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028・声優をやめるぐらいなら、私は死にます

「――っ!」


 視線の先で空羽が目を見開く。だが、七海はかまわず話を続けた。


「ソルトが傷を負うたびに走る激痛。当時声優であること以外は普通の中学生だった私が、痛みに慣れているはずもありません。私はアニメの世界で、ソルトの中で悶絶し、泣き喚きました」


 アニメ映画の劇中で、主人公側が一度ピンチになるのお約束だ。中盤での戦闘で、ソルトは完膚なきまでに叩きのめされる。その痛みを、苦しみを、七海はすべて自分のものとして実体験したのだ。


「辛くて、痛くて、苦しくて……死んじゃうって、何度も何度も思いました。そんな気の狂いそうな苦行が、音響監督の「OK」という声が聞こえるまで延々と続いたんです」


 話の途中、そのときの痛みが蘇ったかのように、七海の体に鋭い痛みが走った。幻痛である。しかし七海は、その幻痛に身震いしつつも口を動かし続けた。


「このときの私の演技は鬼気迫るものがあったらしいですよ。心配した監督が、そのシーン撮りが終わると同時に三十分の休憩をくれたくらいです」


「……七海さんの嫌な予感が、最悪の形で現実になったわけですね」


「はい。休憩に入るや否や、私はトイレに駆け込みました。なかなか消えてくれない体の痛みに耐えつつ、ソルトを含めた別人格全員での緊急会議です。議題はもちろん『このアフレコを続けるか。それとも逃げるか』です」


「その会議の結論は――」


「満場一致で続行でした。結果どうなったかは……ご存知の通りです」


 ソルトの死亡シーン。そのシーン撮りが終わると同時に、七海の中の別人格たちはすべて消え、ソルトの死に同調しすぎた七海自身も心肺停止。救急車で病院に担ぎ込まれる運びとなった。


「これが、あの夏の日の真実です。二年半前、御柱七海が倒れた、本当の理由」


「……」


 空羽はすぐに言葉を返してこなかった。少し顔を伏せ、体の動きを止めている。一方の七海も動かない。体に走り続ける幻痛に、不動、無言で耐え、空羽の言葉をただ待った。


 互いに沈黙したまま経過する時間。そして、七海の体から幻痛が消えかけた頃、空羽が口を開く。


「……そのとき、逃げ出そうとは思わなかったんですか?」


「思いません。逃げれば、私はソルトの声優を降ろされ、別の声優がソルトに声を当てることになります。それは私にとって、どんな痛みや苦しみよりも耐え難いことなんです。ファンへの、ソルトへの、そして他でもない、自分自身への裏切です」


 あの日、あの時、あの場所で、御柱七海が執る選択は続行だ。何度生まれ変わっても、結果がどうなるかわかっていても、七海は同じ選択をするだろう。七海の中の別人格たちは、全員それを理解してくれていた。だからこその満場一致。


「……病院で目を覚ましたとき、声優をやめようとは思わなかったんですか?」


「声優をやめるぐらいなら、私は死にます。いや、違いますね。声優をやめた瞬間、御柱七海は死ぬんです。声優は、私の夢です。そして私は、夢から目を背けません。一度でも目を背ければ、夢はその力を失います。私はそれを、他ならぬアニメから教わりました」


 生涯現役。死ぬときはレコーディングブースの中がいい。マイクの前なら言うことなしだ。


「ひょっとして、明後日の『ベリーベリーベリー』のアフレコに拘るのも?」


「ええ、私は期待してるんです。最終回のアフレコが終わったとき、蒼井瞳の人格が私の中で新生することを。そして、それが切っ掛けになって、消えてしまった友人たちが、私の元に帰ってきてくれるんじゃないかって……」


 最終回のアフレコは、七海にとって特別な意味を持つ。圧縮保存された自己暗示が、七海の中で別人格として新生するのは、いつだって最終回のアフレコが終わった後だった。


 だが、あの事件以来、七海の中で新たな人格が新生したことはない。自己暗示も、キャラの作り方も、何一つ変えていないのに――だ。


 死に瀕したことで、七海が無意識に別人格を拒否しているのかもしれない。死の恐怖から、自己暗示に心理的ブレーキが掛かっているのかもしれない。


 理由はいくらでも考えられる。だが、原因はわからない。


 最終回のアフレコを迎える度に期待して、それと同じ数落胆した。昨日も、『ブレーメンカルテット』のときもダメだった。


 新たな人格は生まれない。失った人格は、友人たちは帰ってこない。


 でも、七海はもう一度会いたいのだ。ソルトに、友人たちに、もう一人の自分に。


 だから、声優はやめられない。


 声優をやめた瞬間。かろうじて繋がっている友人との絆が、完全に切れてしまうような気がするから。


 そう、絆だ。


 御柱七海にとって、声優は夢であり、友人との絆なのだ。


 だからこそ、七海は声優であり続ける。たとえ死んでも、声優であり続けなければならない。


「それが――」


「はい?」


「それが、声優・御柱七海なんですね?」


「そうです。声優に命を懸ける馬鹿な女。それが御柱七海です」


「凄いですね」


「そうですか?」


「はい。この僕が、言葉だけで気圧されるとは思いませんでした」


 空羽はそう言って笑った。それに釣られて七海も笑う。


「そして、納得もしました。先程の話しが真実なら、確かにおいそれと人に話すことはできませんね」


「ええ……私の意思にかかわらず、私は声優を続けられなくなる。家族も、友人も、会社も、世間も、私から仕事を奪うでしょう」


 だからこそ七海は、この真実を今の今まで胸の内に封印しておいたのである。


「僕の口からは、決して公言しないと約束します。あーしかし、あれですね。七海さんの話を聞いたら『劇場版・魔法洋菓子職人シュガー』を見てみたくなっちゃいましたね」


「え? なぜです?」


「いや、好きなんですよ、僕。主人公は目的を達成したものの、大切ななにかを失ったとか、一生消えない傷を負ったとか、そういった感じの物語の終わり方。言うなれば――そう、ビターエンド派な男なんです」


「ビターエンド……ですか。否定はしませんけど、私はやっぱりハッピーエンド派ですね。さて、私の話しはこれにて終わりです。私の秘密は、これで全部」


 長年の秘密を打ち明け、憑き物が落ちたかのような顔で言う七海。しかし、やはり自分だけ秘密を話すというのは、なんだか面白くない。


 どうにかして空羽の秘密も聞けないだろうか? と、ダメもとでお願いしてみようとした、まさにそのときである。ダイニングテーブルの上に置かれた七海のスマートフォンから、軽快なメロディが流れ出した。


 スマートフォンから流れるメロディは、テレビアニメ『獄中勇者ダイザイン』のオープニングテーマ。この着メロは、芽春からの電話である。


 七海は右手でスマートフォンを取った後、空羽へと顔を向け、視線だけで「出てもいいですか?」と確認を取る。空羽は無言で頷き、七海に電話に出るように促した。


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