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031・努力はやっぱり報われるんだよ

「七海先輩? 何だか凄い顔してますけど? どうかしましたか?」


「えっと、その……な、何でもないよ! おはよ、芽春」


「はい、おはようございます先輩! でも、随分とお早いお着きですね? お待たせしてしまいましたか?」


 不安げな芽春の声を聞いた後、駅前に設置された時計で時間を確認する七海。時間は午前九時三十五分。約束の十時までにはまだまだ時間があるが、七海がこの場所に到着したのは九時前で、すでに三十分以上の時間が経過している。


「うん、ちょっとね。でも気にしないで、思うところがあって早く出ただけだから」


 視線を芽春へと戻し、曖昧な返事で理由をはぐらかせる七海。実際には、朝食を食べ終えるや否や家を飛び出したせいで、早く到着してしまっただけである。


「やっぱりお待たせしてしまったんですね! 尊敬する七海先輩をお待たせしてしまうとは、なんという失態! 芽春は自分自身を許せそうにありません! 今度からは一時間前に到着するようにしたいと思います!」


「いいって、遅刻したわけじゃないんだし」


「そういうわけにも――って、あれ? そういえば七海先輩、本日は随分とナチュラルな服装ですね? 七海先輩は人気声優で、有名人オーラ出まくりなんですから、少しくらい変装しないとダメですよ?」


 現在七海は、黒のタートルネックセーターに、レッドチェックのプリーツスカート、黒パンストという出で立ちだ。そして、それらの上に黒のコートを着こみ、デカラビアの器である金色の髪飾りを、定位置となりつつある左側頭部に着けている。衣服の多くが黒なのは、悠里と一緒だからだ。自覚していることだが、七海は悠里と一緒に出掛けるときは、黒を基調にして服をコーディネートすることが多い。


 芽春の言葉通り、今日の七海は変装と言えるようなことは一切していない。こういったプライベートでの外出のときは、目敏い声優ファンを警戒し、帽子を被るだの、だて眼鏡をかけるだの、簡単な変装をすることが常なのだが、今日はそれもない。その理由は簡単だ。


「あ、うん。今日はね、自分を偽りたくない気分だったんだ」


 誰だって、人生最後になるかもしれない休日に、変装などしたくはないだろう。


「むむ? むむむ? 芽春は自分を偽ったことがあまりないので、先輩の気持ちがよくわかりません」


 難しい顔で首を捻る芽春。そんな彼女の服装は、フランネル製のブラウスの上にパーカーベストを着こみ、デニムのショートパンツと黒のタイツを履くという、動きやすさを意識したボーイッシュなものだ。小柄で、童顔、活発な芽春にとてもよく似合っている。首には暖かそうなイヤーマフラーをかけていた。


「七海先輩の服装をどうこう言う資格は、もちろん芽春にはありませんけど、ファンの人たちに見つかったらどうするんです? 面倒ですよ?」


「大丈夫だよ。芽春が私を守ってくれるもん」


 七海は「頼りにしてるよ」と口にした後で、右手で芽春の肩を叩いた。すると、芽春はその両目をキラキラさせ、こう言葉を返してくる。


「は、はい! 芽春頑張ります! 必ずや七海先輩を守り抜き、その信頼にお応えしてみせます! 大船に乗ったつもりでいてください!」


 右手で握り拳を作り、己が使命感を燃え上がらせる芽春。早速不審な人物がいないかと、鋭い眼光で周囲を見回し始めた。なんとも頼りになる後輩を見つめながら、七海は笑う。


「さて、後は悠里ちゃんだけだね。気長に待とう」


「ですね。そう言えば先輩、ニュース見ましたか? 例の連続殺人事件の犯人、工事現場で鉄骨に潰されて、一昨日の夜に死んじゃってたらしいですよ」


「うん。知ってる」


 潰されるところをこの目で見たから――とは、もちろん言えない。


 連続殺人犯の死亡報道なら、七海も今朝テレビで放送されたものを確認済みである。各種メディアで大々的に取り上げられたその一報は、すでに日本中に知れ渡っていることだろう。


 連続殺人犯の死亡が各メディアで報道された今、多くの人が想像していた『いもしない空想の殺人鬼』は消えた。あの掲示板の殺人鬼は、もう二度と想力体として具現化することはないだろう。これで事件は本当に解決。すべては空羽の計画通りだ。


「鉄骨に潰された死体から、連続殺人事件の犯人だっていう決定的証拠が発見されたらしいですね。これはきっと天罰です。やっぱり神様はいるんですよ。お空の上から、人の悪行をしっかり見ているんです」


 事件の真相を知る人間として、色々と言いたい衝動に駆られる七海だったが、それをぐっと堪え、芽春の言葉に素直に頷いた。次いで、こう言葉を返す。


「そうだね、きっと神様はいるよ。そして、ちゃんと人間を見てくれてる。芽春がオーディションに合格したのも、毎日努力をしている芽春の姿を、神様がしっかり見ていてくれたからだね。努力はやっぱり報われるんだよ」


 努力大好き。努力さえしていれば夢は必ず叶う。そう信じてやまない芽春のことを思っての発言だった。しかし、七海の言葉を聞いた瞬間、芽春の表情が少し曇る。そして、消え入りそうな声で、こう言葉を漏らした。


「努力は報われる……本当にそうなんでしょうか?」


 声に込められた感情は、疑惑と疑問。正直、どちらも芽春には似つかわしくない感情である。七海は首を傾げた。


「芽春? どうしたの? らしくないね?」


 七海としては「はい! 努力は絶対報われるんです!」といった感じの返事を期待していたのだが、どうにも様子がおかしい。


「七海先輩、昨日の『天使のホイッスル』のオーディションなんですけど……実は芽春、少し納得できてないんです」


「え? なんで? 一番いい役が取れたのに?」


「オーディションに参加した人の中に、芽春よりずっとずっと演技が上手な人がいたんです。その人が不合格で、芽春が合格していることが、ちょっと引っかかってまして……」


 芽春は、視線を地面へと落としながら言葉を続けた。


「その人の演技は、芽春を含めた参加者の中で、頭一つ抜けたものがあったと思います。演技を見て、負けたって本気で思いましたもん。技量でも、努力でも、芽春は負けていたと思います。なのに、合格者発表のとき、名前を呼ばれたのは芽春でした。納得できなかったんでしょうね。その人、音響監督さんに食って掛かってました。『何で私じゃなくて、この子が合格なんですか!?』って、そしたら音響監督さん、その人に向かって何て言ったと思います?」


 芽春は、ここで視線を七海の方へと移した。そして言う。


「『この子の方が、お前より若くて可愛いからだ』って」


「……」


 七海は、すぐに言葉を返すことができなかった。


「合格できたのは嬉しいです。とってもとっても嬉しいです。でも、合格できた決め手が、頑張ってきたこと、努力してきたことと違ってて、ちょっとすっきりしないんです。だって、可愛いなんて理由、努力じゃどうしようもないじゃないですか。芽春は、声優に容姿は関係ない、声が、実力がすべてだと思ってます。だから、モブ子ちゃんの役は芽春より、その人がやった方がいいんじゃないかなって……」


「う~ん、難しいね」


 本当に、難しい問題だ。


 声優としての実力が拮抗した状態で、最後の最後で若さや、ルックスが決め手になったというのならまだしも、実力に大きな開きがあってそれでは、正直七海もどうかと思う。


「その人、音響監督さんに食って掛かったことを咎められて、オーディションを途中退場させられちゃったんです。スタジオを出るとき、私と音響監督さんをもの凄い顔で睨んでいました。しかも、その一部始終をカメラで撮影されていたんですよ? 今後の活動に絶対影響するじゃないですか」


 芽春は、再び地面へと視線を落とす。


「すごく努力していた人だと思います。なのに、その努力がまったく関係ない理由で報われなかったところを目の当たりにして、本当に努力は報われるのかな~なんて、らしくもなくセンチメンタルになってるんです。今日の芽春は」


「ひょっとして、私たちを遊びに誘ったのも?」


「はい。せっかく声優としてデビューが決まったのに、こんな気持ちのままじゃいけないと思って、先輩たちから元気をわけてもらおうって……ダメですか?」


 上目遣いで、恐る恐る七海の顔を見つめてくる芽春。自分勝手な理由で七海と悠里を呼びつけたと気にしているのだろう。


 七海は、そんな芽春の額を右手の人差指で小突いてやった。そして、笑いながら言ってやる。


「ダメなわけないでしょ? 心置きなく、この七海先輩に甘えなさい」


 七海がこう口にした瞬間、瞳に大粒の涙が浮かべた芽春が「せ~んぱ~い!」と跳びついてきた。七海は、そんな芽春の体を正面で受け止め、よしよしと頭を撫でてやる。


「七海先輩、大好きです! 芽春は、一生先輩についていきます!」


「はいはい、一生ついてきなさい。でも……おかしいなぁ……」


 胸の中で号泣する芽春をあやしつつ、怪訝な顔で七海は呟く。


「ふえ? 何がです?」


「えっとね、私『天使のホイッスル』の音響監督さんとは、何度か一緒に仕事をしたことがあって、面識があるんだけど、可愛いからなんて理由で声優を選ぶ人でも、面と向かってそんなことを言う人でもないんだけどなぁ……」


 自分の知る音響監督の姿を脳内で思い浮かべ、首を捻る七海。


 正直、あの音響監督がオーディションの真っ最中に『この子の方が、お前より若くて可愛いからだ』なんて言葉を、面と向かって口にするとは思えない。


「何か理由があるってことですか?」


「う~ん、たぶんね。私がそう思いたいだけかもだけど」


「芽春としてはあってほしいですね、理由。その方がすっきりします」


 芽春はこう言うと七海から離れた。その瞳にもう涙の影はない。


「七海先輩から元気をもらったので、芽春はもう大丈夫です。ご心配をおかけしました」


「そっか、よかった。芽春、今日は遊ぼう。そして、一緒に不安を吹き飛ばそう!」


 七海は、私もそうしたいからと思いつつ、声を張り上げる。


「きゃは♪ そうします」


 七海の言葉に応じ、ぶりっ子のポーズで笑う芽春。まだ空元気だろうが、空元気も元気の内だ。

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