袋晄司、自己救済のための回想:土曜日
「ご苦労、晄司君」
彼は俺の友人である。今のご時世、男子の話などしても需要はないだろうから彼については割愛する。――いや、むしろ需要は高まっているのだろうか。まあ今は良いだろう。カップリングより俺の命の方を重視して頂きたい。
「日に日に忘れ物増えてないか、お前」
「そんなことねえって」
俺の言葉を一蹴し、彼は部活の準備に戻った。片手にはプラスチックの透明容器に入ったチョコレート味のプロテインが握られている。どいつもこいつも、どうしてそんなに甘いものに飢えているのだろう、と俺は眉を寄せ目を細くした。俺が間違っているのだろうか。
校舎裏の一角から空を見上げた。まだ陽も高い。上機嫌の春の太陽を見ていると、今も何処かで戦争をやっているなんて冗談みたいに思えてくる。もしかしたらこの一連の事態も、本当は俺に仕掛けられた壮大なドッキリなのかもしれない。そうであってくれと切に願う。
「早く部活行けよ。遅刻するぞ」
「もう少しだ。お前は今日は帰り?」
「バイト」
「ラーメン?またか」
「週末は稼ぎが良いんだよ」
ふと視線を下ろすと、校門の方にざらめの姿を捉えた。彼女と目が合い、俺は思わず全身を硬直させた。彼女が俺に向けていたその眼が、蛇の眼光が、あまりに恐ろしげに煌めいていたからだ。黒丈門ざらめはどういうわけか俺を睨み付けていた。何も言わず、身動ぎもせず、ただじっと俺の方を見ている。その両目からは、こんなにも距離があるのに意思の強さを実感出来る。ただ見ているわけではなく、彼女は何かを考えていた。値踏みするようにそこにあるものを観察していた。
この時点で既に俺の死は確定していたように思う。彼女の殺意の視線――そこに込められた明確な主張が根拠だ。彼女の目がいったい何故俺に向けられていたのか、この時の俺には全く分からなかったし、気にも留めなかった。そりゃそうだ。まさか翌日に殺されることになるなんて、まだ知る由もなかったんだから。
しかし幸い一週間を見返してきた今ならば、この件について少しはまともな考察をすることが出来る。当時は整理出来ていなかった数々の情報を、今は一列に並べ参照することが出来るのだ。今まで月曜日からの自分を見返してきたけれど、やはり結論は一つしかないように思う。原因はどう考えても彼女の従兄、松任谷理一先輩関係だ。
俺の最終結論はこうだ。まず月曜日の様子からも分かるように、黒丈門ざらめは松任谷先輩の不在に相当気が立っていた。彼の名前を口に出した俺を睨み付けるぐらいには荒れていた。そんな彼女に火曜日になって吉報が舞い込む。スマートフォンに松任谷帰還を知らせる一報が舞い込んだのだ。ざらめは歓喜し、俺は首を絞められ、殺意メーターを僅かに稼いだ。その日の内にざらめは従兄帰還の準備に取りかかった。歓迎会でもする予定だったのだろう。料理のオーダーとか、パーティグッズとか、そういったものを忙しく買い揃え始めたのだ。木曜日になって、ざらめは何か大事なものを受け取るため、自らそこに出向いていた。恐らく松任谷先輩へのプレゼントか何かだろう。高価で、替えの利かないものに違いない。だからそれを奪われた彼女は激怒し、何が何でも取り返そうと人目も憚らず大声を上げた。俺はその声を運悪く聞き取ってしまった。
やがて金曜日になる。プレゼントを取り返せなかったざらめは、新たにプレゼントを探さなければならなくなってしまった。急いで学校を飛び出した彼女は、街を周り、お眼鏡に適うものを探し――いや、あるいはひったくり犯を探したのか――丸一日を費やした。結果は明白だ。目当てのものを得られなかったのだ。土曜日の俺に向けられたあの目は、その事実を訴えた目だった。
そして彼女は俺を恨むことになる。何故だろうか。答えはやはりひったくりの一件以外考えられない。先輩の歓迎会を満足に開けないことが決まったその時、恐らくざらめはこう思ったはずだ。あの時どうして俺があんな人気のない路地にいたのだろうか、と。
『それにしても、どうしてざらめはあんな路地をうろついていたんでしょう』
俺だって抱いた疑問だ。相手だって同じことを思うのは当然だ。
そして彼女はこう結論づけた。
“あの男はひったくり犯の仲間に違いない。あの時ヤツは犯人を捕まえるフリをして、実際は逃走を幇助したのだ”
こうして翌日の日曜日、俺は彼女の前に引っ立てられた。ざらめにとって俺は従兄との再会を台無しにした許しがたい犯罪者ということになっているのだ。
つまり俺は、この誤解を解けば生き残る道があるわけだ。
いや、どうだろう。頑迷なあのちびっ子の頭を理詰めで納得させられるかは怪しいところだ。ここはむしろ誤解を利用して、ひったくり犯の情報を持っているという体で話をしてみたらどうだろう。「俺が共犯者の居所を知っている有益な存在」だと認識してもらえれば寿命は間違いなく延びるのではないだろうか。そもそもそのひったくり犯は殺されるに値する程のとんでもないものを盗んだのだ。ざらめとしては、ブツを取り返せるものなら取り返したいに違いない。
・・・松任谷先輩のことを誠実に謝る、というアプローチはどうだろう。小賢しい策を巡らせて、嘘を見破られた時のリスクを考えるぐらいなら、過失を素直に認め、クラスメイトとしての同情を乞うた方が得策なんじゃないか。
ああ、いや、駄目だ。俺は知っている。一年の頃、松任谷先輩への反応をからかったクラスの女子が翌日から二ヶ月間一言も喋らなくなった事例を知っている。黒丈門ざらめは松任谷理一という名前を聞いただけで過剰な反応を見せ、徹底的に追求する。月曜日の俺への視線を見ても、先輩の名前を出すのはリスクが高すぎるように思う。
「じゃあどうすればいい。俺はどうすればいい・・・・・・とりあえず日曜日に話を進めよう。そう、現在だ。いや、運命の時を少しでも先延ばしにするために、現在に至る前、つまり誘拐直前の情景も描写しておくことにしようか」