第六章
「むり……絶対に……」
「なに恥ずかしがってんだよ! もう観念しろ!」
病院からすぐ近くにある海岸、その砂浜。そこに、いがみ合う俺と銀髪の少女の姿があった。
「な、なんで私が……そんな……」
「んんー? お前は俺に借りがあるはずだが?」
「卑怯! 性犯罪者! やっぱりちぎる!」
「ちぎるな。ダガーをしまえ」
全身黒ずくめの少女は、身体を抱いてダガーを向けてくる。まるで猫の威嚇。フーッ! っと声が聞こえてきそうだ。
ちなみに、俺はすでに海パンモードだ。適当にイメージした青色のものだ。ブーツは装備したまま。念のためである。
「仕方ないなあ」
乗り気でないセラを、無理やりにでも乗り気にする方法を俺は思いついた。俺はじゃぶじゃぶと海に入っていき、
「おーい!」
セラを呼んだ。無表情でこちらを睨みつけてくるセラに向かって、俺は朗らかな笑みを浮かべながら「えーい」と水をかけた。
──瞬間。ブースター全力全開、さながら爆撃にも似た一撃が海面に叩き込まれる。夢想世界の戦士アオトが誇る最大火力の攻撃が全長五メートルを超える津波を引き起こし、セラに殺到した。
「────!?!?!?!?!?!?」
爆音に紛れて可愛らしい悲鳴が聞こえてくる。さすがのセラもこれは避けきれず、思いっきり頭から水を被った。
「…………」
水が引いていき、そこにポツンとワカメを頭に乗せたびしょ濡れの少女が立っていた。水を吸ったマントはべったりとセラの身体に張り付いて気持ち悪そうだ。そして俺、は堪えきれない笑いを漏らしながら、セラを指差して一言。
「水難の相」
「ちぎるッッッッ!!!!!!!!」
ばあん! という効果音とともに黒いマントが吹き飛んでいき、服が解けて瞬く間に漆黒のビキニへと再構成される。最後の羞恥心の表れかパーカーを羽織ってから、セラは両手にダガーを握り、ふらふらとこちらへ向かって歩き始めた。
「親指から……一本ずつ……切り落とす……」
「ほおん、やってみれ」
「ちぎるううううううううううう!」
砂を巻き上げて地面を蹴るセラ。しかし、この場に限っては俺の方が有利だ。なぜなら──
「どうしたどうしたァ! お得意の機動力はどこに行ったんだァ?」
「うううううううううううううっ!」
そう。障害物のない開けた空間である海において、セラはアンカーが一切使えない。セラがあの病院の周辺を狩場としていたのは、ビルやマンションなどの高い建物が比較的多いからなのだろう。
なので、どういう状況になるかというと。
「フハハハハハハハッ! ひれ伏せェッ!」
「うぎいいいいいいいいいいいっ!」
必死に追いかけてくる小動物に、全力水面キックで水を浴びせまくるという構図が生まれる。
非常に気分がいい。
「ぐぎぎぎぎ……」
次第にセラが涙目になってきた。
仕方ない。俺は優しいので、もちろんそれくらいで終わらせるわけがなく次々に水をぶっかけていく。地獄へ落ちろセラ。
「ああああああああああああああああっ!!」
ついにブチ切れたと見えるセラは、もう攻撃すらせずに地団駄を踏んでいる。
「ああああ……あぅ……う……」
と、そこでセラはぷるぷると震え始めた。だんだんと絶叫のトーンが落ちていき、涙声になり始めた。
「なんで……私ばっかりぃ……っ」
「お、おい」
「うぇ……え……」
「な、泣くな!」
──やめろ! なんか泣いたら泣かした方が絶対的に悪い! みたいになるだろうが!
「わ、悪かったよ……」
とはいえ、少しやり過ぎてしまったのかもしれない。俺は顔を伏せるセラの元へと向かって、
「えい」
「?」
……?
えい?
「あ」
自分の腹を見下ろす。するとそこには、ダガーの刀身が半分ほど埋まっていた。
「えへへ」
先ほどまで泣いていたセラはどこに行ったのか、それはもういい笑顔の少女が、ダガーをグリグリと俺の腹に突き入れていた。
「────…………」
俺は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の女王を除かねばならぬと決意した。
そして暗闇に包まれゆく視界の中で、俺は最後の力を振り絞って呪詛を吐いた。
ぜ っ た い に こ ろ す
そんな殺伐とした水遊びは、日が沈むまで続いたという。
果たしてそれが水遊びと言えるのかは、微妙なところだったが。
☆★☆
何度もいがみ合って、隙あらば刺し殺そうとする俺とセラ。どんなに頑張ってもタイマンでは殺せない。諦めるわけではないが、どう足掻いても殺せないとなると休戦せざるを得ない。
そしてだんだんと、現実に帰還することが少なくなっていった。
俺はなんだかんだ言って、こうしてセラと馬鹿みたいにはしゃぎあうのが楽しかったのだ。
俺の世界は八月十五日の昼で止まったまま。だが、それならそれでもいいかと思い始めた。
だって、現実はクソッタレだ。あの白い監獄に戻りたくない。
ずっとこの世界にいればいい。この世界にいても誰も責めないし、文句も言われない。
停滞することは楽だ。疲れないし、しがらみもない。
どれだけこの世界で過ごしても、季節が変わることはなかった。理由は分からないが、この世界は常夏らしい。
ある日、近くの山を登った。二人で見る朝焼けは、普段よりほんの少しだけ綺麗に見えた。
ある日、降りしきる雨を二人で寄り添って凌いだ。ちょっと近づくだけでも怒り出すセラに、俺はタジタジだった。
ある日、七夕の真似事をした。適当な枝を取ってきて、願い事を書いた紙をひっかけた。セラは最後まで、書いた願い事を見せてくれなかった。
ある日、何もせずただただ青い空を見上げた。雄大な入道雲は、無限に時が流れ続ける終わらない夏を象徴しているかのようだった。
ある日、夜空に浮かぶ夏の星座を数えた。空いっぱいに広がるキャンバスを指差して、俺たちは時間すらも忘れて見入った。
何日、何週間、いや──何ヶ月、そうして過ごしたのだろうか。それすらも分からなくなっていた。
そうして俺たちは、この終わらない夏を過ごしたのだ。
そして、ある日。
「セラ、久しぶりに戦ってみようぜ!」
夏の風物詩が思いつかなくなった頃。俺はセラにそう提案した。
「いくらやっても……アオトくんに、私は殺せない」
どれだけの月日が経とうとも、セラの考え方は変わらないようだった。
「やってみなきゃ分からないだろ?」
そう啖呵を切ったはいいものの。
結果から言ってしまえば、俺はまた負けた。それは予定調和であり、別段特筆することもない単なる負けだった。
セラの考え方が変わらないように、俺の負けず嫌いも変わらないようだった。俺は未だに、絶対にセラに勝つという思いを抱いていた。勝負を挑む代償として、敗北すればあの監獄へと戻される。それもまた、俺の「勝ちたい」という気持ちを促進させていた。
そうして俺は怒りを感じながら、体感時間では実に半年以上ぶりの現実世界へと帰還した。
ことは、その現実世界で起きたのだ。
俺が目を覚ますと、そこは八月十五日の昼。だがどうしても現実感がない。当たり前だ。俺からすれば、この世界は何ヶ月も前に離れた世界。もうどちらが現実なのかも危うくなっていたくらいなのだ。
「……今は八月十五日、だよな」
危うい記憶を頼りに、俺は備え付けのテレビを付けた。自分の記憶に確証が欲しかったのだ。
「──────ぁ」
その時、目に飛び込んできたのはとあるニュースだった。
とある高校が、甲子園二回戦を突破したという喜ばしい知らせ。
俺はそれを見た瞬間に、まるで感情が抜け落ちたように呆然とした。
「……そうか」
その高校こそが俺の通う高校であり、その野球部こそが、俺の所属していた野球部だった。
「…………そうか」
俺はすぐにテレビを消した。そんなものは、一切見たくなかった。
アホらしくなった。もうどうでもいいやと、やる気や元気といった前向きな感情が消えていった。
俺のいない野球部は、何の問題もなく勝ち進んでいる。俺を置いて、みんなは喜びと感動を共有し、先に進んでいく。
俺なんていなくても、何とかなるんじゃないか。これまで練習をしてきた意味は、何だったんだ。
目覚めて唐突に見せられたニュースに、もともと荒んでいた俺の心は自分でも分かるほどにひび割れた。
──そうだ。もう、野球部はやめよう。
唐突に湧き上がってきた感情に、俺は違和感を覚えなかった。思えばきっと、最初からそのつもりだったのだろう。リハビリをやる気もなく、野球への熱意も枯れ果てていた。
俺にはすでに、夢想世界という『場所』がある。野球部にこだわる意味もなくなったのだ。いっそ清々しい。未練も綺麗さっぱり消え去った。
やはり、このこの世界はクソッタレだ。戻ってきた瞬間に再確認した。もう現実に残りたいと思う理由もなくなった。
「……もう、戻ってくることはないかもな」
俺は逃げるように再び目を閉じて、眠った。
そうすれば、すぐさまあの世界が戻ってくる。ここが俺の生きる場所。これから先はセラと二人で、この終わらない夏を生き続ける────。
「……おかえり」
病院の屋上では、セラが待っていた。セラはほんの少しだけ昔よりも感情豊かになったような気がする。心を開いてくれた──と言えるほどではない。単純に話し慣れただけだ。あまり距離が縮まったとは思えなかった。
「あー、やめだ、やめ。もうお前には勝てない」
俺は現実に帰る意志と同時に、セラへと挑む意志も失っていた。負けず嫌いが突然消えてなくなったわけではないが、現実に戻りたくない思いがほんのわずかに上回った。それに、戦わなければ負けることもない。
「……いきなり、どうしたの?」
それまで何度も勝負を挑まれているセラは、そんな俺の変わりように驚きを示した。
「……何か、あった?」
昔なら、そうして一歩踏み込んでくることもなかったと思う。彼女も無意識だろうが。
「いや……」
俺は迷った。こんなこと、話したって仕方ない──と、そう思いかけたところで、昔同じようなやりとりをしたことを思い出した。
──別になんの解決にならなくとも、誰かに話を聞いてもらうことで心が楽になることはある。
そんなこともあったなと思いながら、俺は現実世界で何があったのかを語り始めた。
「うちの野球部が……甲子園の二回戦突破してた」
いきなり現実に引き戻された思いだった。まるで夏休みの最終日、溜まりに溜まった宿題と向き合わなければならなくなった時のような嫌悪感。
「もういいんだ。全部終わった。現実世界の俺は、死んだんだ」
そんな後ろ向きな言葉をセラにぶつけた時だった。
唐突にセラは立ち上がった。
「…………」
「ど、どうしたんだ」
「…………簡単に、死ぬなんて言わないでっ」
「え?」
沈黙が走った。
数秒その意味を考えた俺は、すぐに理由に行き当たった。
──「死にたくない」。
俺と長い時間を過ごすうちに言わなくなっていた彼女の口癖。未だに理由は分からない、彼女の心の叫び。
セラは、『死』に敏感だった。
それはゲーム内での『キル』を意味する死ではなく、より本当の意味での死だ。セラにとってはそれが地雷だったのだろう。俺は何気ない一言で、そんな地雷を踏んでしまってらしい。
「……ごめん」
俺は素直に謝った。口をついて出てしまった言葉だったとしても、きっとセラは聞きたくなかった言葉だったはずだから。
「でもさ、セラ。俺はお前のこと何も知らないから、仕方ねえだろ」
それもまた事実だった。彼女の背景を知らずに地雷に注意しろと言われても、見えていないものを警戒することはできない。だから俺は、思い切って再び尋ねた。
「なあ、教えてくれないか?」
お前が「死にたくない」と言う理由を。
「……」
セラは俺の瞳を見据えて、一度目を伏せてから一言。
「……一ヶ月」
そうして、語り始めた。
「一ヶ月? 何の数字──」
「私の余命」
「………………え?」
言葉を失った。
何でもないような声音で自分の余命を告げた少女は、ぱたんと病院の屋上に横になり、空を眺めた。
俺は、「死にたくない」とはキルされたくないということだとばかり思っていた。
違ったのだ。
彼女は本当の意味で、死が真後ろまで迫っていた。現実世界に帰れば時計の針が動き出し、同時に彼女の寿命も終わりに近づく。
一年以上この世界で戦い続けてきた意味。狂ったように強さを求め、誰にも負けない力を欲していた理由。その全てが、たった一言で繋がっていく。
──俺は、そんなセラを殺そうとしていたのか……。
血の気が引いていくような思いだった。
だがセラは、全く気にしていないような素振りでいる。続く言葉も、何気ないテンションだった。
「でも、手術で助かる可能性がある」
「そ、そうなのか!」
と喜びかけたところで、セラの言葉が引っかかる。
「……可能性?」
「……五割。失敗すれば死ぬ」
「そ、んな」
「手術するかどうか、決断は…………明日が期日。それ以上は間に合わなくなるからって」
明日。それはつまり現実世界で、という意味だろう。
余命一ヶ月。手術の決断まで一日。差し迫ったその時間に、俺は言葉を失うしかなかった。
「……何であなたが、悲しそうにするの?」
一年以上その恐怖と戦い続けてきたはずのセラは、俺を見て不思議そうに首を傾げる。
「……こんなの、よくある話。ありふれたエピソード」
「で、でもっ」
達観したような口ぶりのセラに、俺はどうしても納得できなかった。だが、返す言葉も見つからない。
「あなたには、どうしようもない。私にも、どうしようもない。できるのは……この世界で、永遠に生きることだけ」
そこでセラは、普段はあまり見せない微笑みを浮かべて、隣に座る俺の手を取り、くいっと引っ張った。
「ねえ、アオトくん」
星の光を反射して揺らめく彼女の瞳。その美しさに吸い込まれるようだった。俺の名を呼んだセラは、囁くような声で言った。
「もし……あなたも、現実が嫌になってしまったなら……私と一生、この世界で生きればいい」
いつもなら絶対に言わないようなことを口走るセラ。少し潤んだ瞳、わずかに紅潮した頬。月明かりに照らされる少女の横顔は、神秘的で──
「俺は……」
俺は、どうすればいいのだろう。
このままこうして、セラと終わらない夏を過ごせばいいのだろうか。きっとそれは心地良い。
この世界で一生二人きり。魅力的な誘いだ。
夢想世界で巡り合った一人の少女──だがそれは、もはや俺の心の中心となっていた。
彼女と一緒にいたい。その思いは日に日に強くなっていく。セラという存在が俺の心の中で大きくなっていく。
最初はただ、話していると楽しかっただけ。馬鹿みたいに彼女とはしゃぎあっていることが、現実のしがらみを忘れさせてくれた。
だがいつの日か、それだけではなくなっていた。
それはきっと──
「なあ、セラ」
「なに?」
「もう、やり残したことはないか?」
「どういう意味?」
「現実世界でやりたかったけど、できなかったこと。もう、ないのか?」
「……なくは、ない」
セラは俺の問いかけに目を逸らした。恥ずかしいことがあると目を逸らす。彼女の癖だ。
「言ってみて」
「……やだ」
「なに恥ずかしがってんだよ。もう水着見たんだし、今更遅いよ」
「あ、あれはあなたが突然っ」
「分かった分かった。悪かったよ。もうあんなことしない」
「むう」
「それで?」
セラは頬を膨らませて怒りをあらわにしながら、それでもボソボソと答えた。
「花火が、みたい」
「花火?」
「うん。私……ずっと病院暮らしで、小さい頃に両親と見に行って以来……見たことない、から」
「……そっか」
俺はその願いに応えてやりたかったが、しかし……。
「花火か。花火は……打ち上げるやつは、無理だなぁ。この世界に火薬とかってあんのか?」
「ない」
「だよなあ」
ただの高校二年生に花火を打ち上げるスキルがあるはずもなく、この世界で花火を打ち上げるのは不可能と考えられた。
「……ごめん、無理言って」
「俺が聞いたんだからいいんだよ」
申し訳なさそうにするセラ。俺はその顔が少しだけ胸に刺さった。
「そうだ!」
俺はセラと繋いだ手をそのままに立ち上がった。
「んんっ?」
突然立ち上がった俺に、セラが何事かと目を向けてくる。
「花火は無理でも、夏祭りはできるぞ」
「はぇ?」
俺はイメージを膨らませて、服装にそれを反映する。出来上がったのは、甚兵衛だ。
「浴衣、見たいなあ」
「…………私は着せ替え人形じゃない」
「まあまあ、そう言わずに」
文句を言うセラだったが、彼女も乗り気でないこともないらしく。
「……あっち向いてて」
イメージが固まるまでこっちを見るなと睨んでくる。ならばと、俺はとある考えを話した。
「ちょっと調べ物をしてくる。すぐに戻るから待ってろ」
俺は横になって、目を閉じた。
「え……? 現実に戻るの?」
この世界で眠れば現実に戻ることができる。セラはまたも突飛な行動を取る俺を不思議そうに見つめてくる。
「ああ。なんかお前の話を聞いたら、小さなことでウジウジ悩んでるのが恥ずかしくなった」
現実に帰りたくないという俺のちっぽけなワガママは、セラの悩みに比べればあまりにも矮小で、情けないものだった。
だから俺は、自分のためじゃなく──セラのためにできることをしよう。
この世界で孤独に生きる少女のために、俺にできることがきっとあるはずだ。
「すぐに戻ってくる?」
「ああ。心配するな。一分後に会おう」
「……うん。待ってる」
そうして、俺は現実世界へと帰還した。




