おまけ
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ん? エピローグ? おまけ???
待って待って! まだ終わりじゃないよ!
あ、どうも。初めまして。私の名前は橋本梨架って言います。
とある海辺の病院で、なんの変哲もないナースなどをやっております。二十三歳独身です。
病院は常に人手不足で、ここのところ働きっぱなし。疲れをごまかすために食欲に身を委ねていたら、いつの間にかお肉がついてきちゃったのが悩み。こんな職場だし、仕事に拘束され続けて出会いは皆無。このまま独身を貫きそうな予感がすごい。最近は過労なのか、早くもお肌のハリが……って、私の話はどうでもいい? そんなこと言わずに聞いていってよ。もうちょっとだけ愚痴に付き合ってね。
あとは……そうだなぁ。私が担当する、二人の子供。彼らも本当に厄介で、悩まされてばかり。
でも、そんな日々が最高に楽しかったりして。
女の子の方は特にめんどくさくて、なんだか想いを抱えたままいなくなろうとしてるみたい。
ダメだねえ? よくないねえ?
最近は肉食系女子が流行りなんだから。女の子の方から、こう……ガッ! と行かなきゃ!
え? ちょっと古い? やだなあ、そんなわけないでしょ? 殴るぞ?
そんなこんなで、じれったいことを続けている女の子のために、私はちょっとしたサプライズを用意しました。
言ったでしょ?
それまでどんよりと曇ってた患者さんの顔がぱああっと明るくなる瞬間は……どんな出来事よりも嬉しくて、最っ高なんだぜ?
ナースは確かに大変。しんどいし、患者さんも厄介な人ばっかり。でも、人が笑顔になる瞬間を見るのが好きだから、明日も頑張ろうって思える。
私はこの仕事に誇りを持ってるから。
だから今日も明日も、前に向かって進んでいくよ。
諦めずに手術に挑んだ、あの子のようにね。
さあ! 皆さん、お待たせしました!
それでは、ショータイムの始まりです!
私からのとびっきりのサプライズ、ちゃんと受け取ってね?
気に入ってくれるかは分からないけど、私なりの最高の演出だよ。
切ないラストシーン、結構結構。私も大好きだ。そういう物語を愛している人がいることも、ちゃんと分かってるよ。
でも、でもね。人が笑顔になる瞬間が好きな私から言わせてもらえば、ちょっと満足できない。
だから、私はそんなの認めないぜ。
絶体絶命のピンチには、必ずヒーローが助けに来てくれるように。
努力を続けた主人公が報われるように。
悪逆の限りを尽くしたラスボスが、最後には必ず討たれるように。
苦難を乗り越えた主人公とヒロインが、結ばれるように。
都合のいい奇跡を、もう一度だけ信じてみようじゃないか。
だって、物語は絶対──
ハッピーエンドがいいでしょ?
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長い、長い時を経て。
二人の時計の針が──今、一つに重なった。
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コンコン、と。控えめに病室のドアをノックする音が聞こえた。
「は、はい……?」
この時間に、いまさら面会? 親は下で待っていると聞いていたが、待ちきれずに病室まで来たのか?
それとも、最後の経過観察にきた梨架さんだろうか? もしくは鈴音? ──いや、アイツならノックもせずにドアを開けるだろう。
こんな控えめで自信のなさげなノックの音を、俺はこの入院期間で一度も聞いたことがなかった。
となると、そこにいるのは……?
「し、失礼…………します……」
横開きのドアが、ゆっくりと、ゆっくりとスライドしていく。
隙間が開いたことで、病室に一陣の風が吹き抜けていった。
そして。
そこに。
立っていたのは。
「ぇ、えと……………」
「────────────っ、」
風に揺れる、長い黒髪。
少し痩せ気味の、細い身体。
病衣を身に纏い、ちょっと不健康そうな顔は、しかし恥ずかしげに頬を染めていて、華やいで見える。
その少女は、点滴棒に縋りながらもちゃんと自分の足で立っていて。
風に吹かれる黒髪を押さえながら、俯向いていて。
「えへへ…………手術、成功しちゃった」
恥ずかしがると目を逸らす癖。
イタズラが成功した子供のような、「えへへ」という笑い方。
そのどれもが、大切な、あの少女の面影を残していて。
無表情の冷酷銀髪少女、セラと。
控えめながらも確かな笑みを浮かべる黒髪少女、聖良が──
──ピタリと、一致した。
「初めまして。私の名前は……夢ヶ崎、聖良です」
「ぁ、ぁ……あ」
俺は松葉杖を、取り落とした。未だに包帯の巻かれた足を引きずりながら、一歩一歩、彼女に向かって歩いていく。
「……セラ?」
「うん」
「俺を殺しまくって、水をぶっかけられて、一緒に逃げて、海で遊んで……俺が殺した、セラ?」
「……そうだよっ」
涙の滲む瞳で、微笑みかけてくるその少女。
ああ、間違いない。
俺のよく知る、泣き虫のセラだ。
「聖良……俺、おれぇ…………っ」
「きゃっ!?」
たまらなくなって、俺は聖良に抱きついた。まるで小枝のように細い彼女の身体が折れてしまいそうなほどに、俺は強く、強く彼女を抱きしめた。二度と離すまいと。
「く、苦しいよ……今度こそ死んじゃうよ……」
「ごめん……でもぉっ」
頬を伝って次々と涙の雫がこぼれ落ちていくのを、俺は止めることができなかった。
もう二度と会えないのだと思った。それでも前に進まなきゃと、気持ちを整理した。
でも、そんなものは彼女を前にしたら瞬時に崩れ去っていった。
「もう、アオトくん……私より……泣き虫になってるよ……っ?」
かくいう彼女も声は鼻に詰まり、震えている。力ない両手が俺の背中に回されたのを感じて、俺は一層強く彼女を抱きしめた。
「だって、もう会えないって……手紙に、この世にはいないってぇ……っ」
「……ぇ? 手紙?」
そこで、聖良はピク、と身体を揺らした。
「あれ? ん?」
バッと身体を離し、俺が後生大事に握りしめた手紙を一瞥し────、
「梨架さぁんッ!?」
聖良は扉の方を睨みつけた。ほんのちょっとドアの隙間から顔を覗かせていた誰かが、「うわあ、逃げろっ!」と言ってどこかへ消えた。
「えっ!? 嘘!? 信じられないっ! 全部…………読んだの?」
俺は泣きながら頷いた。
「最後の行まで……くまなく?」
俺は号泣しながら頷いた。
「あ、あ、あ、あ……」
すると聖良は、ボンッ! と熟れたトマトのように顔を真っ赤にした。
「……さいあく」
「最悪じゃない」
「忘れて! 全部何もかも一文字も残さず綺麗さっぱり忘れて!」
「無理に決まってんだろ」
「返して! それは焼き捨てるから!」
「はぁ!? ダメだ、これは我が家の家宝にする!」
「無理無理無理無理っ!」
「おわあっ!?」
すると突然、鬼の形相の聖良が襲いかかってきた
「ち、ちぎるううううううううううううう!!」
俺は、必死に手をブンブンと振っている聖良の頭を押さえつけた。もちろん病み上がりの少女に力はまったくない。
「やめろ! 家宝になにしようとしてくれてんだ!」
「か、家宝ならそんな手紙じゃなくて私にすればいいでしょっ!」
……。
……?
「ん?」
「え?」
今こいつ、なんて言った?
「────────────────ぁ」
数瞬遅れて、自分の意味不明な発言が脳で処理された様子の聖良は、今度こそ気絶するんじゃないかというほどに頬を紅く染めた。
「今のは…………なしで」
「やだ」
俺はまたもや目を逸らしている聖良の頬に手を添えると、
「────っ!?」
静かに、唇を重ね合わせた。
「んんっ……!」
突然のことに目を見開いた聖良だったが、もはや逃げること叶わずと分かったのか、身を委ねてきた。
やがて、静寂が訪れた。
ゆっくりとした時間が流れていく。
長い、長いキスを終えて、俺たちはようやく唇を離した。
「……もう、いきなりなんて。心臓が壊れちゃうよ」
「ごめん。でも……手紙に、書いてあったからいいかなって思って」
「ぁ……う……」
羞恥に視線を泳がせる聖良だったが、それでもちゃんと頷いてくれた。
「うん。いいよ、それくらいは、まあ……許してあげる」
「よかった」
俺は聖良の髪を優しく梳きながら、もう一つお願いをした。
「なあ、俺……直接お前の口から聞きたいな」
「……何を?」
俺は物は試しとばかりに聞いてみた。
「手紙の最後の一文」
「……っ!?」
それを言われると弱いのか、聖良はすぐに赤みを取り戻した。
「……やっぱりそれは焼き捨てるべき」
「ダメだ」
「ううううう……っ」
視線があっちこっちへ飛び回り、口がパクパクと開閉を繰り返す。挙動不審もここまで極まると面白い。
「あ、あまり調子に乗らないでっ!」
ぺち、と俺の胸を叩く聖良だったが……この力では蚊も潰れないと思う。
「……」
聖良は、もうしばらく逃げ場を求めていたが、やがて観念したのか一言。
「…………すき」
「なんて?」
「ううううううううううううう! 嘘! 意地悪する人は嫌い!」
「ごめんごめん、悪かったよ」
ぺちぺちと攻撃をしてくる聖良を微笑ましく思いながら、宥めるように頭を撫でた。
「うううううう………………好き! 大好きっ! これで満足っ!?」
「……ああ、満足だ」
足の悪い俺と病み上がりの聖良は、どちらともなくベッドに座り込んだ。
手を繋いで、並んで座って、窓の向こうに見える青空に思いを馳せる。
「ねえ、アオトくん」
穏やかな笑みを浮かべながら、聖良が聞いてきた。
「あなたの、本当の名前を教えてほしいな」
「……梨架さんには聞かなかったのか?」
「うん。キミの口から……聞こうと思って」
「そっか」
俺は爽やかな風に目を細めながら、
「青桐圭人」
「あおぎり、けいと……それで、アオト?」
「安直だけどな」
「ううん。いいと思うよ。私なんて……そのままだし」
「お前が『本名はヤバい』って教えてくれたんじゃなかったっけ?」
「……私には誰も教えてくれなかった。気がついたときにはもう『セラ』で定着してた」
「お、おう……」
そんな裏話も、今だから聞けることだ。俺は晴れ渡るような思いで、窓の向こうを眺めた。
「……ようやく、本当の名前が知れた」
聖良は幸せそうに足を前後に振った。心の底から楽しそうに、笑みを見せながら。
「……これから、いくらでも知り合えるよ。俺たちには、明日があるんだから」
「……そう、だね」
明日がある。
当たり前のようで、それは何よりも尊いものなのだと、俺は聖良に教えてもらった。
繋いだ手に感じる、確かな温もり。
彼女が隣にいる──それだけで俺は、こんなにも救われる。
ただ笑い合って、喧嘩して、そうして二人で並んで歩く明日が待っている。
さあ、前を向いて歩き始めよう。
聖良──お前と一緒なら、きっとどこまでも行けるから。
窓の向こうは、神秘的なほどに青かった。
あの日大嫌いだった青空は──今ならば胸を張って大好きだと言えるようになっていた。




