ライフ・イズ・ストレートアップ
「今から貴様には命を賭けてもらう」
ギャンブルはよくないと人は言う。その通りだと思う。世界に必要なものは健康的なものか知的なものの二種類だけだと信じている俺としては、どちらにも属さない賭け事に価値を見出せない。偶然に目を凝らすぐらいならヨーグルトでも買って乳酸菌をとった方が絶対に良い。乳酸菌は健康的だし、ヨーグルトは美味しい。良いことしかない。
「こちらとしてもよく話し合ったのだ。その結果の答えだ。受け入れてくれ」
そもそもこの国ではギャンブルは禁止されているはずではなかったか。風営法が許しているのはパチンコと麻雀ぐらいで、それだって社会の好感度は高いとは言えないはずだ。そんな国でわざわざギャンブルをするなんて馬鹿げていると言わざるを得ない。ひりつくような緊張が欲しいなら株をやればいいのだ。あるいはガシャポンやカードダスだ。あれにはひりつく緊張がある。俺は小さい頃に、手の中の百円玉の残高を見て何度も泣いたことがある。
「貴様はこれで死ぬだろうが、しかし無駄死にするわけじゃないんだ。我らがざらめ組にとって利のある賭け金となるんだからな。喜んでくれて良いぞ」
先程から縷々と語る少女は名を黒丈門ざらめという。ガシャポンが似合う幼い容姿をしているが、これでも高校生であり、さらには極道の若頭であり、ついでにもう一つ追加すると、今まさに俺の命を賭け事に使おうとしている外道でもある。彼女がいったい何を言っているのかも、現状も、多くの人が理解出来ていないだろうが、安心してほしい。俺も理解出来ていない。俺が辛うじて分かるのは、この小劇場みたいな円形の屋内で、二階に座っている連中が俺の命を賭けてギャンブルをするということぐらいだ。
そう、ギャンブルである。分からないことには目を背けて、話をギャンブルに戻そう。
賭博で何より怖いのが依存性だ。一度手を出したら取り返しがつかなくなる恐怖がある。よくパチスロジャンキーが駄目人間と揶揄されるが、あれは「ギャンブル依存症」という歴とした病気なのだ。治療薬の存在しない大病である。ルールさえ構築出来れば子供でも容易に行えてしまう分、俺たち学生にとっても賭博はタチが悪い。UNOに飴玉を賭けた時点で、人生は先の見えないドローフォーで埋め尽くされることになる。そうなったらもう、缶詰から飴玉が消滅するまで勝負は終わらない。あとに残るのはハッカ味だけだ。
・・・考えている内に意志が強固になってきた。俺は絶対にギャンブルはやらない。我ながら立派な決意表明だ。きっとこの日を老衰で逝く時まで誇りに思うに違いない。
「当然だが、ギャンブルには二つ結果がある。命が助かる可能性もあるということだ。どうだ、貴様。ギャンブルは嫌いか?」
何度も言っている。嫌いだし、やるわけがない。
「まさか。ギャンブル大好きです」
ただし命が助かるというなら、話は別である。
俺は死ぬわけにはいかない。老衰で逝くと決意したばかりなのだから。先ほどから勝手に俺の命が賭けられる話が進められていたが、そろそろ文句を言う頃合いだろう。いや、ヤクザに対して普通に文句を言っても死期を早めるだけだろうから、ちゃんと正当性のある文句を言って状況を打開するのだ。
幸い、生殺与奪を握られた経験はこれが初めてではないんだ。前回は一週間を振り返ったことで、何とか突破口を探し当てることが出来た。だから今回も存分に過去を振り返ることにする。
そして見つけるのだ。”俺が彼女のギャンブルで殺されなくちゃならないその理由”と、”死から逃れる術”を。
そもそも人が殺される理由などそう多くはない。怨恨、快楽、損得、儀式殺人。せいぜいこんなものだろう。そういった典型を念頭に置いて、複雑に絡み合う裏の事情を早期に発見してみせる。そしてさっさとゴスロリ極道女を黙らせて、家に帰ってヨーグルトを食おうじゃないか。
「よし、では早速始めようか。この日のためにマホガニーのルーレットを用意した」
おっと、待て待て。ルーレット?ルーレットと言ったら、張り方によっては俄然生き残る目が出るゲームじゃないか。分が悪い勝負じゃないというなら、回想するまでもない。なるべく多く、出来れば全ての数字に張って――
「勝負は一回。無論ルールは一点賭けだ」
――時間が惜しい。こちらも回想を始めよう。




