袋晄司、自己救済のための回想:金曜日
金曜日は放課後の校舎前から場面をスタートしよう。
「つまり晄司君は、せっかく手に入れた奇跡のベリーサンドを駄目にした挙句、強奪され、結局そのまま家に帰ったと」
「ええ」
「君は苦労したのに何も成せず、私は楽しみに待っていたものを得られなかった」
「その通りです」
「それはそれは・・・」と花岡先輩が一息吐き、再び口を開いた。
「最高じゃないか!だって後に残ったのは晄司君が私のために尽くしてくれたという甲斐甲斐しい事実だけなんだもの!」
そう言って先輩は俺の肩をがっしり掴み、称賛するように揺すった。
「愛情だけが確かなものとして残ったんだよ。素晴らしい真実だ。君みたいな後輩を持てて、私はなんて恵まれているんだろう」
彼女はにこやかな笑みを見せた。騙されてはいけない。寛大で慈悲深い先輩に見えるかもしれないが、そもそもはこの人が無茶苦茶な注文をしたことに端を発していることを忘れてはならない。
「それにしても、どうしてざらめはあんな路地をうろついていたんでしょう」と俺が言った。
「確かにそうね。件の場所は学校から少し離れている。放課後すぐの出来事なんだから、何か急ぎの用があってそこに向かったと考えるべきだろうけど・・・おっと。噂をすれば」
花岡先輩が言葉を切り、視線を俺の背後に向けた。振り返ると、校舎の方からざらめが駆けてくるのが見えた。狭い歩幅を埋めるべく細い足をいっぱいに動かし走るその様は小動物のようだ。すれ違いざまになってようやくざらめは俺の存在に気づいたようで、視線を前方から此方に向けて動かした。が、彼女の眼球は道路を映し、先輩を映し、いよいよ俺を捉えるという段になって、その手前で動きを止めてしまった。
(なんだ?視線を合わせたくない?無視されたのか?)
彼女のよく分からない動きに戸惑っている間も黒丈門ざらめは疾走を緩めず、そのまま校門の向こうへと消えていった。彼女の撒いた風だけが辺りに残った。
「・・・どうやら今日もあるみたいですね。急ぎの用ってやつが」
先輩が考えるように顎を撫で、持っていたマシュマロを一つ頬張り、そして何かを閃いた顔をした。
「ああ。そういえば。聞くところによると松任谷先輩が地元に帰ってくるみたいだね」
「いつですか?」
「今週末。実家で一泊と言っていたから、明日戻って明後日帰るんじゃないかな」
何処でそんな情報仕入れているんだろう、と俺は笑って肩を竦めた。この時、どうしてもっと先輩から情報を拾う努力をしなかったのかと今は強く悔恨している。当時の俺は本当に愚かだった。人はいつだって過去の自分に愚かしさを見るものだけど、この時の俺の愚かさは飛び抜けていた。少なくとも今週のランキング・オブ・愚か・トップ・テンには入ったと自負している。
「なんだか、一年の頃のざらめちゃんを見ているようだね」
花岡先輩が懐かしむように言った。たしかにざらめは、去年はこんな調子でよく走り回っていた。松任谷先輩を探して校舎中を駆け抜け、その影響で全校生徒に顔を知られる一年生になっていた。
実を言うとざらめは入学当初はかなり人気があった。元々容姿は美しい女の子なのだ。性格や家系に問題がなければ男子人気があるのは道理だ。特に入学当初の彼女は、我々には天真爛漫な女の子に見えていた。休み時間のチャイムと同時にパッと顔を明るくし、何か(従兄)を求めて笑顔を振りまきながら教室を全速力で飛び出していくのだ。それでいて普段はシャイで、気恥ずかしそうに押し黙る顔がまた愛らしかった。男子だけでなく女子も含め、当時は彼女のことを実に楽観的に解釈していたものである。一年を経た今となっては、その魔法はすっかり解けてしまったわけなのだけれども。
「じゃあ、先輩。俺はこれで」
「君も急ぎの用事かな」
俺は頷いた。今日はアルバイトがある日なのだ。ラーメン屋の出前注文を受け、オートバイで街を走り回るのである。
さて、金曜日の回想はこれで終わりだ。・・・よしてくれ、仕方ないだろう。ざらめと繋がりのある出来事は本当にこれだけだったんだから。俺とざらめはそこまで仲良くはない。名前すら覚えられていなかったんだから。そりゃ仲良くなったらもっと情緒的で感慨深いシーンを挟めるかもしれないけれども、今はこれが精一杯だよ。
まぁ、仲良くなったらなったで、俺はプライベートを尊重し始めるかもしれないけどね。俺にだってプライバシーの侵害を訴える権利はある。二人だけの秘密のような類いのものは明かせなくなるだろう。だから良かったんだよ。俺とざらめが仲良くなかったからこそ、結果的に何の隠し事もないまっさらな回想が実現出来ているんだから。そういうことだから、文句はナシにしてくれ。
もっと建設的な話をしよう。ざらめがどうして俺を殺すのか、という本題についてだ。実は俺はもう見当がついてきている。松任谷先輩が深く関わっているに違いないんだ。この考察については土曜日の話をしてから改めて話そう。大丈夫、土曜日の回想は今日よりもっと短く終わる。