第八章
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8月 18日──これまでの死亡回数総計 129回
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現実に戻った俺は、リハビリに本腰を入れた。彼女に恥じない自分でいるために、俺にできることはこれくらいだから。
「なんで突然、リハビリしようって思ったの?」
梨架さんが不思議そうに俺の身体を支えてくれる。
「いや、世の中にはもっと辛い境遇にいる人がいて、俺なんかがグズグズ悩んでいるのが馬鹿らしくなっただけですよ」
「へえ。そっか。キミも、前を向けたんだね」
「そんな大層なものではないと思いますけど」
「いいんだよ、情けない理由でも前に向けたのなら、それはもう、立派なことなんだから」
梨架さんは俺のリハビリを手伝いながら、気持ちの良い微笑みを見せた。
「そんなに情けなかったですか?」
「情けないねー。ウジウジ悩んでる男の子って、まあ一番カッコ悪いよね」
「ぐ……」
「いいんだよ、もう! そうやって前を向いたキミがカッコよければ、それでいいの!」
「そ、そうっすか……」
俺は若干複雑な思いを抱えながらも、朗らかに笑う梨架さんを見ているうちにどうでもよくなってきた。
そうして、リハビリは順調に進んだ。
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8月 19日──これまでの死亡回数総計 129回
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人気のない道路の上。
その日、俺は夢想世界にてとある人物と向き合っていた。
「レンジ。何の用だ? 恨み言でも言いに来たか?」
「違うよ。どんだけ俺をクソ野郎だと思ってんだ」
「いや、クソ野郎だろ」
「う……まあ、それは甘んじて受け入れよう」
俺の数メートル先、向かい合うレンジは苦い顔で頭を掻いた。
「なあ、俺があの後どうなったか、分かるか?」
「みんなに袋叩きにされた?」
「違うよ。……違ったんだ」
ゆっくりと、噛みしめるように、レンジはその後の出来事を語った。
「あんなことをしてた俺なのに……ギルドメンバーは、受け入れてくれたんだ」
「へえ?」
意外だった。俺はてっきり、それまで操り人形にされていた怒りをリーダーのレンジにぶつけるものだとばかり思っていた。
「この世界に来てるヤツは、多かれ少なかれ傷を抱えてる。みんなそうなんだ。だからかな……俺の感情を、みんなは理解してくれた」
この世界だけでいいから、一番になりたい。主役いたい。彼のそんな思いは、同じように現実から逃げてきた少年少女たちにとって、理解のしやすいものだったらしい。
「俺は、初めからみんなと対等でいればよかったんだ。上に立とうとせず、みんなと協力して、競争して、自然な関係を築くべきだったんだ」
「ちゃんと反省してるじゃないか」
「ああ、そうだよ。反省したんだ」
もともと彼も、悪い人間ではないのだろう。傷を抱えて、どうにもできなくて、ほんの少しだけ道を誤ってしまっただけ。俺はそんなどうしようもなく人間らしいレンジのことが、嫌いではなかった。
「だから、落とし前をつけに来た」
「……と、言うと?」
レンジは笑って、両手を広げた。
「お前、あの怪物を殺すとか何とか言ってたよな?」
「……そうだけど」
「じゃあ、俺の経験値、持ってけ」
無防備に、俺に身体を晒すレンジ。俺はポカンと口を開けて、呆然とした。
「……いいのか?」
「ああ。俺は、初めっからやり直すことにした。みんなを利用して稼いだ経験値は全部捨てる。お前が有効活用してくれるってんなら、使ってくれ。お前なら、信用できる」
「…………そうか」
それは願っても無いことだった。俺にはセラを殺せるだけの力が必要だ。それも、今すぐにでも。
「ありがとう」
俺は一言、感謝を述べて。
「きっとやり直せるよ、お前なら」
俺はレンジを、殺した。
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8月 20日──これまでの死亡回数総計 129回
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俺は、明日を決戦の日と定めて、現実で病院の窓から空を見ていた。
明日、俺はセラを殺す。その覚悟を決めるために、ただ何もせずに星空を見上げていた。
と、その時だった。
「?」
スマートフォンが振動した。何事かと見れば、鈴音からのメッセージが届いていた。そこには一言、
『今日は、夏祭りの日だね』
とだけ書かれていた。
「なんだ、これ?」
意味の分からないメッセージが届くのは今日が初めてではないが、いつにも増して謎のメッセージだった。夏祭りが今日であることは知っている。この病室にも、遠くから祭囃子が聞こえてきているし──
その時だった。
ヒュルルルルと、音が聞こえてくる。そして、
「あ、れ……?」
お腹の底に響く音とともに、窓の向こうに大輪の花が咲いた。
「なんで……?」
この窓からは角度的に花火が見えなかったはずだ。なのに、なぜ?
「おっ、見えるねえ」
するとそこに、梨架さんがやってきた。ベッドの隣の椅子に腰を下ろし、窓の向こうに次々と打ち上がる花火を見上げた。
「どうも、誰かが打ち上げ場所の変更を申し入れたらしくてねえ。危篤の兄に見せてやりたいからって聞かなくて、今年に限って変更になったらしいんだよねえ」
「……まさか」
スマートフォンを見る。鈴音からのメッセージは一件、『今日は、夏祭りの日だね』。
「てか危篤じゃねえッ!」
もし鈴音がやったことならば、どうやら俺は死にかけということにされているらしい。腹立たしくはあったが、しかし──
「……綺麗だ」
「良かったね。危篤のお兄さん」
「だから死なねえって!」
ニヤニヤと笑う梨架さん。俺は怒ろうとしたが、動けるはずもなく。
「……まったく。大した行動力だ、うちの馬鹿妹は」
俺は満開の花火を見上げながら、そう呟いた。
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8月 21日──これまでの死亡回数総計 129回
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示し合わせたわけでもなく、その場所に二人は集った。
「アオトくん」
病院の屋上。少女は一人、胸に手を当てて俺を見つめた。
「ゆっくり、考えた。私はどうしたいのか……私は、どうするべきなのか」
「うん」
青い空の下、俺はセラが想いを言葉にするのを、待ち続ける。
「私も……現実でキミと、出会いたい。その思いは、ある」
「……うん」
深呼吸をして、胸の痛みを堪えるように、セラは必死に言葉を紡いでいく。
「でも……私には、自ら現実世界に戻れるほどの、勇気はない」
「セラ……」
辛そうな表情で、それでも決して逃げずに俺に意志を伝えてくるセラ。その想いが、気持ちが、俺の胸に突き刺さる。
「無理だよ。何度脳内で想像を繰り返しても……私は、不安に押しつぶされて、逃げ出してしまう」
「……そう、だよな」
「でも」
そこでセラは、ふと顔を上げて。
「でもね」
ふわりと、微笑んだ。
「キミが隣にいてくれるなら……もしかしたらって、そう思うんだ」
「ぇ……?」
「一人じゃ、絶対に無理だった。でももし、キミがずっと、隣にいてくれるなら──私は、ほんの少しだけ、前を向けるかもしれない」
セラは、心の底から楽しそうに両手を広げて、夏風に身を委ねて目を細めた。
「ずっと、一緒にいてくれるんでしょ?」
「……ああ、もちろんだ」
「きっと私……すぐ不安になって、決意が揺らいじゃうと思う。なにせ……一年以上も逃げ続けてきた、意志の弱さだから。筋金入りだよ」
「……大丈夫、逆に考えろよ。お前は、一年以上もこの世界で戦い続けてきたんじゃないか。それだって、立派な意志だよ」
「……そうだね。キミはきっと、そう言ってくれるんだろうなって、思ってた」
セラは涙の滲む瞳で、俺を真っ直ぐに見据えて。
「ねえ、アオトくん」
「なんだ?」
「絶対、どこにもいかない?」
「当たり前だ」
「私のこと、ずっと見ててくれる?」
「もちろん」
不安を押し殺すために、セラは何度も確認してくる。俺はそれに、一つ一つ答えて、そして。
「じゃあ……いいよ。しょうがないからそのワガママ、私が叶えてあげる。でもその代わりに──」
俺とセラの間に、一陣の風が吹き抜けていった。
「私を、あなたの手で殺して?」
風に揺れる銀色の髪を押さえながら、セラは一筋の涙を頬に伝わせて──でも、満面の笑みでそう言った。
「……ああ」
俺は、その言葉を噛みしめるように受け止めて。
「ああ、ずっと一緒にいてやる。何度だって、お前を殺してやる!」
そして。そして──
俺は、
セラを、
殺した。
ふわりと解けたセラの身体が、光の粒になって空へと昇っていく。俺はいつまでも、その光を見上げていた。
──夏が、終わる。
青い空。入道雲。照りつける日差しと、夏風に揺れる草木。夏休みに起きたとある奇跡は今、最後の舞台へと動き始めた。
二人で駆け抜けた一夏の思い出。偶然と奇跡によって巡り合った俺たちがたどり着いた、終わらない夏の終着点。さあ──
──キミと二人、夏の終わりを見に行こう。




