エピローグ
「やあ、晄司君」
「どうも、白丈宮さん」
俺は校内の渡り廊下で彼とすれ違い、挨拶をした。まだ昼休みなのだが、もう突っ込むのも諦めた。
「この前は色々とお疲れ様だったね。宴会はどうだった?楽しんだかい?」
「楽しんだというか、楽しまれたというか」
俺は言葉を濁し、白丈宮はそれを見て笑った。
「いやしかし、君が無事に助かって良かった」
「白丈宮さんにも随分と助けてもらったみたいで、有り難うございました」
「おや、てっきり僕は君に恨まれたと思っていたけど」
「確かに日曜の時点では気付かなかったんですけどね」
あの勝負の時、俺はてっきり、白丈宮は俺を嵌めるためにコインの工作をしたのかと思っていた。だってそうだろう。勝負なのだから自分が勝つように動いていると考えるのが当然だ。
しかし実際はそうではなかったのだ。あの勝負で白丈宮は、初めからざらめを勝たせるために動いていた。彼女を勝たせるために仕掛けを探り、俺に近づき、手を尽くした。そもそも違和感が出ないよう調整された程度の微弱な磁石の仕掛けで勝負を確定出来るわけがないのだ。ルーレットのボールというのは、落ち出したら一周回らずに数字に止まることも多い。ベットしたコインに到達しない可能性だって大いに有り得た。そうならなかった点だけ見ても白丈宮の助力は想像出来る。
「まぁ確かに、僕も裏であれこれ動いていたさ。今更長々と語る気はないけどね。想定外のこともたくさんあってヒヤヒヤしたよ。爺やの妨害もあったし」
恐らくあの老紳士のことだろう。
「家臣でも妨害するものなんですね」
「爺やは僕のためなら僕を裏切れる男だからね」
なるほど。信頼と忠誠の形も人それぞれだということだ。
「でも、腑に落ちないな」
俺は疑問を口にした。
「どうして黒丈門を勝たせるような真似を?」
「僕はざらめちゃんが大好きなんだ」
思わず口を開けてしまった。ざらめちゃん?
「だって彼女かわいいだろ?小さくてワガママで、僕の理想の妹だよ!立場もあるから敵対しているけど、心はいつだってざらめちゃんとともにあるのだよ」
そう言って白スーツは何かを抱きしめ頬ずりするようなジェスチャーをした。どうやら真のざらめちゃん大好き人間は別にいたらしいぞ、良かったなざらめ。
「いつでも負けてあげるわけにはいかないんだけど、今回みたいに出来る範囲で勝負を譲ってるのさ」
「よくわかりました」と俺が頷く。
「ちなみに、あの時お互いが賭けていたものって結局何だったんですか」
「晄司君、世の中には知らない方が良いことというのもある」
俺はそれ以上言及しないことにした。命は大事だ。簡単に賭けるべきではない。
「ふふ、君はつくづく賢い。羨ましいよ、ざらめちゃんの周りには魅力的な人間ばかり集まって」
「もう勧誘は良いんですか」
君の主に殺されてしまうよ、と男が笑った。主という言葉を聞いて俺は現実を痛感し溜息する。
「前にね、側近の瑪瑙君のことも勧誘してみたことがあったけど、危うく殺されかけたよ。はは。『若の障害となる人間は存在すべきでない』って」
危なかった。もし「俺が原因で一派分解仮説」が正しかったら、確実に俺の存在は抹消されていた。
「ざらめ周りといったら、あの天下無敵の松任谷先輩もいますしね」
「あいつは嫌いだ。あいつとはざらめちゃんを兄として取り合う間柄だからね。敵だよ」
なるほど、と俺は得心を示す。そこで授業の予鈴が鳴って、ようやく白丈宮が俺を引き留めていることに気がついてくれた。一礼し歩き始めた白スーツが、去り際に言葉を残す。
「君はもうざらめちゃんの一部だ。せいぜい主に尽くすことだよ。彼女を悲しませるようなことがあったら、僕は僕なりの手法で怒りを表明する所存だからね」
それは怖い、と俺は肩を竦める。本当に怖い。
「ああ、それと、君に興味が出たのは本当だよ。また会おう、晄司君」
教室へ踏み込む。そういえば、ルーレットで使った鉄貨はそのまま放置されていたので白丈宮の手に再度戻っていったらしい。元あるべき場所に帰っていったのだ。それは正しいことだと思うが、俺はそのことで少々困った立場になっていた。何故ならあれは、ざらめからしてみれば盃の代わりとして俺に贈った『はじめてのプレゼント』だったからだ。意義深い品だし、あの日からヤクザの端くれとなった俺にとっても謂わば身分証代わりの品ということになる。もしざらめに再び見せろと言われたら、どうしたものか。今から頭が痛い。
『それはもうお前の片割れだ。お前が死ぬまでコインも生き、お前の所に戻ってくる』
今思うと、彼女が唐突に口走ったあのポエムみたいな台詞は、明らかに契約を意識した言葉だった。
自分の椅子を引き、席に座る。机の中から数学の教科書を取り出す際、プリントがこぼれ、拾うために足下を覗き、そこで数秒間固まった。
ざらめという主のコインは、もう俺の片割れだ。俺が死ぬまで契りも生き、俺の所に戻ってくる。彼女が死ぬまで俺も生き、彼女の所に戻っていく。忘れることなど決してない。まるで初恋のような図々しい呪いだ。
俺はため息を一つ吐き、足下に落ちていた黒コインを拾ってお守り袋にそっと入れた。
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