表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/52

032・とんでもないのに喧嘩売っちゃった……

「芽春は早く遊びたいです! 悠里先輩はまだですかねぇ?」


 右手を額につけ、せわしなく周囲を見回す芽春。待ち合わせ場所になっているこの駅は、悠里の家の最寄り駅だ。悠里が姿を現すとしたら、駅の入口からではなく、駅前の大通り。そのどこからかである。


 この駅が三人で遊ぶときの待ち合わせ場所になっているのは、駅の周囲にレジャー施設が充実しているからだ。それらレジャー施設でひとしきり遊んだ後、悠里の家に三人で雪崩れ込むのがいつものパターンである。


 ただ遊ぶだけなら悠里の家。泊まりがけなら両親が海外の七海の家。それが三人の中で自然とできた、遊ぶときの取り決めだ。


 七海は、爪先立ちで悠里の姿を探す芽春を見て小さく笑った後、自分も悠里の姿を探そうと、周囲をぐるりと見回してみた。


 休日の駅前。大勢の人々が行き交う大通りを二回見回した後で、七海は首の動きを止める。そして思った。


 よく、動揺することなく、終始自然な動作でいられたものだ――と。


 いた。


 想力体が、いた。


 周囲を見回そうと右に顔を向けた瞬間、視界の右端に巨大な蟲の姿が見えた。


 視界の隅に映っただけなのでなんの確証もないが、七海の直感はこう断言する。


 昨日の奴だ。間違いない。


 視線を向けてはいけない。目を合わせてはいけない。それらをした瞬間、七海が想力体を視認できる人間だと向こうに気づかれる可能性がある。そうなった場合、あの想力体がどんな行動に出るかわからない。


 無視だ。それが一番いい。あの想力体は、七海が想力体を視認できることを知らないはずだ。昨日空羽も言っていたが、触らぬ神に祟り無しである。


 七海は、右へ動こうとする顔と眼球を必死の思いで前方に固定し、未知の想力体がどこかへ消えてくれることを無言で願いながら、その場に立ち尽くした。だが――


「嘘……」


 事態の悪化に伴い、思わず口から声が漏れる。そう、近づいてきているのだ。蟲特有の耳障りな羽音が、七海に向かって、まっすぐに。


 もしかして、狙いは私? と、七海は冷や汗を浮かべ、生唾を飲んだ。この場から走って逃げ出すべきかとも思ったが、それをした瞬間事態が一変するかもと思うと、どうしても踏ん切りがつかない。


 そうこうしているうちに、想力体の羽音はどんどん近づいてきている。今までの人生で耳にした中で、間違いなく最大最悪の羽音が、七海の鼓膜を震わせ、生理的嫌悪感を掻き立てる。


 だが、それでも七海は耐えた。


 微動だにせず、視線を前に固定し、ただただ無言でその場に立ち尽くす。あの想力体が近づいてくるのはただの偶然だと信じ、大丈夫だと胸中で自分に言い聞かせ、嫌悪感と不安を理性で押し殺し、必死に耐え忍んだ。


 そして、ついにそのときはやってくる。


 蟲の想力体が、七海の眼前に現れたのだ。


 目の前。まさに文字通りだ。その全貌が把握できないほどの近さで、七海の眼前に現れる蟲の想力体。そして、その想力体は――


「……」


 何をするでもなく、七海の眼前を横切っていった。


 七海は、胸中で盛大に安堵の息を吐く。次いで思った。あの想力体がこちらに近づいてきたのは、やっぱりただの偶然だった。不安も、焦燥も、ただの取り越し苦労だったのだ――と。


「先輩? 何だか変な汗出てますよ? お加減でも?」


 七海の異変に気がついたのか、左隣にいる芽春が不安げに声をかけてきた。七海は「何でもない」と口にしつつ、顔を左に向ける。次いで驚愕した。


 尻尾の先についた毒針のようなもので、今まさに芽春のことを刺さんとしている、異形の蟲の姿が、その目に飛び込んできたのである。


 駄目!


 心の中でそう叫び、七海は異形の蟲と、芽春の間に、自らの右腕を割り込ませた。


 勝手に動いた自身の体に驚きながらも、七海は蟲の尻尾の先端、自身の右腕に近づいてくるアイスピックめいた極太の針をじっと見据えた。次いで、漠然とこう思う。


 うわ、すっごく痛そう。


 やけに長く感じる時間の中で、七海はその針を見つめ続けた。それゆえに、一生のトラウマになりかねないグロテスクな光景を、この後直視することとなる。それは――


「ピギィ!」


 黒い半透明の腕が異形の蟲を貫く、その瞬間。


 七海の右腕に毒針を突き立てる直前、逆にデカラビアの腕に貫かれ、なんとも耳障りな絶叫を上げる異形の蟲。その悲鳴に反応し、七海は顔を動かした。そして、異形の蟲の全貌を、始めて視界に収めることとなる。


 その容姿は、一言で表現するならば『馬みたいな蟲』だった。


 体長は五十センチほどで、形だけは馬のように見えるのだが、明らかに蟲、節足動物だ。体は体節の繰り返しで構成され、全身は外骨格に覆われている。それゆえ、馬鎧をつけた軍馬のように見えなくもないが、優雅さや、気品といったものは一切感じられない。そんな馬と蟲の中間の体からは、バッタのそれによく似た羽と、サソリのそれによく似た尻尾が伸びている。胴体と同じく体節の繰り返しで構成されたその尻尾の先には、一際大きな節があり、その先端に極太の針がついていた。


 そんな節足動物めいた想力体の体だが、一か所だけ哺乳動物に近しい場所がある。 


 顔だ。


 顔だけが、人間の女性のものなのだ。能面のような色白の顔が、先程の馬みたいな蟲の体についている。額から金色の触覚を伸ばしたその顔は、黄金の角を生やした鬼女のようにも、王冠をかぶった王妃のようにも見えた。


「イナゴか……」


 左側頭部の髪飾りから、デカラビアの緊張した声が聞こえてくる。


「イナゴ?」


 即座にバッタ亜目・いなご科に属する昆虫を連想した七海だったが、間違いなくその蝗のことではないだろう。おそらく、この想力体の名前がイナゴなのだ。


「そう……大物だとは思ってたけど……とんでもないのに喧嘩売っちゃった……」


 デカラビアはそう言うと、伸ばしていた腕を振り払い、串刺しにしていた想力体、イナゴを、近くのお店のショーウインドウに叩きつけた。


 ショーウインドウに叩きつけられたイナゴは、体液をまき散らしてその場に張りつき、絶命。次いで、一昨日の殺人鬼と同じく、空気に溶けるように消滅していく。


「七海……走って……」


「え?」


「走って……逃げるの……早く……」


「で、でも、もう倒したでしょ?」


 七海は、張りついていたイナゴが完全に消滅し、綺麗になったショーウインドウを見つめながら言う。想力体は死んでも復活するらしいが、それには時間が必要なはずだ。根本的な解決にはならないが、当面の危機は回避できたはずである。


「あれは本体じゃない……ただの眷属……すぐに次がくる……」


 焦燥の感情を含んだデカラビアの声に、七海は「次?」という言葉を返すことができなかった。七海が見つめる先、ショーウインドウに映る自分の左側頭部から、更に五本の腕が現れ、空に向かって凄まじい速度で疾駆したからである。


デカラビアが更なる攻撃を繰り出した。七海がそう理解した直後――


「「「「「ピギィ!」」」」」


 と、先程と同じ断末魔が、デカラビアが腕を伸ばした方向から五つ聞こえてきた。


 ショーウインドウに映る自分の姿を見つめつつ、本日三度目の生唾を飲む七海。その間にも、デカラビアは髪飾りの青宝石から新たな腕を出現させ、七海の周囲に展開。それにより、今やショーウインドウに映る七海の姿は、左側頭部に極大のイソギンチャクを着けているかのようで、百年の恋も一瞬にして冷めてしまいそうな様相を醸している。


「走って……早く!」


「先輩? あの、さっきからどなたと話してるんです? それに、この急に伸ばした腕はいったい――って、ふえ?」


 七海は芽春の言葉が終わるのを待つことなく、右手で芽春の左手を取った。そして――


「走るよ芽春!」


 こう口にすると同時に、全力で駆け出す。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ