分より可愛い奴、頭のいい奴、金を持っている奴、消えろ、死ね、殺したい。でも、大抵の人間は思うだけで実行には移さない。理由は簡単、力がないからよ。法律、警察、一般常識、モラルといった、強大な力を跳ね除ける力がない。だから、仕方なく感情を押し殺す。でもね、私は違う。私には力がある。想力という力が! だから我慢なんかしない! 気に入らない奴は殺す! 壊す! 御柱さん、想力体を認識できるあなたならわかるでしょう!?」
「一緒にしないでください!」
さすがに冷静じゃいられなくなり、語気を荒げて反論する七海。そんな七海に続いて、デカラビアも口を開いた。
「アバドン殿……差し出がましいことを言うようですが……あなたの契約者は……少々錯乱している様子……窘めたほうがよろしいかと……」
「はは、お気づかい感謝する。しかし、私はすでに言葉は尽くした後でしてね」
表情の変化が乏しいのでわかり辛いが、おそらく苦笑いを浮かべているであろうアバドン。そんなアバドンに向かって、デカラビアは更にこう言葉を続けた。
「あなたの契約者が暴走を続ければ……いずれは大手の者たちが……」
「自制心を失った想力師と想力体の行き着く先は、私とて理解しているさ。しかし、我が主殿はもう止まれんらしい。なれば、それにつき合い、共に滅びるのもまた一興」
「あくまで契約者に殉ずる……と?」
「そうとも。元より肉体の消失権を握られている以上、我々想力体は、契約者につき従うより他にない。契約者に従うその中で、何かしらの娯楽を見つけ出し、それを追及することこそが肝要だ。そうだろう? デカラビア卿」
「……そうですね。それもまた……我ら想力体の……あるべき姿の一つ……」
この言葉を最後に、デカラビアとアバドンの会話は終わる。それを見計らって、七海は口を開いた。
「デカラビアさん、想力体が契約者に従うしかないって?」
「私たち想力体は……想力師に肉体を具現化してもらうことで……この世界に干渉してる……でも、その肉体の消失権は……常に想力師の側にある……だから想力体は……契約した想力師に逆らえない……体がなくなったら何もできない……虚ろな毎日に……地獄に逆戻り……」
「なるほど」
七海は、指先一つで具現化したものを消失させる空羽の姿を思い出しながら頷いた。肉体の消失権を握られている限り、想力体は想力師に従うしかないのである。
「だから……ろくでもない人間や……馬が合わない人間と契約すると……その想力体は凄く苦労する……一度契約すると……その想力師が死ぬか……想力が認識できない状態にならないと……契約は切れない……」
デカラビアは、想力師が想力体との契約を切る方法を二つ上げたが、後者の方はあまり現実的ではない。泳ぎ方や、自転車の乗り方と同じだと七海は聞いた。一度想力体を認識できるようになったら、記憶操作か、精神操作をしない限り、元には戻れないとも。そして、想力体は死んでも時間をかけて復活するのだから、想力体と想力師の契約が切れるのは、おのずと想力師が死んだときになるはずだ。
七海は、馬が合わない想力師と想力体の関係は、きっと殺伐としたものになるんだろうなと思いつつ、次の言葉を口にした。
「つまり、アバドンさんは苦労をしている想力体なわけですね」
「それって、私がろくでもない人間ってこと? 酷いこと言うわね、御柱さん」
比較的ストレートに馬鹿にされても、樹梨は怪しい笑みを絶やさない。そして、彼女はこう言葉を続けた。
「さてと、無駄話はこれくらいにして……そろそろ始めましょうか? 人通りの少ない路地裏といっても、あまり時間をかけ過ぎると誰かくるかもだし」
この言葉と共に、右手を胸の高さまで上げる樹梨。それを見た七海は、警戒を強めて腰を落とし、デカラビアは、七海を庇うように前に出た。
「七海、下がって!」
こう口にした後「七海には手出しさせない」と言わんばかりに、樹梨に向かって空を駆けるデカラビア。そんなデカラビアを見つめながら、アバドンが呟く。
「チェックメイトだ。デカラビア卿」
「何を――っ!?」
デカラビアは、アバドンへの言葉を最後まで言い切ることが出来なかった。酷く驚いたように目を見開いた直後、不自然な動きで左右に揺れ、地面に向かって落下していく。
「デカラビアさん!?」
何が起きたのかわからず、困惑の表情で驚愕の声を上げる七海。一方の樹梨は、浮かべていた怪しい笑みを更に色濃くした。
流れ星さながらに墜落し、地面を転げ回るデカラビア。樹梨の前方一メートルほどの場所で落下の勢いは止まったが、どうやらまともに動けないらしい。力なく地面に横たわり、苦しそうに言葉を紡ぐ。
「機能……不全!? まさか……イナゴの……毒? そんな……本体に回る前に……腕ごと切除したはず……!?」
「確かに、あなたの腕から侵入した毒は、本体に到達する前に体外へと排除したようですね。ですがデカラビア卿。あなたは先程、ある異物を本体の内側へと取り込みませんでしたかな? 自らの意思で」
「ま……さか……」
「そう、大西芽春。彼女の服の内側に、極小のイナゴを忍ばせていただきました」
アバドンはそう言うと、体を傾け一礼し「無粋な真似をして申しわけない」と、デカラビアに向かって謝罪の意を示す。
「ふふ、作戦成功。これで想力体の方は無力化ね。事前に対策を立てた甲斐があったわ。それにしても、毒が回るまでに随分と時間が掛かったわね。時間稼ぎも楽じゃないわ」
樹梨のこの言葉に七海とデカラビアは戦慄した。時間稼ぎをしていたのはこちらだけではなかったのである。しかも樹梨は、デカラビアを見つめながら事前に対策を立てたと言った。これはつまり、樹梨がデカラビアの存在を、以前から知っていたことを意味する。
いつ、どうやってデカラビアさんのことを!? と、胸中で叫ぶ七海を尻目に、樹梨とアバドンは話を続けた。
「しかし、少量とはいえ我が猛毒をその身に受けて、苦痛にのたうつこともなく意識を保ち、会話すらこなすとは、さすがはデカラビア卿」
「そういえば、あんたの毒を食らった相手とまともに会話が成立したのは初めてね。大物の想力体だけあって、モノが違うってことかしら?」
「い……いつ……あの子に……イナゴを……? 集団戦闘の最中とはいえ……私の目が見逃すはず……」
「デカラビア卿が気づかないのも無理はありません。そのイナゴは、先程の小競り合いの最中ではなく、あなた方と彼女が合流する以前から、彼女がそこの駅で、電車を降りた直後に忍ばせたもの」
「「――っ!?」」
アバドンの言葉に、七海とデカラビアが息を飲む。
芽春の服の内側には、七海と落ち合う以前からイナゴが潜んでいた。つまりそれは、芽春にイナゴの毒を打ち込むことなど、いつでもできたことを意味する。
その事実と、現在の状況から導き出される答えは――
「あなたたちの本当の狙いは、芽春じゃなくて――!?」
「そう、本命はあなたよ、御柱七海!」
叫び、樹梨は胸の高さまで上げていた右手を、七海に向かって勢いよく突き出した。直後、樹梨の右腕に変化が起こる。彼女の右腕が極彩色の巨大な百足へと姿を変え、七海に向かって突進したのだ。




