017・私、声優バカですから
「そういえば七海さん、何で制服姿なんですか? 今日、学校はお休みですよね?」
オーディションがあるレコーディングスタジオ、その最寄り駅から出て少し歩いたところで、空羽が七海に話しかけた。
現在、七海と空羽は並んで街中を歩いている。アモンは上空から二人を追いかけており、デカラビアはあるものの中にその身を潜め、二人のすぐそばに隠れていた。
「あ、これはですね――って、そう言う空羽さんも学生服じゃないですか?」
首を傾げながら尋ねる七海。空羽の服装は黒の学生服で、パジャマから着替えた七海は私立明声学園高等部の制服だ。互いに昨日とまったく同じ服装で、鞄の類は持っていない。
「僕は私服がほとんどないだけですよ。お金なくて……」
七海の視線から逃げるように顔を背け、空羽は切実な声で語る。
「お金、ないんですか?」
「全然ありません。実を言うと、まともな食事にありつけたのは今日の朝が久しぶりだったりします。高校が始まるまでは、この制服と、少しの私服でやりくりですね。今日も午後からバイトです」
「中学生の身の上でバイトですか……」
「はい。友人のご両親が経営している『サザンクロス』っていう喫茶店で働かせてもらってます。七海さんの方は?」
「今日のオーディションで演じるキャラクターが女子高生だからですよ。私は、その日に演じるキャラクターに合わせて、服をコーディネートするんです」
七海は「少しでもキャラクターに近づきたいですから」と、笑顔で言った。
「では、演じるキャラがメイドのときは?」
「メイド服を着ます」
「幼稚園児のときは?」
「園児服を着ます」
「露出の多い女戦士のときは?」
「ビキニアーマーを着ます」
「……」
七海の言葉を真に受けたのか、空羽は信じられないといった顔で沈黙した。そんな空羽に思わず吹き出してしまう七海。そして、ひとしきり笑ってから口を開く。
「空羽さん、ここは笑うところですよ? 冗談です。そういったときは、そのキャラクターのイメージカラーに合わせて服を選ぶ程度ですよ」
「で、ですよね……」
空羽はそう口にした後で、この場を取り繕うように笑った。
「そうですよ。さすがにスタッフの人に止められます。と言うか、駆け出しの頃に何度も注意されて懲りました。ノイズも入りますしね」
「止められなかったら着るんですか!? って言うか、着てたんですか!?」
「やれることはなんでもやりますよ。私、声優バカですから」
右手で胸を叩き、七海は誇りを込めてそう言いきる。しかし空羽は「それはちょっと違うんじゃないか」と言いたげな顔をし、少し考えるような仕草をしてから口を開く。
「う~ん、声優バカと言うか……七海さんが形から入るタイプなだけでは?」
「どうしてそう思うんです?」
「キッチンにクミンだの、ガラムマサラだの、普通の家庭ではまず使わない調味料や香辛料、本格的な調理器具がたくさんありましたからね。未開封だったり、埃をかぶっていたりするところを見るに、なんらかのきっかけで自炊すると決意したときにまとめ買いして、結局使わずにそのままだと推測します」
「うぐ、図星です」
空羽の的確な指摘に「確かに、形から入ることが多いような……」と、七海が自己分析をしようとした、丁度そのとき――
「お母さんお母さん! あのお姉ちゃんの髪飾り、とっても綺麗! 私も欲しい!」
と、偶然すれ違った小さい女の子が、七海の左側頭部を指差して、無邪気に叫んだ。
七海は思わず苦笑いを浮かべ、その女の子に向かって右手を振った。その後「ダメよ、人を指差しちゃ」と、控えめに叱る母親に手を引かれ、女の子は人混みの中に消えていく。
そうなのだ。先程女の子が指差した七海の左側頭部には、陽光を反射して煌びやかに輝く、金色の髪飾りが着いている。
その髪飾りは、細かい装飾の施された五芒星の台座と、その中心に正五角形にカットされた青い宝石がはめ込まれているという作りだ。家を出るときに「今日から三日間、外出するときは必ず着けてくださいね」と空羽から渡されたもので、普通の人間にも見えることからわかるように、想力で具現化されたものではない、本物である。そして、この髪飾りこそが、今まさにデカラビアが身を潜めている場所なのだ。髪飾りの中にデカラビアの体が消えていくのを、七海はその目でしかと確認している。
空羽曰く、街中で想力体を連れ歩くときは、このような装飾品、または人形といった入れ物の中に想力体を隠しておくのが、常識ある想力師のセオリーらしい。
その理由は、同業者の目を欺くため。
普通の人間には見えない想力体だが、それをいいことに素の状態で想力体を連れ歩いたら、同業者の目に止まったときに一目で想力師だとばれてしまう。それを避けるため、実在する物質で作られた入れ物が必要なのだとか。
これら入れ物のことを総じて器というらしい。
普通のカラスに見えるアモンだが、それもそのはず。あの体は、本物のカラスを使って作られた器で、剥製に近いもののようだ。つまり、今のアモンは世を忍ぶ仮の姿で、悪魔としての本当の姿が、あの器の中に隠されているということになる。
七海はここまで考えてから、気が重いとでも言うように大きな溜息を吐いた。
理由を聞いた今、想力体を素のまま連れ歩けないのもわかるし、そのために器が必要なのもわかる。そして、デカラビアの器であるこの髪飾りを、空羽が七海に渡した理由もわかる。
ようは監視だ。デカラビアに七海を監視させるため、この髪飾りを七海に渡し、身に着けるのを強要したのである。
初めこそ監視されるという事実に気が沈んだが、立場上監視されるのは仕方のないことと割り切った。それに、女性が身に着けてもおかしくないよう、器を髪飾りにしてくれた空羽の気遣いも感じているし、七海のファンだというデカラビアを監視担当にしてくれたことには素直に感謝もしている。だから、それはいい。七海を憂鬱にしているのはそれ以外のところ。想力なんて関係ない、もっと単純な話だ。
「空羽さん、やっぱりこの髪飾り、ちょっと派手すぎませんか?」
七海は不安げに空羽に尋ねる。
「そんなことありませんよ。とてもよくお似合いです」
空羽は自然な笑顔でこう言ってくれたが、やはり不安になる。なんと言うか、分不相応な気がしてならないのだ。
金属工芸の極み。そう言っても過言ではない細工の数々が施された金色の台座。その中心に鎮座する青い宝石は、触れれば砕けてしまいそうな危うさを残しつつも、大胆かつ繊細なカッティングが施されており、大した知識のない七海にも、製作者の強い拘りと、凄まじい技量、そして、熱い情熱を感じさせる仕上がりになっている。
七海を生かしておくことに反対だと主張する空羽の仲間。七海がまだ見ぬ七十二柱が、デカラビアをモチーフにして制作した一品ものだと空羽は言っていた。つまり、神の手ならぬ、悪魔の手による金属工芸品である。その魔性の輝きが、七海の、延いては人間の放つ輝きを、すべて覆い尽してしまうのではと不安になってしまう。
「本当に、ほんと~に、大丈夫ですか?」
「本当に大丈夫です。十分に着けこなせていますよ」
「これ、売りに出せばすごい値がつくと思いますよ? こんなの作れるお仲間がいるなら、お金なんていくらでも……」
「あ~無理です。自分の作品を金に換えることは絶対にありませんから、あいつは」
「拘りのある人――じゃなくて、悪魔なんですね?」
「はい。硬派で職人気質な奴でして。機会があれば紹介しますよ」
「機会があれば……ですか。それで、その、空羽さん……」
「大丈夫です、心配しないでください。ぶっきらぼうで誤解されやすいんですけど、心根の優しい面倒見のいい奴で――」
「いえ、そうではなく。着きましたよ、ネットカフェ。ここの二階がそうです」
そう言いながら七海は足を止め、すぐ横の雑居ビルを指差した。




