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 拝啓、ルーテアリタス家のみなさま。

 雨がやまない日々が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

 私は師匠であるシラー様に日々様々なことを学びながら、実のりある毎日を送っています。

 ところで。

 ところで……。

「今日は何を書こう」

 手持ち無沙汰な手が、ペンを持ったまま便箋の上をふらふらする。

 ルーテアリタス家があった場所とは異なり、ここはただ、レンガの家々とロロの木の畑と川しかない。

 暇だ。お家に帰りたい。お家に帰ってみんなに会いたい。切実に。

 師匠も三日前から出かけているのでこれと言ってやることがない。

 今日もまた転移魔法ができるよう、呪文を編む作業に明け暮れるしかないのだろうか。

 質素な歪んだ窓から湿った空気が入ってくる。

 雨さえやめば外に出て行ってもよかったかもしれないのに、曇天のせいかやる気も元気も出ない。

「……ロイ王子にも手紙を書かなきゃ」

 上質な紙でできた封筒を眺めて呟けば、ボルドーカラーの封蝋がきらりと光った。

 彼は未だにただの一般人へと身分が変わった私と交流を持ち続けてくれている。分不相応な気がして申し訳ないものの、なんだか待ちわびている自分もいるのも確かだ。ただ、返事を書かないといけないのが億劫だけれど。

 拝啓、親愛なる幼なじみ様……何を書けばいいのだろう。師匠は手紙なんて無視しろと言ったけれど、それで王家が責めてきたらどうするのかと返せば、じゃあ嫌味な手紙を送れとため息をついたのだったっけ。

「いつもお手紙ありがとうございます。私は元気ですが、あなたはその窮屈な立場のせいでさぞかし息苦しい思いをしているのでしょうね」

 なんて。たとえ本心でなくてもそんなことを書いたら使いの者が怒り狂って罰を下しに来そうである。

 両肘をついてため息を漏らす。今日もまた、文豪よろしく随筆のような風景賛美、つまり今の生活の自慢話を書き連ねるしかないようだ。

 でも本当は、素直な気持ちを書きたい。会いたいですと。

 寂しいのだ。

 どうもこの場所は居心地が悪い。近所の人びとはみんな無関心で、隣の家の顔さえ知らないのが当たり前。まあまあここの生活には慣れてきたけれど、どことなく居場所の無さを感じる。勝手知ったるルーテアリタス家の生活が恋しくなってくる。

 窓の外は雨模様。こんな日に外を歩いている者は誰ひとりとしていない。

 景色の奥でゆらゆらと姿を現した師匠以外に。

 師匠以外に!

「師匠が帰って来た!」

 思わず笑顔になった。

「遅いぞ、待ったぞ、ばかちんめ」

 書きかけの手紙を放ったらかしにして、踊るようにタオルを取りに行く。

 この質素で薄暗い家に一人ぼっちでいるというのは案外心細かったのだ。ただでさえホームシックをこじらせている私である。たとえ師匠が性別不詳の年齢不明な怪しい人物でも、誰かと一緒にいられるというのはとてもうれしいことだった。

 わくわくした気分で足元が暗い玄関に明かりを灯せば、扉が開く錆びた音が耳に届いた。

「お帰りなさい、師しょ……う」

 しかし、入ってくるであろう人物に目を向ければ、言葉がしりすぼみになってしまったのは仕方がないと思う。

 びしょぬれの師匠。

 びしょぬれの栗毛。

 興奮状態でタオルを広げて構えている私の前に現れたのは、師匠と一人の小柄な男の子だった。


 ◆


「私の娘だ」

 師匠は私を指さしてそう言った。

「今日から弟子になる」

 師匠は栗毛の、弱々しい少年を指さしてそう言った。

「どういうことですか?」

 立ち去ろうとする師匠を追いかけて私が質問を投げかければ、師匠はこちらを見て「君は今日から姉弟子になる。分かったら部屋に戻りなさい」とだけ言葉を落とし、バスルームへと消えていった、

 いや、姉弟子になる、じゃないから。

 答えになってないから。

 ちらりと栗毛少年を盗み見る。

 ぽたぽたとしずくが這う頬は青白く、瞳は銀河を吸い取ったように虚ろだ。

「……師匠、いっちゃったね」

 とりあえずタオルを差し出しながら声をかけてみた。

 動かない。

 反応がない。

「あの、良かったら使って。顔色わるいよ。風邪ひいちゃ後が大変だから……」

 もう一度試しに声をかける。

 しかし宇宙色の瞳はただぼうっと虚空を見つめているだけだ。

 目が見えないのだろうか。

 それとも声が聞こえないのだろうか。

 何でもいいから反応がほしい。

「タオル、かけていい?」

 ずいぶんと華奢な身体をしているように感じる。私より年下に見えるけれど何歳くらいなのかは分からない。

 私と彼の間で、シャワーと雨の音だけが響く。

「……拭くね?」

 恐る恐るタオルを頭にかけてみれば、彼は驚くほど無抵抗だった。目を閉じて、ぎゅっと唇をひき結んで、ただじっと私に頭を拭かれていた。

「私はケルシー・シラー。あなたは?」

 沈黙に耐えられなくて自己紹介をしてみても、彼は何も言わない。

 長いまつげに縁取られた、うろの中を映すヘーゼルカラーの瞳。コーラルピンクの唇が言葉を紡ぐ気配はない。

 闇だ。

 私は今、闇に触れている。

 彼に一体なにがあったのだろう。

 私と同じシラー様の弟子なら、彼もまた私と同じようにある日突然別人として目を覚ましたのだろうか。それで何か起こったのだろうか。

 それともただの子どもなのだろうか。

 とても気になるけれど、青白くなった顔を見るとその話は後にした方がよさそうだ。とりあえず今は身体を温めることが先決だろう。

「師匠、早くそこあけてください。この子、調子が悪そうなんです」

 私はバスルームの扉をたたきながらそう要求をした。


 ◆

 

 びしょぬれの栗毛は、乾かせば柔らかい猫っ毛へと変貌を遂げた。しかし、どこか頼りなさげな感じは変わらない。

 彼の名前はヘーゼルというようで、私より一つ下の七歳。キャントーガロ出身。

 部屋は屋根裏部屋をあけようという話になった。私の秘密基地だった所だけれど、他に部屋がないのだから仕方がない。明日にでも掃除をしようと思う。

 かわくいくて丸いおでこに玉の汗がにじむ。

 ベタついた彼の頬を拭こうとすれば、師匠によってさっと止められた。

「なんですか?」

「君は何もしなくていい。この子に関わらなくていい」

 先程ヘーゼルくんと私を二人きりにしてバスルームへ行ってしまった師匠が、また勝手なことを言いだしたようだ。

 今の状況が見えるのだろうか。どう見たって彼の看病をしているのは私だけなのですが。

「そう思うなら師匠のベッド、かしてください」

 私のベッドに寝かせているのだから私が関わらないわけにもいかないでしょうと続けると、師匠はうっと声をだした。普段は無表情なくせに、他人が自分のテリトリーの中に入ってこようとすると顔をゆがめる人なのである。ここしばらくの生活で学んだ。

 困った人を師匠にしたものだと思いながら視線を戻せば、小さな少年は相変わらず布団に埋もれていた。

 ふうふうと荒い息に赤く染まった頬。

 あのあと、お風呂に入ったヘーゼルくんはまるで電池を切らしたように倒れた。

 私が全裸の彼に慌てて服を着せれば、師匠は相変わらずお化けみたいな白髪をゆらゆらさせながら当たり前のように彼を私のベッドへ運んだ。なぜ師匠のベッドに運ばないのかと文句を言いたくなったが、その時はそれどころではなかった。

「雨で体が冷えたんでしょうか」

「いや、心因性だ。だから薬は作れない」

 師匠がおでこのタオルを新しいものへと変える。絞りかたが甘くてびしょびしょだ。かわいそうに。

「心因性?」

「そうだ。今、もしかすると彼は悪夢を見ているかもしれない」

 師匠はため息をついて椅子へ座り、そばの机にあった便箋を一瞬読んでから元に戻した。

「家族への手紙か。書くならちゃんと最後まで書きなさい」

「読まないでくださいよ」

「王子にも書いているのか」

「それは今はどうだっていいです。ねえ師匠。急にどうしたんですか? この子と何かあったんですか?」

「君は気にしなくていい」

「そうは言ったって……」

 魔法使いの頑なな態度になにも言い返せなくなって、部屋に沈黙が訪れる。

 そっと熱を孕んだ顔に視線を移せば、ヘーゼルくんはとても苦しそうに眉をぎゅうっと寄せていた。

 私が安らぎの魔法さえ習得していれば、何か役に立てただろうに。でもそれは高度な魔法だから、使いこなすにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 私にできるのは、もどかしい気持ちで汗を拭ってあげることだけなのだ。


 ◆


 ことんと音がして目をさませば、部屋はいつのまにか暗くなっていて、ベッドの中はもぬけの殻となっていた。

 どうやら私は寝落ちていたらしい。

 ベッドサイドの椅子に座ったまま船をこいでいたみたいで、首の後ろ側がギシギシと痛い。

 ヘーゼルくんはどこに行ったのだろうか。

 そっと立ちあがって彼の姿を探す。

 足下に積み重ねられた本を蹴らないように自室を出れば、リビングは窓の外の街灯の明かりだけをただ受け入れている状態だ。

 右を向く。書斎から光がもれているので師匠はそこにいるはずだけど、彼もそこに行ったのだろうか。

 ことん、とまた音がする。

 おんぼろのキッチンからだ。

 食糧庫を弄る音だろうか。

 お腹がすいたのかもしれない。

 何のためにあるかわからない師匠チョイスのガラクタに触れないように、そろそろと音の方へ忍び寄る。すると、キッチンの流し台の下の扉があいているのが見えた。

 あそこになにがあったっけ。干物の瓶が入ってたっけ。

 見えるのは人影だ。あれはきっとヘーゼルくんの弱々しいシルエット。

 思わず息をのんだ。

 こちらに気付いた様子の宇宙色の瞳が、窓の外の街灯に照らされてきらりと光る。

 小さな手に握りしめられた刃物が、喉元に切っ先を向けてきらりと光っている。

「何やってるの!」

 心臓が止まる思いで勢いよく飛び出せば、慌て過ぎたのか絨毯に足を引っ掛けて転んでしまった。

 膝をすりむいたけれどそんなことはどうでもいい。私がすべきなのは、彼から凶器を取り上げることだけだ。

「何をしようとしたの!」

 素早く立ち上がってヘーゼルくんに飛びかかる。柄を彼の手ごとつかみ、できるだけ喉元から離すように高く引っ張り上げれば、物音を聞いてか、師匠が書斎から出てくる音がした。

「師匠!」

 遅い! 早く来て!

「師匠! この子死のうとしてる! 助けて!」

 そう叫ぶのが早いか、私たちが吹き飛ぶのが早いか。

 部屋中に全てを押し倒すような強い風が一つ吹いて、あらゆるものが壁掛けから落下し、食器が割れる音がする。うっと蛙が潰れたような声が出たのは仕方のないことだ。

 ぼさぼさの頭のまま体を起こせば、ヘーゼルくんは無表情のまま私の下で大の字になって寝そべっていて、私が無理矢理奪い取った凶器はロロの木の草に変化を遂げていた。

 どうやら師匠が何かの魔法を使ったらしい。

 何が何だか分からない。

 何が起こったのか良く分からない。

 言葉にならない怒りや混乱がわき出てきて、思わずその草でヘーゼルくんの頭をたたく。効果はそんなになさそうだったけれどそうしないと気が済まなかったのだ。

 込み上げてくるこの感情はなんだろうか。

『あんた自分が何してるか分かってる?』

 口から出た叫び声は日本語だった。

 まさか目の前で人が自殺しようとするなんて。

 まさか七歳の男の子が死のうとするなんて。

「師匠のばか!」

 なんでこんな子を連れてきたんだとばかりに師匠に葉っぱを投げつけたけれど、それは空気の抵抗を受けて途中でへにゃりと床に落ちた。

 銀河の瞳がこちらを見ている。

 絶望を吸い取った瞳が私を見上げている。

 驚いて泣いてしまった私を、ただ黙って見上げている。

 拝啓、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 本日の雨は、悲しさを背負った男の子を連れてきました。

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