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袋晄司、自己救済のための回想:木曜日

「突然だけど、信頼ってどういうことだと思う?相手を信じること、それはその通りなんだけど、もうちょっと具体的に考えてみたことはあるかな。ちなみに俺は『裏切られること』だと思ってる。だってさ、ハナから信じてない奴から裏切られるなんてことはあり得ないわけだろ」

「さっきからぶつぶつと」

 四つん這いのざらめが言う。「誰と話しているのだ」

「気にしないでくれ。独り言だよ」と俺も四つん這いのまま返す。

「随分長い独り言だったな、ちょっと怖いぞ・・・そんなことより!」


 さて、水曜日はこき使われて終わったが、木曜日は更に仕事が増える。下校の付き添いだけでなく、探し物まで手伝うことになったのだから。


「コージ!ちゃんと探してるんだろうな!手抜きは許さんぞ!」

「そりゃもう、血眼だから安心してください」

 放課後のことである。生徒たちは部活や帰路や青い衝動の発散に向かい、すでに散り散りになった教室で、俺はざらめに物理的に引き止められた。制服の裾を親の仇のように握り潰しているざらめ曰く、何やら大切な物をどこかに落としてしまったらしい。この教室で落としたのは確かだが、物が小さいため一人で見つける自信がない――そのようなことを実に婉曲的に伝えられた俺は、止むなくこうして地べたに這いつくばり、彼女と共に床を凝視しているわけである。

 突然の話で俺も詳しくは理解できていない。一つ確かなのは、俺は子供なのでこの件で残業手当は出ないということだ。これが現代社会の未成年労働の実態である。

「ないない・・・どこだあ・・・」

 ざらめの様子は明らかにおかしかった。かつてないほど焦っているようだった。余程大事なものなんだな、と思いながら、普段は不遜な若頭の貴重な狼狽顔を鑑賞する。こうやって見ている分には、彼女は見た目通りの(まさしく見た目通りの)無垢な子供に見える。目前で起きる現象に一々熱中し、翻弄される、まっさらな心の女の子だ。白無垢という打掛があるけど、彼女の心のあり方は実はそれに近いんじゃないかな。当人は真っ黒なゴスロリ衣装ばかり着ているけれども。

「ちゃんとポッケに入れておいたはずなのだぞ・・・」

 正直、俺は今のイライラ続きのざらめにはあまり関わりたくなかった。裏で何が起きているのかしらないが、とにかく俺を巻き込むことだけはやめてもらいたい。

「ところで、何を失くしたんだっけ」

「さっき言っただろう!貴様にやったのと同じ、あの硬貨だ!」

「これか」

 俺は一枚のコインをざらめに見せた。

「そ、そう!それだ!」

 ざらめが机ひとつ分向こうからカエルのように飛びかかってきて、俺の指先のそれを掠め取った。大事そうに両手で掲げ持った後、頬ずりまで始める。親に甘える子猫のようである。こちらの視線に気づくとハッと息を呑み、照れ隠しの咳を一つする。

「褒めてやってもいい」

「褒めてくれるわけじゃないんだな」

 突然、ざらめはピクっと肩を揺らし、俺を見て眉を顰めた。車の下から人間を観察する子猫のようである。

「これ・・・貴様にあげた硬貨じゃないだろうな」

「違うよ」と俺が言ったが、彼女の懐疑の眉根は寄ったままだ。数秒おいて何か閃いた顔をした少女は、今度はポケットからピンボールぐらいのサイズの黒い塊を取り出し、それをコインにこすりつけ始めた。と、次の瞬間、興奮したように「おお」と声を漏らす。さっきから立て続けに、いったい何だというのだ。

「確かにこれは私の求めてたコインだ。褒めてやらんでもない」

 とりあえず満足してくれたようである。しかし、あの黒い塊は何なのだろう。泥団子にしては硬質だった。何か意味のあるものには違いないと思うのだが。

「それ何なんだよ」

「・・・我々の未来とだけ言っておこう」

「大きく出たな・・・手作り感すごいけど、自作か?」

「そうだ。徹夜で作らせたのだ」

 作らせたなら自作ではないだろう。

「コイン、失くしてないようで安心だ」とざらめが口を尖らせる。

「それはもうお前の片割れだ。お前が死ぬまでコインも生き、お前の所に戻ってくる」

 それは困った、と俺は天井を見上げた。突然詩的なことを言われるのも困る。


「さて、では帰るか」

「ああ。じゃあな」

「は?」とざらめが狐につままれた顔をした。

「え?」と俺も同じ顔をした。暫くの沈黙があり、俺のほうが先に状況を理解して項垂れる。なるほど、今日も俺がざらめの付き添い当番ということになっているのか。もしかしたらざらめたちは誤解しているのかもしれないが、俺は極道ではない。前途有望なただの高校生だ。そんな素人を巻き込んでお願いごとをするんだ、事前に申請するとか、そういう心遣いはないのだろうか。あるいは嫌われてるのか?

「・・・・・・」

 未だに状況を飲み込めず首を傾げているざらめを、俺は黙って見ていた。

「なあ、ざらめ」

「なんだ」

「最近、瑪瑙(めのう)さんは何やってるんだ」

 瑪瑙というのは黒丈門ざらめの右腕である女性のことだ。普段は温厚で接しやすいけど、出会ってから数ヶ月経つ今までに三回ほど怒った彼女を見る機会があったので、俺は絶対に粗相のないよう振舞っている。じゃじゃ馬の教育係を任されるのも納得の人物というわけだ。


 いつもならシチュエーションを問わずざらめの側に控えている彼女だが、ここ最近は不在になることが多くなった。思えば先週も先々週もほとんど姿を見なかった。記憶を遡るほど俺の中で一つの予感が膨張していく。


 月曜出迎えに来てただろ、と言うざらめに、それ以降は会っていない、と返事をする。

「ええっと」とざらめが腕を組んだ。「火曜は出張で、水曜はパ・・・父のところ、で今日は大学だな」

「大学?瑪瑙さんって大学生だったのか?」

「いや違う。義兄弟に会いに行っているだけだ」

 義兄弟。なんてヤクザな響きだろう。

「・・・なあ、ざらめ」

「だからなんだ!」

「お前、瑪瑙さんが自分を裏切っていると思ったことあるか」

「ない」

 即答だった。俺はその返答の速さに少し気圧された。

「一度も?」

「ない。信頼しているからな」とざらめが自信に満ちた目を向ける。

「信頼しているって言ったって、向こうの考えは別かもしれないだろ。自分がいくら信頼してても、裏切られることはあるわけで」

「お前は何を言ってるんだ」

 ざらめが不思議そうに眉を曲げた。心の底から不思議がっているようだった。

「信頼するということは、裏切られるとは微塵も思わないことを言うのだろうが。裏切りを想像している時点で、相手のことを信頼しているとは言えない。だって疑ってるじゃないか」

 俺はそのざらめの言葉に、正直なところ恐怖した。少なくとも彼女の言う信頼は、俺にとっての信頼とは別の概念だった。信仰に近いが、しかし違う。物事に絶対なんてないのに、絶対を前提に置くなんて、そんなことが出来るのはせいぜい自分に対してだけ(・・・・・・・・)だ。つまり、彼女は相手を信頼しているのではない。ざらめは自分を絶対的に信じているのだ。自分の判断や結論に誤りなどあるはずがないと確信しているのである。それは信頼ではない。信条だ。

 畢竟、無垢とはそういうものなのかもしれない。一般のイメージのような、誰も疑わず、誰もを信じるのが無垢の正体ではなく、誰も信じず、自分のアイデアだけを確信している状態が無垢というものなのかもしれない。俺は目の前で幼子のように無邪気に感情表現する彼女の、その純粋さに無視できない恐れを抱いていた。白無垢なんてとんでもない。そこにあるのは底の見えない黒の無垢だった。

「どうした」

 いや、と俺は肩を竦めた。随分長いこと固まっていたのかもしれない。

「私は貴様のこともこれから信頼してやるつもりでいるぞ」

 ざらめがそう言って笑った。感謝しろ、と視線が雄弁だったので、俺は片言でアリガトウと言い、彼女に続いて廊下へ出た。残業は続く。

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