クラスの誰も悪くない
本文:『クラスの誰も悪くない』
※途中で区切りながら進みますが、一続きの短編としてお読みください。
一 母親・沙希
チャイムの音より先に、スマホが震えた。
ママ友グループの通知は、朝のニュースより早く一日を始めさせる。
洗面所で顔を拭いていたタオルをそのまま肩にかけて、私はキッチンのカウンターに置いたスマホを取った。
「今日の委員会、三時半からで大丈夫ですか?」
画面に並ぶ吹き出しは、すべて同じアイコンのように見える。
笑っている自分の顔写真。子どもの運動会。家族で出かけたテーマパーク。
誰のものだったか、時々わからなくなる。
「はい、大丈夫です」
そう打ち込んで送信ボタンを押す。
返事を待つ間に、蛇口をひねった。シンクに落ちる水の音が、やけに大きく聞こえる。
リビングのドアが小さく開いた。
「……ママ、今日、お弁当いらない日だよ」
娘の楓が、寝起きの顔で立っていた。パジャマの袖からのぞいた手首に、かすかな青あざが見えた気がして、私は視線をそらした。
「知ってるよ。昨日プリント、見たから」
テーブルの上には、「生活記録カード」が伏せて置いてある。
表面の端だけ折れ曲がっているのは、私が何度もめくったからだ。
名前の欄。
「山本 楓」ときちんと書かれた文字。
その下の枠には、担任の先生の丸い字が並んでいる。
「いつも穏やかに過ごせています。クラスの友達とも良好な関係です」
読み上げることはしない。
楓には、見せていない。
「ママ、それ、学校に出すやつでしょ」
「そうだね。……あとでカバンに入れておくから」
楓は私の手元をちらりと見た。
何か言いたげに口が動いたが、結局、「ふうん」とだけ言って、冷蔵庫を開ける。
牛乳パックを持ち上げる指が、少し震えていた。
私は蛇口を止めた。キッチンに静けさが落ちる。
静かな家は、いつもより少し冷たく感じた。
――うちの子は、いい子です。
そう言い聞かせるように、私は生活記録カードの裏面をそっとめくった。
「何か気になることがあればご記入ください」
横一行。
鉛筆の芯を紙に近づけ、ほんのわずか止まる。
何も書かずに、また裏返した。
書かなくていいことも、世の中にはたくさんある。
たとえば、うちのクラスにはちょっと空気を乱す子がいる、とか。
その子が娘のそばにいると、楓の顔が暗くなる、とか。
事実は事実だ。嘘ではない。
けれど、文字にしてしまった瞬間、その子は「問題のある子」になる。
問題のないクラスの方が、きっと先生だって助かる。
私はそう思っている。
少なくとも、あの日までは、そう信じていた。
*
中学校の昇降口には、白いチューリップの鉢植えが並んでいる。
地域のボランティアの人たちが植えたものだと、入学式の日に校長先生が説明していた。
四月の終わり。
少し花びらが開き過ぎていて、写真に撮るには間が悪い季節。
だけど、その日も、私は足を止めた。
「この色、きれいですね」
横に立ったお母さんが、私に話しかけてきた。
ベージュのコート。薄くピンク色の口紅。
名前は、たしか、山岸さん。あの子の、母親。
「そうですね。白い花って、汚れが目立つから、育てるの大変そう」
「……そうですね」
山岸さんは、笑っているのかどうか、わからない顔をした。
花びらではなく、根本の土ばかり見ている。
「この前、先生が言ってましたよね。クラス、落ち着いてるって」
さりげなく切り出すと、山岸さんは一瞬だけ顔を上げた。
「ええ。良かったですよね」
「うちの子も、『みんな優しい』って。……山岸さんのところも、そうですか?」
聞いてから、少し遅れて、しまったと思った。
質問が、あまりに直接的だった。
「花音は……そうですね。あの子、ちょっと、言葉が下手だから」
言葉が下手。
その言い回しが、生活記録カードには絶対に載らない種類のものだと、私はすぐに理解した。
「下手、ですか?」
「思っていることをそのまま言ってしまうんです。悪気はないんですけど」
山岸さんは、自分のコートの袖を指でつまんだ。
生地をねじるようなその仕草が、会話よりも雄弁だった。
悪気はないけれど、誰かを傷つける。
それは、子どもだから許されることなのか。
それとも、なおさらよくないことなのか。
「でも、先生が見てくださっているなら、安心ですよね」
無難な言葉を選んでいるつもりだった。
けれど、山岸さんは、ほんの少し首をかしげた。
「先生も、全部が見えているわけじゃ、ないですよ」
そのとき、昇降口の扉が開いて、子どもたちの声が流れ込んできた。
笑い声。叫び声。上履きの音。
私たちの会話は、それで中断された。
もう一度同じ話を続けるほどの、仲ではない。
白いチューリップの鉢を挟んで立つ、二人の母親。
その真ん中で、少し黒ずんだ土だけが、なにかを吸い込んでいるように見えた。
*
事故があったのは、それから一週間後の午後だった。
学校からの電話は、ちょうど洗濯物を取り込んでいる最中にかかってきた。
物干し竿に掛けたシャツを取ろうと手を伸ばしたとき、ポケットの中でスマホが震えた。
「はい、山本です」
名乗りながら画面を見ると、発信元には「中学校」と表示されていた。
嫌な予感がした。
けれど、その予感は、親なら誰でも持つものだと、自分に言い聞かせる。
「担任の高橋です。今、お時間よろしいでしょうか」
電話口の声は、いつも通りの落ち着いたトーンだった。
それがかえって、胸のあたりをざわつかせる。
「はい。……楓に、何か?」
「楓さんは大丈夫です。ただ、クラスで少しトラブルがありまして」
大丈夫、という言葉は、安心のために使われる。
けれど同時に、“それ以外は大丈夫ではない”ということも示す。
「トラブル、というと」
「詳しくは、後ほど保護者会でご説明しますが……お子さんのクラスで、お友達が怪我をしてしまって」
洗濯バサミを挟んでいた右手から、シャツが滑り落ちた。
風に揺れて、ベランダの床に落ちる。
白い布地に、うっすらと埃がついた。
「怪我って、どれくらいの」
「救急車で運ばれましたが、命に別状はありません。ただ、高いところから……少し転落してしまって」
高いところ。
その言葉だけで、頭の中に、校舎の屋上の柵が浮かんだ。
「すみません、相手のお子さんのお名前を伺ってもいいですか」
私の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
何度も保護者会でマイクを握ってきたせいだろう。
「山岸花音さん、というお子さんです」
ベランダの風が、止まったように感じた。
私の右手は、まだ空中に上がったままだった。
洗濯バサミだけが、取り残されたみたいに、挟むものを失っている。
「……そうですか」
それ以上、何を言えばいいのか、わからなかった。
「今日の放課後、急遽、保護者の皆さんにお集まりいただくことになりました。クラス委員の山本さんにも、ご出席いただければと」
クラス委員。
その役を引き受けたとき、私は「なるべく面倒なことは避けたい」と思っていた。
行事の進行や配布物の手伝いくらいなら、まあいい。
でも、トラブルの矢面に立つのは、ごめんだった。
電話を切ったあと、ベランダの手すりにもたれかかった。
向かいのマンションのベランダに、同じように洗濯物が揺れている。
隣の部屋のベランダでは、誰かが観葉植物に水をやっていた。
世界は、いつも通りに回っている。
屋上から誰かが落ちたというのに。
私は床に落ちたシャツを拾い上げた。
埃を払う。
一度ついた汚れは、完全には取れない。
――うちのクラスは、問題のないクラスのはずだった。
そう思っていたのは、もしかすると、私だけだったのかもしれない。
少なくとも、あの日、保護者会で「クラスの誰も悪くない」と最初に口にしたのは、担任の先生ではなかった。
私だ。
自分でも、びっくりするくらい、はっきりと言った。
二 クラス委員・里奈
「別に、いじめとかじゃないし」
そう最初に言ったのは、たぶん私だ。
面談室で、先生と、お母さんたちと、向かい合って座っていたとき。
顔を上げると、天井の蛍光灯がにじんで見えて、視界の端で、山本さん――楓のお母さん――が小さくうなずいた。
「いじめ、という認識は、私たちには……ありませんでした」
言い直したときには、もう口調が大人びていた。
さっきまで教室で友達としゃべっていた、中学生の声ではなかった。
椅子の足が床にこすれる音。
遠くで、チャイムの予鈴が鳴る。
私はスカートの裾を、ひざの上で握りしめた。
*
花音と初めて同じクラスになったとき、彼女の名前はすぐ覚えた。
出席番号が近いからとか、見た目が派手だったからとか、そういう理由じゃない。
ただ、苗字と名前の組み合わせが、妙に耳に残っただけだ。
山岸花音。
やまぎしかのん。
声に出さなくても、口の中で転がすと、音が跳ねる。
最初は、それだけだった。
学級委員を決める日、担任の高橋先生が、「立候補する人」と言ったとき、教室はだれも手を挙げなかった。
しばらく沈黙が続いて、隣の席の楓が、小さく私の脇腹をつついた。
「……里奈、やれば」
「やだよ」
「でも、小学校のときもやってたじゃん。慣れてるでしょ」
慣れている、という理由で責任を押し付けられるのは、昔からあった。
先生が、「誰もいないなら、お願いしてもいいかな」と私の名前を出したとき、教室のみんなは、特別反対もしなかった。
誰もが、「自分じゃない誰か」がやってくれればいいと思っている顔だった。
「じゃあ、里奈さんにお願いしようかな」
「……はい」
その瞬間、私の一年間の立ち位置が決まったような気がした。
花音が変だと思うようになったのは、六月に入ってからだ。
梅雨の雨が続いたある日、掃除の時間に、彼女はほうきを持ったまま窓際に立っていた。
「ねえ、ちゃんと掃いてよ」
ほかの子が声を掛けても、花音は外を見ている。
「カエル、つぶれてる」
ガラス越しに指差した先、校庭の隅の水たまりに、踏まれたみたいにつぶれたカエルがいた。
「うわ、きも」
誰かが笑う。
花音は笑わなかった。
「昨日はいなかったのに。今日になったら、つぶれてた」
その言い方が、なんとなく気持ち悪かった。
生き物が死ぬ、ということに対して、悲しいとかかわいそうとか、そういう言葉を足さない。
ただ、事実だけを切り取って、並べている。
「……掃除、してよ」
私がそう言うと、花音はようやくこちらを見た。
「里奈ちゃん、カエル、嫌い?」
「別に。好きとか嫌いとかじゃないし」
「そっか。じゃあ、いいね」
いいね、の意味がわからなかった。
ほうきを持ち直した花音の背中を見ながら、私はほかの子たちと同じように、「変な子」と心の中でラベルを貼った。
その程度のことだった。
*
花音のノートのことを知ったのは、夏休み明けのことだ。
体育祭の準備で、クラスが少しざわついていた頃。
ある日、教室の後ろのロッカーから、カラフルなリングノートが見つかった。
「これ、誰の?」
表紙には、キャラクターのシールがびっしり貼られていて、その上から黒い油性ペンで、「だいじ」と書かれていた。
だれも手を挙げない。
代わりに、一番後ろの席の子が、ノートをぱらぱらとめくった。
「ねえ、これ」
教室の空気が、少し変わった。
私はそのとき、教卓の前で配布物を仕分けていた。
先生のいない教室は、いつもより少し声が大きい。
「何?」
近づいていくと、ノートの中身が目に入った。
ページの上から下まで、同じような書き方で、クラスメイトの名前が並んでいる。
『〇〇ちゃんのきらいなところ』
『〇〇くんのきらいなところ』
名前のあとに、短い文章が続いていた。
『うるさい』
『すぐ怒る』
『すぐ泣く』
『なんかむかつく』
ひらがなの「むかつく」が、妙に可愛く見えて、少し笑いそうになった。
「なにこれ、悪口帳?」
「やば」
「最低じゃん」
誰かがそう言って、クラスの半分くらいが笑った。
笑いながらも、みんな自分の名前を探している。
「里奈のもある」
ページの真ん中あたり。
私の名前と、斜めの字でこう書かれていた。
『なんでもわかってるふりをする』
胸の奥のどこかを、細い針で刺されたような気がした。
痛いかどうか、まだ判断が追いつかない。
「ほんとじゃん。さすが委員長」
「わかってるふりって、ふりじゃなくて、実際わかってるからね」
冗談めかして返すと、周りがまた笑った。
本当は、その瞬間にノートを閉じて、持ち主を探して先生に渡すべきだったのかもしれない。
でも、私はしなかった。
代わりに、ページをめくった。
そこに、「山本楓」の名前があった。
『すぐ黙る』
それだけ。
ほかの子たちの行が二行、三行と続いているのに比べると、あっさりしていた。
「楓、よかったじゃん。“すぐ黙る”だって。悪口って感じしないし」
私がそう言うと、楓は笑った。
「……べつに」
「ほら、自分のだけ短くてラッキーじゃん」
楓はノートを見ないようにしていた。
その目線の逃がし方に、私は気づいていたけれど、何も言わなかった。
自分の名前がたくさん書かれているわけじゃない。
それなら、まだ笑っていられる。
ノートの最後の方のページに、「山岸花音」の名前があった。
『みんなにきらわれている』
その一文だけは、黒いインクが他より濃くにじんでいた。
そのページを見たとき、教室の空気が、少しだけ静かになった。
「……これ、花音の?」
誰かがそう言った。
誰も答えなかった。
でも、全員、同じ人物の顔を思い浮かべていたと思う。
私も、その一人だった。
*
花音が屋上から落ちた日のことを、私は思い出すたびに、「別にいじめじゃない」と頭の中で繰り返す。
放課後、委員会が終わって教室に戻ったとき、楓と、何人かの女子がいなかった。
かばんは置いてあったから、帰ったわけじゃない。
「どこ行ったの?」
近くにいた子に聞くと、「さあ」と曖昧な返事が返ってきた。
そのとき、窓の外から、風に混じって叫び声が聞こえた。
何があったのか、すぐにはわからなかった。
先生たちが慌てて廊下を走っていく。
いつもは歩きなさいと注意するクセに、誰も止めない。
あとで聞いた話だと、屋上で花音と何人かの女子が話していて、ちょっとした行き違いから、花音が柵の向こうに身を乗り出してしまった、ということになっている。
誰かが引き止めようとして、手をつかんだ。
でも、間に合わなかった。
それが、公式の説明だ。
だから私は言ったのだと思う。
「別に、いじめとかじゃないし」
花音に、あのノートのことを問い詰めたことはある。
体育の時間のあと、誰もいない更衣室で、楓と一緒に。
「ねえ、あのノート、何?」
「どの?」
「“だいじ”って書いてあったやつ。あれ、あんたのだよね」
花音はしばらく黙っていた。
ロッカーの扉を見つめたまま、タオルで髪を拭く。
「べつに。ただ、思ったこと、書いてただけ」
「“みんなにきらわれている”って、自分で書く?」
「思ったから」
思ったから。
それだけの理由で、自分にそういう言葉を貼り付けるのだとしたら、私には理解できない。
「それさ、見られたら、みんな嫌な気持ちになるって、考えなかった?」
「見られると思ってなかったから」
「じゃあ、どうしてロッカーに置きっぱなしにしたの?」
問い詰めるつもりはなかった。
ただ、知りたかっただけだ。
花音はタオルをロッカーの中に押し込んだ。
「わたしがいないとき、みんな、わたしのこと、どう思ってるのかなって」
「……は?」
「だから、置いといたら、勝手に見て、なにか言うかなって。そしたら、あとで、書けるから」
そのとき私は、ぞっとした。
けれど、それを顔に出すわけにはいかなかった。
「なにそれ。性格悪くない?」
「性格、悪いよ。だから、みんなにきらわれてる」
花音は、淡々と言った。
その口調には、自嘲も、悲しみも、怒りも混じっていない。
ただ、自分を説明しているだけのように。
私は、なぜかそれ以上、責める気になれなかった。
代わりに、「ノート、もうやめなよ」とだけ言った。
花音は、「うん」と返事をした。
その「うん」が、本気だったのかどうかは、今でもわからない。
*
保護者会のあと、先生が教室で言った言葉を、私はよく思い出す。
「今回の件は、だれか一人の責任とは言えません。クラス全体で、起きてしまったことです」
椅子に座ったまま、子どもたちはうつむいていた。
誰も、顔を上げない。
「だからこそ、クラスの誰も“加害者”ではないと思っています。もちろん、反省は必要ですが……」
先生の視線が、私の方を少しだけ長く止まった。
学級委員として、何か言ってほしいのだと、わかった。
「……クラスの誰も、悪くないよ」
私は言った。
口に出した瞬間、その言葉が、教室の空気に溶けていく感覚があった。
怒られるよりも、責められるよりも、ずっと息苦しい言葉。
だれも悪くない。
その一文に、私たちはしがみついた。
そうしないと、自分がどこから被害者で、どこから加害者なのか、わからなくなるから。
あのノートのページに書かれていた、「なんでもわかってるふりをする」という一文だけが、なぜか、いつまでも頭の中で消えなかった。
私たちは、何もわかってなんかいなかった。
ただ、そういうふりをしていただけだ。
三 担任・高橋
保護者会の日、職員室の空気は、いつもより湿っていた。
梅雨でもないのに、ワイシャツの背中がじっとりする。
コピー機の上に置きっぱなしの生活記録カードの束が、少し波打っているのを見て、思わずため息が出た。
「高橋先生、大変ですね」
隣の席の先輩教師が、缶コーヒーを机に置きながら言った。
「まあ……仕方ないですよ」
「最近の保護者の方は、すぐ学校の責任にしますからね。気をつけてくださいね」
気をつける、という言葉で、どこまで何を指しているのか、いつもよくわからない。
屋上の事故のことは、職員室の中であっという間に広まった。
「命に別状はなかったから、不幸中の幸いだよ」
「でも、今後のケア、大変だね」
「マスコミとか、来なきゃいいけど」
誰も、「どうしてそんなことが起きたのか」を、真正面からは聞いてこない。
聞いたら自分も責任を分けてもらうことになると、本能的に知っているからかもしれない。
*
山岸花音のことは、最初から「少し気になる子」だった。
授業中に立ち歩いたり、大声を出したりするわけではない。
むしろ、静かだ。
ただ、ときどき、タイミングを外したような発言をする。
「先生、どうして人は死ぬんですか」
理科の授業で、植物の成長について話していたとき、突然そんなことを聞かれた。
「どうしてって、難しい質問だなあ」
そう返しながら、クラスの様子をさりげなく見る。
何人かが笑っている。
何人かは、興味なさそうにノートを開いている。
「……死ぬから、生きてるのかなと思って」
花音は、それ以上説明しない。
こういうとき、教師としての正解の返答は、どこかにマニュアルがあるわけではない。
「生きてる間に、何をするかが大事なんじゃないかな」
無難なことを言った。
それで授業は流れた。
あとで、生活記録カードに、「時々哲学的な質問をする」と書こうとして、ペンを止めた。
そんなことを書いても、保護者が心配するだけだと思ったからだ。
結局、「授業中もおおむね落ち着いて聞けています」とだけ記入して、済ませた。
それが、春。
*
事件の前の週、保護者会の準備のために、クラス委員の山本さんと教室で話した。
「最近、クラスの様子はいかがですか」
こちらから切り出すと、山本さんはすぐに言った。
「先生が、落ち着いているとおっしゃってくださるなら、それを信じたいです」
「落ち着いている」とは、どの程度を指すのか。
眠っているのか、静かに呼吸しているのか、泣き声をこらえているのか。
その違いを、言葉は簡単に隠してしまう。
「多少のトラブルはありますが、大きな揉め事は……」
「もし、楓が、何か巻き込まれているようなら、教えていただきたいんです」
山本さんの声は、穏やかだった。
けれど、言葉の下に硬い芯があるのがわかる。
「巻き込まれている?」
「以前、小学校のときに、ちょっとクラスで……。あの子、言いたいことを我慢してしまうところがあるので」
「ああ、そういう意味ですか」
私は、生活記録カードに書かれた「穏やかで、真面目」という文字を思い浮かべた。
「なにかあったらすぐに。……ただ、今のところは、本当に大きな問題はありません」
そう付け加えた。
問題があると言えば、当然、対応を求められる。
問題がないと言えば、そのまま進む。
どちらが、クラスにとって、いちばんいいことなのか。
その答えは、いつも、あとになってからしかわからない。
「山岸さんのお嬢さんも、少し心配なんです」
山本さんが、白いチューリップの鉢植えの方を見ながら言った。
「花音さんですか」
「楓とは、小学校から同じクラスで。……あの子、言葉が少し、鋭いところがあるでしょう?」
私は、一瞬返答に迷った。
教師として、特定の子どもの「鋭さ」を、保護者と共有することが、どこまで許されるのか。
「個性的なところは、ありますね」
やわらかい言葉を選ぶ。
「うちの子、よく一緒に帰っているみたいで。なにか、トラブルがあったりしないでしょうか」
「特に、大きなトラブルの報告は受けていません」
報告は受けていない。
それは、「起きていない」と同義ではない。
しかし、保護者会で話すには、証拠が足りない。
教師は、証拠のない話をするのを恐れる。
噂話で誰かを傷つけたと言われるのが、いちばん面倒だからだ。
「もし、なにかあれば……すぐに」
「ありがとうございます」
山本さんは、きれいに頭を下げた。
その姿勢の良さに、こちらも背筋を伸ばしたくなる。
その会話のあと、私は職員室に戻って、花音の生活記録カードを取り出した。
「おおむね落ち着いて過ごせています」
そう書いた文字の上に、ペンを重ねる。
わずかに筆圧が強くなった。
もしあのとき、「ときどき友人関係で不安定な様子が見られます」と書き換えていたら、何か変わっていただろうか。
私はそれを、想像しないようにしている。
*
事故のあと、学校としての対応は、マニュアル通りに進んだ。
事実確認。
保護者への説明。
関係児童のカウンセリング。
「屋上から転落した」という事実の周りに、「不注意だった」「ふざけていた」「ちょっとしたやりとりから」といった言葉が、柔らかいクッションのように積み重ねられていく。
保護者会で、私は「今回の件は、だれか一人の責任とは考えておりません」と言った。
その言葉を口にしながら、自分の声が少し遠く聞こえていた。
「クラス全体として、日頃の指導の中で、振り返っていかなければならないことだと。……ただ、楓さんを含め、お子さん方が、故意に誰かを傷つけようとしたわけではないと、私は認識しています」
山本さんの表情は、無表情に近かった。
一瞬だけまぶたが動いた気がしたが、それが何を意味するのか、読み取る余裕はなかった。
「先生は、楓が、誰かを傷つけるような子だと思っていらっしゃるんでしょうか」
保護者会が終わったあと、個別に声をかけられたとき、山本さんはそう聞いた。
「いえ、そんなことは」
「だったら、はっきり言ってください。“楓さんは、悪くありません”って」
その言葉は、脅しではなかった。
ただ、母親としての切実な要求に見えた。
私は、教師として、その要求にどう応えるべきか、瞬時に判断した。
「楓さんだけでなく、クラスの誰も、今回の件の“加害者”ではないと、私は考えています」
そう言い換えた。
そのほうが、公平だと信じたからだ。
公平という言葉ほど、便利で残酷なものはない。
花音の母親が、保護者会で発言したのは、そのすぐあとだった。
「うちの子は、“みんなにきらわれている”って、自分で書くような子です」
山岸さんは、机の上に一冊のノートを置いた。
見覚えのある、カラフルな表紙。
「自分が悪いって、あの子はずっと思っていたんですよね。だから、先生が“誰も悪くない”って言ってくださるなら、うちの子も、悪くなかったんですよね」
問いかけられているのはわかっていた。
でも、そのときの私は、うまく答えられなかった。
「悪くない」と言うことが、その子を救うのか。
それとも、「悪くない」と言い続けることで、本当の何かから目をそらしてしまうのか。
生活記録カードの「特記事項なし」の欄が、急に重たく感じられた。
四 花音の手紙
ママへ。
これを先生が読んでるかもしれないから、「ママへ」って書くのは、ちょっとへんかもしれません。
でも、いちばん最初に読んでほしいのは、ママだから、そう書きます。
「だいじ」って表紙に書いたノート、見つかっちゃった。
みんなに見られちゃってるだろうなって、布団の中で思ったとき、胸の中がすーすーしました。
寒いとか、痛いとかじゃなくて、空気がたくさん入りすぎて、肺がびっくりしてるみたいな感じ。
わたしは、悪い子です。
ママがいちばんよく知ってると思います。
でも、みんなが思ってるみたいな「悪い子」とは、ちょっとちがいます。
*
ノートに悪口を書きはじめたのは、小学校のときです。
最初は、自分のことを書いていました。
『今日も授業中にあくびをしました』
『テストでまた計算まちがいをしました』
『ちゃんと立て膝で座れませんでした』
注意されたことを、そのまま書くと、すこしおもしろくなる。
黒板に書かれた漢字より、自分のまちがいのほうが、記憶に残りやすいからかもしれません。
中学生になって、クラスの人数がふえました。
いいところも、きらいなところも、見える人がふえました。
だから、思ったことを書きました。
『〇〇ちゃんのきらいなところ』
ノートは、他の人には見せないつもりでした。
でも、本当は、見つけてほしいとも思っていました。
だれかが見つけて、「なにこれ」とか、「やば」とか、「最低」とか言うところまで、だいたい、想像していました。
そうしたら、その人たちが、どういう顔をするのか見られるから。
わたしは、自分のことがよくわからないので、人の顔を見て、「これは悪いことなんだ」とか、「これはいいことなんだ」とか、判断してきました。
ママは、「人の顔色ばかりうかがっちゃだめ」と言うけれど、顔色を見ないと、怒られているのか、おもしろがられているのかも、わからないことがあります。
だから、ノートは、わたしにとっては「感想文」みたいなものでした。
*
『みんなにきらわれている』
自分のことを書いたページは、ほかのページより、インクを何度も重ねました。
「みんなに」は、本当じゃないかもしれない。
でも、「きらわれている」は、たぶん本当だと思いました。
里奈ちゃんの、「なんでもわかってるふり」は、うらやましいところでもあります。
わたしは、「わからない」と言えないから、「ふり」でもいいから、そうなれたらいいなと思いました。
楓ちゃんの、「すぐ黙る」は、好きなところです。
みんながなにかを言っているときに黙っている人は、なにも考えていないわけじゃなくて、考えすぎているか、言えないことをたくさん持っているかの、どちらかだと思います。
楓ちゃんと一緒に帰るとき、わたしはよく、一方的にしゃべっていました。
家のこと。
ママのこと。
ノートのこと。
楓ちゃんは、だいたい黙って聞いてくれました。
ある日、楓ちゃんのお母さんが、学校の帰り道の角で待っていました。
「花音ちゃん、楓といつも一緒に帰ってくれてありがとうね」
やさしい声でした。
やさしい声は、ときどき、こわいです。
「いえ……」
「でも、あんまり遅くなると、お互いの家の人が心配するから、ね」
楓ちゃんのお母さんは、「ね」と言うとき、楓ちゃんの方を見ました。
わたしではなく。
楓ちゃんは、小さくうなずきました。
「これからは、なるべく、まっすぐ帰るようにしようか」
それは、わたしたちに向けられた言葉でした。
だけど、矢印の先は、わたしだけを指しているように感じました。
その日の夜、ノートにこう書きました。
『楓ちゃんのお母さんは、楓ちゃんを守っている』
その「守る」の中に、「花音ちゃんから」という言葉が入っているかどうか、確かめるすべはありませんでした。
*
屋上に行ったのは、みんながわたしのノートを見た日のことです。
体育祭の係の話し合いで、意見が合わなくて、何人かが言い合いになっていました。
わたしは、何も言わずにいました。
里奈ちゃんが、「花音はどう思う?」と聞きました。
どう思うか、と聞かれたとき、わたしはだいたい、困ります。
どの意見が正しいのかは、あとで決まるからです。
今ここで言ったことが、あとでまちがいになるかもしれません。
だから、「わからない」と言いました。
そのとき、里奈ちゃんは、少しだけ眉をひそめました。
「わからない、じゃなくてさ。どっちがいいと思うかってこと」
「わからない」
そう言ったら、今度は楓ちゃんが、「……花音、決められないなら、べつにいいけど」と言いました。
それが、責めているわけじゃないのはわかりました。
でも、「べつにいい」と言われたとき、わたしは、自分がそこにいてもいなくてもいいんだなと思いました。
だから、屋上に行きました。
だれもいないところで、「いなくてもいい人」がどんな気持ちになるのか、試してみたかったのかもしれません。
柵の向こう側に足をかけたとき、風が強くなりました。
靴の底が、金属にあたって、きゅっと嫌な音がしました。
そのとき、背中から誰かに腕をつかまれました。
「なにしてんの!」
誰の声か、よく聞き取れませんでした。
里奈ちゃんか、楓ちゃんか、ほかの子か。
つかまれた腕が痛くて、身体が少しよろけました。
足元が空を踏んで、そのまま、視界が反転しました。
落ちているあいだ、白いものが見えました。
校庭の隅の、チューリップの花でした。
あの花は、もう終わりかけで、花びらが茶色くなっていました。
それでも、空から見ると、すごくきれいでした。
痛みは、あとから来ました。
*
病院のベッドで目を閉じているとき、だれかが、「クラスの誰も悪くない」と言うのが聞こえました。
カーテンの向こうで、先生とママたちが話していました。
「これは、不幸な事故で……」
「誰か一人を責めることはできません」
「クラス全体で、反省していかなければ」
「反省」という言葉は、わたしに向けられていないようでした。
わたしは、ママに謝ろうと思っていました。
ノートのことも、屋上のことも。
でも、ママは、ずっとわたしの手を握って、こう言いました。
「花音は、悪くないからね」
悪くない。
悪くないと言われるとき、人は、どんな顔をすればいいんでしょうか。
ママの手は、あたたかかったです。
でも、そのあたたかさに、「この子は悪くない」と言ってもらえない誰かの冷たさも、くっついているような気がしました。
ノートを見つけたとき、みんながどんな顔をしたのか。
屋上で腕をつかんだ子が、どんな気持ちだったのか。
わたしは、べつに、だれかを責めたいわけじゃありません。
ただ、「クラスの誰も悪くない」と言われるたびに、自分がどこにもいないみたいな気持ちになるだけです。
「誰も悪くない」の中に、わたしは入っているのか、いないのか。
それが、ずっと、わかりません。
だから、この手紙を、誰かに読んでほしいと思います。
ママじゃなくても、いいです。
先生でも、里奈ちゃんでも、楓ちゃんでも。
もしできるなら、あの白いチューリップを植えた人にも。
あの花は、汚れが目立つから、育てるのが大変だと、だれかが言っていました。
汚れが目立つから、きれいにしておかなきゃいけない花。
汚れが目立たないように、そっと目をそらされる、人。
どちらが、幸せなんでしょうか。
五 楓
「花音は、悪くないから」
病院の帰り道、ママが何度もそう言った。
夜の歩道は、白い線が途切れ途切れに続いていて、その上だけを踏んで帰れば、家までたどり着ける気がした。
ママのハイヒールの音が、アスファルトに規則正しく響く。
その音が、だんだん早くなっていく。
「ママ、そんなに急がなくても」
「寒いから。風邪ひくでしょ」
寒いのは、たぶん、気温のせいだけじゃない。
ママのコートの袖をつかむと、ママは少しだけ歩調をゆるめた。
「楓は、悪くないからね」
さっきの言葉に、一つ名前が足された。
「……うん」
返事をしながら、わたしは、さっき病室の中で聞いた会話を思い出していた。
「腕をつかんでくれて、ありがとうね」
花音のママが、わたしに頭を下げた。
「楓ちゃんがつかんでくれなかったら、もっと大変なことになってたかもしれないって。先生がおっしゃってたわ」
わたしの手は、膝の上で握りしめられていた。
花音の腕をつかんだときの感触が、まだ指先に残っている。
ざらざらした、制服のジャージの生地。
細い腕の、骨ばった感じ。
わたしは、あのとき、本当に「助けよう」と思っていたのか。
それとも、「落ちるところを見たくなかった」だけなのか。
その違いが、どうしても思い出せない。
「楓、何かあったら、ちゃんと言ってね」
ママは、前を向いたまま言った。
「なにが?」
「クラスで。花音ちゃんのことで、なにか言われたりしたら」
「……別に。みんな、なにも言ってない」
言ってない、というのは、本当だ。
クラスのみんなは、花音のことをあまり話題にしなくなった。
先生が、「無理に話さなくていい」と言ったからかもしれない。
でも、その沈黙の中で、わたしは、みんなの視線に少し過敏になっていた。
屋上から落ちる前、花音が柵に足をかけたとき。
わたしは、最初、何もできなかった。
里奈が、「なにしてんの!」と叫んで、走り出した。
わたしは、そのあとを追いかけた。
半歩遅れて、花音の腕をつかんだ。
そのとき、一瞬だけ、「もしこのまま手を離したら」と考えた。
考えた、というより、頭の中に浮かんだ。
そうしたら、このクラスから、「めんどうなこと」が一つ消えるかもしれない。
家に帰るとき、ママは少し安心するかもしれない。
もちろん、そんなこと、したわけじゃない。
わたしは、ちゃんと腕をつかんだ。
でも、「離したらどうなるか」を想像したという事実は、消えない。
それは、悪いことだろうか。
それとも、「誰だって一度は考えること」だろうか。
「クラスの誰も悪くないって、先生がおっしゃってたでしょ」
ママは続けた。
「だから、楓も、自分を責めなくていいの。……わかった?」
わかった、と答えるべきなんだと思った。
でも、口が動かなかった。
代わりに、「うん」とだけ言った。
ママは、それで満足したようにうなずいた。
*
家に帰ると、テーブルの上に、あの生活記録カードが置いてあった。
裏面の「気になること」の欄には、まだ何も書かれていない。
ママはコートを脱ぎながら、それを手に取った。
「……書くこと、ないよね」
自分に言い聞かせるみたいな声だった。
わたしは、カードの端に、鉛筆で小さく印をつけた。
だれにもわからないくらいの、薄い印。
「書かない」と決めたことを、記録したくなった。
ママは、わたしの手元をちらりと見た。
何も言わなかった。
「何も書かない」ことと、「書くことがない」ことは、ちがう。
でも、そのちがいを言葉にすると、ママの顔がこわくなる気がして、黙っていた。
*
クラスで、「誰も悪くない」と先生が言った日。
わたしは、教室の後ろの掲示板を見ていた。
そこには、みんなで描いた「将来の夢」のイラストが貼ってある。
ケーキ屋さん。
ユーチューバー。
サッカー選手。
保育士。
「まだない」と書いてある紙もあった。
花音の紙には、何も書かれていなかった。
名前だけ。
色のない紙は、ほかの紙より、目立つ。
「将来の夢がない子」は、問題として扱われなかった。
「今、ここにいない子」の夢を、聞く人はいない。
先生の声が、「公平」という言葉を何度も使っているのを聞きながら、わたしは、掲示板の画鋲を指でさわった。
少し押すと、紙の端に小さな穴があく。
それを見ていると、胸のあたりがすこし楽になる。
なにかを壊しているわけじゃない。
ただ、紙の中の空気を逃がしているだけ。
「……楓?」
里奈の声で、我に返った。
「なにしてんの」
「べつに。なんでもない」
「なんでもない」という言葉は、便利だ。
だいたいのことは、それで隠せる。
*
後日、ママたちだけのグループラインで、「白いチューリップを植え替えましょう」という話が出た。
「気分を一新するためにも」
「子どもたちの安全祈願もかねて」
わたしは、ソファに座って、それを横目で見ていた。
「楓、今度の土曜日、学校行くからね。一緒に来る?」
「なんで?」
「チューリップ、植え替えるから。ボランティア」
「……行かない」
ママは、すこし意外そうな顔をした。
「なんで? きれいなお花、好きでしょ」
好きかどうか、わからない。
ただ、あの白い花を見ると、落ちていくときの花音の視界が、すこしだけ想像できてしまう。
「わたしが行ったら、また、なにか起きそうだから」
冗談めかして言うと、ママは一瞬固まった。
「そんなこと、言わないで」
その声には、怒りと、不安と、祈りが混ざっていた。
わたしは、「ごめん」と言った。
それが、どの感情に対する謝罪なのか、自分でもよくわからなかった。
*
ある日、机の中から、小さな紙切れが出てきた。
花音の字だった。
『楓ちゃんは、すぐ黙るところが、すきです』
ノートのページを破いたのか、端がギザギザしていた。
わたしは、その紙をしばらく見つめてから、筆箱の中にしまった。
そのとき、「すぐ黙る」という言葉の意味が、すこしだけ変わった気がした。
黙っている人は、なにも考えていないわけじゃない。
言葉になる前の、いろんな感情を、まだ手放せずに持っている。
わたしは、「クラスの誰も悪くない」という言葉を、信じたいと思っている。
信じられない自分を、責めないようにするために。
でも、たまに、こう考える。
もし、「誰も悪くない」のだとしたら、どうして、誰かが屋上から落ちたんだろう。
どうして、わたしはあの瞬間、「手を離したらどうなるか」を想像してしまったんだろう。
その答えを、だれかが教えてくれることは、たぶんない。
だから、わたしは、今日も黙っている。
「悪くない」と言われたときの、自分の顔を、まだよく知らないままで。
(了)




