雨の日の月
可能な限り毎日頑張りたいです
僕は立っていた。
電気が点いてない暗い部屋。月の光だけがその部屋を明るくしていた。
静かな部屋は、雨の音と、時計の音と、僕の心音をとても大きな音のように感じさせた。
今、僕の手に握られているのは、血のついた、なにかのトロフィー。
床に血を流して倒れているのは、僕の引き取られた家の息子。つまりは義兄。兄様。
確実に殺すように、何度も何度も頭を殴ったため、コレを見て兄様だとわかる人間はどれ程いるのだろうか?少なくとも、僕はわからない。第一、ことあるごとに僕に暴力を振るっていたコレの顔を、あまり覚えていない。
もう一度、ちらりと床のモノを見る。
「殺しって、特に何も思わないモノだなぁ」
ぽつりと呟く。
何も思わないのは、コレがかつて兄様だったからかもしれないけれど。
確かに僕は兄様を殺したけれど、別に恨みがあったわけじゃない。
教えてもらったこともいくつかある。
いや、学んだことかもしれない。
どこを殴られたら痛くないか、どうすれば人を怒らせないか、どうすれば人を調子よくさせることができるか……あ、いつ家を追い出されてもいいように、サバイバル術などを学ぶきっかけにもなったっけ。
「……早く片付けないとな、ん?」
何か音がした気がするけど、僕と兄様以外は帰ってないはずだ。
兄様の体を引き摺って風呂場に持っていく。
死体を隠す方法が思い付かない。
少し衝動的になりすぎたかな……。
誰にもバレないように、もうすぐ帰ってくるだろう妹様も殺そうかな。
そしたら霧谷様も殺さないといけない。
「……その前に、床を拭こう」
兄様の血は固まって、カサカサでザラザラだ。
これを綺麗にするのは、時間が足りない。
もう逃げてしまおうか。
友広なら笑って受け入れてくれる気がする。
友広は友達だ。唯一と言ってもいい。他の知り合いとは違う、本当で、本物の友達……。
いやいやいや、ダメだダメだダメだ。
殺人者なんて匿ったら、友広の立場が悪くなる。
僕のせいで迷惑はかけられない。
と、不意にドンッと、何かに押される。
胸から包丁が生えている。違う、刺さっている。
力が入らずに、床に倒れる。
「よくも……よくも……雨月のくせに、お兄様を……」
僕の虚ろな視界に入って来たのは妹様だった。
なんだ、もう帰ってきていたのか。
妹様はぶつぶつとなにか言っているけれど聞こえない。
僕の胸からはドクドクと血が流れている。
痛みは感じない。
慣れているから、とは違う、もう感覚がないんだろう。
死に近づいているのがわかる。近づいてくるのがわかる。怖くはない。
そんな死にかけの僕の耳に、妹様のある一言が、なぜか聞こえた。
「こうなったら、雨月の友達……友広さんを殺す……」
その言葉を聞いた僕の体は、動いた。
もう動けないと思っていたけれど、動けた。
背中に手をやり、包丁を抜く。
さらに血が抜けて、体が冷たくなった気がする。
それでも構わない。
包丁を、驚いている妹様の首に刺す、刺す刺す刺す……。
「……はぁ……はぁ……」
血塗れの、妹様の死体が目の前にある。
僕の体は、役目が終わったように、ふらふらと数歩下がって倒れる。
……僕は弱点を見せてはいけない人たちに、見せすぎてしまったようだ。
兄様も妹様も友広になにかしようとしていた。
「……ヒュー」
失敗したなぁ、と言おうと思ったけど、言えなかった。
窓の外は、雨が降っているのに、いい感じに雲が割れて月が見えている。
僕の生まれた日もこの景色が見れたから、顔も見たことのない母親が『雨月』と名付けたのだと、霧谷様から聞いたことがある。
虚ろな景色がさらに歪む。
涙だ。
いつ以来だろうか。随分久しぶりな気がする。
ああ、わかる。死ぬのがわかる。
やはり怖くはない。後悔もない。
ただ、最期に友広にお別れを言いたかったな、とは思った。
友広が、僕が死んだのを知ったら泣いてくれると嬉しいな、と思った。
そして僕はゆっくりと、瞳を閉じた。