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思いつきショートショート『sister』シリーズ

『sister/Tear&bubbles』

作者: 想隆 泰気

・思いつきショートショートですがよろしければ。

・拙作『sister』の続編に当たります。そちらも【シリーズリンク】からご覧頂ければ幸いです。




 実に十日ほど、フルタイムのアルバイトに出突っ張りだったある日のことである。


 十日連勤の締めくくりに嫌がらせのような夜勤を終え、俺はリビングのソファーに倒れ込んでいた。以前は雑多な物が積み上がり物置のようになっていたこの場所だが、今は可愛い通い妻がこまめに片付けてくれているのでこんなことも出来るわけだ。

 ぶっちゃけ仕事から帰ってシャワーすら浴びていなかったのだが、十日ぶりに緊張から解放された俺の体は、もはや何をすることも許さない。

 俺は何もかも投げ出して、襲い来る睡魔――世話焼きの可愛い睡魔を夢想しながら、それに身を任せた。

 ……頭の片隅で、何か大切なことを忘れているな、とは思いながら。


 眼が覚めた時、違和感を感じた。

 けどそれは、いつかのような優しい違和感じゃない。心がざわめくような不安を伴った違和感。言葉に出来ない、居心地の悪さのようなものを感じた。

 ふと視線を巡らせれば、暗い部屋の中、俺のすぐ横に膝を突く妹の姿があった。

 夢か、と思った。……いや、夢だと思いたかったんだろう。

 妹の表情は優れなかった。深い闇の中で、更に深く暗い色。今にも泣き出しそうに、唇を震わせているようにさえ思えた。


 名を呼んでも、妹は返事をしなかった。だから――どうした……? と、寝起きの渇いた喉から声を絞り出して、そっと妹の震える頬を撫でた。

 妹は、それに自分の小さな手を重ねて、愛おしそうに頬を寄せた。

 雫が一つ、俺の手に零れた。


「……兄さん……わたしのこと――……嫌いになりましたか……?」


 震える唇が、そんな言葉を漏らした。

 頭が真っ白になった。

 この子は何を言っているのだろう。意味が分からない。俺が妹を嫌い? 俺はそんなこと、一度たりとも口にしたことはないし、考えたこともない。何をどうしたらそう言う考えに至るのか。

 と言うか、ここのところ俺達兄妹の関係は、順調すぎるくらい順調ではなかったか?

 困惑して眉根を寄せると、妹は言い辛そうにしながらも、ぽつりと言った。


「――十日前のこと……覚えてますか……」


 ……十日前。それは確か、妹と最後にあった日ではなかったろうか。……いや待て。十日前、俺はどこで妹と会った?


「わたし……兄さんの働いてるところが……見てみたくて――」


 そうだ。バイト中に会ったんだ。……そこで、何があった?

 辛そうに一度唇を噛んで、妹は言った。


「っ……兄さんを――……怒らせて……しまいました」


 その言葉に、愕然とした。どう言うことだ。俺は怒った覚えなどない。まして、妹をこんなにも追い詰めるようなことをするなんて、考えられないことだ。

 ……いや……? 俺は何かを忘れてはいないか……?


 ……十日前だ。その日俺は、これからの十日連勤と言う殺人シフトに辟易しながらも、この稼ぎで妹に何を買ってやろうか、なんて浮かれたことを考えていた。

 そんなところへ、当の妹本人が現れた。そのまま俺は、しばし妹と談笑して――……いや、違うな。あの時は確か――


《え? マジこの子お前の妹? へえ、カワイイじゃん》


 ――そんな軽い声が、俺と妹の間に割り込んで来たんだ。

 ハッとして、俺は身を起こした。……そうだ、思い出した。

 あの日、俺と妹の会話に割り込んで来た同僚がいた。そいつは、その軽薄な口調から知れる通り、あまり良い噂を聞かない類の男で、そいつと妹が会話することに言い知れぬ嫌悪感を感じたんだ。

 やがて、苛立ちを抑え切れなくなった俺は――……ああ、そうだ。もう二度と職場には来るな――なんて……そう、言ってしまったんだ。……思えば、多少語気も荒くなっていたかも知れない。

 いや、あの時もそれに気づかなかったわけじゃない。後でフォローしようとは思っていたのだ。だが、以降の十日間、あまりの忙しさと疲労にそれを忘れ――……今に至る。


 フォローを忘れたことは言い訳のしようもないが、しかし完全な誤解ではある。あの時の俺は、いつかの妹と同じ状態だったのだ。独占欲。強い愛情の裏返しであるその感情。

 確かに褒められたものではないが、それでも俺が妹を好きだってことに変わりはない。そうさ、俺が妹を嫌うなんてことは有り得ない。未来永劫有り得ない。天地神明に誓って有り得ない。俺のシスコンは筋金入りなんだから。

 ……正直、胸を張ることでもないとは思うが――しかし、今の妹を安心させるには良かったらしい。妹は、堰を切ったように涙を溢れさせて、俺の胸に縋り付いた。


「っ――かった……っ……に……さんにっ……嫌われちゃった……っ……思っ……わたっ……し……っ……っく……良かったっ、良かったよぅ……っ……!」


 途切れ途切れに紡がれる、辿々しい言葉。どうしようもない愛おしさを感じて、俺は妹の華奢な体を抱き返――そうとして、ハッとした。

 夜勤明けで帰ってきて、俺はシャワーも浴びていない。女の子的には、男臭さが鼻につくかも知れないわけで。

 けれど、妹は俺の胸に顔を埋めたまま、ふるふると首を振った。


「だいじょうぶ……にいさんの匂い……好きです……。すごく、落ち着くから――……嫌なんかじゃ、ないです……」


 ……それは殺し文句ってもんですよ、妹さん。嘆息して、俺はそっと妹の体を包み込む。

 十日ぶりの温もり。そうか、と思った。この優しい温もりを、十日間も忘れていたのか――俺も、妹も。


「……忘れてなんて、ないですよ」


 控えめに、妹が俺の言葉を否定する。


「忘れられるわけ……ないです。十年以上……ずっと焦がれていた温もりなんですから」


 そう言って、俺の背に回した腕にぎゅっと力を込めた。


「……誰もいない、独りきりの静かな家の中で、いつも求めてました。おぼろげで……つかみ所のない、けれど優しい……何か。前は……それが何か分からなかった。……でも、今なら分かります。わたし……多分、覚えていたんです――赤ちゃんの頃のこと。……兄さんの腕に、抱かれていた頃のこと。……その頃の温もりを、ずっと求めて――焦がれて、いたんですよ、わたし……」


 そこまで言ってから、妹はふと、ぶるりと身を震わせる。それが何の震えだったのかすぐには分からなかったが、俺は無意識に妹を抱く腕に力を込めた。

 妹は安心したのか、大きく息を吐いてから、付け足すように言った。


「……求めても。……焦がれても。……そこには何も無くて。兄さんもいなくて。……そんなのは……もう、嫌――そんなのは……怖い……ょ……」


 消え入るような声だった。それは、ただのたとえ話なんかじゃない。事実、この十日間、妹はそんな気持ちだったのだ。

 俺には、返す言葉が見つからなかった。だから――ただありったけの想いを込めて、震える妹の小さな体を抱いていた。……ずっと。


 どれだけそうしていたか。二人の体温が完全に混じり合った頃、妹は言った。


「……お風呂……沸かしましょうか……」


 ドクン、と心臓が跳ねたのを感じた。風呂? どう言う意味だ? 瞬間的に思考が巡る。

 風呂――風呂に入った後、妹は何をしようというのだ。いやそれ以前に、二人で入ることになるのか? いや待て、そんなことは誰も言ってない。……だけど、今も感じる妹の温もりはどうしようもなく心地良くて、鼻腔をくすぐる仄かな女の薫りは、男の理性を崩壊させつつあって――

 馬鹿な。俺は何を考えている。相手は実の妹だ。十年以上ほぼ接触が無かったとしても、血を分けた実の兄妹なんだぞ。こんな不埒な感情は――


 ……結局。俺は身を強ばらせ、言葉に窮したまま、ごくりと唾を飲み込むことしかできなかった。

 と、そんな俺の変化に気づいたのか、妹は顔を赤くして、弾かれたように身を離した。


「っ……ちっ、違いますよっ! ただ、兄さんお風呂入ってないって言ってたから、気持ち悪いんじゃないかなって思ってっ、だからっ……!」


 あ……そ、か。そうだよな、うん、いや早合点早合点。


「……もうっ……兄さんのばか……えっち」


 いや……面目ない。返す言葉もございません。間抜けな勘違いが恥ずかしいやら申し訳ないやらで、妹の言葉に苦笑することしか出来なかった。

 だが、そんな俺を横目に、妹はふと何かを考えるようにして、


「……でも、それもいいかも」


 ぽつりと、そんなことを言った。

 驚いて眼を見開く俺に、妹はハッとして顔を赤くしたが、


「べ、別に変なことは考えてないですよっ、ただ、その――……一緒には、入ってみたいかな……って。お背中流してあげたり……とか……」


 そう言って、はにかむように笑った。

 ……いかん。これはいかん。こう言う時は心を強く持たなければいかんですよ。負けるな俺。頑張れ俺。男の性に惑わされてはいかん。下半身の誘惑に負けてはいかん。断固として拒否すべき。今こそ、兄としての威厳を見せる時である。

 だが――


「……兄さん。この十日間、わたしがどれだけ寂しかったか分かりますか。不安だったか分かりますか。今日ここへ来るのに、どれだけ勇気が要ったか分かりますか。少しくらい、ごほーびがあって然るべきだと思います」


 色々解決してほっとしたせいか、何だか饒舌になっていませんか妹さん。おまけに遠慮も無くなっているような気がしないでもない。何か妙な迫力すら感じるのは気のせいですか。

 と言うか、妹の言動が予想外過ぎて頭がついていかない。ごほーび? あ、ご褒美のことか。……いや、ご褒美ってお前。

 どうにも思考がついていかず、しどろもどろになっていると、


「とにかく、お風呂沸かしちゃいますね――大丈夫ですよ。タオルくらいは、ちゃんと巻きますから……♪」


 そう言って妹は、俺の返事など待たず、ぱたぱたと駆けて行ってしまった。

 去り際に見せた笑顔に薄ら寒いものを感じた気もしたが――……いや、気のせいだと思うことにしよう。深く考えたら負けだと思う。

 どうせ逃げられないのなら、後はもう、何も余計なことは考えず、不埒な感情も何もかも、泡と一緒に流してしまうことにしよう。そう腹をくくった。


 ……まあ、それでも。

 この後、嬉々とした妹に背中と言わずどこと言わず、色々綺麗に洗われてしまった記憶は――残念ながら、泡と一緒に流れてはくれなかったのだけれど。



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― 新着の感想 ―
[一言] 続編が読みたくてたまらなくなる作品でした。
[良い点] サイコーです・・・ なんという破壊力でしょうか 妹のカワイサ、尋常ではありません こんな妹がいたらなんでもしてあげたいですね
[一言] いろいろなものを、洗われてしまったのですね。 これは少し、想像力を抑えつけないと大変なことです。 ごちそうさまでした?
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