ナイト
懐中電灯の明りを元に僕はゆっくりとトンネルに足を踏み入れる。途端にトンネルにこもった空気とトンネルに入り込む肌寒い秋風とが入り交じり、とても不快な空気となり全身を撫でる。入り込んできた風のびゅうという低い音も、自分の足音がコツコツと小さく響くのも気味が悪い。かと、思えば突然風は鳴りやみ完全な無音となる。自分の吐息すら聞こえるほどに。
いつ来てもこのトンネルは不気味だ。ある種の狂気。そんなものが存在している気がする。今までの殺人もこの狂気に駆られて行われたんじゃないかと思うくらいに。
そんな狂気に包まれて無音の中を僕は歩き出す。
コツコツコツコツ
伴う足音。僕が歩く限り消えない。
でも、僕が止まった瞬間にあたりは静寂に包まれ、世界は無となる。
やはり自分が1人きりということを再認識し、また歩きだす。
コツコツコツコツ
……ト君……ナ……
僕は耳を疑った。今聞こえた。確かに聞こえた。女の人の声。
もしかして……みさき姉ちゃん?
僕は音の感覚を忘れないようにトンネルの奥に急いだ。トンネルと言っても個人宅へ繋がるものなど知れている。このトンネルはもう出口に近い。
この先にみさき姉ちゃんが?
感情の高ぶりを感じる。例えみさき姉ちゃんの幽霊だとしても構わない。
会って聞いてほしい。
みさき姉ちゃんがいなくなってからのことを。
僕の行いを。
……そしてその行いの
「おい、ガキ。ここがその娘の殺された場所か?」
気付いたらそこにはヒビヤとユウトが立っていた。ユウトが指差す場所には小さなお地蔵様が1人。その周辺にはみさき姉ちゃんのために供えられたたくさんのお菓子、飲み物。
「……そうですけど何か?」
「どうしたのヤヒト君?」
ヒビヤが顔色を窺うようにこちらを見てくる。
さすがに不機嫌なのがばれただろうか。でも構わない。
一瞬……本当に一瞬だったけどみさき姉ちゃんに会える気がした。ここに来れば会える気がしてた。
でも当然のごとくここにいたのはこいつら。
僕はもう苛立ちを隠す気にもなれなかった。
「さっき女性の声が聞こえましたか?」
僕は単調な口調で問う。
「聞こえなかったけど?」
なんてこった。ついに僕は幻聴まで聞こえるようになってしまったのか。
「ならいいです」
「さっきからなんなんだよ!! あぁ!?」
俯いて答えた瞬間に、ユウトに襟を掴まれ体が宙に浮いていた。
やめろよ、苦しい。本当にキレやすい奴なんだな。もう……めんどくさい……
「まあまあユウト。ヤヒト君も疲れてるんだよ。
ほら、手を離して。彼がいないと帰りがめんどくさいでしょ?」
ヒビヤがユウトの肩に手を当てなだめる。舌打ちをしつつもそれに従いユウトは僕の袖を離す。
「うっ」
一切の地上との接点を失った僕の体は当然ごとく重力に従う。僕は勢いよく尻餅をついた。
「ほら、ユウト。これでも飲みなって」
ヒビヤが飲み物を差し出す。紛れもなく今、目の前のお供え物の中からとった。ユウトも少しも気にとめず飲み物を飲み干す。
「それみさき姉ちゃんのですよ」
僕はもう隠さず嫌悪感を前面に出し、ヒビヤに言う。
「…なにそれ。死人が飲み物飲むの?
君頭イカレてる?」
ヒビヤは僕の方に顔を向けずに冷たく返しながら座る。高校生に説教をくらって相当イラついているんだろう。顔を見なくてもわかる。
「結局何も出なかったじゃねーかよ。つまんねえなぁ!!」
ユウトはそう言いながら供えられていた人形を蹴り飛ばした。
……決めた。もういいや。
「……すな」
「あっ!! なんか言ったか!?」
ユウトが僕との距離を大きく詰めてくる。もう殴られても構わない。
「お前が飲んだ物も蹴った人形もみさき姉ちゃんのものだ。 お前らのような低俗な奴らが興味本位で殺害現場なんかに来るな!! みさき姉ちゃんの死を汚すな!!」
堪忍袋の緒が切れた音が聞こえた気がする。
「いい加減にしろよオラァッ!!」
ユウトの強烈なブロウが腹に入る。
僕はその場に膝をついた。……痛みなんて感じない。
「もう我慢ならねえ。痛い目にあわせてやるよ」
ユウトはサバイバルナイフを懐から取り出し僕の頬にあてた。
頬に冷たい感触が伝わってくる。
「やるならしっかりやってよ。
顔と手足はダメだよ、バレるから。
チクられないようにマッパの写真もね」
いつの間にかヒビヤは笑顔でこっちを眺めて座っている。
「わかってるっての!!
さーて、一発目行きましょうかね……」
ユウトはにやにやと気持ち悪い笑顔を浮かべながらゆっくりとこちらに近づいてくる。
僕はゆっくりと後ずさりお地蔵様の隣までたどり着く。
そしてお地蔵様の後ろにこっそりと手を伸ばし、……掴む。
完全に間合いを詰めたユウトはサバイバルナイフを持った手を大きく振り上げる。
「せーのっ!!」
サクッ
「えっ!?」
いい音がした。
斬られたのはユウトの方だが。
ざっくりと切れたユウトの首から大量の血が噴き出す。カラン、とサバイバルナイフが音を立てて地面に落ち、それに続くようにユウトも力なく地面に倒れこんだ。その後一切動かなくなり、ただ血を流し続けた。
一面が血に染まる。
僕はゆっくりとユウトに近づき、その切り口を手でなぞる。
「うん、しっかりと切れたかな…
まあ念のために」
僕は鉈をユウトの首に向かってもう一度振り下ろす。
「な、何なんだよ!?」
声のした方を向くとヒビヤが完全に怯えた顔をしていた。何が起きたのか全くわかってないらしい。
「これ? ただの鉈だよ。もう4年使ってるけど、まだまだ切れ味はいいから大丈夫。
……まだ、理解してない感じ? まあいいよ、次はお前だから」
僕がゆっくりと近づくと当然のようにヒビヤは後ずさる。腰でも抜けたのだろうか、立ち上がれずに必死に手足を使って。
さっきの僕とユウトの関係が逆転したようで……なんだかおもしろいな。
でも彼が後ずさって行きついた先にはトンネルの壁があった。
「ひぃっ」
ヒビヤは方向転換をして、今度は動物みたいに四つん這いになって出口に向かう。でも、残念。どう考えても後ずさりや四つん這いより、歩く方が早い。
「追い詰めた」
僕がヒビヤの目の前で彼の目線に合わせて中腰になると彼はまた後ずさりを始めた。
本当に滑稽だな……
「もう終わりにしようよ。ね?」
僕は左手で大きく鉈を振り上げた。ヒビヤは怯えた顔をしながらも懐に手を入れていた。僕は彼にまだ対抗する手段があることを察した。
「お前がなぁ!!」
予想通り。ヒビヤは懐からナイフを取り出し僕の胸に向かって突き刺す。
でもそんなことわかってたことで僕はそれより前に右手を心臓とナイフの間に入れていた。
……そして響く金属音、確かにヒビヤのナイフは僕の右手に刺さっていた。
「えっ……?」
ヒビヤの顔は僕をナイフで刺して勝ったという勝ち誇った顔から、そのナイフを右手で防がれたという焦りの顔、そしてナイフは右手とぶつかったにもかかわらず金属音がなったことに対する驚愕の顔に瞬時に変わった。
でもその驚愕の顔から他の顔に変わることはなかった。当然だ。人間の右手にナイフが刺さって金属音がなるのだから。ヒビヤはナイフから手を離し、放心状態だ。
……しかたない、教えてあげるよ。
僕はナイフを抜き、右袖を捲し上げ、ナイフが刺さった部分を見せる。
「僕はね。ある事件で右手を失ったんだよ。だからこれは義手。残念だったね。」
傷口から見える金属からようやくナイフが刺さらなかった理由を理解したヒビヤはまた後ずさる。
さあ、気付くかな……
「うわぁぁぁぁぁ」
ダメだな……しかもまた逃げて。
お得意の手を体の後ろで地面につけての後ずさりも限界だったようで、手を滑らせ背中から地面に倒れた。僕はゆっくりとヒビヤに近づき仰向けの彼の腰の上に跨る。
「もう飽きたよ。なんでそんなに逃げるの?
みさき姉ちゃんは逃げなかったよ。どれだけ襲われようとあの男を守ってた。あんな男を!!
守らなければ逃げれたのに、あんなことにはならなかったのに!!
なんでみさき姉ちゃんが死んだんだよ!! 僕が、僕がしっかりしていたらみさき姉ちゃんは死ななかったのに!!」
ヒビヤは何のことかわかっていないみたいだ。でも関係ない。
もう終わりだから。
「な、何言ってるんだよ!? お前とあの女子高生になんの関係があるんだよ!?
……右手の義手……ヤヒト……っ!?
お前っ、もしかしてナイ」
「僕はナイトなんかじゃない!!
僕は変わったんだ。あんな弱虫じゃない。あんな失敗してない。みさき姉ちゃんが死んだのは僕のせいじゃない!!
殺したのはあの男だ!! 僕はそんなやつらを殺すだけだ!!
僕はヤヒト、夜の人と書いてヤヒトだ!!」
僕は大きく振り上げた鉈を振り下ろした。