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002.海の料理と緑の菜園

魔法って便利。

 ――薫る潮風と照り付ける太陽の日差し。大きく張った帆に風を受け、大海原を今日も往く。


「ふんふ~ん♪ んっん~ん~♪」


 大きな帆船の船尾楼。その区画を丸ごと占拠して上機嫌に鼻歌を口ずさんでいるのは、本船の『生命線(プランター)』こと樹精霊(ドライアド)のリリィその人である。

 彼女は片手に如雨露を持ち、目の前に広がる一面の緑に恵みの滴を分け与えて行く。――そう、緑だ。あろう事かこの帆船、船尾楼の上部一帯が菜園と化している(・・・・・・・・)のだ。


「ん、良い感じっ」


 無論、大海原のど真ん中で菜園を維持するなど、普通に考えれば正気の沙汰では無い。しかしもはや彼女らの船旅は『普通』の尺度を大きく塗り替えてしまっているのだ。そして、その手法が新たな『普通』となるのもそう遠くないだろう。


「――リリィ」


 そんな上機嫌な樹精霊(ドライアド)サマに呼びかける、若い淡々とした声。リリィは傾けていた如雨露を水平に戻し、


「ん、なぁに、エディー君?」


 ふわりとクセの無い緑のロングヘアーをひるがえして振り返る。上機嫌なまま向日葵の笑顔をリリィが向けた相手は、まだ歳若い――20代前半だろう、銀髪碧眼の青年。


「――これは……?」


 水の入った手桶を抱え、首を緩く傾いで口数少なく言葉を零す。――エディーと呼ばれたその銀髪の青年は、先の会議でリリィと共に島の位置を割り出していた航海士と一致する。


「あ。ごめんごめん――その桶は海水だから、そっちの『オカヒジキ』や『アッケシソウ』にお願いー」


 エディーが両手に抱えた手桶を見て、リリィは彼が言いたい事を察して指示を出す。その指示に頷いたエディーは言われたとおり菜園の外周区画、塩生植物が植えてあるトコロへと手桶を持って行く。


「いやぁ、相変わらず俺らの仕事って何だと首を傾ぎたくなる光景だわなー」


 リリィとエディー。菜園(せんびろう)を手入れする二人の男女を見やって、当直の操舵手が暢気な声を零す。そう、帆船での船尾楼といえば当然ながら……操舵輪が据え付けられている場所でもある。


「操舵手の仕事も航海士の仕事も、船を無事に航行させる事でしょ? ――だったら、なにも、おかしく、ない!」


 どやぁ、と控えめな胸を張ってリリィが断言する。ちなみに現在当直に当っている操舵手は、航海会議の議長をしていたリンドとは別の人間だ。

 現在時刻はだいたい午前10時。俗に言う『4時~8時勤務(ヨンパーワッチ)』、もしくは『ベテランワッチ』と呼ばれる時間帯の勤務であるリンドは、今は食事も終えて自由時間を謳歌している頃だろう。


「菜園弄りが航海士の仕事の一つたぁ、俺ぁ今でも信じらんねぇぜ」


 『8時~0時勤務(パーゼロワッチ)』である若いドレッドヘアーの操舵手が視線を流した先では、柄杓で手桶から水遣りをするエディーの姿が有る。彼は嫌そうな顔ひとつせず、丁寧に、そして丹念に塩生植物の世話をしていく。

 エディーも勤務区分的には『ベテランワッチ』の時間帯だ。ただし、航海士の勤務時間は操舵手と2時間意図的にズラされており、彼の勤務時間は『6時~10時』のシフトとなっている。


「だってー、どう考えても菜園置くとしたら此処しかないじゃん。そして操舵輪も位置は動かせないしー」


 操舵輪の周辺はもちろん操舵手の職務エリアだ。加えて航海士や、気が向いたら船長も近くで航行のサポートを行う。その周囲に菜園を配置するとなると、やはり相互に干渉が生じても仕方が無い。


「こちらも助けてもらっている――だから感謝こそすれ、文句は無い」


 塩生植物への遣り水が終ったのだろう。エディーが空になった手桶へ柄杓を突っ込み、片手に携えて腰を上げる。時間的にもそろそろ交代の航海士がやってくる頃だ。


「ん、ありがとー。それじゃ、手伝ってくれたエディー君にはご褒美をー!」


 リリィが白衣のポケットから剪定鋏を取り出し、手元の枝葉に成っていた真っ赤な果実を一つ収穫する。瑞々しい果実を手にして満足気に頷けば、その赤色へと目を伏せそっと口付けた。


「――ん、ちゅ――。……はいっ、エディー君にあげるー」


 そうやって樹精霊(ドライアド)の祝福を得た真っ赤な果実は、リリィの手からエディーへと放られる。放物線を描いて宙を舞った果実をエディーは危なげなく片手でキャッチし、視線をそれに落として目を数回瞬いた。


「……む……」


「そのまま食べて良いよー。ちゃんと甘く育ってるはずだから、ね?」


 しばしの逡巡――彼が何を躊躇ったかは定かでは無い。降り注ぐ太陽の日差しにほんの少し頬を赤く染めながら、それでも最終的にエディーは手にした果実(トマト)に齧りついた。


「おっ、良いなぁ。俺にもくれよ」


「グレッグさんは先週あげたでしょ! だーめっ」


 そのやり取り、そしてエディーの逡巡の意味を理解してニヤニヤとした笑みで見守るのはドレッドヘアー(グレッグ)だ。彼は視線をリリィへと流し、自分にもおこぼれを頂戴と催促する。

 そんなグレッグ相手にリリィは軽くチロリと舌先を出しておどけて見せ、さほど熱心でも無い要求を突っぱねた。


「――ん。ごちそうさま、リリィ」


 甘酸っぱいトマトを残さず食したエディー。手の甲で口元を拭いながら、彼は淡々とした口調ながらもしっかりとリリィへ感謝を返す。


「うん、どういたしましてっ。――それじゃあエディー君は引継ぎして休憩かな」


 一先ずの勤務ご苦労様でした、とリリィは長い緑髪をフワリとひるがえし、見様見真似のおどけた軽い敬礼をして見せる。


「はっ。――それでは失礼します」


 それに返すエディーは両踵を揃え、背筋を伸ばした正式な敬礼だ。また、リリィの視界外となる背後では操舵輪を片手で保持しつつ、グレッグが正式な敬礼でエディーに応じている。


「さて、――そろそろアネゴは昼飯の様子見かね」


 エディーの背中を見送り、姿が見えなくなってからグレッグがリリィに視線を戻す。操舵輪を操り、船の針路を微調整しながら向けられたその視線と言葉に振り返ったリリィは頷きを一つ返し、


「ん、そだね――まだ『あのコ』、この船に慣れてないしねー」


 燦々と煌めく太陽の光を浴びて、リリィは気持ち良さそうに軽く伸びをする。そうして足元に置いていたアイスプラント(あいぼう)の植木鉢を抱えあげれば、


「んじゃ、グレッグさん後はヨロシク。摘み食いしたり、させたりしたら容赦しないからねー?」


「サー、イエスサー。――最大の敵は海鳥、ってな」


 そこは『イエスマム』じゃないかなぁ、とグレッグに微笑を向けたリリィがくるりと踵を返す。この船ではお昼御飯は正午の決まり。ただし船員の数が数なので、調理担当はそろそろ取り掛かって然るべき時間なのだ。


「船長に今日のメニューが提出されてたみたいだぜ。先に確認しとくと良いんじゃねーか、アネゴ」


「ん。りょーかい、りょーかいー」


 グレッグのアドバイスをひるがえした学者白衣の背に受けて。リリィは船尾楼を後にする――。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ――狭い船内を駆ける足音が抜けて行く。揺れる足元を物ともせずに船倉内を往くその足音は、一直線にある場所を目指している。


「急がなきゃ――!」


 その急いた足運びが目指す先は厨房だ。狭い船内通路をガタイの良い船員と辛うじて擦れ違い、挨拶もそこそこに駆け抜ける。走る彼女――リリィは焦っていた。もし間に合わなければ、取り返しのつかない事が起きてしまう。


「――間に合って……っ!」


 手の中に『本日のメニュー』を記載したメモ紙を握り締め、リリィは走る。目指す厨房はすぐそこだ――。




「ん……よーし、主食はオッケィ」


 ――そして此処は熱気の篭る厨房の中。高熱源魔晶石(クッキングヒーター)を埋め込んだ台の上に大きな鍋釜を据え付け、調理師用の白服に身を包んだ少年は右手の甲で額に滲んだ汗を拭う。

 ――いまや魔法科学の進展により、火気厳禁であった船舶においても安全に熱量調理を行う事が可能となっており、船員の食事事情は大きく改善されている。


「次はメインディッシュ――いや、先に副菜を作るかなー」


 そう言って少年が手に取ったのはアスパラガス――の、様なモノ。別名『シーアスパラガス』とも呼ばれる『アッケシソウ』だ。

 船尾楼(船上菜園)にて試験的に飼育されていた『塩生植物(塩水で育つ草木)』のひとつであり、――なんとそれなりに美味しく食べられる。


「今日はボイルして――」


「――ちょぉぉぉぉっと待ったぁぁぁぁっ!」


 グツグツと煮立つ塩水の中へと緑のお野菜を投入しようとした少年。その行動を制止し厨房へと姿を見せたのは、タンクトップと短パンの上から学者風の白衣を羽織った緑髪――我らが樹精霊(ドライアド)のリリィさまである。


「ちょいなぁぁぁぁっ!」


「う――わぁっ!?」


 颯爽と白衣の裾をひるがえし、肌蹴たタンクトップから健康的な脇腹とお臍がチラリ。振り上げられた足はすらりと伸びた健康的な白い生足で――それがあやまたず、少年コックの脇腹にめり込んだ。


「ぎゃふん!?」


 ――精霊の体重は軽い。そもそもが根本的な存在としては『霊体』であるため、実体化したり重量を持ったりしているのは気分による面が大きい。

 少年コックの脇腹へと繰り出された飛び蹴りはバレーボールがぶつかった程度の衝撃を彼に与え、そのバランスを崩させる。

 一方のリリィはその反動で後方宙返りをさくっと一回、ストンと木床にブーツの靴底を立てて着地した。


「――アルフ、今何しようとしてたっ!?」


 少年コック(アルフ)の手を離れて宙を舞った『アッケシソウ』を片手で難なく束ねてキャッチし、リリィが眉を吊り上げて彼へと問う。


「いたたた……何って――アッケシソウの塩茹で」


 軽い衝撃であったにもかかわらず無様に転倒したアルフは、尻餅を付いた姿勢のままでリリィを見上げて不満気な声を上げる。


「……リリィちゃんお野菜は茹でるなって言ったよね、イッタヨネ、アルフクン?」


 アルフに言い聞かせる言葉と、浮かべた微笑。言葉の後半は怒りを抑えるかのようにカタコトになりつつある。


「ゆ、茹でるなって言ったって……料理のバリエーションが――」


「――やかましい、こーの新米コック! 味も大事だけど栄養第一!」


 なおも言い訳しようとするアルフの言葉をぴしゃりと遮り、リリィが眉を立てて両手を腰にあて、胸を張って唸る様に溜息を吐く。


「……青野菜に長時間熱を通すと、栄養がダメになって身体を壊すんだよ」


 納得しかねるアルフへと補足説明を告げ、肩の力を抜いてリリィが手を伸ばす。未だ尻餅を付いたままのアルフへと手を差し伸べ、眉をハの字にした微苦笑を零して手を取る事を促した。


「と、いうワケで。――サラダにしなさい、サラダに」


「サラダ、かぁ……でもアネさん、ここ最近ずっと生野菜ばかり食べさせてるよ」


 リリィの手を取り、相手の引き上げる手の力に頼ってアルフが立ち上がる。よろめく様にした足取りは、左脚が引き攣ったように動きが鈍い。

 ――アルフはこの帆船の料理人(コック)の一人である。ただ、出航時からの正規の船員と言う訳ではなく、船旅の途中で加わったイレギュラーな『お子様船員』という事情があって厨房に回されている。


「うーん……ぐつぐつ煮込むのがマズいだけで、サッと湯通ししたりとか、煮汁も一緒に食べる料理ならまだ多少は大丈夫なんだけど」


 アルフの呈した苦言もある種正論である。それが解るからこそ、リリィも難しい顔をして妥協案のいくつかを提示し、目を伏せて思案するように首を傾ぐ。


「ふぅん、だったら味噌汁(ミソスープ)とか大丈夫なんじゃないかな」


「ミソ……ああ、うん。そういえばなんかそんな食品をアルフ君と一緒に引き取ってたね、この船」


 リリィもあまり詳しくない食材だ――豆や麦を塩漬けにし、腐敗させたとしか思えない発酵食品。元が既に腐っているよーなモノのため、保存食としてはなかなか優秀だ。また、塩分濃度が高いので菌類や細菌類の繁殖もほぼ無い。


「あれ、ニオイがキツイのがちょっと……皆にも不評だよね」


 今も味噌樽は船倉の最奥に消臭ハーブの束と一緒に厳重に封をしているはずだ。リリィは鼻をつまむジェスチャーをして見せ、――あれって本当に食べれるの? と疑問の視線をアルフへ投げかける。


「美味しいのになぁ。キュウリにちょっと乗せて齧ったりとか」


「まあ、お腹壊すよーな食品じゃないのは一応チェック済みだけどね。……変なモン作るとみんなから恨まれるよー?」


 リリィが手にしていたアッケシソウをとりあえず野菜籠の中へと戻す。アルフは腕組みをして溜息を吐き、味噌の美味しさ、有用性に理解が得られない事に落胆を見せる。


 ちなみに――この船では食事の『お残し』は許されていない。好き嫌いがあろうと、食欲がなかろうと、必ず出された料理は完食しなければならない。

 ただでさえ航海中は食料補給がままならないモノだ。それを樹精霊(ドライアド)が有り難くも手塩に掛けて育てたお野菜を食べないなど、もはや言語道断である。


「んー、じゃあ今日はさっと塩水にくぐらせる形の半ボイルで。ミソスープは今度試供品を船長達に食べてもらってから」


 それでどうだろう、とリリィへ視線を向けてアルフが許可を求める。リリィもその視線を見返し、数秒の沈黙を挟んで頷きを返した。


「ん、おっけ。――サッとくぐらせるだけならね」


 それならば栄養の消失も許容範囲だろう。リリィの許しを得た事でアルフは左脚を引きずる様にして再び鍋の前に立つ。


「んじゃ、お腹をすかせた働き盛りのアンちゃん達のために――」


 煮立ちっぱなしだった塩水の鍋、その火加減を調節しながらアルフが気を取り直して笑みを零す。


「――今日も美味しい美味しいご飯を作りましょー、ってね♪」


 そうしてリリィも笑顔で料理の監督に入り、若いコックの手によって本日の昼食が着々と出来上がって行く。確かな味と、計算された栄養と、少なくは無い量。その出来栄えに不満を零す様な船員は、もはや誰一人としていないのである。

お疲れ様でした。

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