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026・多重人格者なんです

 『多重人格』解離性同一性障害。


 一人の人間に、二つ以上の人格が存在している状態のこと。精神疾患の一種。


 アニメや漫画、ライトノベルなどの創作作品の世界において、お約束と言っても過言ではないキャラ設定の一つで、この設定を持つキャラクターが一人も登場しない作品の方が寧ろ少ないと思えるほど多用される、メジャーな属性。


 そんな、もう掘り尽くされた感さえ漂う多重人格であるが、七海の場合、その趣がやや異なる。


「私は多重人格者なんです。ちょっと特殊な」


「特殊……ですか?」


 今のところ別段驚いた様子のない空羽が、首を傾げつつ言葉を返してくる。


「一般的に多重人格は、過度のストレスや、精神的ショックなどから人格を守るべく、防衛本能が人格から切り離した感情、もしくは記憶が成長することで生まれますが、私の場合は違います」


「と言うと?」


「私の場合は、私が声優として担当したアニメキャラクターの人格が、私の中にそっくりそのまま形成されてしまうんです」


「……はい?」


 これにはさすがに驚いたのか、空羽は眼を丸くし、間の抜けた声を漏らした。


「実は私、仕事中は自己暗示を使って、担当するキャラクターに人格を最適化させてるんですけど――」


「ちょ、ちょっと、七海さん? 自己暗示を使って人格を最適化って……さらっと言ってますけど、それもかなり驚きの情報なんですが……」


「あ、これも公には秘密なので、オフレコでお願いします。で、ですね、その最適化用の自己暗示なんですけど、仕事の度に作り直すと微妙に声の質が変わってしまうので、脳内でキャラ別に圧縮保存、スイッチ一つで解凍できるようにしておくんです」


「パソコンみたいですね」


「あくまでも、私的なイメージの話ですよ?」


 自己暗示の設定保存の正確なプロセスは、七海自身よくわかってはいない。圧縮保存、解凍という表現は、単なる七海のイメージだ。


「その保存した自己暗示を、私は仕事の度に解凍して繰り返し使用するわけですが、繰り返し使用するうちに、その自己暗示が徐々に成長していくんです。キャラの性格、口調、精神年齢はもちろん、経験、記憶すらも再現した自己暗示は、成長するにつれて人格を形成し、やがて完全に独立。御柱七海の中に、新たな人格として新生するんです」


「……」


 もはや言葉もないのか、空羽は唖然とした面持ちで七海の説明を聞いていた。


「これが、声優・御柱七海の秘密。人格形成です」


 言葉を発しない空羽を無視し、七海は説明を続ける。


「一番初めに生まれた別人格は『魔法洋菓子職人シュガー』のソルトというキャラクターでした。最終回のアフレコが終わると同時に、頭の中に彼女の声が響いたんです。『こんにちは、七海。これからよろしく』って。このときは、そりゃあもう驚きました」


 ここで七海は「声はまったく同じなんですけどね」と笑う。


「声優として仕事をやり遂げる度に別人格は増えていきましたよ。初めは戸惑いましたけど、すぐに慣れました。元々愛着のあるキャラたちですし、皆いい子でしたからね。友達が増えていくみたいで楽しかったです。それでですね、その中には、作中で人を殺しちゃった子もいるわけでして」


「だから七海さんは、僕のことが……」


 気持ちの整理をつけたのか、ようやく言葉を発する空羽。七海は小さく笑みを浮かべ、次いで言葉を返す。


「はい。怖くなんてありません。人殺しってだけで怖がったら、友達への裏切りです」


 人殺し=悪人という方程式は、七海の中では成り立たない。もちろん、空羽と七海の別人格たちとでは、架空の人物と、実在する人間の違いはあるが、その違いは七海にとってあってないようなモノだ。キャラクターも生きている。そして、キャラクターに命を吹き込むのが声優なのだ。七海は常にそう考えて仕事をしている。


 空羽からの質問、その片方の説明を終えた七海は、ここでいったん話を区切った。空羽は、七海から聞かされた秘密を噛みしめるように一度頷くと、真剣な表情で口を開く。


「なるほど。七海さんが多重人格だということと、それが理由で僕のことを怖がらないことには納得しました」


 空羽の声に疑惑の感情はない。どうやら空羽は、アニメキャラの多重人格などという奇天烈な話を真摯に受け止め、信じてくれたようである。


「信じてくれてほっとしました。この秘密をちゃんと話すのは空羽さんが始めてで、上手く説明できるか不安で……馬鹿にされるんじゃないかって……」


 初めてのことゆえに、話した後の空羽の反応が予想できず、内心では気が気じゃなかった七海が、安堵の声でこう答えた。すると空羽は「初めてとは光栄です」と言った後で、こう続ける。


「その多重人格さんたち、今出せますか? ぜひともお話しをしてみたいんですけど」


「あ……」


 話の流れ的に当然とさえ言えるこの発言に、七海は言葉を返すことができなかった。僅かに声を漏らした後、悲痛な面持ちで唇を噛む。


「七海さん?」


 表情を歪め、言葉を発しない七海を心配し、声をかけてくる空羽。そんな空羽の声を後押しにして、七海はどうにか口を動かし、自分自身、今でも信じたくない事実を口にする。


「それは無理です」


「え?」


「無理なんです。私の中の別人格たちは、消えてしまいました」


「消えた?」


「はい。二年半前の、あの日に……」


 この言葉に反応し、空羽が目を細める。


「二年半前。つまり――」


「はい。私がアフレコ中に倒れた、あのときに……です」


 七海最大の秘密。二年半前の心肺停止事件。


 数多の友人を一瞬にして失い、仕事量の制限という枷をはめられる切っ掛けとなった、決して忘れることの出来ない悲劇。


 先程七海は空羽に対し、自分は多重人格者だと打ち明けたが、それは正確ではない。正確には七海は、多重人格者だった人間だ。多重人格という言葉が示すところの別人格たちは、今はもういないのだから。


「倒れた理由は、僕のことを怖がらない理由と同じだと言いましたよね? 七海さんが倒れた理由と、先程の話、多重人格がどう繋がるんです?」


 真剣な表情でこう尋ねてくる空羽に、七海は悲しい声でこう答える。


「同調し過ぎちゃったんです。ソルトと……」


「同調?」


「はい『劇場版』で死んでしまうソルト。彼女の死に、肉体を共有する私が同調し過ぎてしまったんです。そのせいで、私は倒れ、死にかけました」


「え……?」


 デカラビアの「信じられない」と言いたげな声がダイニングキッチンに響いた。そして、数秒の間を要した後、デカラビアはこう続ける。


「う、嘘……死んでしまうって……それじゃあ……『劇場版・魔法洋菓子職人シュガー』で……ソルトは……」


「はい。劇場版の終盤で、ソルトはシュガーを勝利へと導くために、その命を散らすんです」


 そう、それが魔法洋菓子職人ソルトの最後。彼女の英雄譚の幕引きである。

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