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015・私のバカー!

「それでは次の話に移ります」


 こう言いながら右手の指を鳴らす空羽。すると、テーブルの上にいたハピネス・パピネスが「まったね~」と、七海に向かって手を振り、霧散した。空羽の手の中に残っていたボールペンも、同時に消える。


 役目を終えたハピネス・パピネス。その消滅を見届けてから、空羽は想力についての説明を再開した。


「自我を得た空想上の存在であるところの想力体。彼らはベースとなった伝承、逸話、そのままの力と知識を持って、この世界に生れ落ちます。ですが、彼らの肉体には実体がありません。ですので、この世界に実在するすべての生物に認識されず、また、すべての物質に干渉できません」


「えっと……つまりは幽霊みたいな?」


「はい。大体そんな感じです」


「我々想力体は、基本的にこの状態を一番嫌う。自我はあるのに誰にも認識されず、何物にも干渉できない。何より、自分自身の存在を実感できない。まさに地獄だ。虚無に勝る苦痛はない」


 昔を思い出すように苦々しく語るアモン。そして「人間にはわからないだろうがな」とつけ足した。


「私たち想力体が……その地獄から逃れる術は……一つだけ……空羽や、七海みたいに……ある条件を満たした人間……つまりは、想力体を認識できる人間と……契約……想力師になってもらって……肉体を具現化してもらう……」


 このデカラビアの言葉に、七海は首を傾げる。


「条件?」


「信じることです」


 空羽は、まず答えから口にした。


「人間が想力体を認識する条件は、想力体の存在を信じること。神や悪魔、幽霊、地獄や天国でもいいです。空想の存在、空想の世界、それらが実在すると、心の底から、一辺の疑いもなく信じることです」


「なんだ、そんなこと――」


 反射的に言おうとした言葉を、七海は途中で止めた。


 答えを聞いたときは、そんなこと簡単だと思ったが、違う。


 冷静によく考えればわかる。これは、想像よりずっとずっと難しい条件だ。


「難しいでしょう?」


 胸中を見透かしたかのような空羽の言葉に、七海は無言で頷く。


「普通は無理なんですよ、架空の存在を心の底から信じるのは。これは敬虔な宗教徒でも難しいことで、平時の一般人ではまず不可能です。だって、地球がどうやって誕生したかも、人間が猿からどうやって進化したかも、天変地異がどうやって発生するかも、すべて科学的に証明できる時代ですよ? そんな時代に、心の底から、一辺の疑いもなく、神様を信じられますか? 無理ですって。日頃から「私は神を信じてる」と公言してる人でも、心のどこかに混ざるんです。神様はいないかもって」


「なら、なんで私は?」


 七海は無宗教者だ。神様は信じていない。テストや、絶対に負けたくないオーディションの前、つい神様に助けを求めたことはあるが、それくらいである。もちろん悪魔の存在も信じてなどいなかった。ついさっきまでは。


 そんな七海が、なぜ想力体を、あの異形の殺人鬼を認識することができたのだろう?


「それは僕にもわかりません。何分、七海さんの内面に係わることですので……」


 空羽はこう言うと、その内面を探るかのようにじっと七海の瞳を見つめてきた。そして、そのまま話を続ける。


「なにか心当たりはありませんか? 短時間でもいいんです。心の底から空想の存在を信じられるような出来事。七海さんの人生観を、一時的に変えてしまうような事件はありませんでしたか? たとえば、神社にお賽銭を入れた帰りに一億円拾ったりとか、クラスメイトが一夜にしてミイラ化したりとか」


「そんなこと言われても……」


 正直心当たりがない。昨日あった事件と言えば、殺人鬼の二人組と、ここにいる空羽、アモンに出会ったことだが、それは想力体を認識できるようになった切っ掛けではない。七海が想力体を認識できるようになったのは、それらと出会う前のはずだ。厳密にいえば、ショッピングモールで殺人鬼の声を聞く前。その前に、七海の常識を塗り替え、空想の存在を心の底から信じさせてしまうほどの出来事が、あったはずなのだ。


「無宗教者に比較的多い想力体認識事例に、多量のアルコールを摂取した人間や、重度の薬物中毒者が意識を混濁させ、世界の認識が曖昧になったときというのがありますが……七海さんはどちらでもないですよね」


 七海は、アモンが自身の血液を摂取した後、アルコールだの、薬物だの言っていたのを思い出した。だが違う。どちらも七海とは無縁である。


「他には……そうですね、催眠や暗示の類で、むりやり空想の存在を信じさせるっていうのがあります」


「催眠、暗示……」


 七海は少し考えた後――


「あ……」


 あることを思い出し、小さく声を漏らした。




《「御柱七海のキャラクターを変更。キャラクター設定を『女子高生』から『歴戦の女戦士』に。なお、変更期間は自宅に戻るまでとする」

 この言葉は、七海から七海へ、つまりは自分自身に向けられた言葉だった。七海は、その言葉を更に続ける。

「私は歴戦の女戦士、殺人鬼も幽霊も恐れない。私は歴戦の女戦士、殺人鬼も幽霊も恐れない。私は歴戦の女戦士、殺人鬼も幽霊も恐れない――」》




《ちなみに、今の七海のキャラクター設定は、異世界から現実世界に迷い込んだ歴戦の女戦士である。

 異世界ではモンスターや賞金首、幽霊などを退治して生計を立てていたが、現実世界に迷い込んでからは戦いから離れており、年頃の女の子として俗世にも染まってしまった。恐怖はないが、実戦には若干の不安が残る。といった具合に、七海は自分のキャラクター設定を弄った。性格の方は特に弄っていない》




 思い出した瞬間、七海は激しく仰け反り、頭を抱え、心の中で叫んだ。


 しまったー! 自己暗示で幽霊とか、異世界とかの存在を肯定してしまったー!!


 事件でもなんでもなかった。結局は自業自得。命の危機に晒されたのも、年頃の男性と同居することになってしまったのも、原因は七海の自己暗示のせいだった。


「私のバカー!」


 心の中だけでは足りず、結局口からも声を出し、七海は身悶える。


「ああ、切っ掛けがわかったんですね。でも、私のって……」


「その様子から察するに、自分で自分に暗示をかけたくちだな?」


 悶えている七海を傍から見つめつつ、空羽とアモンが呆れ声で言う。


「これって、元には戻せないんですか?」


 抱えていた頭から両手を離し、自己嫌悪で今にも崩れ落ちそうになりながら尋ねる七海。その問いかけに、空羽は首を左右に振り、否定の意を示した。


「記憶操作、もしくは精神操作でもしない限り無理ですね。七海さんの認識がもう変わっていますので」


「すでに七海の中の認識は、私たち空想上の存在が『いない』から『いる』に変わっている。これを再び元に戻すのは不可能とは言わないが、容易ではない」


「泳ぎ方や自転車の乗り方と同じですよ。一度覚えたらまず忘れません」


 空羽とアモンの言葉に、七海はがっくりと項垂れた。


 七海はすでに自覚していた。自分の中の認識が、アモンの言葉通り、空想上の生物が『いない』から『いる』に変わっているということを。


 見えたときと同じように『空想上の存在はいない』と自己暗示を使えば、一時的に見えなくすることは可能かもしれないが、七海の自己暗示では眠ったり、ショックを受けたりしたらリセットだ。それではあまり意味がない。


「あの、そろそろ想力の説明を再開してよろしいでしょうか?」


 力なく項垂れたままの七海に、小首を傾げて確認を取る空羽。七海は、蚊の鳴くような声で「どうぞ」と答える。


「では再開です。人間と契約した想力体は、契約者に肉体を具現化してもらうことで、この世界に実在するすべての物質に干渉できるようになります。もっとも、具現化したとはいえ、その肉体も想力で作られたものですから、想力を認識できない普通の人間には見えませんし、声も聞こえないというわけです。一方、想力体との契約者は、想力の塊である想力体から想力の供給を受けられるようになり、多量の想力を獲得。想力はある程度纏まった量が必要という問題点をクリアし、自由に想力を行使できるようになります。そして、想力体と契約し、想力を行使する人間、その総称が――」


「想力師ですね」


 自己嫌悪からどうにか立ち直った七海が、空羽の言葉を途中から引き継ぐ。空羽は「その通りです」と言った後で大きく頷き、七海の言葉を肯定した。


「想力と、想力体に、想力師か……」


 今までの説明を思い出しながら、七海は言葉を続ける。


「えっと、つまりアモンさんとデカラビアさんは、ソロモン七十二柱の悪魔っていうカテゴリーの想力体。空羽さんは、それらと契約した想力師ってことですよね?」


「はい。その解釈でかまいません」


「なるほど。想力については大体わかりました」


 七海はこう言うと、次の質問をしようと少し身を乗り出す。


「それじゃあ次の質問です。ソロモン七十二柱って何ですか?」


 七海の質問に対し、空羽、アモン、デカラビアは、声を揃えこう答える。


「「「ググれ」」」


 身を乗り出していた七海が、今度こそずっこけた。

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