この想いを抱きしめて 2
二
それが起きたのは、体育の時間だった。
女子はマラソンで、男子はサッカー。サッカー部に所属する鈴木は、授業でも大活躍だった。周囲から注目を浴びていた。
授業の内容がソフトボールであれば、野球部が活躍しやすい。
授業の内容がバスケットボールであれば、バスケ部が活躍しやすい。
じゃあ、授業の内容がサッカーだったら?
当然、毎日のようにボールを蹴っているサッカー部が活躍しやすい。
だから、体育の授業で鈴木が目立つのは当然だと言えた。サッカー部のエースだという鈴木は、授業でも活躍しっぱなしだった。野球部の田中とペアでツートップを組み、相手チームを圧倒する鈴木。
彼がシュートを決めるたび、女子たちは白線の外側から黄色い声援を送った。「がんばってー!」という女子の声に反応して、手を振って応える彼。「きゃー!」と歓声をあげる女子たち。その状況を遠巻きに見ているわたしは、他人事のように「こういうの、学生っぽいなぁ」なんて思っていた。
鈴木、まるで王子さまみたいな扱いだなぁ。
わたしの隣に座る麻衣が「鈴木、大人気だね」と言った。
「あー、そうだね。運動できる男子って、モテやすいよね」
「分かる〜。小学生のころとか、足が速いってだけでモテたりしたよねぇ」
「あれ、ホントなんなんだろうね。『足が速い=モテる』って、謎すぎない? なにその単純な式、みたいな」
「あはは。たしかに、ちょっと単純すぎるよねぇ」
からからと笑う麻衣。
「トップクラスのアスリートたちがモテるのと同じ原理なのかもね」と、わたしは言った。「たしかに人間って、獲物を追いかけながら食い繋いできた生き物だから。もしかしたら、生存本能みたいなのが刺激されちゃうのかなー」
「あー。そう言われると、ちょっと納得かも」と返す彼女。「足の速さ……っていうか、運動神経の良さが生き死に直結してるなら、運動できる人のほうがモテやすいってのも分かるよね」
「現代は、もう獲物を追う必要ないはずなんだけどねー」と続けるわたし。「でも、わたしたちの脳って一万年前から進化してないらしいし……いまもまだ、当時の名残として『運動デキる人=魅力的に感じる』って心理が残ってるのかも」
「なるほど〜。さすが葵先生、わかりやすい!」
ワッと黄色い声があがる。サッカーコートのほうに目をやると、ちょうど鈴木がシュートを決めているところだった。授業中のはずなのに、いつの間にか女子のあいだで『鈴木応援団』的なグループができあがっている。
チラリと先生のほうを見ると、彼女は立ったままの状態で船を漕いでいた。腕を組み、うつらうつらと眠たそうにする彼女。
だいじょうぶか、この教師。生徒ほっぽって授業中にウトウトするとか、指導案件じゃないの?
「……先生、眠そうにしてるね」
てかホント、よく教員免許とれたな。この先生。
「あ、ホントだぁ」
「この学校、体育の授業だけ異常にユルくない?」
「ねー。ふつーの学校だったら、授業中に他クラスの応援するとかありえないよねぇ」
そりゃそうだ。
進学校ほどルールとか規則が少なくなる傾向にあるとは言うけど、あまりに緩すぎじゃないかな。
ウチの学校は、県内だと一〜二番目くらいに偏差値が高い。卒業後は有名大学に進学する学生が多い反面、就職する人は少ない。上京して都内の私立・国立大学に進学する生徒も珍しくないので、ウチの学校は客観的に見れば『進学校』と言えるはず。
でも、ねぇ。
「生徒の自主性を尊重する」と言えば聞こえはいいけど、いまの状況は半ば無法地帯な気もする。かくいう私たちだって、マラソンが終わった後は座りっぱなしだし。休憩しっぱなしだし。
まぁ、わたしは楽でいいんだけど。麻衣と話せるからいいんだけど。
ボーッとピッチを眺めていると、やがて唯香がコチラに近寄ってきた。
「ねぇねぇ! ふたりも男子のサッカー近くで観ない?」
唯香に続いて、ほかのクラスメイトも「近くで観ると、臨場感ヤバいよ! いっしょに観よーよ!」と言った。すっかり観戦モードのクラスメイトたち。
うーん、どうしよう……。
わたし、べつにサッカー興味ないんだけどなぁ。
「どうする、麻衣?」と訊くわたし。
「あたしは大丈夫だよ。行ってみよっか?」
「ん、分かった」
すっくと立ち上がり、サッカーコートの縁まで歩く私たち。張り切ってサッカーをする男子たちが、ボールを追いかけて汗を流している。その情景をボーッと眺めるわたし。
「鈴木、大活躍じゃん!」と唯香が言った。
「ねー、さすがエースって感じだよねー!」と続くクラスメイト。
鈴木って、運動全般デキる人なんだよね。サッカーがイチバン得意らしいけど、バスケもソフトボールも上手い。それに加えて足も速いもんだから、陸上部に勧誘されることもあったみたい。
それでいて勉強もデキる。塾には通っていないらしいけど、学校の成績は常に上位。文武両道を地でいく鈴木。しかも、顔も整っていて身長も高い。イヤミなところもなくて、高校生らしからぬ落ち着いた性格をしている。身長の高さも相まって、大人の男性のような雰囲気がある。
なんだ、どこぞの王子様か?
やがてホイッスルが鳴った。
授業終了まで残り二十分はあるので、おそらくハーフタイムだろう。男子たちがゾロゾロとピッチから離れていく。鈴木と田中が仲良さげに談笑している。そのままベンチに向かうのかと思いきや、コチラへと近付いてくる彼ら。
「うぃっすー」と田中が言った。「どーよ、オレたちの活躍?」
「活躍してるの鈴木だけじゃない?」と返す唯香。
「なに言ってんだよ。オレの最高のパスがあるから、こんだけ点が入ってんだぞ?」
「自分で最高のパスとか言う?」
けらけらと笑い合う田中と唯香。
ふたりは、付き合ってから半年ほど経つという。
恋仲になってからそれなりに年月が経っているせいか、どことなく会話にも余裕がある。傍目には、かなり打ち解けているように見えた。
田中に向かって、スッとタオルを差し出す唯香。それを手に取った彼が、小さく「さんきゅ」と言った。
あ。
唯香、乙女の顔してる。「アタシ、恋してます♡」みたいな顔してる。
唯香って、けっこう面倒見がいいんだよね。田中のためにタオルを準備しておくあたり、その片鱗が垣間見れる気がする。いい奥さんになりそうだな、唯香。
ふたりの睦合いを眺めていると、わたしの隣に立つ鈴木が「葵がサッカー観るのとか、珍しいな」と言った。
「そうかな?」
「あぁ。葵はスポーツ全般に興味ないと思ってたからさ」
「まぁ、汗かくのはそこまで好きじゃないかな。とくに、いまの時期とか暑いし」
「日焼けも心配しなきゃだもんな」
「まぁね。わたしはそこまで神経質には気にしないけど、できるだけ直射日光は避けたいかなー」
「女子は大変だな」
「男子は、あんまり日焼けとか気にしないよね。田中とか真っ黒だし」
「アイツは元々が色黒だしなぁ」と返す鈴木。「でも、さいきんの男子は肌ケアくらいするぞ? オレも、日焼け止めくらいは塗るようにしてるし」
「へぇ、そうなんだ。なんか、時代って感じがするね」
「いまは『男が日焼け止めなんて〜』とか言う時代じゃないしな。てか、日光マジで強すぎだろ。オレたち人間をころしにきてるわ」
「あはは。温暖化だねぇ」
わたしが鈴木と話していると、唯香が「あれ〜?」と言いながら割り込んできた。
「なんか二人、いい感じじゃーん」
「美男美女が並んでると、映えるよねー」と続くクラスメイト。
「そういえばコイツ、よく葵の話するんだよ」と田中が言った。「こないだも『葵の様子がいつもと違う気がする』とか言っててさー」
こないだ。
たぶん、わたしの性別が変わった日のことだろうなぁ。
あの日のわたしは、間違いなく『いつもどおり』ではなかったはずだから。あの日は、鈴木にも麻衣にもフシギそうな顔をされたな。
あれから、まだ数週間しか経ってないのかぁ。もはや懐かしい。
「おま、余計なこと言うなよ」
田中の胸を小突く鈴木。男子の掛け合いって感じ。
「でも実際、ふたり並んでるとカップルみたいじゃない?」と唯香が言った。
「あ、それは分かるわ。なんか、芸能人カップルとかにいそうな感じするよな」と続ける田中。
「有名俳優どうしが付き合っちゃいました、みたいなヤツね」
「それそれ」
楽しげに談笑する田中と唯香。
カップル、ねぇ……。
盛り上がるのはいいけど、わたしの意思を無視するのはやめてほしい。鈴木だって、勝手にカップル認定されても良い気持ちはしないと思うんだけど。心なしか、さきほどよりも鈴木の表情が固くなってる気がする。
本人たち置いてけぼりで周りが盛り上がる……みたいなのは、割とよくあるパターン。とくに恋愛ごとに関しては、その傾向が強い気がする。まさか、自分がその対象になるとは思わなかったけど。
「鈴木、どうなん?」と田中が言った。
「どうなんって……なにが?」
「葵のこと、すげー気にかけてるじゃん。やっぱ、そういうことなん?」
「お前、本人の前でそういうこと言うなよ。ハズいだろ」
照れ臭そうに、鈴木が口元を手で隠す。ほんのりと赤みがかる彼の頬。
やがてホイッスルが鳴った。辺りに鳴りひびく甲高い音に反応して、ぞろぞろとピッチに戻り始める男子たち。
「オレらも行くか」と田中が言った。
「おう」と返す鈴木。
田中が先にピッチに戻る。鈴木もまた、その後に続いた。
審判役の先生が笛を吹くと同時に、後半戦がスタートした。
コート内を縦横無尽に駆けまわる男子たち。鈴木にパスが回ると、女子たちから歓声があがった。「がんばってー!」という黄色い声を受けながら、鈴木がシュートを決める。開始早々、鈴木たちのチームが得点をあげた。
「鈴木、マジで大活躍じゃ〜ん」と唯香が言った。
「まぁ、サッカー部は有利だよね」と返すわたし。
「淡白だなぁ。鈴木クンが活躍してるってのに」
わたしのほうを見ながらニヤニヤする唯香。
「葵も応援してあげたら? 鈴木、たぶん喜ぶと思うよ」
「んー……そうだね」
あいまいに返事するわたし。
ちょっとイヤだな、こういうの。
こういう同調圧力、あんまり好きじゃないんだけど。
ボールが白線を割った。鈴木たちのチームのキックイン。ボールのイチバン近くにいた鈴木が、キックインの準備に入る。
「ほら、葵!」と唯香が言った。
わたしと鈴木との距離は、五mくらい。ふつうに声を出せば届く距離だろう。「どうせ、ひとこと声かけるだけだ」と思い、わたしは鈴木に向かって小さく言った。
「鈴木、がんばって」
わたしの声は彼に届いたようで、鈴木はコチラを向いて控えめに微笑んだ。
その直後、鈴木のキックインとともに試合が再開される。パスを受けた田中がシュートを決めて、鈴木とハイタッチする。相手チームのキーパーが蹴ったボールが、ポンポンと跳ねながらセンターサークルへと戻っていく。
わたしをけしかけた唯香が、満足げに「お熱いねぇ」なんて口にしていた。「鈴木、マジで葵のこと好きなんじゃん?」と続くクラスメイト。わたしは彼女たちの言葉に反応することなく、ただただボーッと試合を眺めていた。わずかばかりの不快さを感じながら、ピッチ上を駆け回る男子たちの姿を目で追っていた。
すべては、確率の問題。
この世界で起きる現象すべては、確率によって記述される。量子力学のミクロの世界が確率に支配されているように、人間の心の状態もまた確率によって記述される。
だから今、わたしの心が不快感に占拠されているのも確率の問題。「不快感を覚える確率」と「快感を覚える確率」がせめぎあって、前者に針が触れたというだけの話。ただ、それだけの話。
麻衣が寂しげな表情をしていることもまた、確率の問題。
さきほどから彼女が一言も発していないのは、言葉を発する確率に針が触れていないから。言葉をつむぐ確率とそうでない確率がせめぎあって、後者に針が触れているから。寂しげな表情をする確率とそうでない確率がせめぎあって、前者に針が触れたから。ただ、それだけの話。
すべては、確率の問題。




