029・イカサマされたぁぁぁぁああぁぁあぁ!
液晶に表示された大西芽春の文字を確認した後、七海は通話ボタンを押して、スマートフォンを右耳へと運ぶ。
「もしもし、芽春?」
『あ、こんばんはです七海先輩! 今、お時間大丈夫ですか?』
「うん、大丈夫だよ。それで、何か用?」
こうは言ったものの、七海には大体の予想はついていた。このタイミングでの芽春からの電話。恐らく『天使のホイッスル』のオーディションのことだろう。そして、先程の芽春の声からは、溢れんばかりの喜びの感情を感じることができた。なら、答えは一つ。オーディション合格の報告である。
『あ、はい! 実はですね、本日のオーデションなんですけど――』
「合格したんだ?」
『きゃは♪ わかります? わかっちゃいます!? はい、合格しました! しかもですね、チョイ役オーディションの目玉キャラ、モブ子ちゃんの役です!』
「え、やったじゃない! 初のオーディションで凄いね!」
芽春が言うモブ子というのは、メインヒロイン八坂美笛のクラスメイトにして、そのクラスの学級委員長を務める女子生徒のことだ。モブ子は本名ではなく、ファンの間で自然と定着した仮称である。本名は未だ不明。
明るく社交的な女の子で、モブキャラの中でも出番が多い。固定ファンも相当数いる。芽春の言葉通り、チョイ役オーディションでは一番の目玉キャラだろう。
『七海先輩、芽春はやりました! 芽春は、最高の形で初めてのオーディションを終えることができました! 七海先輩と悠里先輩のアドバイスのおかげです! 芽春はお二人にとってもとっても感謝しています!』
「合格できたのは芽春に実力があってこそだよ。これで芽春もプロの仲間入りだね。もう後輩扱いはできないかな?」
『と、とととんでもないです! 私なんてまだまだですよ! 七海先輩の足元にもおよびません! 月とスッポン! ティラノザウルスとミジンコぐらい違います!』
「大げさだなぁ……でも、それなら私と、悠里ちゃん、芽春の三人で『天使のホイッスル』のレコーディングができるね」
『はい! そのときはよろしくお願いします!』
「うん、よろしくされました。で、用件はそれだけ?」
『あ、もう一つ。七海先輩、明日の日曜日なんですけど、お暇ですか?』
「え、明日?」
『はい! オーディション合格を祝して、私と、七海先輩、悠里先輩の三人で、どこか遊びにいきたいなと思いまして!』
「明日……」
『アドバイスのお礼がしたいので、芽春がぜ~んぶ奢っちゃいますよ! 悠里先輩はきてくれるそうです。さっき電話しました』
「明日……明日かぁ……」
七海は、スマートフォンから聞こえてくる芽春の声が徐々に遠のいていくように感じながら、再び空羽の方へと視線を向ける。次いで、胸中で呟いた。
今は、遊んでいる場合じゃない。
本心ではもちろんいきたい。大切な後輩の門出を祝ってやりたいと思う。しかし、今は自分のことを、空羽のことを考えるべきだ。明後日にはアモンが七海の生死に結論を出してしまう。その前に、一秒でも多く空羽との時間を作るべきだ。明日の日曜日は、その絶好の機会。それを逃すわけにはいかない。
「あの……ごめんね、芽春。明日は――」
「いけばいいじゃないですか」
「え?」
七海の「いけない」という一言を、空羽が遮った。そして、空羽はなおも言葉を続ける。
「いけばいいと言ったんです。どうせ僕は明日もバイト。家にいたところで、僕との時間は大して作れませんよ」
「でも……」
「でも、何ですか? まさか、僕のバイト先までついてくるとか言いませんよね? それははっきり言って迷惑です。いってあげてください。大切なお友達なんでしょ?」
この言葉と共に空羽は笑った。その笑顔と、言葉に込められた感情に後押しされ、七海はこう口にする。
「わかりました。いってきます」
『七海先輩? 誰かとご一緒ですか?』
「あ、うん。ちょっと友達がね。明日は大丈夫だよ。覚悟しててね、芽春。沢山奢ってもらっちゃうんだから」
『あう、お手柔らかに……』
「あはは、嘘々。いつもの場所に、朝十時でいいかな?」
『はい! それでは明日!』
この言葉を最後に電話は切れた。
七海はスマートフォンを手放し、再度空羽を見つめる。そして「気を使ってくれてありがとうございます」と頭を下げた。
空羽は「お気になさらず」と答えた後で立ち上がり、ダイニングキッチンの出入り口に向かって歩き出す。
「空羽さん、どちらへ?」
「いえ、もういい時間ですので、そろそろお開きにして休もうかと。僕のバイト先、日曜日は朝早いんです」
足を止め、窓の上に設置された時計を確認しながら言う空羽。それに釣られて、七海も時計を確認する。
現在の時刻は九時二十三分。まだまだ夜はこれからといった感じで、七海としては引き留めたかったが、バイトで朝が早いと言うのなら是非もない。
「お風呂、お借りしますね」
「あ、はい。どうぞ」
空羽の問いに答えた後、七海はカードを片づけようと、ダイニングテーブルへと視線を落とした。そこには、勝負がついたときそのままに、手つかずの状態で放置されたカードたちの姿がある。
七海の手は、ダイヤのA、4、5、6、8のフラッシュ。
空羽の手は、スペードのA、J、Q、K、そして、ジョーカーのロイヤルストレートフラッシュ。
なんとも見事で、美しい手だった。すべて絵札という、なんとも豪華な――
「あれ?」
スペードのA、J、Q、K?
「私、スペードのJ捨てなかったっけ……?」
七海はそう呟き、捨てられた五枚のカード、空羽が捨てた三枚のカードによって隠された、自身が捨てたカードを掘り起こす。そして、見つけた。
「やっぱり……」
そこには、七海が捨てたスペードのJが、確かにあった。
スペードのJが二枚。つまりこれは――
「まさか!?」
怒りを含んだ声でこう叫び、今まさにダイニングキッチンを後にしようとしている空羽を睨みつける七海。すると空羽は、アニメや漫画の敵役のようにニヤリと微笑み、次いで右手の指を鳴らした。
ダイニングキッチンに響く、乾いた音。
七海は、すぐさま空羽の手札を再び確認。
そこには、スペードのA、Q、K、ジョーカー、そして――
「ハートのA」
つまりは、Aのスリーカード。それが空羽の手。
七海のフラッシュより、弱い手だ。
「は、はは……」
顔を伏せながら小刻みに震え、小さく笑い声を漏らす七海。そんな七海の姿を見て、危険と判断したのか、アモン、デカラビアも、空羽の後に続くようにダイニングキッチンをそそくさと後にした。
ダイニングキッチンに一人取り残される七海。それから、ほどなくして――
「イカサマされたぁぁぁぁああぁぁあぁ!」
という、七海怒りの絶叫が、東京都内のマンションに響き渡った。




