第二章
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8月 11日──これまでの死亡回数総計 16回
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翌朝。
病室に飾られた風鈴が、涼しげな音色を響かせながら風に揺れている。妹が買って置いていったそれは、夏の煩わしい暑さを忘れさせてくれる、優秀なアイテムだった。俺はそんな清涼感溢れる音色に身を任せつつ、
「腹を掻っ捌いてくる系女子ってどう思います?」
担当看護師である橋本梨架さんに問いかけをぶつけてみた。
「どう思うも何も、腹を掻っ捌かれた時点で終わりだと思うんだけど。人生的に」
梨架さんは包帯を取り替えながら「気でもおかしくなったかこいつ?」という視線を向けてくる。
「い、いや違うんですよ。えーと…………ゲーム。ゲームの中に、そういう子が出てくるってことで」
「はあ、なるほど」
梨架さんは手を止めて、首を傾げながら悩み始めた。
────突然だが、ナース服というものはえっちである。
以下、別に読まなくてもこの先のお話に影響のない俺の橋本梨架さんのナース服に関する所見である。
薄桃色に統一された清潔感のある制服は、清楚な印象を抱かせつつもどこか蠱惑的な雰囲気を醸し出している。さすがにコスプレで使用されるものほどではないが身体のラインが強調されやすく、女性らしい丸みのある曲線が至る所に描き出される。これらの曲線美に触発される感情は本来ナース服に抱くべき清らかな感情とはかけ離れた俗物的なものであるが、しかしそれ故に高い興奮を得られることもまた事実である。また橋本梨架という女性は肉感に溢れた女性であると言えた。これは決して太っているということではなく、ぴっちりとした服が梨架さんの持つ女性的な腰つきや胸のラインを精緻に描き出しているという点に言及したものだ。えっちなナース服というとミニスカにガーターベルトのような『露骨に狙った』ナース服を想像しがちであるが、梨架さんの着るナース服は至って普通、露出は少なく変な装飾もない、どこでも見かけるような質素なナース服である。しかしそれが、それこそがナース服の本質と言えるのではないか。ナース服の優れる点とはつまり、そういった安っぽいえっちさからかけ離れた清潔な存在でありながら、その中からそこはかとない色香を漂わせるという一点に尽きるのだ。その点、梨架さんはその理論の体現者であった。というのも、彼女は無駄に気取らない素直な美しさの持ち主なのである。化粧はナチュラルメイクに留め、髪はシュシュでひと束にまとめただけ。ネイルやピアスといった装飾も一切なし。もちろん看護師として、そういった相応しくない装飾は禁止されているのだろうが、しかしそれによって映し出されるのは彼女が持つ本来の魅力である。余計な装飾が取り払われ、薄桃色一色に包まれた彼女は、どこか天使のような存在に見えた。それはナースが持つ『看護』という属性からも連想させるものである。患者は病気や怪我で肉体的にも、そしてしばしば精神的にも弱っているものである。そんな患者を看護してくれる存在、それがナースである。ナースさんは誰にだも分け隔てなく献身する。まさに無償の愛。見返りを求めない究極のアガペー。俺には梨架さんの頭の上に光輪が見える。見えているったら見えている。以上の論から、ナースとはまさしく現代に舞い降りた天使なのである──
以上、別に読まなくてもこの先のお話に影響のない俺の橋本梨架さんのナース服に関する所見おわり。
俺は病院が嫌いで嫌いで仕方ないが、梨架さんのことは嫌いではなかった。ナースに罪はないのである。えっちだから。
「そーだなあ、それはその子が腹を掻っ捌かなきゃいけない理由を聞かなきゃ分からないんじゃない?」
「経験値がどうとか言ってましたね」
「キミ、それ経験値狙いで殺されてるだけじゃないの」
「許せないですね」
「負けないように強くなろうとは一切思わないのがキミらしいね」
「……」
言われてみれば、俺は散々あの世界をゲームのようだと考えながら「レベルを上げる」なんて一番最初に辿り着くべき結論に達していなかった。
あの少女が俺を殺して『経験値』を稼ごうとしていたのならば、俺もあの少女かそれ以外の誰かを殺せば『経験値』がもらえてレベルが上がるのではないだろうか。いや、俺とアイツ以外の人間がいるのかどうかすら不明だが。
負けないように強くなろう──俺の中にはそんな考えが元からなかったようだった。
負けるのは嫌いだ。だから負けたときのことなんて、考えたくもない。
うちの野球部は元から強く、昨年も甲子園に行っている。「負けないように」ではなく、「甲子園でどこまでいけるか」しか考えてこなかった。元から負けることなんて一切視野に入っていない。油断しているというわけではなく、事実としてそうなのだ。、
ところが、今回は事情が違う。俺とヤツの間には決定的な実力差があり、俺はこのままでは絶対に勝てない。落とし穴を掘ろうが石を投げようが水をぶっかけようが、俺はヤツに勝つことはできないのだ。
「キミ、弱さから目を逸らそうとする癖があるでしょ」
まっすぐに見つめてくる梨架さんのそんな一言に俺は目を逸らそうとして──それこそが彼女の言っていることなのだと分かって、羞恥で顔が熱くなった。
負けるのが嫌いと言いつつ、敗北にちゃんと向き合おうとはしない。それは俺自身がよく分かっていた。だから俺は、常に視界に入ってくるこのギプスに覆われた足が嫌いなのだ。折れた足は、声なき声で俺に逃げようのない敗北を伝えてくるから。
「痛いところを突くのはやめてください」
「ははは。仕事柄いろんな子を見る機会があるからね。分かっちゃうんだよ、自然とね」
梨架さんはやけに上機嫌に笑っている。
「キミもちゃんと自分と向き合える日が来るといいね」
「キミも?」
「最近キミとは違って、ちゃんと自分と向き合えた患者さんがいてね」
「何ですかその嫌味な言い方は」
ケラケラと気持ちよく笑いながら、梨架さんはタオルで俺の身体を拭いてくれる。とても、優しい手つきだった。
「ふふ、ごめんごめん。別に、今すぐその人みたいになれとは言わないよ。多分そういう感情って、時間が経たないとどうにもならないこともあるだろうしね。だから、ゆっくり時間をかけてもいい。一歩ずつ頑張っていこうね」
慈悲に満ち溢れたそんな笑みに、俺は身体を縮こめて「……はい」と答えるしかなかった。
「──だ、け、ど!」
しかし、いきなり梨架さんは俺の背中をバシンと叩くと、
「次のリハビリはもう少し本気だしてね! いつまでもウジウジしてたら、治るもんも治らないぞっ!」
「いってえ!?」
拭いてもらうために上を脱いでいたせいで、地肌に思いっきり一撃を食らった。青色の世界とは違い、こちらには痛覚がバッチリ存在する。向こうで腹を搔っ捌かれるよりよっぽど痛い。
「あははは!」
邪気のない子供みたいな笑みを浮かべながら、梨架さんは痛がる俺を面白そうに見つめている。
「まあ、キミが何のゲームをしてるのかは知らないけど、原因を他に探す前に自分と向き合ってみるといいぜ! お姉さんからのアドバイスだ!」
キラリと歯を覗かせてサムズアップする梨架さん。
「な、なるほど……さすが長生きしてる人は違う」
「誰が年増だコラ?」
「そんなこと一言も言ってませんよ」
「そお? ならいいのよ♪」
一瞬鬼が見えた気がして、俺は慌ててフォローを入れた。得体の知れない殺人鬼に追い掛け回されるよりよほど怖い。
「そ、そういえば、梨架さんはゲーム好きなんですか?」
俺は強引に話題を変えた。すると梨架さんはコロリと表情を和らげて乗ってきた。
「んー? 私、人が笑顔になる瞬間を見るのが好きでこの仕事やってるところあるからね。患者さんの話題に合わせるために、いろいろなことに挑戦してるよ。ゲームもその一つだね」
「……ナースって大変ですね」
「そんなことない、とは言わないけど。でも、それまでどんよりと曇ってた患者さんの顔がぱああっと明るくなる瞬間は……どんな出来事よりも嬉しくて、最っ高なんだぜ?」
俺はその言葉を聞いて、「ああ、この人は本当にいい人なんだな」と心の底から思った。笑いながらそんなことを語れる人間に、悪いヤツなんて絶対にいない。きっと本当に人間が好きで、笑顔が好きで、ナースという仕事に就いたのだろう。彼女ほどナースに相応しい人間は早々いない。
俺はそんな梨架さんを見ていると、自分がいかに低俗で心の濁った人間なのかを思い知らされるような気がして、少しだけ胸が苦しくなった。
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ところで俺は、あの青色の世界へ行くにあたってある方法を考案した。
五分タイマー法である。
要は、「どうせどんなに短い睡眠でも同じなのであれば、五分ごとにタイマーで起きながら眠れば小刻みに向こうの世界へ行けるよね」という話である。
側から見れば完全に朝が苦手でめっちゃ目覚ましのタイマーをかけまくってる人だが、まあ今ここには誰もいないのでそれはいい。
「よし」
俺はスマートフォンの目覚ましタイマーを五分刻みにセッティング。目を閉じて、瞬時に眠る──
「ここは……」
病院にほど近い、砂浜の見える道路で俺は目を覚ました。前回は公園で死んでいるので、あの少女が動いていなければ今もそこにいるはずだ。俺は夢の中限定の脚力を生かして公園を目指した。
「お」
そこにはやはり少女がいた。ベンチに座って、プラプラと足を前後に振っている。
「よお」
「っ!?」
一声かけると少女はビクッと身体を飛び跳ねさせて身構えた。
「こ、今度は何をする気」
「何もしねえよ……って、そうか」
その少女の過剰な反応で気がついた。
俺の体感時間では、少女と会ったのは昨日のことだが、向こうの体感時間では俺との再会は約一分強ぶりということになる。あの一幕からたったそれだけの時間しか過ぎていないのだ。
「いや、悪かったよ。悪気はなかったんだ。お前が強情に糸を解こうとしないから、ついな」
「………………」
じっとりとした視線を注がれて、俺は苦笑いした。
「まあまあ、今の俺に害意はないから安心してくれ。ろくに戦闘もできない初心者だってことはお前が一番よく知ってるだろ? まあ、それはそれとしていつか絶対お前を殺すが」
「…………あなたじゃ私を殺せない」
「黙れ」
「アリがゾウを殺すと言ってるようなもの……」
「俺は今、名前も知らない相手にお前はアリだって言われたのか?」
「…………私から見れば、みんなアリ」
「一言多い女だな。やっぱり今からやるか?」
「……」
少女は黙ってアンカーの仕込まれた腕をこちらに向けた。
「オッケー分かったステイ落ち着け。俺たちは人間なんだ。我らにのみ許されたこの英知をもって、理性的な会話を試みるとしようじゃないか」
プラプラとベンチに座って足を揺らす少女──というか、いい加減知らなければならないことがある。
「まず、聞いていいか? お前の名前」
「……私の名前」
少女はマフラーだかストールだかの布に口元を埋めながらボソボソっと答えた。
「セラ。みんなにはそう呼ばれてる。……でも、別に何と呼んでくれても構わない。どうでもいいから」
「セラ。セラか。いいじゃないか。不思議となんだかしっくりくる感じがある」
「意味分かんない」
「まあいいや。俺は──」
名乗りかけたところで、少女が手のひらを向けて静止した。
「?」
俺が首を傾げていると、
「本名は、ここでは言わない方がいい。いろいろと面倒なことになるから」
「そ、そうか」
セラは面倒くさそうにしつつもそう教えてくれた。
ネットゲームなどでリアルネームを使うのはマズいのと同じだろうか。
「そうだな、そしたら……」
俺は少し悩んだ後、いつもゲームで使っている名前をそのまま流用することにした。
「俺は、アオトで」
「……『アオト』?」
「何かおかしいか?」
「……いや、別に」
ぶっきらぼうにセラは返事をした。まるで興味がなさそうだ。
「なあ、前回は流れでぶっ殺されて終わっちまったから、今回こそは色々教えてくれよ。この世界について」
そう言うとセラは心底面倒くさそうな顔をしたが、やがてボソボソと説明を始めた。
「ここは……夢の中。みんなは夢想世界って呼んでる」
「ふむ、やっぱり夢の中なんだな……だが」
俺は地面にどかっと腰を下ろして、胡座をかいた。
「お前は実在の人物。そうだろ?」
「! ……うん」
ちょっと驚いたように眉を動かしたセラ。俺はセラが夢の中に登場する架空の人物ではないと当たりをつけていた。
理由は簡単だ。
「俺はお前みたいな銀髪の女、知らないからな」
夢とはつまり、俺の脳内にある記憶をベースに作られるものだ。基本的に知っているものしか出てこない。俺は漫画やゲームを含めてもセラのような銀髪の殺人鬼を見たことがないし、思い描いたこともない。となれば、彼女は俺の記憶から生み出されたものではないということになる。
この世界が夢であって夢ではないというのは、ぼんやりと分かっていたことだ。
つまりこの夢想世界には、俺や彼女──そしてセラの口ぶりからすればそれ以外にも誰か、不特定多数の夢を見た人間がやってきており、それらの意識がこの異世界とも呼べる空間に集合しているということなのだろう。
異世界。
にわかには想像しがたいが、俺たちは別の世界に意識を飛ばしているのだ。
「だんだん分かってきたぞ。この世界の仕組みが」
「まだ何も分かってない」
「あ?」
「この世界について、あなたはまだ何も知らない」
セラは無表情にそう告げる。本当につまらなそうに、感情の薄い声音で淡々と言葉を重ねる。
「私も…………聞きたいことがあるんだけど」
と、そこでセラは訝しげに俺の身体を見回しながら言った。
「あなた、何で武器持ってないの……?」
「武器?」
セラは腰から素早くダガーを引き抜き、クルクル回して構えた。
「この世界に来たら、一人一つ持ってるはず。例外は、ない」
「んん? どこかに落としたとかか?」
記憶を遡ってみるが、俺は初めて来た時から特に何も持っていなかった。なんの変哲もない私服でこの世界に放り出されたのだ。
「俺には『ひのきのぼう』すらくれないって言うのかよ」
理不尽ここに極まる。初期武器を取り上げられた俺はマサラタウンの出口に立っているチャンピオンに永遠に殺され続けるのである。
俺は目の前が真っ暗になった!
「一人、一つ。自分の嫌な経験とか……トラウマとか、そういう感情を具現化した、武器が与えられる。それが……この世界のルール」
嫌な経験? トラウマ?
「私のは……これ」
ツインダガーを器用にジャグリングしながらセラは真顔で言う。
セラの言説を真実と仮定するならば、ツインダガーも嫌な経験を元に生み出された武器ということになる。
ツインダガーの元になるトラウマ? 包丁で指を切ったとかだろうか?
彼女に直接聞くのは憚られた。トラウマとは、きっと掘り返されたくないもののことを言うはずだから。
そして同時に俺は、自分の中にある『嫌な経験』に一瞬で思い当たっていた。
足を見る。
一見なんの変哲もない俺の足。別に鉄製の義足だとか、足先がナイフになっているなんてことはない。
ただ、よく見ると……靴が、普通ではなかった。
「これが、俺の武器……なのか」
その靴はメタリックな外装をしており、羽のように軽いにも関わらず、いかにも硬そうだ。
よく見ると足先にはキラリと光る刃のようなものが見えており、これで蹴ったら痛いでは済まないだろう。加えて靴の両側面には、車のマフラーのような鉄製の円筒が装着されている。非常に小さいが、これは何かの機能を持っているのだろうか。
「魔法の靴か何かなのか──────」
そうして意識した瞬間だった。
「んお!?」
まるで車のエンジンがかかるように、空気を震わせる排気音が響いた。
それと同時に、唸りを上げて熱を高める俺の靴。そして、
「おおおおわあああああ!?」
突然足がすっ飛んで、俺は思いっきり転んだ。
ごちん! という鈍い音を響かせて頭を打った俺は、それほど痛くないものの反射的に「痛っ!?」と叫んだ。
「な、なんだ!?」
俺は慌てて靴を見る。するとやはり、俺の想像した通り排気口から物凄い勢いで空気が排出されていた。
ロケットブースター。俺の第一印象はそれだった。
俺の武器であると思われるこの靴は、要はブースターを利用して高速移動し、爪先に仕込まれた刃で相手を攻撃する武器であった。
止まれ、止まれ……と心で念じると、エンジンはゆっくりと熱を収めていった。
「ふう……」
「何もないところで転ぶなんて……あなたは曲芸師の才能がある」
「黙っとれ女」
横でじっとりとした視線を送っていた少女をギラリと睨みつけて黙らせる。初心者なんだから操作がおぼつかないのは当たり前だろうが!
「てか、俺もその糸出すやつ欲しいんだが。それは何? レベルアップボーナスか何かか?」
「違う」
セラは気だるげに足で地面に円を描きながら答えた。
「これはあくまでサポート装備。プレイヤーにダメージは入らない」
「?」
そこからの説明は若干ややこしかったため、俺が脳内でまとめた情報を以下に記述する。
まず、敵プレイヤーにダメージを与えるための装備は「自分のトラウマを元に生み出された初期装備」に限られる。
そして、それとは別に生み出される「サポート装備」というものが存在する。
サポート装備とは、自分の空想を具現化したアイテムである。
これは夢の中であるということを強く意識させられるもので、脳内で強く想起した装備を身につけられるというものだった。
例えば俺が「マントが欲しい」と考える。すると、虚空からマントが出てくる。まあ、この程度ならば誰でもできる。
直接戦闘ダメージに関わらない補助アイテムならば、基本的にどんなものでも生み出せる。便利。
しかしそれは強い脳内イメージがなければ作れないため、事実上「何でも」は成り立たない。捕獲用投網装置を生み出そうと思っても、その部品一つ一つまで完全に全貌を把握している人間は絶対にいないため、作れない。
セラが持っていたアンカー射出装置はかなり複雑な部類で、あそこまでの機構を持つものは、相当な理解度でなければ無理らしかった。事実俺には再現できなかった。
また、セラは銀髪という日本人離れした髪色をしていたのだが、これもサポート装備と同じ理論だった。要は「銀髪がいい」と強く思考すれば、そうなるのである。とても便利。
俺は初期装備バリバリの私服であったが、それを聞いてそれっぽい服装をイメージしてみた。イメージが甘いからか、あまりカッコよくはないがファンタジー世界の戦士に見えなくもない服が出来上がった。髪型も色々挑戦し、無難なヘアスタイルに収まる。ゲームのキャラメイクのようで、まあちょっと楽しかった。
というわけでようやく俺も、この世界での生き方を知った。スタートラインに立ったのである。
「これで貴様を殺してやる……この靴でェ……お前をォ……」
舌舐めずりをしながら、空中を蹴りつける。俺はこの足技で敵をバッタバッタと倒す戦士アオト。とてもつよい。
俺はこれまでの恨みを返すべくセラへ襲いかかろうとしたが、
「むり。あなたには私を殺せない」
「アァ?」
セラは身を引き顔をしかめながら、しかし慌てた様子もなく言った。
「あなたと私では、レベルが違うから」
「……レベル。レベルね」
俺はその単語を反芻する。
レベル。ゲームなどで用いられる、強さを簡単に表す指標だ。現代に生きる子供であれば、親しみのある単語だろう。俺もレベルという単語が何を指すのかは一発で分かる。
「やっぱり、俺を殺しまくってたのはそういうことか?」
「……」
こくこく、と首を縦に振るセラ。
これまでの情報から推測するに、要はこういうことだろう。
この世界は、ある種ゲームのようなシステムで成り立っている。
初期装備は己の感情に起因する武装。
それを渡されて舞台へ降り立った俺たちプレイヤーは、他のプレイヤーと戦闘をする。
戦闘をして勝つと、『経験値』がもらえる。
『経験値』が増えると、『レベル』が上がる。
『レベル』が上がると何らかのステータスが上がり、強くなる。まあ、実際の数値として画面に表示がされるわけではないのだろうが。
「こういうことだろう?」
俺の推測をセラに説明すると、セラは「おおよそ当たってる」と頷いた。しかし、一点訂正を入れてきた。
「戦闘で相手プレイヤーを殺すと……武器が、強くなる」
「武器だけ?」
「……うん。身体能力とか……基本的なステータスは、変わらない」
「なるほど、そこはプレイヤースキルに委ねるってわけか」
総合すると、どうやらこの世界はサバイバルゲームのようなシステムになっていることが分かった。
エンカウントした他プレイヤーと戦闘をして、勝敗を競う。勝てば武器が強化される。
ちなみに先ほどのサポート装備は強化の影響は受けないということだった。あくまで、強くなるのはトラウマに起因する初期装備。
逆に、負ければゲームオーバー。現実へ帰還し目が覚める──というのが、このゲームの真実であった。
「でも、雑魚をいっぱい倒しても全然経験値がもらえない。だから……あなたはもういらない」
「レベル差がありすぎてってやつか……言い方はムカつくが理屈は分かる」
雑魚呼ばわりされるのは頭にくるが、まあ現状抗いようもなく雑魚なので返す言葉はない。
とにかく、こいつが俺を殺しまくっていた理由は分かった。簡単に経験値を稼げそうなポップ場所を見つけてひたすら網を張って構えていたということだ。
──そんなことを考えていた時だった。
「いたぞ! 今日こそ討ち取れ!」
怒声が遠くから響いてきた。
「なんだ?」
他のプレイヤーが来たのか?
ということは、戦闘開始?
「……!」
俺が思考を巡らせると同時、その声を聞いたセラが嫌そうな顔をした。
「……面倒」
スッと立ち上がったセラは俺に一言、
「……これで義理は果たした。もう文句はないはず。さよなら。もう……あなたとこうして関わることは、ないと思う」
そう言って、素早い身のこなしで公園の奥の森へ消えていった。
「お、おい! 待てよ!」
静止する間もなくどこかへ行ってしまったセラ。俺は追いかけようかと迷ったのだが、
「逃がすな! これまでの屈辱を晴らすぞ、みんな!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおお!!」」」
そんな声が聞こえてきて、思わず足を止めた。
「な、何事だぁ……?」
俺が困惑しているうちに、声の主である集団は俺の元までたどり着いていた。
「せ、戦闘か!? やるぞ! 俺は最近ストレスが溜まりっぱなしなんだ!」
「待て待て。君がストレス溜まりっぱなしなのは知らないが、俺たちに今戦闘をする気はないよ」
朗らかな笑みを浮かべ、両手を上げ害意がないことを示す好青年。歳は同じか一つ上くらいだろうか。和のテイストを取り入れた侍のような格好をしている。腰には刀、左目に眼帯をしており、まさに独眼竜といった様相であった。
「俺の名前はレンジ! ここらへんのプレイヤーをまとめるギルド的な集団のリーダーを務めさせてもらってる!」
「あ、アオトです……?」
若干胡散臭い笑みを貼り付けたレンジと名乗る青年は、俺の手をガシッと掴み、ブンブンと振り回した。
「初めて見る顔だ。君、初心者だろ?」
「は、はあ。まあ、そうっスけど」
「そしてさっき、黒色服に銀髪の少女といがみ合っていただろう? 想像するに、君は彼女に殺されたのではないかな?」
「な、なんで分かるんですか?」
俺は素直に目を見開いた。あの一瞬でそこまで見抜くとは鋭い洞察眼──かと思ったが、どうやらそれには理由があったようで。
「なぜ分かったかって? それは、俺たちも何十回とあいつに殺されてるからだ!」
うんうんと頷く後ろに控えるギルメンのみなさん。あまり誇ることでもないだろうに。
「俺たちは、あの女──セラを殺すために心を一つにした討伐隊なんだ!」
清々しい笑みを浮かべて、レンジと名乗った青年はそんなことを言う。
「突然だが、君もうちのギルドに入らないか? あの女に殺されて、ストレス溜まってるんだろう? 俺たちと一緒に来れば、適切に経験値を回しながら楽しくレベル上げができるし、何よりいつの日かセラを殺せるぜ!」
レンジは俺の肩に手を置き、そんな勧誘をしてきた。
セラ討伐隊。
唐突な話ではあるが、言いたいことは分かった。あの少女を殺すための組織。みんなで力を合わせてセラという強力なプレイヤーを狩る。それは、一人でやるよりもグンと確率の上がる誘いだった。
俺は軽率に首を縦に振りそうになって──少し、思いとどまった。
「あの」
「ん、なんだ? 何か質問かな?」
「はい。あいつのこと、詳しく教えてもらいませんか。俺、マジで何も知らないんで」
「まあ、そうだな。入団するかどうかはちゃんと情報を得てからの方がいい!」
レンジは、まさに人の良い青年という印象だった。言っていることの筋は通っているし、一目見てリーダーとしての才があると分かった。
「じゃあ、ちょっと話そうか。みんなはセラを追ってくれ! 何かあればいつも通り通信機に!」
「おう!」「分かった!」「仲間が増えるのを楽しみにしてるぜ!」
口々に肯定を示して、ギルドメンバーと思われる数人はセラが消えた森へと向かっていった。その様子だけでも、リーダーであるレンジを慕っているのが見て取れた。
「よし、じゃあ話そうか」
レンジは、先ほどまでセラが座っていたベンチに腰掛けた。俺もその隣に腰を下ろす。
「あの、アイツって、そんなに殺しまくってるんですか?」
開口一番、俺はそんな問いかけを投げかけた。するとレンジは深く頷きながら神妙な面持ちで言った。
「ああ、そりゃあもう、信じられないくらいの人を殺してるよ。ここらへんのプレイヤーを完全に狩り尽くすくらいに、ね」
レンジが言うには、セラはとんでもないプレイヤーだった。
「まず、あの女。セラは、既に一年以上この世界から離脱せずに生存し続けている」
「い、一年!?」
いきなり衝撃の情報が出てきた。
つまり、セラは一度も死なずにこの世界で一年以上も戦い続けている、ということか……?
「そのまさかなんだよ。同じように一年も生存しているプレイヤーが一人もいないから確認は取れないが、皆の情報を統合するとそれくらいの年月を生き残ってるのは間違いないと思う」
「と、とんだ化け物だな、あの女……」
どうりで全く敵わないわけだ。俺は本当にこの世界でトップクラスに位置するプレイヤーに喧嘩を売っていたらしい。
「化け物。そうだね、ヤツは化け物だ。今すぐ排除しなきゃならない、モンスターなんだよ」
俺の何気ない一言を拾って、レンジは言葉をつないだ。
「天災、と言い換えてもいいかもしれない。どうにかしてセラを止めないと、この近辺のエリアのゲームバランスが崩壊する」
レンジは真剣な表情で腕を組んだ。
「この夢想世界。なぜこんな世界があるのかは全く分かってない。でも、せっかくこんな楽しい世界があるのに、あの女一人のせいで台無しにさせられるなんて嫌だろう? 俺たちはこの不思議な世界で、みんなが楽しんでゲームを続けるために、こうして戦っているんだ」
レンジは非常に正義感の強い男らしかった。
確かに、俺もその理不尽に直面したばかりだ。レンジの言う「台無し」をまさに経験している。あのクソ女への怒りは留まるところを知らない。殺せるもんならあの女を殺したい。
ただ、これは、なんというか……。
「いくらラスボス相手だろうが、馬車の中で待ってるヤツらも全員引き連れて総力戦ってのは……なんだかズルい気がしますね」
「ははは。キミは面白い言い回しをするね。確かに俺たちは、一人を寄ってたかって殺そうとしてる。見方を変えれば卑怯なのかもしれない」
レンジは俺の物言いにも一切表情を動かさずに、朗らかに笑い続けている。どうも、この手のやりとりに慣れているらしかった。
「でもね、彼女は俺たちが束になっても敵わないんだ。それくらいの理不尽なんだよ、あの女は。ここらで一度死んでもらうくらい、安い対価だろう?」
「ま、まあそうかも……」
その考え方は確かに一理あるものであった。だが、何かしっくりとこない。本当にこれでいいのか? と脳内の俺がストップをかけてくる。
とはいえ、その理由には思い至らない。筋の通った理論、正しい思考。何も間違っていない。こちらが正義で、セラが悪。
「……」
女だからと情けをかけるのもおかしい。この世界では男も女も、同じだけの力を持っている。圧倒的な強さでプレイヤーを殺しまくり、経験値を奪い尽くすセラは、絶対的に悪だ。多少良心が痛もうと、俺たちが徒党を組んであの女を殺そうとすることは間違っていない。
俺は自身にそう言い聞かせ、レンジに向かって頷いた。
「分かりました。俺もギルドに入ります。一緒にあの女を殺しましょう!」
「おお、やった! これから頑張っていこう、アオトくん!」
そうして固く握手を交わし合っている時、ピピピという電子音が響いた。
「ん、連絡か」
レンジが腕時計のようなデバイスに触れると、そこから先ほどのギルドメンバーの声が聞こえてきた。
『リーダー! 奇襲を食らった!』
切羽詰まった声で叫ぶギルドメンバー。明らかに窮地だと伝わってくる声音に、リーダーであるレンジはしかし落ち着いて返事をした。
「被害状況は?」
『ラン、リンドウが落ちた! それ以外は奇襲でバラけて安否不明! とにかくマズい、どうする!』
「……一旦引こう。全員復活してから再集合だ。新メンバーの加入も決まった、仕切り直ししよう」
『っ……了解。撤収! 撤収──っ!』
リーダーのレンジは通信を終えるとハァとため息をひとつついて、肩を竦めた。
「このザマだよ。どんなに俺たちが束になっても、ヤツが一年かけて積み上げてきた『経験』という壁を越えることはできないのさ」
「……」
確かに、どうやらその通りのようだった。
数の暴力を圧倒的『個』でねじ伏せる少女のその姿は、やはりゲームのラスボスというに相応しかった。
「それにしても、その通信機は便利ですね」
俺はリーダーの腕に巻かれた通信機を見る。先ほど聞いた話ならば、複雑な機構を持つものはイメージが難しく、作れないという話だったが……?
「うちのギルメンに高専生で機械に詳しいオタクがいるんだ。そいつが作って、みんなが持ってる。アオトの分も後で頼もう」
「おお」
通信機。ちょっとロマンのある響きだ。少年心をくすぐられる。
「うーん、こりゃあもう少しレベル上げだな。君も含めて」
レンジは腕を組みながら苦笑いした。
──そうして、俺の夢想世界での戦いが本格的に始まったのだ。
しかし。
この時、俺には物事の一面しか見えていなかったのだ。事実の裏側に隠された真実を見通せていなかった。
セラという少女が抱える本当の物語を、この時の俺はまだ知らない。




