饅頭
ぐちぐち言われ続けた深海は早朝から姿を消します。
四
冷たい空気が漂って、木々の間に夕日が差し込む頃、彗月は午後の鍛錬を終えた。
鍛錬に使った他の道具の始末を歩兵たちに任せ、愛馬を厩舎二連れて行く。
中に入ると深海の愛馬が彼らを出迎えた。
「お疲れ様、海淵」
そう愛馬に囁いて鞍を外す。芦毛の馬は鼻から息を吐いて、手入れの間はおとなしく立ったままだ。
いつもは深海がやることだが、今日は急用があると朝早くに飛車殿を出て行ってしまった。
どこに行っているのか、昼を過ぎても帰ってこず、夕刻の軍別鍛錬にも出なかった。
「おかげで饅頭を買いに行けなかった…」
鞍を立てかけ、飼葉と水を、それぞれの箱に詰めた。
海淵も深海の馬も待っていましたとばかりに鼻を鳴らしてからそれぞれに口をつけた。
苦笑して飼葉を夢中で食む海淵の首筋を撫で、そのたてがみに指を絡ませた。
すこし硬めの動物の毛と温かな体温が伝わってくる。
日が短くなって辺りはもう仄暗くなっている。
空を眺めると、やけに大きく、そしてすこし赤みがかった月が山の近くに姿を現していた。
「なんだ、まだこんなところにいたのか」
不意に声をかけられて振り返ると、私服姿の深海が赤い紙袋を手に立っていた。
「お前、一日中鍛錬サボって何していたんだよ」
馬の毛並みを整えていたその手を止め、つかつかと詰め寄った。
「悪かった。ほら、これ」
彗月の問いには答えず、深海はその赤い紙袋を突きつけた。
受け取るとその袋は温かく、ずっしりとした重みが感じられた。
「これは…!」
その袋を見間違えるわけがない。
赤い袋に小さな白い花の絵が一つ描かれているその袋は、昨日深海に食べられたまあゆ堂のものだ。
袋を開くとたくさんの饅頭が詰まっていた。それと同時に湯気と饅頭の皮とあんこの匂いが鼻をくすぐる。
しかもそれは白い饅頭の中央に、金箔がポツンとついていて、それは昨日深海に食べられた限定販売の饅頭だったのだ。
「あまりにも意地汚いやつがいるから、仕方なく、な」
「意地汚いって、それ、僕のことか?」
彗月の問いに深海は「さあ」ととぼけて見せた。
いつもなら怒るところだが、しかし今はいつも偉そうな深海がちゃんとお詫びという行為を知っていたことが嬉しくて、彗月は満面の笑みを浮かべた。
「お前、今俺のこと馬鹿にしたろ?」
そんな彗月の考えていることに感づいたのか、深海が鼻を摘んできた。
「ふがっ」
「フン、間抜け面め」
その上鼻を摘んだまま引いてくる。
慌てて彗月は深海の手を払うと鼻を庇って距離を取った。
面白がる深海をにらみつつ、ふと気づいた。
饅頭がまるで出来立てのような温度であるのと、柔らかいことに。
「これ、なんであったかいんだ?」
早朝限定販売の饅頭は朝早くに売り切れるはずだ。
それを買いに早朝から深海がいなかったにしても、今は夕方だ。
この暖かさはおかしい。
「あぁ、俺その饅頭屋の倅だから。また欲しいなら今度は俺が作ってやるぞ」
あっさりと告げられたその事実に、嘘だろ、と言って深海を見上げると、彼は自信ありげに笑っていた。
「これ、お前の、手作り…?」
「それは親父が作ったやつだけどな。何だ、俺が作ったやつのほうが食べたかったのか?」
何となく嫌な予感がして無言で首を振った。熟練の職人の饅頭の方が美味しいに決まってる。
途端につまらなさそうな顔をする深海に、彗月はにっこりと笑った、
「なぁ、早く戻って食べようぜ。出来立ての饅頭!歩兵たちまだいるかな?」
「俺も食べていいのか?」
昨日はあんなに他人に食べさせたくないようだったのに、と訝しがると、彗月はは盛大なため息をついた、
「あのな、いくら僕でもこの量は1人で食べられないよ。それに、そんなに食い意地はってないし」
「よく言うよ。饅頭3個でぐちぐち言っていたくせに」
彗月は袋の中身を潰さないように慎重に、でもすこし寒い風から守ろうと軽く抱きしめるように持った。
赤い月はいつの間にか高度を上げ、白へと色を変えていた。
おしまい。
なんと深海は饅頭屋のせがれだったのですね。だから饅頭にたいしてもクールな感じだったわけですね。。
この話を通して十数年前の自分は何が書きたかったんだろう…きっと仲良くわちゃわちゃした感じなのが書きたかっただけかもしれません…。
読んでくださった皆様ありがとうございました。