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袋晄司、自己救済のための回想:木曜日

 さて、木曜日である。気づいているだろうか。木曜日ということは回想ももう折り返しだということだ。今まで俺が得てきた情報は、自らの命を救う情報として半分ぐらいの価値をちゃんと持っていたのだろうか。持っていたに違いない。ざらめの見た目と、俺の情けなさと、仲の良い先輩の話は、きっと重大な伏線に違いない。


 というわけで木曜日の放課後、夕刻のことである。俺は帰路についていた。帰路といっても学校からの帰路ではなく、「ベリー・サンドウィッチ」からの帰路だ。片手には店名の入った袋を提げての帰り道である。そう、驚くべき事に、この日俺は先輩からの頼まれ事を無事に達成していた。三種のベリーをふんだんに使い、そこにハニーレモンペーストと薄いカラメルの板が挟み込まれた数量限定ベリーサンドミックスを手に入れることが出来たのだ。まさに奇跡の購入だった。たった一つだけ売れ残っていたそれは、店員曰く「いつもなら一時間前には売り切れていると誰もが知っている」代物だった。一時間前って。先輩は俺のことをタイムトラベラーか何かと勘違いしているのだろうか。

 俺は任務を達成出来て上機嫌だったが、手元の袋は極力揺らさないように細心の注意で帰り道を進んでいた。なにせベリーサンドミックスはやたらと凝った品物だ。トランプタワーのように緻密に組み立てられていて、「叶わぬ夢」とか「儚い希望」と同じぐらい繊細で失いやすい形状をしている。

「いや本当に。副題としてつけて良いぐらいだと思う。『ベリーサンドミックス、叶わぬ夢仕立て』みたいにさ」

 とはいえ浮かれていたのは事実だ。俺は鼻歌混じりですらあった。

 ところで話は変わるけど、映画なんかの冒頭でよく幸福の絶頂にある人が不慮の事故に巻き込まれてしまう展開ってあるだろ。誰しもが一度は見たことがあると思うのだけど、アレはいったい何故ああなってしまうか分かるかな。偶然?作者の都合?そうじゃない。アレはつまり、浮かれているせいなんだよ。浮かれているという状態は、言ってしまえばある種の精神極限状態なんだ。幸福感で頭の中がいっぱいに満たされて、その他の情報が外に追いやられてしまい、視野が狭まり、注意力が散漫になる。いっぱいいっぱいで脳が麻痺し、トラブルを察知出来ない状態、それが「浮かれる」ということだ。彼らが事故に巻き込まれるのは、偶然ではなく、単に注意を怠ったからだ。

 さて、俺は浮かれていた。

「ひったくりぃー!」

 近道をと思い、裏路地を歩いていた俺は、道の先から女の子の声が高らかに響くのを耳にし、我に返った。顔を上げると俺の視力で見えるギリギリの距離から、こちらへ向かって走ってくる男と、それを追いかける数人を捉えることが出来た。

「誰かー!そいつを捕まえろー!」

 この路地は一本道で、道幅もせいぜい人がすれ違うぐらいの広さしかない。だから道の先からやってくるひったくり犯は間違いなく俺のもとまで到達するし、その後で俺の脇を風のように通り過ぎていくことだろう。そして俺は彼の後ろ姿を見送るのだ。戦地へ赴く友を見送るように、目を細め、背筋を伸ばしながら送ってやる。俺は正義感というものが人より乏しい人間だった。万引き以外の悪事なら、大抵のことは許せてしまえる自信がある。

「・・・待てよ。今の声」

 だから俺はこれから邂逅を果たすひったくり犯のことも見逃すつもりでいた。

「やっぱり・・・黒丈門(こくじょうもん)ざらめじゃないか・・・!」

 しかし犯人を追いかけている小さい少女の姿をよく確認したことで、そうも言っていられなくなった。被害者はなんと黒丈門ざらめだった。彼女はその短い手足を穴を掘る犬のように目一杯動かし、部下達を引き連れて(立ち位置的には引き連れられて)此方に向かってくる。部下の男はどいつも冗談が苦手そうな顔をしている。もしここで俺が犯人に道を譲るジョークでもかましたら、迷わず手足を引きちぎられ天日干しにされそうである。

(クソ、何でこんなところにいるんだよ・・・!)

 俺は意を決して足を開き、やって来る男にそなえて身構えた。ひったくり犯は恐ろしく足の速い男だった。俺が心の整理をしている間に距離をつめ、馬のような走り幅で迷いなく突進してくる。俺が混乱していたというのを抜きにしても速すぎる。ざらめの屈強な部下達も追いつける気配がなく、むしろどんどん距離が開いてしまっている。犯人は手に何か持っているが、それが何かまでは目で追う余裕がなかった。俺はそれが凶器じゃないことを祈った。

 必ず触れられる、と俺は確信していた。道幅が狭いため、俺を完全に躱していくことは出来ないはずだ。しかしこんな速度で走ってくる人間に突っ込まれたら、受け止める側の人間はどうなるのだろう。前にどこかで、屋上から飛び降りた人を助けようと受け止めた勇者が、逆に複雑骨折して死んでしまったという話を聞いたことがある。目の前に迫る男はそれ程の威力があるだろうか。流石にないとは思う。いや、あるのかもしれない。一介の高校生である俺では判断出来ない。けれども避けたら天日干しだ。結局俺は当たって砕けるしかないのだ。

「止まっていただきたい!」

 男は速度を緩めず、とうとう俺の前までやって来ると、身長が半分になるぐらいまでぐいっと屈み込み、そのまま右脇腹の隙間を抜けようとした。俺は当初思い描いていた予定通り、相手の襟首一点に集中して腕を向け、襟元に指を差し込んだ。この速度の相手は服を掴んだりするだけでは止められないどころか、場合によっては指の骨が折れる。だからこそ俺はそれで痛み分けとすることにしたのだ。指の骨が折れていれば、ひったくり犯を逃がしてしまったとしても紛れもない努力の証として極道女への言い訳がきく。指二本で命が救われるなら安いものである。

 俺は見事襟の後ろに指を挿し入れることに成功した。ところがここで男が意外な行動に出る。力強く振っていた右腕――俺の体に近い方の腕――を後ろに伸ばし、指を引っかけている俺の腕を後ろ手に掴んだのだ。男に腕を掴まれた俺は、そのまま体ごと引っ張られて宙に浮いた。そして一秒も経たない内に男に手を放され、襟からも指を外されて無様に地面に落下した。転倒の勢いでゴミ箱に突っ込む。頭を打ってクラクラしたのを覚えている。

「大丈夫か、貴様」

 顔に張り付いたビニール袋をどけると、目の前にざらめの顔があった。しゃがみ込んで俺を観察している。

「貴様・・・袋小路じゃないか!」

 覚えてもらえたようで俺は涙が出るほど嬉しい。ざらめはやはり考えが顔に出る少女だった。一昨日の件でも感じたが、驚いたり、不思議そうな顔をしたり、本当に表情だけよく動く。普段の仏頂面からは考えられない豊かな感情表現である。部下の男達はざらめに指示され、ひったくり犯が去った方へ駆けていった。

「まったく、捕まえようとしたは良いが、即行で反撃されいな(・・)されおって・・・」

 ざらめが肩を竦めた。反撃された、というよりは助けられたみたいだった――そう俺は感じていた。引っかけた指の骨が折れることを察し、わざわざ手を差し伸べたような、そんな動きだったように思える。

「まあしかし、その姿勢は評価しようと思うぞ。おかしな男だな。一昨日はあんなに無様に命乞いをしていたのに、別人のように勇ましかったじゃないか」

 無様云々はカットした描写なので、出来れば追求しないでもらいたい。俺はまだ覚束ない頭で「それはそれ、これはこれ」といったようなことを出来るだけ好感度を得られるように訴えた。

「ふむ・・・気に入ったぞ。私の部下に加えてやっても良い」

「部下?」

 あ、とざらめが口に手を当てた。

「そうだ、私は学校では普通の女の子なのだった・・・すまんが忘れてくれ」

「ざらめ様!」

 ざらめがやって来た方角から、一人の黒服が遅れて駆けてきた。長身の女性で、長い髪を後ろで一本に縛っている。携帯電話を片手に慌てた様子でやって来た彼女は、ざらめの無事を確かめると、途端に心配から説教に行動を切り替えた。ざらめは反駁しようと手を動かしていたが、すぐに諦めて項垂れ、顔を赤くした。黒丈門ざらめの部下というより、教育者のような存在のようである。たしかに物腰が落ち着いていて、冷静で理知的な人物に見える。頭も切れそうだ。

「ところで、電話は済んだのか?」

「ああ、いやまあその・・・って話を逸らそうとしても無駄ですよ、ざらめ様」

「うぐ」

 そう言えばこの人、現在時刻にはいないな。現在時刻というのはつまり、俺が銃を突きつけられた状態で短刀を腹に構えている時刻のことだけど。教育者なんて言ったら側近中の側近だろう。暴君ネロ帝にとってのセネカみたいなものである。そんな人物が不在というのは少し違和感がある。きっと何処か近くにいるはずだ。この人に訴えれば俺は助かることが出来るかも知れない。

「・・・いやどうだろう。意外に普段落ち着いている人の方が隠し持っている闇も大きかったりするものだからな」

「何をぶつぶつ言っている」とざらめが不審な目を向ける。

「・・・若、この方は」

 黒スーツの女性がようやく俺に関心を持ち、そこで俺は幾つかの言葉を交わした。といっても挨拶程度の会話であるが、一般人を巻き込んだと知ったその女性はなおのことざらめへの風当たりを強め、俺もざらめからの風当たりが強くなった。


「仕方ないからそれは私が引き取ろう」

 ざらめが地面に転がった袋に手を伸ばす。それを見て、ようやく俺は事態の深刻さを理解した。そうだ、あれは先輩に頼まれたベリーサンドじゃないか。繊細な細工が好評のサンドウィッチが、あんなところに転がっているじゃないか。

「・・・ジャイアニズムには言葉もないですが、いいですよ。もう意味がない。差し上げます」

「無論だ」

 普通の人なら「弁償する」とか、そういった言葉が出る場面だと思うんだけど、そんなこと言ったら何をされるか分からないし、そもそも言い返す元気もないほど俺は意気消沈していた。帰り道にとんでもないことに巻き込まれ、地面を転がった挙句、せっかく頑張って手に入れたベリーサンドがおぞましい糖分の塊になってしまったのだ。もう何もする気が起きない。


 これが木曜の顛末だ。ここで俺の私見を語ろう。正直、俺自身はこの泥棒が俺が死ぬ伏線だとはあまり思っていない。むしろ将来起こりうる何か壮大な物語の伏線ではないだろうか。何というか、キャラが立ちすぎてはいないだろうか。浅はかだろうか。

 浅はかだろうなと思う。今のところ俺には将来などないのに、希望的観測が過ぎる。

 じゃあひったくり犯は俺の死にどう影響を及ぼすのか。例えば泥棒がざらめから何かを盗み、そのせいで理一と会えなくなった可能性は充分にあり得る。しかしそこに俺が死ぬ要因が含まれているとはやはり思えない。だって俺はひったくり犯とは関係ないどころか、ざらめのために身を挺して行動した勇敢な若者なのだ。感謝されても恨まれる筋合いはない。

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