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033・芽春は説明を要求します!

「な、なな、何なんですかいったい~!?」


 困惑と驚愕の双方を感じさせる声で芽春が叫んだが、七海はそれを無視。芽春の手を取ったまま、近くの路地裏へと飛び込んだ。


「その子も……連れてくの……?」


「当たり前でしょ! 狙われたのは芽春なんだから!」


 デカラビアの呆れるような声に、七海は走りながら返答する。理由はわからないが、イナゴの狙いは芽春なのだ。あの場に置いていけばどうなるかは火を見るよりも明らかである。一緒に連れていくより他にない。見捨てて逃げられるような間柄なら、そもそも庇ったりはしていない。


 これは絶対に譲れない。そんな思いが込められた七海の声に、デカラビアは諦めの溜息を返した。次いで、敵性想力体について語り始める。


「七海……返事はしなくていいから……私の話を聞いて……さっきの蟲の名前は……イナゴ……アバドンっていう……堕天使の眷属……」


 堕天使・アバドン。それが芽春を狙っている想力体の名前。


「まあ……詳しくはネットで――」


「調べてる暇がありません!」


「だよね……仕方ない……今回は口頭で説明する……」


 七海は、狭く、複雑で、土地勘もない路地裏を全力で走りながら、デカラビアの言葉に耳を傾けた。


 堕天使・アバドン。またはアポリオン。


 ヨハネの黙示録に登場する蝗の王。サタネルという種類に分類される強大な堕天使。その名は『破壊の場』『滅ぼすもの』『奈落の底』を意味する。


 堕天使であるが、悪魔として扱われることもあり、堕天使としてはルシファー、悪魔としてはサタン、サマエルと同一視されることがある。


 ヨハネの黙示録『七つの厄災』の五番目。第五のラッパが鳴らされると同時に天空の彼方より飛来し、イナゴの群れを率いて、額に神の刻印が押されていない人間、つまりはキリスト教徒以外の人間に襲いかかり、尾についた毒針を用いて、五ヵ月もの間死をも上回る苦痛を人々に与え苦しめるという。


 空を埋め尽くすほどの蝗の大量発生、つまりは蝗害こうがいを神格化した存在――とのことだ。


「堕天使の中でも……指折りの知名度を持った実力者……直接戦闘になった場合……私だけじゃ……七海を守り切れないかも……」


 声に悔しさを滲ませ、デカラビアは自身の力不足を吐露する。ソロモン七十二柱の一柱にして、三十の軍団を従える地獄の大侯爵であるデカラビア。そんなデカラビアに弱音を吐かせることからも、アバドンとやらの力量が伺える。


「とにかく……今は逃げる……空羽がくるまで……時間を稼いで……」


「え!? 空羽さん、きてくれるんですか!?」


「私たち想力体は……契約した想力師と……意志の疎通が可能……さっき連絡した……私と空羽は……繋がってる……だから……互いの場所はわかる……今は……とにかく逃げて……」


 このデカラビアの言葉に、七海は大きく頷く。


 当面の目標ができた。空羽がくるまでとにかく逃げる。


 目標が明確になるとやる気が出てくるのが人間だ。七海は、何が何でも逃げてやると心に決め、芽春の手を握る右手に力を込める。だが、その瞬間――


「ちょ、ちょっと先輩! いい加減にしてください!」


 芽春が声を上げ、左手を力任せに振り回した。七海の右手から、芽春の左手がすり抜ける。


 手を振り払われた七海は、慌てて急制動をかけ、停止。すぐさま後へと振り返る。すると、眉毛を吊り上げ、少し怒った様子の芽春がそこにいた。


「も~! いきなり走り出して、いったい何なんですか!? 芽春は説明を要求します!」


 不信感と怒りを言葉に乗せて、七海を非難する芽春。有無を言わさずこんな路地裏まで連れてこられたのだ、無理もない。


 守るべき後輩から向けられた負の感情。その感情に心を痛めつつ、七海は悩んだ。

想力体を視認できない芽春に、今の状況をそのまま説明しても信じてはもらえないだろう。いや、逆だ。信じさせたらダメなのだ。信じたら最後、芽春は想力体を視認できるようになり、二度と日常には帰れない。


 真実は話せない。なら――


「あの……実はね、芽春……」


「はい、何ですか?」


「私、最近変な男につき纏われてるの!」


 嘘でこの場を乗り切るしかない!


「……え?」


「さっき、その男が物陰から私を見てることに気がついて……それで私、咄嗟に……」


 目元に涙を浮かべて、芽春から顔を背ける七海。声と体を小刻みに震わせ、いもしない変質者への恐怖を表現。今この場ででっち上げた大嘘を、七海は声優としての演技力で補強し、真実へと近づける。


「ごめん、ごめんね、芽春!」


 本当のことが言えなくて。


「あなたを巻き込んじゃて!」


 でも、あなたを守るにはこうするしかない。だから――


「本当にごめんなさい!」


 七海は、この言葉と共に深く深く頭を下げた。この謝罪だけは嘘ではない。七海の本心からの言葉である。


「……七海先輩」


 未だに頭を下げ続けている七海の耳に、芽春の震える声が届いた。その声からは不信感の類は感じない。どうやら芽春は、七海の大嘘を素直に信じてくれたようである。


 何とかこの場は乗り切れた。そう思い、七海は胸中で安堵の息を吐く。が、その直後――


「どうして……どうしてもっと早く、そのことを芽春に話してくれなかったんですか~!?」


 と、凄まじい怒気を感じさせる声で、芽春が叫んだ。


「へ?」


 芽春の怒声を聞き、すぐさま頭を上げる七海。すると、鬼のような形相で、両の指からゴキゴキと音を出す芽春の姿が視界に飛び込んできた。


 全身からどす黒いオーラを噴出させ、瞳からは毒々しい光を発する芽春。そのあまりの迫力に、七海の背中に悪寒が走った。


「私の尊敬する七海先輩をストーキングするとはいい度胸です! この芽春が生まれてきたことを後悔させてやりましょう! そのストーカー、近くにいるんですよね? ちょうどいいです。私が直接会って話をつけてきます!」


 そう言って踵を返し、元きた道をのっしのっしと引き返しだす芽春。そんな芽春の後ろ姿を見つめながら、七海は両肩を深く落とした。思わず途方に暮れそうになる。


「七海……めんどくさいから……あれはここで見捨てようよ……」


「駄目です」


「つき合いきれない」そう言いたげなデカラビアの提案を、七海は小声でもって却下した。次いで、怒り心頭の芽春をどうしたものかと思案する。だが、敵はその僅かな時間すらも七海に与えはしなかった。


 七海の耳にあの音が、イナゴの羽音が届いたのである。


「――っ! どこから!?」


 七海は即座に思考を中断、必死になって羽音の出どころ探す。


 羽音が聞こえてくるのは――真上。しかも複数!?


 ビルとビルの隙間で空を見上げる七海。その視線の先には、数えようと思うのも馬鹿らしくなるほどの、夥しい数のイナゴの群れが見て取れた。


 大群となって押し寄せてきた異形の蟲。背筋も凍るその光景に、意識を遠のかせる七海だったが、状況の変化がそれを許さなかった。イナゴたちが、尻尾の先の毒針を光らせて、芽春めがけて一斉に急降下を始めたのである。


「だめ! 芽春、戻って!」


 叫び、そして走る七海。次いで、路地裏を大股で歩く芽春の背中に跳びついた。


「ふえ!? 先輩!?」


「伏せて!」


 芽春の体を力任せに押し倒す七海。次いで、自分の体を盾にするように、芽春の上に覆い被さった。

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