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 あの日以降、ヘーゼルくんは師匠にまじないをかけられたままだ。

 彼の持ったナイフがポップな音を立ててパンの耳に変わる。それを彼はじいっと見つめたまま、落ち込みも怒りも驚きもしない。

 ため息をつく私の目の前には、涼しい顔をした師匠。

 外は今日も雨である。

「ヘーゼルも飽きないな」

 ノイズのような雨音を背景にして師匠が淡々と感想を述べたけれど、そんな言葉が欲しいのではない。また一つナイフがダメになったのだ。いい加減、勘弁してほしい。

 うなだれる私の横でヘーゼルくんは懲りずに師匠のナイフをもの欲しそうに見つめる。すると今度は師匠のナイフがスポンジに変わった。ちなみに私のお気に入りのナイフはとっくの前に一輪のバラになっている。

 凄く迷惑ではあるけれど、死にたがりのヘーゼルくんにはこの“自傷他害を意図した瞬間にその対象が柔らかいものに変わる魔法”が必要であるらしい。

 あのことがあってからも、今日まで彼は無口を貫いている。基本的にはその虚ろな瞳を伏せて、部屋の片隅で日々をぼんやりと過ごしているのだ。

 不健康極まりないけれど師匠には極力関わるなと言われているので、こうやってご飯を食べる時以外に交流することはめったにない。

 だから余計に気になるのだ。彼は口が利けないのかどうかが。

 形のいいあの唇からは一体どんな声が紡がれるのだろう。

 彼はどんな笑い声をあげるのだろうか。

 彼はどんなふうに怒るのだろうか。

 彼はどんなふうに……

「ごちそうさま。今日もおいしかった」

 師匠の声にはっとする。慌てて壁にかかった文字盤を見ると、矢印はもう雛鳥の近くを指していた。

「私もう行かなきゃ」

 もうすぐ八百屋で安売りが始まるのだ。

 残りのお肉を口に詰め込んで、ミルクをぐっと飲み干した。乳母が見たらはしたないと怒りそうだけれど、大丈夫、ここはシラー家だ。まあまあ品がなくても許される。

「じゃあヘーゼルくん、私がいない間に壁をマシュマロに変えないでね」

 ヘーゼルくんの手からパンの耳を抜きとって、キッチンの流しへ向かう。急いでいるので食器を洗うのは後だ。傘はどこにあったっけ。

「師匠は何か欲しいものはありますか?」

 壁にかかった鏡に背伸びして、湿気でひろがった髪を軽く整える。

「ケルシー」

 背後で師匠の呼ぶ声が聞こえた。財布を持って、と。

「はあい?」

 買い物かばんも持って。

「今日はヘーゼルと一緒に買い物へ行きなさい」

 ヘーゼルくんを持って……って。

「……はい?」

 え、関わるなと言ったのはあなたでは?

 奇妙な顔をして振り向くと、ヘーゼルくんはまだお肉をもぐもぐと咀嚼しながらマイペースに私たちを見ていた。

「ついでに隣町まで行ってきてくれ。コロコ・フラワーを摘んできてほしい」

「薬草ですか? それなら私だけでも……」

「ヘーゼルもこもりっきりじゃあカビが生える。少しは外にでなさい」

 私の主張を無視して師匠がヘーゼルくんに話しかける。

 するとどうだろう。

 彼は声を出さないものの、その何を感じているか分からない表情のままこくんと頷いたのだ。

 なんてことだ。私の時は何にも反応しない癖に。ジェラシー。


 ◆


 ――風の吹く方へ向かえばいい。そこにコロコ・フラワーはあるだろう

 なーにが風の吹く方へ向かえばいい、だ。

 雨がしとしと降る屋根なしの駅のホームで、ヘーゼルくんと一つの傘を共有しながら師匠へ悪態をつく。

 私は今、左手でセール商品の卵と野菜が入ったカバンを、そして右手でヘーゼルくんの細い腕を掴んでいる。ちなみに、花型の傘は師匠の魔法のおかげで二人の間を浮かんでいる状態だ。

 ああ、ハラハラが止まらない。

 久しぶりに外に出て気分転換になっているからなのか、彼が道行く先に有る道具をわた菓子やクリームに変えることは無かったけれど、ここは駅のホームである。自殺の名所である。

 踏切に飛びこまないかどうかヒヤヒヤものだ。

「雨、やまないね」

 気休めに話しかけてみるけれど、相変わらず反応はない。彼はなにゆえホームの向こう側の草むらを一生懸命見ているのだろうか。

「寒くない?」と問いかけても勿論返事はないしジェスチャーさえない。ただの屍なのだ。この子には私の声が届かないのだろう。

「もうすぐ電車来るからね」

 師匠には反応するくせに。

 さびれた駅には私たちしかおらず、痛いほどの沈黙が気まずくて意味もなくかばんを持ち直した。

 すると油断したのか、少し緩んでしまった手元。

 気付けば彼は私の拘束から逃れようとして――

「あっ! 待っ、え?」

 予想外にも彼は私の手をぎゅっと握り直した。

 想像とは違った未来に驚いた次の瞬間、バリバリと音を立てて凍りつく手元。

「あいたたたた!」

 私の手とヘーゼルくんの手が鮮やかに氷に包まれていく。

「痛い! ヘーゼルくん痛い!」

 けれど彼はじっと線路が続く先を見つめているだけで、私の表情なんて見やしない。

 何だ、何だ、何事だ。

 痛みに耐えながら線路の先を見てみれば、電車が甲高い金属音を立てて近づいてくる姿が目に映った。

「これ汽車! 汽車の音だから! こわがらなくていいから! いてててて!」

 しかしヘーゼルくんは容赦なかった。容赦なく、恐怖に忠実に氷の魔法を繰り広げていった。

「……の、乗りましょうか……」

 汽車がホームに停車してヘーゼルくんの心が落ち着いたころには、私の右腕とヘーゼルくんの左手が全て凍っていたのは言うまでもない。


 ◆


 ほとんど乗客のいない田舎の汽車内で、私たちは手をつないだまま何も話さなかった。

 私は何がおこったのかが分からなくて混乱していたし、ヘーゼルくんは相変わらず無口だったのだ。

 ヘーゼルくんの得意な魔法は水系らしい。

 今はずぶぬれになってしまった右腕がなによりの証拠だ。

 正直このままだと腕が壊死えしするんじゃないかと思ったけれど、彼は汽車が危険でないものだと分かればあっさりと氷を水に変えた。

 今いるのは隣町。

 レンガ造りの駅のホームに湿気た風が吹く。

「行こっか」

 ヘーゼルくんに確認したいことがないことはないけれど、コミュニケーションの方法が分からないし、とりあえず何よりもお使いを済ますのが先だ。

 とりあえず私たちは駅員に二人分の切符を渡して風が吹く方向へ向かうことにした。


 ◆


 コロコ・フラワーはバラの花の形をした草だ。

 葉先には甘い蜜が詰まっていて、それが胃腸薬になるのだと以前に師匠から教えてもらった。

 ただ気になるのはその生息場所である。

 彼を離すまいと右手に力を入れ、風の吹く方へと向かう。向かい風と湿気のせいで、私の前髪もヘーゼルくんの前髪もうねりながらめくれ上がってしまっているけれど仕方がない。

 透明な空気が私たちを街はずれへと連れて行く。

 薄暗い林の奥へと誘っていく。

 その先にあるのはきっと墓地だ。

 そう、コロコ・フラワーは死の隣に咲く花なのだ。

 ちらりと右隣を盗み見る。その宇宙色の瞳は、林の先へと続く道をぼんやり見つめるだけで、恐怖や不信感の色は無い。

 目的地についた時、彼は私を凍らせないだろうか。自殺されるよりましだけれど、氷漬けにされると痛いし最悪の場合私が天国行きだ。

「あしもと、気を付けてね」

 声かけを怠らずに、苔むした石段を二人で注意深く登る。

「手を離しちゃいけないよ」

 ああ、早く家に帰りたい、なんて思ってみたり。

「今から行くところは別に怖いところじゃないからね」

 駄目元で念押しをしておいた。やはり返事はない。ただの屍か。いや本物の屍がいるのはこの先だ。

 なんてくだらないことを考えながらしばらく歩いた先、私たちは予想通り、本当に墓地にたどり着いたのだった。

 灰色の石のオブジェに鬱蒼とした草木。

 しとしとと降る雨にあたって静かに揺れるコロコ・フラワー。

 うっすらと立ち込めるもや

 そしてその奥には、喪服姿の少女の影。

 ヘーゼルくんが彼女を幽霊と勘違いしたのか、私の右手が急激に冷えだした。やばい焦る。

「大丈夫ただの人だよ私まえにあのこに会った」

 慌ててヘーゼルくんに静止をかける。腕が壊死えしするのはごめんだ。

 こちらをうかがうように見上げるヘーゼルくんに、あの子と前に会ったことがあることを繰り返し伝える。

 そう、服装が変わってもわかる。

 その艶やかな雰囲気に、類い稀なる美しさ。

 伏せられた睫毛。

 悲しみを写した上品な横顔。

 雨は彼女に触れるだけで真珠のような輝きを放つよう。

 花びらに祝福されたあの日の少女を思い出す。

 ロイ王子が一目惚れをした、あの少女を思い出す。

「どなた……?」

 こちらに気付き、そっと投げ掛けられた声は、とても柔らかく愛嬌のある印象を与えた。

「あなたたちも、誰かにさようならをしに来たの?」

 私たちをまっすぐ見つめる瞳は、ヘーゼルくんと同じような悲しさを秘めているようだった。

「いいえ、用事をたのまれましたので……」

 突然話しかけられたからか、意図せず敬語になる。

 すると再びぎゅっと力が加わった右手。なんだなんだとそちらを見ると、ヘーゼルくんはその宇宙の瞳にただ少女だけを映していた。

 はっと息をのんでしまった。

 それは今までに見たことのない表情だった。

 ここしばらくを一緒に過ごした私には見せたことのない表情だった。

 ロイ王子と同じ反応。

 物語が動いたときと同じ空気。

 ふとケルシーの役割という言葉を思い出す。

 シラー様にどんな未来が見えているのかは分からない。もしかしたら殆どのことは、シラー様の気まぐれかもしれない。

 でも。

 何の確信もないけれど、シラー様は、ヘーゼルくんが彼女に会えるように私を付き添わせたのかもしれないと思った。

 シラー様は私に何かをさせようとしている。

 これはただの勘だ。何の根拠もない。

 何の根拠もないのだけれど、ケルシーの役割を全うするには彼女が必要なのかもしれない。

「私はケルシー。この子はヘーゼルくん。……あなたは……」

 細切れな雨の音が静かに響く。

 薄暗い墓地。

 喪服の少女。

 美しく、しかし悲嘆に暮れた少女。

「……誰か大切な人を亡くしたの?」

 ポロリと口からでたのはあまりにストレートな言葉で、少女にとっては相当辛い言葉だったのかもしれない。

 次の瞬間、彼女はじわりと顔を歪ませて、そして声をあげて泣いたのだった。


 ◆


 お父さま、死んじゃった。

 彼女は確かにそう言って、しばらくのあいだ雨の音に交わるように泣いた。

 私は何も言えなかった。

「どうすれば、いいの? 私、あの人の、ところ……行きたくない」

 切れ切れにそう呟いて泣きじゃくる彼女に、何を言えばいいのか分からなかった。

 ヘーゼルくんは私の手を握ったまま、少女を見上げている。じいっと、まるで釘づけになったように見上げている。

 乳母だったら、そんなに不躾に人を見るものではありませんよと咎めたかもしれないけれど、ここは生憎墓地だ。雨の日に来る人なんて私たちしかいない。

 とりあえず屋根のあるところはないだろうか。こんなところで立ちっぱなしも辛い。彼女にとっても、座って話せる場所があるほうが落ち着けるはずだ。

 するとそんな私を見て何を思ったのか、ヘーゼルくんが花型の傘に向かって指をさし、すぐそばにある膝くらいまでの大きさの岩を指さした。

 魔法だ。

 あなた、そんなことできたの。

 そう驚くくらい、彼の魔法は鮮やかに漂い、傘を大きく、そして岩を椅子へと変えていく。

 びっくりだ。驚きの手際のよさ。

 先ほどの氷といい、聞きたいことがたくさんだ。でも、今は少女の話を聞くのを優先した方がいいのは、未来が見えない私にでもわかる。

「ありがとう、ヘーゼルくん。ねえ、あなた、とりあえずあそこに座りましょう? お尻が濡れちゃうけど立っているよりかはいいと思うの」

 恐る恐る提案すると、少女は声を出さずに頷いた。だから、私たちはヘーゼルくんが用意してくれた岩の椅子へと、大きな傘ごと向かったのだった。


 ◆


 雨がぽたぽたと傘の淵から垂れ落ちる。

 しくしくと泣いている麗しの少女は、スノウちゃんと言うらしい。

 つい先日、実の父親を亡くしたのだという。

 病気だった、と。

 治癒魔法が得意で幼いときから何でも治してきたスノウちゃんでも父の病は治せなかったのだと、彼女は教えてくれた。

「私の魔法は、何のためにあるのかしら」

 大粒の涙が幾度も白い頬を流れる。

「私はどうして何もできないのかしら」

 拭っても拭っても、とめどない。

「お父さま、苦しがってた」

 どうしてハンカチを持ってこなかったのだろう。差し出せる手がないもどかしさが苦しい。

「痛がってたの」

 彼女の言葉に合わせてギュッと手に力がかけられた。右側を見れば、ヘーゼルくんがスノウちゃんを見つめたまま、私の手にしがみついていた。

「お父さまが痛がってるのを、ただ見てたの」

 雨はやまない。まるで彼女のこころに共鳴するように、雨は降り続けている。

「辛かったね」

 一通り彼女の言い分を聞いた私が言えたのはそれだけだった。気休めにしかならないと自覚しているからか、声にぎこちなさが宿る。

 こんなときどうしていいか分からない。

 何だか現実感がないのだ。

 お父さんが死ぬなんて。

 彼女の父親と仲が良かったわけでもないし、葬儀の様子を見たわけでもない。だから、死んだと言われてもどこか他人事のように感じられて、本当の辛さが分からない自分に歯がゆさを感じる。

「痛がるお父さんを見守るの、辛かったね」

 ぎゅうっと右腕に力が加わった。彼女に感化されたのか、ヘーゼルくんが私の腕に顔をうずめたようだった。

「……でも、スノウちゃんがそばにいてくれて、お父さん、嬉しかったと思うよ」

 私が言えるのは、ありきたりなことだけだ。子ども騙しの。ああ、悔しい。

「スノウちゃんはお父さんのことを想ってたんだよね」

 少女の美しい唇から嗚咽おえつがもれた。

 実の父親を失うとはどんな気持ちだろうか。

「魔法がきかなくっても、それはお父さんにとって大切なことだったはずだよ」

 もう二度と会えないという絶望は、どんなものだろうか。

 私は二人のお父さんに思いを馳せる。

 雨の簾の向こうに彼らの姿を想像する。

 考えたことがなかった。

 どちらの親を選ぶのかを悩んで、失うことを考えたことがなかった。

 実の父親を亡くすとは、どんなに苦しいことなのだろうか。

 ざあざあと空からしずくが落ちてくる。

 物言わずに私たちの存在を受け入れる、墓地に眠る人びと。

 ここで、どれだけの人が悲しみに暮れたのだろう。

 気がつけば、右腕に顔をうずめたヘーゼルくんがしくしくと泣いているのが分かった。

 おとうさん、と。

 水滴の騒音の中、彼は確かにそう言った。

 あいたい、と。

 初めて聞く声は、とてもか細くて、とても繊細なもので。

 スノウちゃんに誘われるように泣き声をあげる少年の顔を覗きこめば、彼はイヤイヤと首を振ってさらに腕へ顔をうずめる。

 すると今度は彼の声に誘われたスノウちゃんが、お父さま、と静かに呟いた。

「お父さまに会いたい」

「おとうさん、あいたいよ」

「お母さまに会いたい」

「おかあさん……」

「一人ぼっちになっちゃった」

「さみしい、さみしいの」

「さみしい。会いたい」

 曇天から落ちる露が全てを覆い尽くす。

 地面や木々にぶつかるしずくの音が、彼女たちの泣き声を覆い隠す。

 死者たちも、今この時だけだと言うように、黙って息をひそめている。

 私はただ何も言わずに二人の泣き声を聞いていた。

 私はただ何も言えずに共鳴する二人の叫びを聞いていた。


 ◆


 ヘーゼルくんはすっかり泣き疲れてしまったようで、未だ睫毛に涙をつけたまま、すやすやと眠っている。

「ありがとう、ケルシー」

 スノウちゃんは、あの後ひとしきり悲しみに暮れて、そして私の目を見て笑った。

 その美しい顔は、全てを受け入れてスッキリしたと言うにはまだ遠いけれど、会った時に比べてなんだか少しだけ柔らかさが出たようだった。

 空はもうすぐ日暮れが来るような色になっていた。ずいぶんと長い間いたからか、雨はすっかりやんでいる。

「ねえ。ケルシーもご両親、いないの?」

 師匠に頼まれていたコロコ・フラワーを買い物袋へ詰め込む私にスノウちゃんが問う。

 それにいいえと否定を示せば、じゃああなたの弟を変に泣かせちゃったねと彼女はしょんぼりした。

「ううん、ヘーゼルくんのことはわからない……もしかしたらご両親に何かあったのかも。私たち、別にきょうだいじゃないから、よく知らないの」

「そうなの……」

「うん。世界って色々なことがあるのよ」

 私も色々あってケルシーになっているわけだしね、とは言わず微笑む。

 するとスノウちゃんも少し笑って、家族を大切にしてね、と私に言った。

 家族を。さようならをするまで。

「私、生まれた時にお母さまも亡くしていてね、お父さまと二人ですんでいたの」

 寝息を立てるヘーゼルくんをおんぶした私に、彼女が買い物袋を渡してくれる。

 それを受け取りながら、私はあの噴水のときの彼女を思い出していた。

 あの時も、彼女はお父さんとパーティに来ていたのかもしれない。たった一人の家族と。

 彼女のお父さんはどんな人だったのだろう。娘にこんなに慕われているのだ。きっと素敵な男性だったに違いない。

「でね、もうお家に誰もいないから、私はお母さまのお姉さまの所に行くんですって」

 静寂にすきとおった冷たい風が姿をあらわす。

 さわさわと木々が揺れ、そのたびに雨粒が細かく輝きながら草むらへと落ちる。

「本当は行きたくないけれど、でも私、がんばるね」

 だからまた会ったら、私のこと、ほめて。

 少女は健気に笑った。少しの悲しみと、底知れない絶望と、一筋の希望をその目に宿して。

「うん、わかった」

 私たちはきっとまた会う。いつ会えるのか、その時に彼女がどうなっているかは分からないけれど。

「スノウちゃんが幸せであることを祈ってるね」

 私が役割を全うした時に、彼女が笑ってくれますように。

 

 ◆


 私たちの住む町の駅に汽車が到着すると、ホームをすぐ出たところで師匠が左右を行ったり来たりして私たちを待っていた。

 白髪が夕日に照らされて杏色に染まっている。

「師匠、迎えに来てくれたんですね」

 そう言って駆けよれば、師匠は「遅い」と一言つぶやいて、私の背中からヘーゼルくんを抱きあげた。ついでに買い物袋も持ってくれるらしい。

「スノウちゃんに会いました」

「そうか」

「それと、ヘーゼルくんが喋りました」

「そうか」

「あとは、ヘーゼルくんが魔法を使いました」

「そうか」

 何を話しかけても師匠が感情的な反応を示すことはない。

 いつも通りだ。

 足元へ視線を落とせば、長く伸びた二つの影。

 私はそれ見つめて、素朴に考える。

 あすかに戻ればこのやりとりもできなくなるのだろうか、と。

「師匠」

 あなたとのさようならはいつだろう。

「その髪、綺麗ですね」

「……そうか」

「あ、照れましたね」

 普段は何の反応も示してはくれないけれど、私とさようならをするときだけは、師匠もあの少女のように悲しんでくれるのだろうか。

「髪の毛切ったらどうですか?」

「切らない」

「前髪だけでいいんです」

「切らない」

 私がさようならを告げるとき、みんなを悲しませてしまうのだろうか。

「もう、頑固ですね」

 今日の夜は寝つきが悪そうだ。

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