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 どうやらここが日本でないことは、女型巨人もとい乳母の容姿と話し言葉から察していたけれど、それ以外のもろもろのことはこの五年間で学んだ。

 私はケルシーという名前で、ルーテアリタス家の次女らしく、今は五歳半。

 ここがどこだかは分からないけれど、魔法と科学が入り乱れる摩訶不思議なファンタジーワールドであるのは確かである。

 概念や生活は私にとって馴染みのあるものもたくさんあるとはいっても、ここが私の知る地球ではないことは間違いない。

 果たして私がいる場所は、いわゆる異世界というものなのか、それとも地球から遠く離れた惑星か。

 町並みはまだあまり見ていないのでよく知らない。ルーテアリタス家は古風な大きい洋館という印象だけれど、この前お邪魔したギャビーちゃんの家はアラビアン・テイストだし、ディオくんの家は近代アートみたいな幾何学的なデザインの豪邸だから、町並みはかなりまとまりがないのかもしれない。

 服は、男の人はズボン、女の人はスカートが基本で、女性は肌を極力見せないのが常識らしい。乳母に口酸っぱく言われているので、たぶんそう。だから夏は涼しくすごす工夫が必要だ。

 電気やガスは無いけれど水道は通っている。車は無いけれど動力不明な電車みたいなものはある。テレビは無いけれど広報紙や雑誌は普及している。コンビニはもちろんない。

 あると思っているものがここには無くて、さすがにここにはなさそうと思った物は当たり前のように存在していたりする。五年たった今でも慣れないことは多い。

 そういえば、大人たちを見ていると、人間が足や手を動かす感覚と同じくらい気軽に魔法が使えるらしい。ちなみに魔法の杖は使わないようだ。魔法にも自分の得意分野があるみたいで、そういったものは超能力を使うみたいに手放しで魔法を発動させることができるのだそうだ。

 けれど魔法陣のような呪文の組合せは利用している。難しい魔法の場合は専用の万年筆を使って呪文を編むのだと、以前侍女に教えてもらった。

 私はまだ幼すぎて完全に魔法は使えなくて、でも家系的にオリジナルモンスターやオリジナルゴーストを生み出して使役する魔法が身につくのではと予想している。ルーテアリタス家は代々、そういうスピリチュアルなものを使って王家に貢献してきたらしい。

「ケルシー、もうすぐお客様がいらっしゃいますよ。そのかわいらしい髪が少しだけ乱れているから、梳かしてきなさいな」

 乳母が見守るなかでこの世界の言葉の勉強をしている私の耳に、優しい声が届いた。振り向けば、クリーム色の上品なワンピースに袖を通したお母さんが、こちらを穏やかに見つめている。

「お客様? どんな人?」

「お嬢様、どんな人、ではなくて、どんな方、というのですよ」

「はい、マム。お母様、お客さまってどんな方?」

 書字、読字はまだできないものの、話し言葉はずいぶん覚えたと思う。日常会話もある程度はスラスラだ。

 でも私は家の中の人以外にあまり口が利けない設定になっている。

 五歳らしい言動が分からないからだ。

 変に大人びていると周りから気味悪がられて家族に迷惑がかかってもいけない。だから私は、できるだけ喋らず、できるだけ動かない子どもに徹しているのだ。

 ただ、以前に一度だけ。

 ギャビーちゃんやディオくんと支離滅裂なおままごとをした時に、もしかして皆私と同じ境遇なのではないかと、ふと思ったことがあった。

 つまり、ギャビーちゃんもディオくんもある日突然目が覚めたら見知らぬ赤ちゃんになっていたのかもしれないと思ったわけである。

 そこで私は試しに誰しもが知っているであろう日本語をおままごとの台詞に入れてみたわけだけれど。

『……内閣総理大臣……』

「え? ナイ……? 何て?」

「ソウリダイディン?」

 残念ながら、ディオくんの人形に向かってそう話した私を二人はきょとんと見つめただけだった。

 けれど私はあきらめなかった。なにも中身が日本人とは限らないのだ。そこで私はできるだけネイティブな発音になるように努力して、ギャビーちゃんの人形にこう話しかけた。

『Hi! Nice to meet you! ……気にしないで』

 二人の反応は、何を言っているんだろうこの子は、というものであった。

 そして一瞬で変な空気を忘れ去ったように支離滅裂なおままごとは再開され、私はギャビー人形が悪の組織に葉っぱに変えられる様子を見つめながら、ここに仲間はいないのだと悟った。

 思えば私が寡黙な少女をやめたのはあのときだけだった。

 家の人はみんな、私が発音が悪いから恥ずかしがって話さないのだと思っているらしい。都合がいいのでその設定でいかせてもらっている。

「ソーティス・オー・シラー様よ。とても素晴らしい魔法使い(ウィザード)だから、しっかりご挨拶してね、ケルシー」

 お母さんの繊細な白い指が私のくちびるに触れた。ひとつひとつのしぐさが様になる綺麗な人だ。三人の子どもがいるなんて到底思えない。

「わかったわ、お母様。私、頑張ります」

 この世界の言葉ではじめましてってどう言うんだっけ、と思いながら髪をとかす。

 そんなことを考えながら鏡越しに見える乳母を観察していたら、髪飾りを落としてしまった。

 不便でおぼつかない小さな手を見つめてから、床に落ちた髪飾りを拾う。

『この飾り、いくらなんだろう……高いのかな……』

 この世に生を受けて五年半。独り言はまだ日本語だ。


 ◆


 偉大なる魔法使い(ウィザード)と讃えられているソーティス・オー・シラー様は、ちょうど空が一番明るいときに何人かの仲間を引き連れて家へやってきた。

 両親と一緒に玄関ホールまで迎えに行った私は、お父さんと同じような年齢くらいの男性が複数人いる中でひときわ異彩を放っているその人物が、シラー様なのだとすぐに分かった。

 肩まで伸ばされた白髪はお化けみたいに目元を覆っていて、顔全ては見えない。真っ黒で窮屈そうな服に纏われた身体のシルエットは華奢で、背が高い女性とも、小柄な男性とも捉える事ができて、性別は不明だ。パンツスタイルだから男性なのだろうか。

「娘のケルシーだよ」

 父に促されて私ははじめましてと練習通りに挨拶をする。なんだかとても緊張して、ちょっぴり声が震えた。

「ああ、この子が。私はシラー。よろしく」

 小さい口から出てきたしわがれたような声が、軽く頭を下げた私の耳に届く。声を聞くと今度は年齢も分からなくなってしまった。若いと思っていたけれど案外高齢なのだろうか。

「こらケルシー、不躾に見つめるものではないよ」

「私の娘はあまり大人に会うことがないものだから……ごめんなさいね」

 相当不思議そうな顔をしていたのか、両親はおかしそうに笑って軽く私をたしなめた。そして続けられたお父さんの一言。

「挨拶は終わったから庭で遊んできて構わないよ」

 なるほど、今から大人だけの話が始まるのだろう。それでは部外者の私はさっさと退散することとしよう。

 子ども、もとい私をほほえましく見つめる男性たちに軽くお辞儀をして、シラー様にもぺこりと頭を下げる。

 僅かな時間ではあったけれど、やっと解放されるという気分である。

 しかしほっと一息をはいて踵を返したその瞬間、信じられない言葉が聞こえた。

「待ちなさい、ケルシー。シラー様が、ケルシーと一緒に遊んでくださるそうだ」

 え? なんて?

「ケルシー、庭を案内してさしあげなさいな」

 え? 偉大なウィザードが子どもと遊んでいて良いの? 大人どうしの話は?

「それでは、君のお気に入りの場所に案内してくれ」

 枯れかけの声に抑揚はなく、白髪の隙間から覗く紫色の瞳が私をただ見つめていた。


 ◆


「ここが……お兄さまが好きな場所です」

 ひょうたんの形をした中庭の池に私とウィザードが映る。

「お兄さんとはいくつ離れている?」

 池にいる黄色の魚が尾ひれで波紋を作って、私の姿がゆらゆらと崩れた。

「六つです。今は十一になります」

 風がシラー様の白髪を揺らしたのが、水越しに見える。

「ここがお姉さまの好きな場所です」

 雨の季節になると桃色の花が枝垂れて綺麗なんですよ、とツタが這った屋根を指さす。

「お姉さんとはいくつ離れている?」

 もうすぐつぼみをつけるころだろうから、そろそろお茶会の準備をしなければいけない。

「七つです。今は十二です」

 そうか、と答えたシラー様の声はやはり感情がない。だからこちらもなんとも複雑な気持ちになる。

 私と庭をまわって楽しいのだろうか。

 彼か彼女か分からないけれど、両親と話をしなくていいのだろうか。

 ウィザードが私なんかと庭をのんびり散歩していていいのだろうか。

「どうした? 君のお気に入りの場所に連れて行ってくれ」

 しゃがれた声が歩みを促す。

 けれど私はその白い髪の奥にある紫の瞳を見つめたまま動かなかった。

 聞こうか悩んでいるのだ。

 私に会いに来たんですか、と。

 私が他の子と違うから、何かを両親に頼まれたんですか、と。

 そよ、と透明なものが頬に触れた。少し癖がついた私のミルクティー色の巻き髪とワインレッド色のスカートが揺れる。

 それに合わせるように、さらさらと白髪が日の光に輝く。

「……お気に入りのところがないということかな。……では、私の秘密の場所へ招待することとしよう」

 わずかな沈黙の見つめ合いの末、先に目をそらしたのはシラー様の方だった。

「秘密の場所?」

 シラー様の青白い人差し指が、空中に円を描く。何度もくるくると緩やかに。

「あまり人を入れたことはない」

 相変わらずの無表情。指先から空気に動きが生まれ、花弁や若葉を巻きこんで竜巻を起こしていく。

「面白い顔をしている。この魔法を見るのは初めてか」

「ええ、まあ」

「まあ、何の呪文も編まずにこの魔法を使える人の方が少ないか」

 竜巻は煙に変わり、そこにまるい額縁を立てかけたような曖昧な入口をつくっていく。

「そら、君から先に入るといい」

 それだけを味気なく言い、シラー様は握っていた指をほどいて手のひらを上に向け、風と花弁と葉でできた入口へと私を誘うようなしぐさをした。

 静寂の時間。

 どこへ連れて行かれるのだろうか。

 両親が信頼している人だから大丈夫だろうと思う一方で、得体の知れなさに不安になる。

「どうぞ」

 観察されている。

 私がどうするのか観察されている。

 一挙手一投足が観察されている。

「どうかな、気に入ってくれただろうか」

 その入り口をくぐった先、目に飛び込んできた景色に言葉を失っている私を、シラー様は観察している。

「ところで、まだ君にちゃんと自己紹介をしてもらっていなかったね」

 母が作ったパッチワークの掛け布団。中学の誕生日に買ってもらった本棚。傷のついた勉強机。

「君の本当の名前は何と言う?」

 実家の自室に足を踏み入れた私を、紫の瞳が観察している。

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