袋晄司、自己救済のための回想:月曜日
早速だが、イケメンの登場である。
「君の話はよく聞いているよ」
「それは驚きですね」
「噂になっているからね。黒丈門の中だけでなく、僕ら白丈宮の間でも」
学校の廊下で突如話しかけてきた見ず知らずのイケメンの話をするより先に、白丈宮について触れることにしよう。その方が都合が良い。
白丈宮というのは黒丈門と並び昔からこの地域一帯を治めていた大富豪であり、今でも名家としてあり続けている日本屈指の一族の名だ。我らが通う通称タケミヤコーコーも、正式名称は「白丈宮学園高等学校」といい、彼らの名が冠されている。明治期には成見やら坂東やら、幾つかの金持ちが群雄割拠していたらしかったが、それも昭和初期には白丈宮に抑えられてしまったらしく、今では完全に身分に違いが出来ている。そう、身分が違うのだ。白スーツで高校に現れる人間が平民であるはずがないのである。
「で、つまりこの人はその白丈宮の人なわけだよ」
「その、というのはよく分からないが、僕が白丈宮であることは否定しないよ。その跡継ぎであることも否定しない」
男は髪を掻き上げた。背が高く、鼻筋が通っていて、眉が鋭い。思春期の若者のコンプレックスを逆撫でする、実に腹立たしい顔である。ダーツの的にプリントしたら一儲け出来るかもしれない。
「自己紹介が遅れたね。僕は白丈宮優雅だ。よろしく、晄司君」
下の名前を聞いて俺はむしろ安心した。これで「太郎」や「かつお」だったら、苗字の神々しさにいたたまれなくなったに違いない。
「歳は君の一つ上だけど、優雅と呼んでくれて構わないよ。僕はそう呼ばれるのが好きだ」
「白丈宮さん。はじめまして、ですよね。校内で会ったことはないと思いますが」
「ああ、僕はこの高校の生徒ではないからね」
では何故ここにいるんだ。平日の昼間だぞ。
「まぁ、僕のことはいいんだ」と白スーツが言った。「君の話をしよう。正確には君とざらめ君の話かな」
白丈宮は靴の履き心地を確かめるように踵をトントンとやった。言及していなかったが、彼は革靴を履いて廊下に立っている。見たところ汚れ一つないし、足跡も見当たらないので、俺はその米国的振る舞いに「倫理的合格」の判を押して理解を示すことにした。言い換えると、面倒くさくなりそうなのでつっこまないことにした。
「君は随分ざらめ君と仲が良いようだね」
「仲良しの定義によりますね」
「プレゼントを与える関係は、僕の定義では仲良しに当て嵌まる」
「ああ、これですか」
俺は白丈宮の言葉の意味するところを察し、ポケットからそれを取り出した。先刻ざらめから押し付けられたお守り袋だ。どうやら現場をこの男に見られていたらしい。
改めて手に握ると中に何か入っていることに気づき、取り出す。入っていたのは何処かの国の硬貨だった。
「ふむ。それは第一次大戦後のドイツ硬貨だね。たしか物資不足のために発行されたもので、八年間しか使われなかった貴重な鉄貨だよ」
白丈宮が手の中でコインを弄び、掌に閉じ込めた。数秒おいて手を開くと、中のコインが二枚になっている。
「実は僕も持ってるんだ、このコイン」
手品が決まり得意気にウィンクする男に、俺は沈黙で応えることにした。彼が同じコインを何故タイミングよく持っているのか、尋ねる気はない。黒丈門と白丈宮には極力関わらない方が正しいに決まってるからだ。
「やっぱりさ、贈り物を賜るということは君が信頼されている証だろう」
「俺みたいな奴を連れなくちゃならない程に人手不足なんだ、ということをアイロニカルに表してるだけかも」
どうだろうね、と白丈宮は笑って肩を竦めた。そして「今度直接訊いてみると良い」と肩越しに彼女を見る。
彼女、とは無論ざらめのことだ。今俺たちは教室の外の廊下で話しているから、廊下から教室の中が見えるし、その逆も然りだった。恐る恐る白丈宮の肩の向こうに視線を向けると、案の定ざらめが凄い顔でこちらを睨んでいた。
黒丈門と白丈宮は仲が悪い。元々は兄弟のように、血縁的にもビジネス面でも強い結びつきを持っていた両者だったが、兄であるところの白丈宮に弟であるところの黒丈門が何かのきっかけで反旗を翻した。極道というあり方を見ても、汚れ仕事を一方的に担わされていたことに弟の堪忍袋の緒が切れたといったところではないかな。とにかく喧嘩が始まって、以降は表面上は関係を保ちつつも、長いこと冷戦状態だと聞いている。誰から聞いたかは秘密だ。
この学校が白丈宮の名を持ちながらも歴代学長を黒丈門に任せているのも、その辺りの事情が絡んでいるらしい。もしかしたら両者にとってこの校内は、因縁が複雑に絡み合ったただならぬ空間なのかもしれない。
「そんな白丈宮である貴方が、そんな空間で、どうしてざらめの所に?」
「そんな、というのはよく分からないが、やはり君は僕らと黒丈門の関係について少なからず知識があるみたいだね。なら分かるだろう?僕は彼女に親愛の情をもって挨拶にきたんだよ。ここ暫く顔を見てなかったから、どうしているかなと心配になってしまったんだ」
「なるほど」
要するに煽りに来たのだ。彼女に話しかけた後、俺を立ち止まらせたことにもそういう意図があったわけである。お陰で俺はこの後ざらめに八つ裂きにされる。良くて四つ裂き、いや、六つ・・・なんだか開花速報みたいになってきたな。
会話をしながら俺は考えていた。いま俺に必要なのはざらめの苛立ちを抑えてくれる人間に違いない。俺に向けられている暴力の矛先を吸収し、ざらめに教養を教え込める人間が必要なはずだ。しかし彼女を抑えられるのは彼女の身内でもごく限られた人間だけだったし、外部勢力となると黒丈門に対抗出来るのは白丈宮だけなのだ。
ならば俺はこの白丈宮に取り入っておくべきだったのだろうか。それが最善だったようにも思えるが、四つ裂きにされた現在から振り返ってももう後の祭りなのである。
「それと、あえて言葉を正すけれど、僕はざらめ君以外にも会いたい人間がいたからわざわざここに来たんだ」
大事なことがもう一つあった。
「誰なんでしょうね」
「君、面白いな」
それは、俺がそんな両家の跡取り二人に認知され、あまつさえ興味を持たれているということだ。白丈宮は頭上から俺を見下ろして目を細め、顎を掻いた。その仕草はまるで標的を見つけた猛禽類のようだった。
「さて、このコインは君に返そう」
大切にするといい、と言って白丈宮がコインを一枚弾いた。掴んだドイツ硬貨は、先程よりも重く感じられた。これがヤクザの若頭からの贈り物の重みか、と暫し感慨に耽る。
「じゃあ僕はこれで失礼するよ。学校もあるし」
「学校あったんですか」
「今から行っても遅刻になってしまうかもしれないな」
俺は窓の外を見た。遅刻も何も、もう放課後間近だ。太陽はすっかり下り坂に入っている。
「まぁ何か手を打つさ」という白丈宮の問題発言を俺は聞かなかったことにする。
「君は遅刻しないようにそろそろ教室に戻ると良い。僕から存分に学びたまえ」
こうして俺の一週間は、白スーツを見送りながら仰々しく始まった。




