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袋晄司、自己救済のための解答:日曜日 後篇

「さ、早く。腹を切れと言っているの」

 選択の時である。たとえ答えがなかろうと、俺は決断をしなければならない。何度も言うようだが、正義感や義務感はなくてもプライドは高いのが俺という人間だ。どうせ死ぬにしても人任せに死にたくはない。自分なりの方法で最後の瞬間を選びたい。そんな思いが混迷する頭の中に一筋の道標となり、俺は定まらなかった視点をようやく思うように動かせるようになった。

「・・・?」

 ふと目に留まったのは出前箱だった。俺がいつも出前に使っているアルミケースが、何故か今も俺の隣に置かれている。いったいどういうことだろう。誘拐の際にわざわざ取り外してここまで持ってきたのだろうか。

「・・・・・・」

 いや。

 いやいやいや。待て待て。

 そんなまさか。だって、そんなことで――。

 俺は一週間を振り返った。そしてこの土壇場で新たな仮説を立てた。というより、発見してしまった。

「どうした。何をそんなに戸惑っている。まさか、愛する私の手を煩わせる気じゃないだろうな」

 痺れを切らしたのか、切腹を促すざらめの声色が少し変わった。苛ついた様子で、棘がある。どちらにしろもう時間切れのようだ。だったら自分を信じるしかない。俺は大きく息を吸うと、項垂れたように肩を落とし、重々しく呟いた。

「・・・わかりました」

「うむ、ではさっそく――」

「しかし、残念だなあ」と俺は改めて溜息をついた。

「俺が死ぬとなると、せっかくざらめさんのためにと苦労して手に入れたこのベリーサンドミックスも道連れにしなければならない」

「な、何!?」

「ああ、そういえばお伝えしてませんでしたね。実は今日、俺は『お菓子工房ベリーサンド・ウィッチ』で、あの数量限定のベリーサンドミックスを購入したんですよ。最後の一つでした」

「あ、そ、そうなのか」

「それというのも、どうやらざらめさんがこのお菓子をとても食べたがっているという話を小耳に挟んだからでして」

「へ、へえ」とざらめが言った。声が上擦っている。

「だから僕はこの一週間、ざらめさんにベリーサンドをプレゼントすることだけを考えて走り回っていたんです。しかし学生をやっていると思うように目当てのものは手に入れられなくて。機会に恵まれた木曜日も結局、あんな形のお届けになってしまって・・・」

 俺はとても残念そうな顔で拳を握った。

「でも今朝、ようやく購入にこぎつけたんです!この中に入ってるんですよ。あの美しい層と飴細工が一体となった完全なベリーサンドが。・・・誘拐された時丁寧に扱ってもらえていればですが」

「丁寧に扱っている!」

 ざらめが声を大きくした。それは良かった、と俺は笑顔を見せる。手元に引き寄せた出前箱をほっとしたように撫で、開け口にかかったナンバーロックチェーンをジャラジャラやった。

「して、その・・・ベリーサンドを、私のために買ってきてくれたのだろう?」

「ええ、それはもう」

「ならば、今こちらに渡すと良いのではないか・・・?」

「いいえ、それは無理です」

「何故だ!!」

「だって、このベリーサンドは謂わば愛の結晶。俺のざらめさんへの努力の汗を愛という形に変えたものです。俺が愛故に死ぬというのなら、当然このサンドも地獄へ共に連れて行かねばなりません」

「そんなあ!」

 ざらめが声を荒げる。それを合図に、近くに突っ立っていた男の一人が俺に掴みかかってきた。俺は出前箱を腹に抱え、手放さないよう全力でしがみつく。

「よ、よせ!」

 少女が慌てて部下を制した。

「揺らすな!中のものが壊れたらどうするっ馬鹿者が!」

「いいえ!壊すんですよ!」と俺。「どうせこれから壊すものなんです!俺もベリーサンドも、もう死んだんだ!」

 黒丈門ざらめは「あわあわ」と言った。俺は現実でそんな擬音を口から出した人間を初めて見た。

「お菓子だけ置き土産としてざらめさんに残そうかとも考えましたが・・・ざらめさんが死人の愛を口にして愉悦するような悪趣味な、醜悪な趣味を持った人間だとは到底思えませんし・・・」

「うぐう」

「やはりここは死出の旅を共にすることにします」

 俺は刀を再び手に取ると立ち上がり、剣先を腹にあてがいながら出前箱に足を掛けた。眼を閉じ、清らかな心を持って、人生最後の言葉を厳かに宣言する。

「さようなら、ざらめさん。さようなら、ベリーサンドミックス」

「待った!!」

 黒丈門ざらめが両手を挙げた。

「分かった!分かったから!死なないで良いから!」

「・・・本当ですか?」

 本当だろうか。

「本当だ!」

 本当のようだ。俺は「それはそれで残念だ」というような顔をしながら俯き、膝をつき、出前箱の裏で思い切りガッツポーズをした。その手で握り締めたのは心からの喜びだった。


 とうとう、生き延びる道を見つけ出したのだ。


 そろそろ頃合いだろう。もう気づいているとは思うけど、黒丈門ざらめが何故俺を殺そうとしたのかをここで改めて明らかにしていこうと思う。そうなんだ。彼女の目的はベリーサンドミックスにあったんだ。


 俺は問題の原因が松任谷先輩にあると思い込んでいた。タイミングからしてそれ以外考えられなかった。でもそれこそが間違いだった。そう、前提から間違えていたのだ。出発点が違っていては正しい場所に着地出来るわけがなかったのである。

 恐らく、今回の一件に松任谷先輩は一切関係がない。それどころか、ざらめは松任谷先輩が地元に帰ってきていることすら知らないんじゃないだろうか。俺はてっきり、花岡先輩の知っているような情報ならば当然ざらめも知っているものだと思っていたが、そこにも決めつけがあった。木曜日、ざらめの側近であるはずの教育係の女が一人遅れて現場にやってきたのを覚えているだろうか。携帯電話を片手にした彼女は本来先頭に立って犯人を追いかけていてもおかしくない立場のはずなのに、何故か単独行動を取っていた。更に言えば、その間に電話を済ませ、ざらめに電話の内容を伏せようとしていた。

 きっと通話の内容は松任谷先輩帰還に関しての打ち合わせだったに違いない。黒丈門ざらめが松任谷理一に関わると面倒が起こることは、黒丈門側としても把握し、懸念しており、故に情報統制を図っていたのだ。今この場に教育係も松任谷先輩もいないのは、ざらめの知らない何処かで歓迎会でもやっているからに違いない。

 この件に松任谷理一は関係がなかった。ではいったい何が問題になったのか。

 とっかかりは、ざらめの視線にあった。

 この一週間、俺はざらめからの視線を感じることが多かった。しかし、はは、まったく、なんて自惚れ屋なのだろうな。今思うと酷く恥ずかしい話だ。実際は彼女は俺のことなんて全然見ていなかったのだ。月曜日の時点で「名前も知らない男を見つめている」というシチュエーションに違和感を持つべきだったのに、それが出来なかった。

 ざらめはあの時俺ではなく、花岡先輩の揚げバナナを見ていたのだ。砂糖のまぶしてある胃もたれバナナを見て、思わず舌舐めずりをしたのである。金曜もそうだ。ざらめはあの時、俺になど一切気づいていなかった。初めから花岡先輩が持っていたマシュマロに関心が行き、一瞬顔を上げてそちらを確認したに過ぎない。土曜日に至っては、チョコ味のプロテインに異常な関心を示していた。きっと初めてプロテインを見てびっくりしたのだろう。実に興味深げに観察していた。

 そうなんだよ。黒丈門ざらめは、甘いものが大好物なんだ。彼女は甘いものに目がなくて、いつだって甘いものを食べたくてしょうがなかった。でも彼女は自分のそんな姿を学校では知られたくないと考えていた。だから仕方なく影に隠れて甘いものを見守り、校舎裏に行って新着人気スイーツを確認し溜飲を下げたりしていた。

 火曜日の一件もその最中に起こった出来事だった。ざらめは人気の洋菓子店の支店が今週からこの街にオープンしたことを、あの日校舎裏でニュースを確かめて知ったのだ。あまりの興奮で思わずスマートフォンを掲げ持ち歓喜したざらめは、すぐに買いに行く準備を始めたに違いない。でも相手は大人気店の数量限定スイーツ。放課後まで待っていてはどうしても買うことが出来ない。少女は苦悩した。

 自分の部下に買いに行かせなかったのは、きっと気質が許さなかったからじゃないかな。木曜日も部下が止めたにもかかわらず、彼女は自らお菓子を買いに行くと言ってきかなかった。だから仕方なく部下達は彼女に同行した。

 そしてざらめは「奇跡の売れ残り」を手に入れた。俺より早く店に行っていたんだ。買えて当然だろう。あの日ベリーサンドが売れ残っていたのも、きっと店先でヤクザが目を光らせていたから客が少なかったとか、そういう理由なんだと思う。

 目当てのものを手に入れて上機嫌だったざらめはとっても浮かれていた。そんな彼女の隙を突き、ひったくり犯がベリーサンドミックスを彼女の手から奪ってしまった。必死で追いかけるも足の速い犯人は逃げ果せてしまい、ざらめは諦めて俺の下で足を止め、地面に落ちていたベリーサンドミックス入りの箱を回収した。あれは自分のものだと勘違いしての行動だった。

 やっぱりざらめは諦められなかった。金曜日もすぐに学校を後にしたざらめだったが、当然ベリーサンドは売り切れで、続く土曜は定休日だ。黒丈門ざらめは悶々と二日間を過ごしながら、日曜の朝、店が開くのを待って眠りについた。

 そして訪れた日曜日。彼女は小さい手に巾着を握りしめ、早い時間に家を出た。店に向かって駆けている最中に部下に回収され、車で店舗へ辿り着く。少女は意気揚々と店内に踏み込もうとしたが、そこでレジの前で話し込んでいる俺を見つけ、柱の陰に隠れた。蛇目の若頭は甘いものが好きだということを、誰にも言っていなかったし、知られたくなかった。

 彼女は焦れったく思いながらも俺が店から去るのを待っていた。そして彼女は大変な事実に気がついてしまうのだ。それは、数量限定ベリーサンドミックスが、こんな朝早くに頑張って起きたにもかかわらず既に売り切れているということと、にもかかわらず目の前の男は店員に取り置きしてもらったものを悠々購入しヘラヘラしているということだ。黒丈門ざらめはその光景を見て、この一週間キリキリと絞っていた頭の中の大切な糸がプッツリと切れた。それは「甘いものが食べられないからって人を殺してはならない」という至極当たり前の常識の糸だった。


 以上が今回の騒動の顛末だ。あくまで俺の想像だが、おおよそ正しいことは今の状況を見ても間違いないと思う。ああ、これは間違いない。見てくれよ彼女の顔を。

「ざらめさん、心の準備は良いですか」

「コージ!早くっ早くっ」

 いつまでもからかっていても仕方ないので、俺は従順な態度のままに恭しく立ち上がって、出前箱を手に一歩踏み出した。一段高いその場所で、ざらめは俺の到来を立ち上がって待っている。前のめりになって、踵が浮いたりついたりしている。段差があっても身長が俺と大して変わらない。騙し絵みたいだ。

 俺は彼女の前に出前箱を下ろすと、キーチェーンのナンバーを合わせた。解除された鎖を解き、箱の蓋を厳かに開く。

「さあ、どうぞ」

 丁寧に優しく、そう、愛情深くそれを取り出す。目の前の少女は俺のことなどすっかり忘れて、手の中のキラキラしたお菓子を、丸くした目いっぱいに映し込んでいた。

「おおお・・・ほおお・・・」

 ざらめが笑み、俺も笑った。ようやく春らしくなってきた。

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