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袋晄司、自己救済のための解答:日曜日 前篇

 とうとう日曜日が来てしまった。こんなにリアクションに困る日曜日は初めてだよ。世間一般の男子高校生と同じように、昼下がりのベッドで寝過ごした事実に笑い転げられたらどんなに良いだろうな。

 独白などしても暗くなるだけなので、客観的事実だけ話していこう。今までと同じように淡々と回想を進めて、適当にくだを巻くのだ。それでは最後の回想だ。これから語るのは本日、たった数時間前から、今この時に至るまでのささやかな出来事である。

 朝。生憎俺は寝過ごさなかった。早い時間にセットしたアラームの啓示に従順に従い、歯磨きもそこそこに上着を羽織って外に出る。今日の俺には目的があったからだ。俺は正義感も義務感も薄いが、プライドはそれなりに高い男だった。そういう人間からすると、人から頼まれたことを完遂出来ないまま諦めるのは少々癪に障るのだ。

「ああ、君。この前の。予約の品はちゃんと確保してありますよー」

「ありがとうございます」

 俺は「お菓子工房ベリーサンド・ウィッチ」の女性店員に頭を下げた。店員が奥から大事そうに取り出したのは例のベリーサンドミックスである。

 そうなのだ。予約すれば良かったのだ。この世界には予約という実に便利なシステムがあることを我々はすっかり失念していたのである。うっかりが過ぎる。

 もちろん、数量限定商品なんて本来予約出来るはずがないのだけど、そこは持ち前の社交能力を活かして、昨日の内に看板娘にちょちょいっと媚びを売っておいたわけである。

「お友達には秘密にしておいてね。取り置きしたことがバレたら私怒られちゃうから」

「任せてください。とっておきの場所を用意してありますので」

 そう言って俺は店先に出て、前に止めてあるオートバイの荷台からあるものを持って帰ってきた。それはアルミ製の出前箱だった。実際にラーメン屋の出前注文で使っている銀色の箱だ。アルバイト先が知人の家であるため、俺は時折こうやってデリバリーバイクを私物化させてもらっている。

「それ、君のバイクだったのね」

「ええ。ここなら誰にも見つからないでしょう」

 たしかに、と店員は笑った。洋菓子店の看板娘は実に品の良い笑みを浮かべる。住んでいる世界の違いを感じる笑みだ。

「なんならチェーンをかけてもいい。ナンバーロック式の、チャリのタイヤ止めに使ってたやつ持ってるんで」

「守りも万全ね」

「ちなみにこれ、休日は何時に売り切れるものなんですか?」

「朝の七時かな」

 どうやら店のシャッターが持ち上がった瞬間に持っていかれるらしい。俺は気前の良い店員のお姉さんに手を振りながら出前用カブに跨がり、店を後にした。帰り道の俺に決して油断はなかったと思う。今度こそ花岡先輩の下へベリーサンドを届けるため、道中も石橋を叩きながら進んでいた。しかしどんなに警戒していようが武装していようが、突然脇に乗り付けた黒塗りカーに連れ込まれたら、一介の男子高校生にはどうしようもないのである。


 俺は拉致された。車内では無言だった。出来れば楽しくおしゃべりしたかったが、「口を開くと良くないことが起こるぞ」と言われたので黙っていることにした。


 誘拐犯の動機も分からぬまま、唐突に場面は転換する。頭に被らされた黒い布袋、よくあるあれだ、それを取られた俺は、いつの間にか見知らぬ一室の中央にいた。そこまで広くはないが歴史を感じる和室で、かといって汚れはなく、美術品のように木目の一つまで磨きがかっているようだった。

「やあ、袋晄司。目は覚めたか」

 部屋の中、一段高くなっている場所に黒丈門(こくじょうもん)ざらめがいた。彼女は笑っていた。

「どうだろう。まだ夢を見てるみたいだ」と俺は肩を竦める。

「今日貴様をここに連れてきたのは、頼みたいことがあるからなのだ」

 またこのパターンか、と俺は溜息をついた。俺はよく頼み事をされるが、「頼みたいことがある」が楽しい思い出に変わったことは今まで一度もないのだ。水曜日もそうだった。そもそも頼み事なんて自分が出来ないからこそ他人に押しつけるものであって、ハードルが高いのが前提なんだ。それなのに達成出来ないと文句を言われる。資本主義社会の歪みを感じずにはいられないよ――

「死んでちょうだい」

「・・・え?」

「死んでちょうだいな」

 この女は何を言っているんだ。しんでちょうだい?日本語だろうか。そんな言葉、この現実世界で初めて聞いたぞ。俺は理解出来ないというように周囲を囲む男達の顔を見た。男の一人が肩を竦め、頷く。頷かれても困る。

「それはまた、どうして」

「いや、いいのだ。貴様が理解する必要はない」

 ざらめが慈悲を与えるような言いぐさで笑みを湛えた。

「ただ、私は貴様に腹が立って仕方がないということだけ覚えてもらえればそれで良い。私は貴様を許す気はないし、貴様は私を怒らせたので、これから腹を切って死んでもらうわけなのだ」

「むちゃくちゃだ」

 思わず本音が口から出てしまった。

「無茶苦茶なものか。極道の世界じゃ至極当たり前のことなのだぞ。悪いことをしたら指を切る。もっと悪いことをしたら腹を切る。どこもおかしくはない」

 念のため言っておくが、俺はヤクザではない。

「・・・わかったぞ。これは何かのドッキリなんだな?クラスぐるみで俺を罠にかけて、リアクションを見てるんだ。そうだろう、ざらめちゃんよ」

 俺は立ち上がろうとしたが、黒服に腹を蹴られて再び膝をつくことになった。座っていてほしいなら口で言えば良いじゃないか。なんなんだ。

「おい貴様、勝手に私の獲物を蹴るな。こいつが腹を切り終わったら、今の分貴様のことを蹴っとばしてやるからな」

「喜んで」

(なぜ喜んだ)

 俺は鳩尾を押さえ、苦痛に喘ぎながら何とか顔を上げた。この痛みから察するに、どうやら冗談ではないらしい。彼女は本当に俺を殺そうとしていて、俺は本当に殺されることになるようだ。だけど、どうしてだ?いったいどうして俺は死ななければならないんだ?俺がざらめに関わった場面なんて本当に限られているはずだ。それはここ一週間を思い返してもやはりそうだ。火曜日に捻りあげられ、木曜日に吹っ飛ばされた以外では直接言葉を交わす機会もなかった。それなのに俺はざらめから怒りを買ったのか?身に覚えがなさ過ぎて逆に恐ろしくなってくる。


 結局俺はどうすればいいんだ。ここに至るまでの間に、俺は幾つかの対抗策を考えたはずだ。たとえばひったくり犯の情報をちらつかせるとか、松任谷理一の名前を出して謝るとか。そういえば松任谷先輩は何処にいるんだ。日曜日ならまだこちらにいるんじゃないか。それとももう帰ってしまったのだろうか。刑事である先輩がいれば従妹のこんな横暴を許すはずがないのに。

「お前、刀を渡してやれ。介錯はお前だ。撃ってよし」

 そうだ、あの長身の女性を呼ぶというのはどうだろう。理性のありそうなざらめの側近だ。先輩は付近にいないかもしれないが、あの教育係なら必ず何処かにいるはずだ。彼女を呼べば、この事態を丸く収めることが出来るかも知れない。暴君を教育し直してくれるかも。音を立てようか。叫ぶべきか。

「安心しろ、体はちゃんと五体満足のまま親の元へ返してやる」

 助けを乞うといえば、俺は助けてくれそうな人の心当たりがもう一つある。ひったくり犯だ。あの男は俺のことを気遣う姿勢を見せた。それは俺の指のことを気遣ってだと思っていたが、もしそうではなく、俺個人のことを考えての行動だったとしたらどうだろう。つまり男は俺のことを知っていて、知り合いだからこそ傷つけないように動いたのではないだろうか。男は顔を隠していたため俺には分からないが、だからこそ尚のこと可能性は残される。黒丈門の敵で、俺の味方だというなら、この土壇場で韋駄天の如く現れ俺を救い出してくれる可能性だって、ゼロではないのではないか。

 希望的観測だ。どれも“儚い希望”に過ぎない。

 思うんだけど、さっきから俺はハナから他人の力を借りることを前提としていて、自分の力で助かる努力をしていないよな。これでは状況を打開出来るはずがない。未来を拓くのはいつだって己自身だとハリウッドスターも、お遊戯会の英雄も、今じゃディズニーのお姫様だって皆同じ事を言っている。俺も一人の主人公としてそれに倣わなくてはならない。そうだろう?


「一つだけ」


 だから俺は全てやることにした。

「死ぬ前に一つだけ、伝えたいことがあります」

「・・・なんだ」

 俺は意を決するために一呼吸置いた。この一拍は相手に印象づけるためでも何でもなく、本当に自分の心の整理のためのものだった。やがて口を開く。目はざらめを真っ直ぐに見据える。

「好きです」

「何?」

「俺はざらめさんのことが好きです。愛しています」

 少女は上座で目をぱちくりさせている。俺は好機を逃さぬよう畳みかけた。

「一年の頃からずっと好きでした!もちろん片思いだってことは分かってます!」

 わざと芝居がかった調子で喋り、大きな声を出す。周囲の男達は俺の急な告白と興奮にたじろぎ、どうすればいいか戸惑っている様子で、特に俺の行動に干渉する素振りは見せない。俺は構わず立ち上がり、足音を強く慣らした。これだけ音を出せば部屋の外にも声が届くはずだ。

「だってざらめさんは松任谷先輩のことが好きだから!そうでしょう?」

「そ!そそそれは・・・」

 名前の出し方にも色々ある。この切り口で先輩の名前の出す分には怒らせずに済むはずだ。

「俺はそのことがずっと悔しかった。先輩に嫉妬してました。だから今回のことも、愛情で先輩に負けてないってことを証明したくて・・・でも結果的にざらめさんを怒らせてしまった。本当にごめんなさい」

 俺はこれをもって松任谷理一関連の一件への謝罪を兼ねることにした。嫉妬という体裁を整え、痴情のもつれということで落としどころを作ろうとしたのだ。ざらめにだって愛情はある。己が従兄に向けた情熱と同じ動機で俺が動いていたのだと知れば、心は少なからず動くはずだ。

 俺は愛に賭けることにした。

「でも・・・それでももし、万が一にでも俺にまだ貴方に試される余地が残されているというなら・・・俺の覚悟を試してください。どんな懲罰でも受けます。だからその後で、俺にざらめさんの恋人になるチャンスをください」

 俺は深く頭を下げる。我ながら迫真の演技だったと思う。何らかの賞をいただいても良いのではないか。それに充分な時間も稼げた。長台詞はドラマの危機的状況につきものだが、きっと皆事態の好転を待って喋くっているに違いない。これで外にいる人間に俺の居場所は間違いなく伝わったはずだ。残念ながら、未だ室外から何かが迫り来る物音も気配もないが。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 誰も口を開かなかった。何秒経っただろうか。そろそろ頃合いだと思った俺は、締まった真剣な顔つきを作り直し、再び顔を上げ、ざらめを見つめた。視線を待っていたように、ざらめが口を開く。

「死んでちょうだい」

「え?」

 ざらめは笑っていた。実に愉快そうな笑顔だった。その様子に今度は俺が目を丸くする番だった。

「だって私を愛しているのだろう?そう言ったよな、たった今」

 俺は絶句していた。まさかここまでとは思っていなかったのだ。クラスメイトに不意打ちで愛の告白をされて、ここまで動じない人間がこの世にいるなんて想像出来なかった。ざらめの部下達でさえどうしたものかと事を見守っていたというのに、肝心の標的は一寸の迷いもなく、俺を殺すことをにこやかに宣誓した。俺は自分の浅はかさを呪った。要するに俺は黒丈門の血を舐めていたのだ。この年で極道一家の若頭として生きている人間の異常さを、あまりに低く見積もりすぎていた。

 この少女に慈悲などない。

「なら死んでちょうだいな。愛のために死ぬ。これ以上確かな愛はない」

 告白したことで、俺は自らの手で無数の選択肢を潰してしまった。愛の前では他の言葉など無力だ。ただの言い訳になってしまう。もう何も語りようがない。

 頬を汗が伝い、唇を濡らす。結局何度回想しようが得られたものなどなかった。誘拐された車中で一人で繰り返した回想と、何ら結論は変わらなかったのだ。視線が行き場を失って泳ぐ。何処を見れば正しいのか自分ではもう分からない。ざらめに命乞いをすれば良いのか、手元の短刀を真摯に見つめれば良いのか、俺には分からなくなってしまった。

 もう駄目だ。手詰まりだ。袋小路だ。


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