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お盆慕情 会いたくても会えない人

作者: 帰宅

 蝉の声が響き渡り、風鈴の音が涼を添えている。

 氷入りのそうめんをすすり、砂糖入りの麦茶で喉を潤す。

 典型的な夏の光景だ。

 しかし小さい頃の私の夏は、そういったものでなく。

 お盆が近づくと現れる「南米のおじさん」こそが、よっぽど夏そのものだった。

「オーラ! セニョリータはいい子にしてたか~」

 必ずそう言いながら登場する「南米のおじさん」に、私は歓声を上げながらまとわりついていた。

「おじさん、おじさん、あそんで。いっぱいいっぱいおはなしして!」

「ははは、そうかそうか。じゃあおじさんがいっぱい遊んで、いっぱいいっぱい、い~っぱい、話してやるぞ~」

 すると次の瞬間には、そお~れ、という掛け声と共に視界が高くなっている。

 脇の下から持ち上げられて、抱っこをされるのだ。

「おお、セニョリータは重くなったなー。こりゃ、来年はもう無理かな~」

「えー!?」

 あの頃の不満といったら、年々高さが落ちることくらい。

 私は、満ち足りた子供時代を過ごすことができていた。


 「南米のおじさん」は「南米」に住んでいる「おじさん」で、正確には父親の「叔父さん」、つまり祖父の弟だった。

 当時もすでにかなりの年齢に差し掛かっていたため、私の体重は負担になっていたと思う。

 けれど日焼けした肌、たくましい体つき、闊達な笑顔が、私の目から年齢を隠す。

「こら。もうその辺にしておきなさい!」

 「南米のおじさん」に出すスイカを切って来た母親に叱られ、口を尖らせながらも、私が「南米のおじさん」の膝から下りることはなかった。

「本当にすみません」

「いいや。今ではこれが楽しみでねえ」

 そう言い合うと、途端にしんみりとする雰囲気に、私は言い知れないものを感じていた。

 けれど、「南米のおじさん」の服の裾を離すことはなく。

 そ知らぬ顔で塩を持ち、

「はい!」

などと小芝居を打って、ずっとその場に居続けていた。


 幼稚園のお友達には、夏になると帰る「田舎」というものがある。

 ある子は自慢げに、ある子は面倒くさそうに。

 夏休み明けには、口々に自分の思い出を語り合っていた。

 私は、と言われると、答えようがない。

 祖父母は近所に住んでいたため、帰る「田舎」がなかったのだ。

 そう信じて疑わなかった。祖父母とは、母方の祖父母だけなのだと。

 けれどある日、知らない「おばさん」が手を引き、私を連れ出そうとしたことがあった。

 「おばさん」の顔は、私にも両親にも全然似ていなかった。

 だが「おばさん」は、その頃家によく来ていた「おじさん」の名前を知っていて、自分はその「おじさん」の「奥さん」なのだと説明した。

 「奥さん」は「おかあさん」のことだ。

 「おとうさん」にとっての「おかあさん」のことだ。

 だから、この人にはついて行っても大丈夫。

 きっと「病院」へ行ったという「おかあさん」の元へ連れて行ってくれる。

 なまじ「おじさん」のことを知っていたことから、私はその「おばさん」の言葉を信じていた。

 知らない人には、決してついて行ってはいけない。

 そんな母親からの教えに当てはまらないなど、思いもよらなかったのだ。

 もし、あのまま連れて行かれたとしたら……?

 後にそんなフラッシュバックに苦しめられるなど、知るよしもなく。

 与えられたお菓子を食べ、上機嫌で猫撫で声の「おばさん」について行きかけた私を助けてくれたのも、「南米のおじさん」だった。


「おい、お前、何をしている!!」

 突然現れた「南米のおじさん」に、私は歓声を上げた。

「おじさん!!」

 思えば、「南米のおじさん」の顔も声も険しいものだった。

 しかし私には、ただ来てくれたことが嬉しくて。

「おじさんも、いっしょにおかあさんのところにいってくれるの?」

「……お母さんのところか。セニョリータ、それはどこだって言われたんだ? おじさんに教えておくれ」

「びょういん!!」

 満面の笑みで答える私とは対照的に、私を連れ出そうとしていた「おばさん」の顔色は、みるみる青くなっていった。

「病院か。……セニョリータ。とりあえず、おじさんのところへおいで」

「うん!」

 私は「おばさん」の手を振り払い、「南米のおじさん」の元へ駆けた。

 子供の力とはいえ、震えだしていた「おばさん」から離れるのは簡単だった。

 突進のようにかじりついた先の「南米のおじさん」は、固いながらも笑顔を作り、私へ確認する。

「セニョリータ、病院はどこにあるかわかるな」

「うん! あまーいおくすりをだしてくれるところでしょ?」

 周囲に注意を払いながら、「南米のおじさん」は指示を出す。

「そうだ。おじさんは、このおばさんと話がある。セニョリータは先に病院へ行ってくれ。できるな?」

「わかった!!」

 この頃、お使いにハマっていた私は二つ返事でうなずいて、元気よく病院へと歩いて行った。

 当時の私にとっての病院とは、苦しい時に甘い薬で助けてくれる、小児科医院に他ならず。

 さらにその小児科医院の近くには交番があり、子供好きのおまわりさんは、子供が前を通ると、必ず声を掛けてくれていた。

 そのことを「南米のおじさん」は知っていて、「おばさん」は知らなかった。

 これが私に起きた誘拐未遂事件の顛末であり、実は借金の申し込みのため訪れていた「おじさん」とその「おばさん」との縁の切れ目であり……「南米のおじさん」の元気な姿を見た最後の日でもあった。


 翌年、私は両親と共に、初めての「田舎」へ行くことになる。

 仏壇の引き出しに隠されていた、父方の「おじいちゃん」「おばあちゃん」の「遺影」と共に。

 遠い遠い「南米のおじさん」の住む田舎街へ。そして、「南米のおじさん」が入院している病院へ。

 初めて会った「田舎」の人たちは、まるで入道雲のように大きくて、知らない言葉を話していた。

 「南米のおじさん」によく似た人たちに会っていても、「南米のおじさん」本人に会えるまで、私は怖くて仕方がなかった。

 「田舎」とは、怖いところ。

 あのままだったら、きっとそう焼き付けて帰っていただろう。

 けれど「南米のおじさん」は、病床の中でも、その明るさを失わず。

「おお、オーラ! セニョリータ、よく来てくれたなあ」

 「南米のおじさん」は笑いながら、私を出迎えてくれていた。

 その瞬間、知らない言葉を話す人たちも、「南米のおじさん」によく似た人たちのことも、私は怖くなくなった。

 「南米のおじさん」が居るのだから大丈夫。

 「南米のおじさん」と同じ言葉を話す人たちだから大丈夫。

 「南米のおじさん」の家族だから大丈夫。

 こうして私は日本の家に居たときと同じように、「南米のおじさん」にかわいがられ、ベッドの上へ上げられ、遊んでもらうことができた。

「……本当に」

 すみません。

 父母が嗚咽をこらえながら、そう続けていても。

「いいや……」

 こちらこそ、ありがとう。

 「南米のおじさん」が、いつもとは違う返事をしていても。

 それからしばらくして、家のお仏壇には、「南米のおじさん」の写真が加えられた。

 初めて向き合った親しい人の死。

 その影響を心配した母方の祖父母が、ちょくちょく会いに来てくれたのだが、私はいつもこう答えていたという。

「おじいちゃん、おばあちゃん、おじさんのことはだいじょうぶよ。だってね、てんごくでおじさんのおばさんがまっているんだ!」

 だからね、なにもしんぱいすることなんてないのよ!!

 そう言いながら、逆に母方の祖父母を慰めていたのだと。

 ……これが本当かどうかは、定かでない。

 孫かわいさに、祖父母が記憶を捏造・改ざんしていた可能性もある。

 ただ、そんな話も出してくるくらい、私は「南米のおじさん」のことが好きで、「南米のおじさん」もまた、私のことを愛してくれていた。


 今年もまた、夏が来る。「南米のおじさん」が訪れていた夏だ。

 ねえ、「南米のおじさん」。私、大学生になったよ。

 大学じゃスペイン語を専攻しているんだ。「南米のおじさん」が話の合間に教えてくれたスペイン語だよ。

 教授から、留学の話も打診されているんだ。卒業後はスペイン語の通訳か、翻訳家を目指そうと思ってる。

 お仏壇に報告したら、「南米のおじさん」は喜んでくれるのかな。

 それともあの笑顔で、

「おお、セニョリータ。おじさんはこの言葉を話せるまで、そりゃあ苦労したんだぞ~」

なんて言って、自分の体験談から苦言を呈してくれるのかな。

 お土産を忘れずに持って行くから。だから、夢でもいい、出てきてくれないかな。

 今年はね、両親の同意を得るべく、特にいいのを選んできたんだ。

 「南米のおじさん」の大好きな、スイカと水ようかんだよ。

 忘れずにちゃんと供えるよ。だから、ね……?

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