第一話
四月、朝。
「シトラスー、早くー。」
玄関から妹の声がする。
私、シトラリーシェ・バルゼガルドは今日から国立魔法学院高等部に入る。といっても、つい先日までもこの学院の中等部にいたので、さして感慨はない。
真新しい深緑色のブレザーに身を包み、魔法使いの証であるローブと大きな三角帽子を被り、鏡の前で確認する。帽子は被らなくても良いのだが、まあ、気分である。
「はーやーくー。」
妹の声がする。まだ時間はあるというのに、せっかちなことだ。
「はいはい、ほら来たよ。」
同じデザインの三角帽子を被る小さな頭をぽんぽんと叩いてローファーを履く。
ローブと帽子のデザインは学院内で共通なのだ。
妹、ローゼリア・バルゼガルド。愛称ローズ。今日から初等部の三年生である。基本的に女の子らしいかわいいものを好む、割に元気のいい腕白娘だ。
扉を開けると、風と共にどこからか桜の花びらが舞い込んできた。
「早く乗ってよ。初等部遠いんだからさ。」
ふわり、と背後から魔力の熾る気配がする。振り返れば、ぎりぎり二人乗れるかという長さの杖に乗ったローズがいる。
飛行魔法は風系の初級魔法である。精霊を介さない基礎魔法の次に習う初心者向けの魔法だ。
が、私は使えない。
その為、いつも妹に送ってもらうのだ。歩いて行く事もあるが、どうせ一緒に出るのだからと、乗せてもらうことが多い。高等部の校舎は初等部への道のりの途中にある。さしたる手間ではない。
ピンクと白に塗り分けられた杖に乗り、妹の肩をたたいて準備ができたことを伝える。
ふわ、と風が起こり、次の瞬間、杖はなめらかな動きで空中へ滑り出した。
家の上、視界が開けるあたりまで上昇してから直進に切り替える。余剰魔力の尾を引きながらしばらく飛べば、ちらほらと他の人の姿も見えてくる。
「おはよー、シトラス、ローズちゃん。」
「ローズちゃん、魔学基礎って提出いつだっけ?」
「シトラス~、魔工見せてー!」
「ね、魔法実技のテストって来週?」
きゃいきゃいと騒ぎながら十分もすれば高等部に着く。
国立魔法学院とは、その名の通り国家が運営する魔法学校である。幼稚園から大学まで完全一貫の巨大な学校で、全寮制。都市一つ分にも迫る広大な敷地内には数多くの寮や店など生活に必要な全てのものがおおよそ揃っている。大規模な魔法実験の設備なども整っており、それらを国外から利用しにくる研究者たちのための宿泊施設などもある。
最も、魔法学院という名前とは裏腹に、高等部からは一般募集もしており、総生徒数は二万人ほど。魔法使いは、そのうちの半分弱、九千人程だ。全体としては教師なども含めて、三万人ほどが学院の敷地内に住んでいる。また、学生は寮暮らしだが、教師の一部などは外から通って来ている場合もある。
空中、二メートルほどの所に止まったローズの杖から飛び降りる。地面に向けて放った魔力をクッションにして難なく着地したのを見届けて、ローズは友達と初等部の校舎の方へ飛んで行った。
魔法使いにとって魔力とは、目にも見えるし、ある程度の質量も持つ。物理的な質量とは違い、使用者の意思によってその程度を変える事ができ、柔らかめに設定して衝撃を緩和させることもできるし、固めに設定して衝撃を与えることもできる。
もっとも、大多数の魔法使いはそんな細かく使い分けたりはしない。魔力をクッションにするよりは風を起こした方が効率がいいし、衝撃を与えたいのなら石でも作って投げつけた方が手っ取り早い。
私がそうしない理由は単純明快、出来ないからだ。
広義における「魔法」とは魔力を使って物理法則を無視した世界改変を行う事である。しかし、普段使う「魔法」の意味はやや異なる。それは、広義の「魔法」の中でも属性を有する世界改変の技術を指す。場合によっては、その中で精霊を介するものを精霊魔法と呼んで更に細分化する事もある。
魔法には木、火、土、風、水、雷、光、闇の八属性がある。それぞれ、その性質を持つ精霊がいて、彼らに力を借りることで魔法を使う。精霊に力を借りるためには体の中に精霊回路と呼ばれる回路を持っていなくてはならない。
つまり、何が言いたいのかというと、私にはその精霊回路が備わっていないのだ。精霊回路失症という魔法使い独特の病気である。
まあ、生活にさしたる影響はない。「魔法」の行使に多大な影響があるだけで。
もっとも、「魔法」が使えなくとも「魔法使い」は名乗れる。
魔法には前述した「属性を有する魔法」の他にもう一つ、「魔術」と呼ばれるものがある。
精霊を介さず、己に内包された魔力のみで事を起こす。それが魔術だ。どちらも物理の法則を無視した奇跡を作り出すという点では同じなので広義には魔法と括られるが、魔法使いにとってその差は大きい。何しろ出来る事の数が段違いだ。
その、出来る事が人類の歴史に二つの汚点を刻んだ。
過去、星が落ちてから起こった二度の大戦において、魔法はそれまでの戦争とは一線を画した規模の被害をもたらした。それにより、魔法を使えない人々の間には魔法は危険な物、という認識が強い。魔法使いが魔法使い専用の学校に通うのは、魔法について教えられる人材が少ないという事以外にも、その辺が理由になっている。
学院から一歩外に出れば、未だに魔法使い排斥を謳う輩が闊歩し、人口の一割しか居ない魔法使いには肩身が狭い事この上ない。
最も、「新入生」を見れば、その風潮も徐々に変わってきている事を実感できる。
「新入生」。魔法学院が高等部から募集する魔法技能を持たない一般生徒の呼称だ。杖を持たず、空を飛び交う人影を驚きの表情で見上げる彼等の事である。ローブも三角帽子も持たない彼らは、魔法を学び、魔法使いと一般市民との架け橋にならんとする人々だ。
魔法技能がある、というだけで学院に入り、卒業するまで外の事などほとんど知らずに育つ私達の良き相棒である。私達は彼等に魔法の事を教え、彼等は私達に外の事を教える。
(ありゃ?迷子かな?)
キョロキョロと地図を片手に周囲を見回す人影。制服に刺繍された校章の色は赤。ローブも三角帽子も持っていない。つまり、同じ一年生で、今日入学してくる「新入生」だ。
「どうしたの?」
「ひゃあっ!」
声を掛けただけなのに、なぜそんなに驚かれなければいけないんだ。確かに、後ろからだったし、ここは芝生だから足音は無かったかもしれないが。
「わわわ。びっくりした。」
「ごめんね、驚かせるつもりはなかったんだけど。」
「ううん、こっちこそ。おおげさだったね。」
癖の強い赤毛とアーモンド形の瞳。すらっとした手足からは何かスポーツをやっているのだろうと連想させる。
「あっ、ローブ!君、魔法使いなの?!」
「え?ああ、うん、まあ…。ね、新入生でしょ?今日入学式じゃないの?」
ふわりと風に揺れたローブを見てキラキラした瞳で詰め寄ってくる彼女を抑えながら尋ねる。ちなみに魔法使いの入学式は昨日だった。人が多いので日を変えて行うのである。卒業式は合同だが。
「あ!そうだった!ね、体育館ってどこ?」
やっぱり迷子だったのか。
「この建物の裏だよ。あっちにある昇降口抜けると近いよ。」
「ありがとう!あ、あたしトレニアルノ・パパナ。トレニアって呼んで。」
そういえばまだ自己紹介をしていなかった。
「私はシトラリーシェ・バルゼガルド。大体みんなシトラスって呼ぶからトレニアもそう呼んで。」
「わかった。よろしくね、シトラス!」
にぱ、と人好きのする笑顔を浮かべて右手を差し出してくる。その手を握った瞬間、チャイムが鳴った。
「あ、やば。授業。」
魔法使いは一般生に比べて注意事項や配布物が多い為、本来なら休みとなる筈の今日も午前中にホームルームの時間があるのだ。
まだ本鈴ではないだろうが、初日から遅刻は遠慮したい。
「え?ごめん、引き止めちゃったね。」
「あー、まだ大丈夫。でも悪いけど急ぐからバイバイ!」
言って、早足でその場を去る。
「バイバーイ。」
「あれ?シトラス、魔法使わないのかな。」
トレニアの小さな呟きは私の耳には届かなかった。




