長い1日、終わり始まり 9
四
朝。
通学路。
天気は晴れ。
青い空と白い雲。
空一面に塗りたくられたスカイブルー。風に流れる真っ白な浮雲が、クラゲのように青空をたゆたう。
地表に降りそそぐ太陽光。雲の切れ目から覗かせる眩い光。目をくらませるほどの朝の日差しが、まだ起きたばかりの眠たげな街を照らす。
ぽかぽかと温かい陽の光を浴びながら、わたしは待ち合わせ場所へと向かって歩く。
「あ、猫」
通学路を歩いている途中、ふとネコの群れが目に留まる。
野良猫。
『群れ』といっても、じっさいは数匹ほど。
少数精鋭の兵士が整列するように、塀のうえに並んで座る三匹のノラ猫。
三匹のうち二匹は、可愛らしい香箱座り。お腹の下に前足と後ろ足をしまい込み、身体をコンパクトに小さくまとめている。
ネコの香箱座り。
とっても可愛い。So、Cute。
あんまり詳しくは知らないけど、リラックスしてるときの姿勢らしいね。
安心してるときとか、ひと休みしてるときとか。緊急警報さながらに周りを警戒する必要がなくて、気持ちが落ち着いてるときに見せるポーズなんだって。警戒心ゼロえもんのときの、猫ちゃんのリラックスポーズ。
残る一匹はといえば、ごろりと寝そべっている。
正確には『横座り』って呼ぶらしいけど、見た目は完全にゴロンと寝転がった状態。おせんべい片手にソファーに寝そべってテレビ画面を眺める、なかなかサボり癖が抜けない昼下がりの主婦を思わせる座り方。
口では「あぁ〜、ダイエットしなきゃ〜」なんて言いつつも、だらしない生活を送ることの快適さと心地良さ飲まれてダラダラと生きる日々の楽しさを覚えてしまった有限なはずの時間を無為に過ごすヒマを持て余した専業主婦みたいな座り方。ちょっと言い過ぎ?
完全に警戒心ゼロ。
前足を横に投げ出して、だらんと寝そべる猫ちゃん。
一匹だけ座り方が違うことに個性を感じる。周りがどうかなんて気にせずに、マイペースを貫く強い意思を感じる。知らないけど。ぜんぜん知らないけどね。ノラ猫の気概なんて読み取れませんけれどもワテクシ。
「……」
警戒されないように、そっと猫の群れに近づく。
わたしが近づいても、猫たちは微動だにしない。まるで用心するようすもなく、こちらをジーッと見つめている。六つぶんのガラス玉が、こちらへと向けられる。
かわいい。
見れば見るほど可愛い。見てるだけで癒される。
うちはペットとか飼ってないけど、もし動物を飼うならネコがいいかも。
いちおうウチにも、先輩ネコは居るけどね。よくソファーに寝そべる、中学二年生の寛ぎネコちゃん。リビングのカウチにゴロンと寝転がって、昼下がりの主婦ばりに惰眠を謳歌する先輩ネコ。あ、うちの妹のことです。
きっと、朋花とも仲良くなれるはず。
うちに猫ちゃんを迎える日が待ち遠しいね。『同族嫌悪』って考えもあるかもだけど、わたしの予想では相性バッチリだと思われ。
どっちも猫だしさ。
お互いにスコティッシュなわけだし。きっと、親友さながらに仲良くなれると思う。
なぜか同好の士に厳しい迷惑オタクとは違って、以心伝心を地で行く親しい関係になれると思います。人類みな姉妹。平和が一番。
気持ちよさそうに寛ぐネコの群れ。
さんさんと降りそそぐ朝の日差しを浴びて、うとうとと眠たげに微睡むようすが可愛らしい。お家に持って帰りたい。お持ち帰り。
「あ」
ふと、気づく。
猫たちの日常を鑑賞している途中で、ふと通学中だったことを思い出すわたし。
そういえば、学校行く途中だった。
猫と戯れる時間みたくなってたけど、わたし麻衣と待ち合わせしてるじゃん。現代人よろしくな忙しない日常を忘れて束の間の平和に浸ってる場合じゃないじゃん。
麻衣、もう待ち合わせ場所に着いてるかも。待たせちゃってるかもじゃん。やっば。
のんびりと微睡む野良猫たちの邪魔をしないよう、ふたたび待ち合わせ場所と向かって歩き出すわたし。じっさいには口に出さずに、心のなかで猫に別れを告げる。
ありがとう、猫ちゃんたち。
ひとときの楽しい逢瀬でしたわ。可愛らしい身姿を拝めて、ワテクシたいへん満足ですわ。また、お会いしましょうね。
てくてくと通学路を歩きながら、わたしは一人もの思いにふける。
たまに公園とかで見かけるけど、ネコちゃんと交信してる人いるよね。お互いにジーッと見つめ合いながら、非言語コミュニケーションでテレパスしてる人。ハタから見ると微笑ましい絵面だよね。微笑ましさと危険なカオリが交差するアレだと思います。
けっこう前に近所の神社にお参りに行ったとき、猫と目線合わせて「にゃーにゃー」言ってる人いたなぁ。
わたしが近くを通りがかった途端、ネコ語で話すのやめちゃったけど。せっかく会話を楽しんでるところ、水をさすようなマネしちゃったかな。悪いことしちゃったかもだね。有罪です。現行犯逮捕。
しばらく道なりに歩いていると、やがて待ち合わせ場所に着いた。
きょろきょろと周りを見回すわたし。
索敵するハムスターさながらに首を振って、辺りに幼なじみの姿がないかを確認するわたし。
辺りに麻衣らしき人の影はない。
どうやら、わたしのほうが先に着いたようす。
幼なじみを待たせずに済んだことに、ひそかにホッと胸を撫で下ろすわたし。遅れた理由が『ネコと戯れてたから』だなんて、さすがに朝っぱらからメルヘンが過ぎるもんね。ぜったいイジられるってか、茶化されちゃうヤツじゃん。
わたし、ただでさえ前科持ちなのに。
昨日、教室で不思議ちゃんムーブかましたばっかりですのに。
もう昨日みたいにヨナグニサンの羽ばたきバッサバッサすることはないと思うけど、気をつけないと麻衣に不思議なものを見るかのような目で見られるかもだから注意です。
蝶々の代わりにヨナグニサン追っかける少女とか、頭お花畑のメルヘン通り越して不審人物に近いもんね。どこの世界に世界最大の蛾を追いかけるいたいけな少女が居るというのですか。まったく、気をつけなきゃ。自戒、自戒。
心のなかで過去の過ちを振り返りつつ、景色を眺めながら麻衣が来るのを待つわたし。
「……」
わたしの視線の先には、早足に歩くスーツ姿の男性。
早歩き。
歩きスマホ。
スマホ片手に急ぎ足で歩くところを見るに、現代人よろしく時間に追われているようす。
加速する情報社会に適応する企業戦士のごとく、歩くときでさえも情報収集を怠らない会社員の鑑。ぴしっとスーツを着こなす男性の後ろ姿に、高度に情報化した文明社会の縮図が垣間見える。朝から忙しない。
出勤中かな。
駅に向かってるとこかもね。
わたしは徒歩通学だからいいけど、電車で通学・通勤するのって大変。日本の通勤電車って殺人的すぎるもん。
通勤電車の人口密度、ほんとマジやばいよね。前に朝早くから原宿に行く機会あったけど、電車おりる頃にはヘトヘトになってたもんね。密度の限界を越えた満員電車にもみくちゃにされて、くしゃくしゃにされた新聞紙みたいになってたもん。
あのスーツ姿の男の人も、これから戦地に向かうんだね。
人間社会というサバンナで生き残るために、今日もまた殺人電車に乗って戦いに出るんだね。毎日お疲れさまです。ご健闘をお祈りします。あーめん。
男性の背中に憐れみの目を向けていると、視界の端に制服を着た学生の姿が映り込んだ。
丈の短いボレロ。
紺色のジャンパースカート。
白い襟の先から垂れるように、えんじ色の細い紐タイがのぞく。
ボレロとかジャンスカって、清楚で品がある感じするよね。私立のお嬢さま学校に多そうな印象。いいとこの女学生が着てそうなイメージあるよね。
朝のあいさつは、もちろん「ごきげんよう」。
だんだんと死語になりつつある挨拶かどうかなんて、お嬢さま校に通うお姉さまからすれば全く関係のないこと。
ボレロとジャンスカが醸し出す品の良さ。すれ違いざまに軽く会釈しつつ気品あふれる感じで「ごきげんよう」って口にしたかと思えば、可笑しいことがあったら口元を手で隠して「あらあら、うふふのふ」って忍び笑いそうなイメージあるよね。あ、個人の感想です。
道ゆく女学生の後ろ姿を、ついつい目で追ってしまう。
コスモスの甘い香りに誘われるミツバチさながらに、ぴんと背筋を伸ばして歩く学生の背中を見つめるわたし。
かわいい。
すごく可愛い。
白いブラウスも、紺色のスカートも。
丈の短いボレロも、えんじ色の紐タイも。黒光りするローファーも、後ろ髪を留めるバレッタも。
ふくらはぎの中腹まで伸びる、まっしろなクルーソックスも。地表に降りそそぐ淡い陽の光を受けて、きらきらと絹糸みたいに煌めく艶髪も。みんな、かわいい。ぜんぶ、全部かわいい。
わたしが欲しかったもの。
ずっとずっと、心の片隅で願い続けてたもの。
ひっそりと押し入れの奥にしまい込むように、そっと胸の奥にしまい込んだ宝物のような想い。わたしのユメ。わたしだけの夢。
もう、存分に浴びられる。
降りそそぐ雨を全身で浴びるみたいに、気の済むまで『かわいい』を浴びられる。冬の寒さで冷えきった身体を温めるように、夢を溶かすシャワーを心ゆくまで浴びられる。
思いのまま。
思いのかぎり。
『かわいい』を、存分に浴びられる。
とつぜん、目の前が真っ暗になる。
視界が暗闇で覆われると同時に、目の周りに人肌の温もりが伝う。安心感を覚えるような優しい体温。
「だーれだっ」
邪気のない声。
澄んだ川の水を思わせる澄んだソプラノ。
茶目っ気のある声に誘われて、わたしは思わず笑みをこぼす。しぜんと、顔がほころんでしまう。
「麻ー衣だっ」
幼なじみのお茶目に答えるように、わたしも「だーれだっ」のトーンで返す。完全にバカップルのソレ。
わたしの目を覆う手が離れると同時に、春の日差しのような温もりも遠のいていく。
くるっと後ろを振り返ると、視線の先には幼なじみの姿。幸せそうな笑みを浮かべる、麻衣の姿が視界に映り込んだ。
「おはよ。ごめんね、待たせちゃった?」
ふるふると首を横に振るわたし。否定を示すジェスチャー。
「うぅん、大丈夫だよ。わたしも、いま来たとこだから」
麻衣に罪悪感を抱かせないよう、さらっとフォローを入れるわたし。
ってか、カップルか。
待ち合わせに遅れてやってきた彼女をフォローする彼氏か。
メイクとファッションチェックに時間をかけ過ぎたせいで待ち合わせ時間に遅れちゃって、相手を待たせたことを申し訳なく思う彼女にフォローを入れる彼氏みたいなセリフなんだけど。え、言い方がクドい?
まぁ、それはともかく。
「ごめんねぇ。ここ来る途中、家に忘れ物したの気づいてね」
ふにゃりと眉尻を下げて、申し訳なさそうに麻衣が言う。
「あ、そうなんだ。忘れ物、見つかった?」
こくり、と一つ頷く麻衣。
「うん、あったよぉ」
カバンに手を伸ばして、ガサゴソと中を探る麻衣。一冊の本を取り出して、わたしの前に差し出す。
「これ、こないだ話してた小説っ」
差し出された本を受け取り、わたしは「ありがと」と言った。
「忘れ物って、本のことだったんだ」
「そーそー」と返す麻衣。「あ、いま渡して大丈夫だった?」
「うん、大丈夫だよ。ありがと」
わたしの言葉を受けて、麻衣が満足げに微笑む。
「んふふ、どういたし〜」
無邪気な笑顔を浮かべる幼なじみ。
あまり聞き慣れない『どういたし』という独特の言い回し(※褒め言葉)には触れないでおく。麻衣はアーティスト。
スッと視線を落として、手元の本に目を向ける。手渡された小説の表紙を、まじまじと見つめるわたし。
淡い色調のイラスト。
前に本屋で見た本の表紙と同じように、二人の女性が互いに見つめ合っている。
パステルカラーと中心としたデザインで、全体的に柔らかくて優しい雰囲気のイラスト。流線形の流れるような模様が描かれていて、アルフォンス・ミュシャの絵画を彷彿とさせる。あーる・ぬーぼー。
「表紙のイラスト、すごくキレイだね」
「ね、だよねっ」
ボールが弾むような声で、さらに言葉を続ける麻衣。
「この小説、けっこう好きなんだぁ。物語に登場するキャラ、みんなホント優しくってね。心ぽかぽか〜ってなるの」
「へぇ、そうなんだ」
短く相づちを打つわたし。
ぽかぽか〜。
幼なじみのユニークで可愛らしい比喩が、わたしの平常心を打ち崩そうと試してくる。
麻衣が口にした「ぽかぽか〜」という独特フレーズが、わたしの口元を緩ませようと引っ切りなしに攻撃してくる。ニヤけそうなところを必死の思いで抑えながら、風邪を引いたときの絞り出すような声で言葉を返す。
「えと、ファンタジー寄りの話なの?」
ふるふると首を横に振る麻衣。否定を示す動き。
「んーん、どっちかっていうとリアルっぽいかなぁ」と麻衣が言った「全体的なストーリーは切ない感じで、シリアスなシーンも割と多いんだけどね。感情移入するとツラくなっちゃう場面もあるんだけど、やっぱり最後はハッピーえん……」
めずらしく饒舌に話していたかと思いきや、途中で言葉を切って「あっ」と声をもらす麻衣。
「ご、ごめん。ネタバレ駄目だよね……」
とたん、しゅんとする麻衣。
気まずそうな幼なじみの表情。母親に叱られてしょげる幼い子どものように、眉尻を下げて申し訳なさそうに視線を落とす麻衣。
「んーん、だいじょぶ。今日、家かえってから読ませてもらうね?」
しょげる幼なじみにフォローを入れる。
気落ちしたようすの麻衣を励ますように、そっと助け舟を出してフォローするわたし。フォロー職人の腕の見せ所であります。
すると気を持ち直したのか、にぱーっと笑顔を浮かべる麻衣。
「うん、読んでみてっ」
辺り一面に満面の笑みが咲く。
ひまわりと見紛うかのような晴れやかな笑顔。麻衣の笑った顔に釣られて、しぜんとわたしの頬もほころぶ。




