4.初恋の経緯
ある日。
いつものように図書館通いをしていた私は、顔馴染みになった司書からおすすめの本を教えてもらい、棚に並んだ本を手に取ると早速空いてる席に座って本を読み始めた。それは流行りの恋愛小説で、読み終わった直後は主人公の気持ちを追体験したような気持ちになってしまい、私にしては珍しくなんだかふわふわした気分のまま、今日家で読む本を借りた後、図書館を出たのだった。
しかし、その日に限ってなんとなくそのまま真っ直ぐ邸に戻る気になれず、たまたま図書館の隣にある公園へと足を伸ばしたことで、運命の出会いが訪れたのだ。
木陰で少し休もうと遊歩道から外れ、以前来た時に気に入った木の下に向かって歩いていた時のこと。
目的としていた場所の近くに誰かの足らしきものが見えた私はすでに先客がいることを残念に思いながら、ここ以外のどこに行こうかとキョロキョロしながら考えていた。
できればあそこがいいんだけど……。早く退いて欲しい。
そんな事を考えていると、願いが通じたのか先客が動いてくれたのだ。私は内心大喜びしながら、完全にその人がいなくなるのを待って当初の予定どおりの場所へと向かった。
そこは周りと比べて一際大きな木の下で、地中に伸びている根の部分に繋がっている分岐部分が地面から盛り上がるようにして張り出しており、それがちょうど肘掛けのような役割を果たしてくれるのだ。
ひとりで座るのにちょうどよいところを見つけ、先程図書館では読まずに家で読む分にと借りてきた本を開こうとした時だった。
「ここで読書?珍しいね」
不意に頭上からかけられた声に驚いた私は、声の主の顔を見てもっと驚くことになってしまった。
黒髪に憂いを帯びたような藍色の瞳は、先程図書館で読んだばかりの本に出てきた登場人物を彷彿とさせるものだったのだ。
主人公の秘密の恋人『アーサー』。
実は隣国の王子だったという設定の彼は、身分の低い主人公と運命的な出会いをし、惹かれ合った二人は誰にも内緒で逢瀬を重ねていくのだ。
本の中から現れたかのような容姿の人物に、私は言葉を失ったまま、ただただ呆然としてしまった。
「ごめん。驚かせてしまったね」
申し訳なさそうな顔をして謝った彼は、少し長めの黒髪をかきあげると、きれいな藍色の瞳で私を真っ直ぐみつめてきた。
──本当に『アーサー』みたい。
ぼんやりとそう考えながら、不躾にも彼の顔をじっと見てしまった私に、彼はちょっと困ったようにはにかんだ笑顔を見せたのだ。
その瞬間。私の胸はドキリと跳ね上がってしまった。
「そんなに見られるとちょっと困るな……」
彼の言葉にようやく自分が失礼な態度をとっていたことに気付いた私は慌てて目を伏せた。
貴族の令嬢は異性の顔をじっと見つめてはならない。見るときは相手に覚られぬようコッソリと。その際、扇などで口元を隠すと尚よし。
異性の顔をじっと見つめるということは失礼に当たるだけでなく、時には『あなたに気があります』のサインにもなるので要注意だと礼儀作法の先生が言っていたことを思い出す。
私は一旦気持ちを落ち着かせると、素直に自分の非礼を詫びた。もちろんじっと見てしまったことに対する尤もらしい言い訳をするのも忘れない。
「申し訳ありません。他に人がいると思わなかったので驚いてしまって……」
本当は先客がいることがわかっていたが、動く気配がしたので、もういなくなってると勝手に思い込んでいたということは、口が裂けても言えない。
もちろん彼を『アーサー』だと思ってしまったことも……。
「人がいないと思ってるのに急に声をかけられたら驚くよね。この辺りは本当に誰も来ない場所だから……」
彼の言葉に私も頷いて同意する。
ここは遊歩道から少し外れた場所にあり、滅多に人が来ない場所なのだ。だからこそ私もゆっくり本が読めると思ってやって来たわけなのだが。
「ちょっと色々面倒なことが多くて、ここに避難してたんだ。私のことは気にせず君は読書を楽しんで」
彼は私が持っていた本に目をやると、魅力的な笑顔を見せてそう言ってくれた。
「……ありがとうございます」
私はたった一言そう返すと、再び本に視線を落とす。
情けないことに、再び高鳴ってしまった胸の鼓動と、勝手に赤くなっていく顔のせいで、それだけ言うのが精一杯の状態だったのだ。
ところが、ページをめくり、本に集中しようと思ったその時だった。
急に影が差したような気がして、曇ってきたのかと空を見るため顔を上げると、そこには先ほどよりも近い位置に彼の整った顔があったのだ。
私は予想外のことにただ驚くばかりで、身体も表情も思考さえも全てが凍りついてしまったかのように動けなくなってしまっていた。
私をそんな状態にさせた彼は、先ほどとはまた違った魅惑的な笑顔で私をじっとみつめてくる。
「邪魔してごめん。綺麗な髪だったから、つい目が離せなくて……」
彼はそう言うと、あろうことか私の髪を指で掬いあげたのだ。
私はというと。
………驚き過ぎて声も出せなかった。
その上、気の効いた受け答えも出来なまま無表情で固まる私に、彼は容赦なくとどめの一撃をいれてきたのだ。
「触り心地もいいね」
彼はそのまま髪に唇を寄せると、軽く口付けるような仕種をしてから、そっと手を離したのだった。
その瞬間。
私は生まれて初めての恋に落ちたのだった。
お読みいただきありがとうございました。