『かわいい』を、わたしは愛してる 7
四
駅前。
道を行き交う人々。
たくさんの人で賑わう駅ビル。
学校にイチバン近い最寄り駅は、路線が多いこともあって賑やか。
大規模化したターミナル。それぞれの階に毛色が違うショップが入るほど、近年の大規模な工事を経て大きくなった駅ビル。
もともと便利だったけどね。
カフェとかレストランはもちろん、花屋もコスメショップも入ってるし。あ、間違えた。花屋 "さん" も入ってるし。麻衣のマネ。
フラワーショップも好き。
学校の花壇に植えられてる花も好きだけど、きちんとお化粧された花を眺めるのも好き。おめかしフラワー。
通りがけにお花屋さんを見かけると、店先の花をつい目で追っちゃうんだよね。「いまの季節こんな花あるんだぁ」なんて感慨に浸りながらチラ見するの好き。
まぁ、買わないけどね。
眺めるのが好きなだけで、べつに買ったりしないけど。
麻衣みたく生け花やる人ならまだしも、日常的に花を買うことなんてないよね。お祝いごとがある日なら寄るかもだけど。
フラワーアレンジメントなんて高尚な趣味を持たないワテクシは、店先に飾られたカラフルな花を遠くから見るだけで満足なのです。なんて迷惑な冷やかし客なのでしょう。
だけど、今回の目的は本屋さん。
もちろん、目的は本を買うこと。たくさんの人で賑わう駅前の書店に行って、麻衣お目当ての本を購入するのがミッション。
さながら、エモノに狙いを定めるハイエナのごとく。
さながら、標的をロックオンするスナイパーのごとく。
さながら、ターゲットに照準を合わせる狩り人のごとく。
ミッションクリアを知らせる「ぱんぱかぱーん♪」のファンファーレを聞こうと、オレは麻衣と一緒に『狙った獲物は逃がさない』的な思惑で駅前の本屋さんへと向かう。狙い撃つぜ。
「ねね、葵っ」
楽しそうな声を響かせながら、麻衣がコチラを向いて言った。
「このキャンドル、めっちゃ良い香り。ちょっと嗅いでみて?」
手に持ったアロマキャンドルを、そっとオレの顔に近づける麻衣。「ほら」と言葉を付け足して、アロマの香りを嗅ぐよう促す。
麻衣に勧められるまま、キャンドルの匂いを嗅ぐ。
すうっと鼻から息を吸うと、甘い香りが鼻腔に広がった。鼻の奥いっぱいに広がるウッディーな香り。バニラっぽくもあり、どことなくスパイシー。シダーウッドを思わせる香りだった。
「あ、いい香り」
「でしょお?」
麻衣の同調を求める声に、ひとつ頷いて答えるオレ。
「これ、けっこう好きな香りかも。夜、寝る前に嗅ぎたくなる感じ」
「わっかるぅ〜」と麻衣が言った。「お休み前のホットミルク片手にさ、本読みながら嗅ぎたい香りだよねぇ。はちみつ入りの」
「ひと切れのミントも添えて、ね」
「わぁ〜、完成されてるぅ〜」
からからと鈴を転がすように笑う麻衣。楽しそうで何より。
「こっちのも良いよぉ。ね、嗅いでみて?」
もう片方の手で持ったキャンドルを、これまた再びオレの顔に近づけてきた。麻衣から促されるままに、くんくんと匂いを嗅いだ。気分は犬。
「あ、こっちも好きかも。しっとり系だね」
「ね、だよねっ」
オレの反応がお気に召したのか、ぴょこんと一つ飛び跳ねる麻衣。うさぎのように跳ねた拍子に、まあるい艶髪がフワリと揺れた。
蛍光灯の光を受けてキラめく髪の毛。
麻衣が動くたびに、ふわりと揺れる艶髪。わたあめを思わせるショートカットの黒髪が、喜びを代弁するかのようにフワフワと揺れている。
「さっきのとどっちが好き?」
「んー、そうだなぁー……麻衣は?」
自分の答えは言わずに、オレは麻衣に訊き返した。
「え、あたし?」
「うん。どっちのほうが好き?」
オレの予想だと、後に嗅いだほう。
さっきの反応から察するに、麻衣は最後に嗅いだキャンドルのほうが好きだと思う。多分ね、たぶん。ふぁいなるあんさー。
「あたしはコッチかなぁ。とろっとした甘さだよね」
後に嗅いだほうの蝋燭を、ひょいっと持ち上げる麻衣。
やっぱりね。
麻衣の好きそうな感じだと思った。
前に「サンダルウッドの香り好き!」みたいなこと言ってたしさ。お香みたいに上品な甘さがピッタリ似合う人だよね、麻衣は。
どんぴしゃり。
ワテクシ、大正解でした。わぁい、やったぁ。
「わたしもコッチが好きかな。麻衣と一緒のキャンドル」
麻衣が手に持つアロマキャンドルを指差しながら、すっかり板についた一人称でオレは言葉を続けた。
「このアロマ、好きそうだなって思った。麻衣に似合いそうな香りだなって」
まんざらでもないのか、ふにゃりと頬を緩める麻衣。
「えー、ほんとぉ?」
「うん。さっきの香りもいいけどね」とオレは返した。「でも、麻衣に似合ってるのはコッチかなって。お香の香りとかも好きだもんね?」
「ビャクダンとかね〜。ほっとする香りだよねっ」
「わかる。伽羅とかもいい香りだよね」
「それそれぇ〜」
キャンドルを手に持ちながら、ぴょこっと人差し指を立てる麻衣。こちらの言葉に同意を示すように、両手の人差し指だけをピンと伸ばす。
今朝も思ったけど、器用なことするね。
サーカス団員もビックリの器用さ。今朝の『胸むぎゅっと腕に押し付けて事件』以来の器用さだね。すきるふる。
店先からショップ内へと移動しつつ、棚に並べられたアロマを嗅ぎ比べる。
落ち着いた店の雰囲気。
アロマショップのガヤガヤしてない感じが好き。急かされることなく、ゆったり物色できる感じがいい。まぁ、買わないんだけど。冷やかし客もいいところ。
店のなかには数人の影。
店内にはオレたち以外にも何人かお客さんがいて、店員さんの営業トークの餌食になってる人の姿も。あぁ、ご愁傷さま……。
マシンガンのごとく繰り出される、ショップ店員さんのセールストーク。ありがた迷惑そうな表情を浮かべながらも、一応は店員さんの話に耳を貸しているようす。合掌。
麻衣が吸い寄せられるように棚へと近づいた。
ひとつキャンドルを手に取ってから、そっと顔を近づけて香りを嗅ぐ麻衣。すぅっと息を吸う音が聞こえてくる。
「このキャンドルの香り、こないだママが買ってきてくれたのと似てるかも〜」
「へぇ、そうなんだ?」
こくり、と一つ頷く麻衣。
「そうそう。ちょっと高いお店のなんだけどね——」
あーでもないこーでもない言いながら、きゃっきゃと買い物を楽しむオレたち。時間も忘れてショッピングに夢中になった。
あぁ、たのしい。
ほんと楽しい。たのしい、けど——
本屋は?
あ、間違えた。
本屋『さん』は? 本はいいの?
ふっつーに買いもの楽しんでるけど。麻衣お目当ての本、買わなくていいのかな?
「わ、これ可愛い〜!」
ふいに聞こえてくるソプラノ。
別の商品に目を向けた麻衣が高い声をあげた。手には何も持っておらず、両手は空いていて宙ぶらりん。さきほどのキャンドルは元の棚に戻したようす。
オレは麻衣の視線を目でたどった。
幼なじみの視線の先にあるのは、丸々としたボールのようなロウソク。草花が練り込まれているボタニカルなキャンドルが、横長長方形のテーブルの上にズラリと並べられている。
「ほんとだ、かわいいね」
麻衣の声に釣られるように、まじまじと蝋燭を眺めるオレ。
ズラッと並んだ多様な種類のロウソク。
ボール型の蝋燭もあれば、見慣れた円柱状のモノも。みっちり花が練り込まれたキャンドルもあれば、流線形の模様を描くようデザインされたモノも。
多種多様なキャンドル。
さまざまな種類のロウソクが視界いっぱいに立ち並んでいる。眺めてるだけで楽しい。
ふと、ひとつのキャンドルが目に留まった。
「あ、フルーツ入ってるのもある」
輪切りにされたオレンジ。
となりの蝋燭にはレモンの皮らしきものも。
スライスされた柑橘類が、ロウソクに練り込まれている。ぎゅうぎゅうに所狭しと植物が練り込まれているせいで、ほとんどキャンドル部分が見えなくなっているモノもある。もはや別商品。
「食べもの入ってるのもあるんだね〜」
麻衣がロウソクを一つ手に取った。ひょいっと。
「わ、オレンジの香りする」
キャンドルの匂いを嗅ぐ麻衣。くんくん。
「さっぱり系だね〜。葵が好きそうな感じかも!」
手に持ったフルーツ入りロウソクを、スッとオレの顔の前に差し出す麻衣。あえて言葉にせずとも、これまでの流れで「嗅いでみて?」と促されているのが分かる。以心伝心。
「あー、たしかに。爽快感あって好きかも」
「ね、スッキリしてるよね!」と返す麻衣。「もうすぐ夏だからかなぁ。ショップ的にもサマーフェアみたいな?」
こくり、と一つ頷くオレ。
「かもね。海っぽいデザインっていうか、清涼感ある感じのキャンドルもあるし」
「たしかに〜」
辺りをキョロキョロと見回しながら麻衣が続けた。
「夏になって暑くなると、ロウソク溶けちゃうよねぇ」
「陽の当たるところに置いてるとね。『ぐにゃ』ってするよね」
「そうそう〜」
麻衣はコクコクと首を縦に振った。肯定を示すジェスチャー。赤べこ。
再び、麻衣は先ほどの棚に目を向け直した。
「さっきのキャンドル、せっかくだし買っちゃおうかなぁ」
心なしか、幼なじみの声が物欲しそうに聞こえた。
「あの甘い香りのヤツ?」
オレが問いかけると、麻衣は頷いて答えた。
「そう、それぇ。葵が『似合いそう』って言ってくれたの」
「麻衣が気に入ったなら、いいと思う。お似合いの香りだったし」
澱みなく、オレの口からスラスラと言葉が出ていく。
期せずして、ショップ店員さんのセールストークみたいなことを口にしてしまう。
麻衣は悩む素振りを見せたあと、決心したように棚に目を向けた。
「あたし、やっぱアレ買ってくるっ」
どうやら、購入を決めたもよう。キャンドル一本お買い上げです。ちゃりーん。
「ん、おっけー」
オレたちはキャンドルが置いてある棚へと向かった。
「〜♪」
ご機嫌そうに鼻歌を歌いながら、お目当ての商品を手に取る麻衣。ルンルン気分なのがコチラにも伝わってくる。
ご機嫌そうな麻衣。楽しんでるようで何より。
「ちょっと買ってくるね〜」
商品を持ってレジへと向かう道すがら、少し後ろを歩くオレに声をかける麻衣。くるっとコチラに顔を向けた拍子に、光に照らされて艶めく髪が一つ揺れた。煌めき揺れる黒糸。
こくり、と一つ頷いて答えるオレ。
「うん。この辺で待ってるね?」
「おっけ〜。少々お待ちを〜」
にぱーっと晴れやかな笑みを一つ見せてから、ご機嫌そうにレジへと向かって歩いていく麻衣。
だんだんと遠ざかる幼なじみの背中を、オレは追いかけるようにジッと見つめた。
「……」
そっと視線を下に落として、オレは陳列棚に目を向けた。眼下にはカラフルな商品群が所狭しと並んでいる。
目が賑やかで、とても楽しい。
ショーケースには色とりどりのアイテムが並んでいて、ただボンヤリ眺めているだけでも目が賑やかで楽しい。
店内にいるのは、ほとんどが女性客。
ショップ内を飛び交う黄色い声。女性特有の高い声が、アロマの香りに混ざる。音が溶けて、匂いと交わる。
男の人の影は少ない。男性のお客さんも少なからず居るけれど、必ずといっていいほど隣には女性の姿がある。たぶんカップル。多分ね、たぶん。
たのしい。
買い物するの楽しい。すごく楽しい。
女性同士のショッピング、こんなにもワクワクする。心が浮き立つっていうか、胸が弾んでドキドキする。どきどき、わくわく。
男友だちと買い物しても、絶対こうはならないから。
目に留まったお店にフラッと立ち寄るとか、気になったアイテムを手に取ってみるとか。
本来の目的とは全く関係ない物を見て、また次の店でも同じように物色するとか。友だちとあーでもないこーでもない言いつつ、店頭に並んでる商品の感想を交わし合うとか。男同士で買い物するときって、比較的さっぱりしてるもんね。個人差はあれど。
こんなにも買い物が楽しいのは、一緒にいる相手が麻衣だからかな。どうなんだろ。わかんない。
たしかに、気心知れた人との買い物は楽しい。
付き合いが長いと好みも似てくるし、そもそも好みが似てる人と付き合うし。
長らく時間をともにした人とは、趣味嗜好も似通ってきたりする。趣味が正反対で全く好みが合わないってパターンもあるけど、いっしょに過ごした時間のぶんだけ影響し合うこともしばしば。しんくろないず。
楽しいな。
ほんと楽しい。うきうき♡
しばらく棚の上の商品を眺めていると、やがて麻衣がご機嫌そうに帰ってきた。
「お待たせ〜」
満足そうに微笑む姿が愛らしい。
あどけない笑み。ご機嫌そうに目いっぱい笑う幼子が脳裏に浮かぶ。お目当てのものを手に入れて満足する、小さい子を思わせるような笑顔だった。
「ん、おかえり」
麻衣は手に紙袋を提げている。
パステルピンクの袋の中央には、英語で文字がプリントされている。ミミズみたいな筆記体で書かれているせいで、なんて名前のお店なのかはイマイチ読み取れない。おしゃれな紙袋だけどね。
満足そうな笑みを浮かべる麻衣とともに、甘い香り漂うアロマショップを後にした。
施設内の通路を歩きながら、オレは隣にいる麻衣に声をかけた。
「荷物、わたし持とっか。本、見るんだもんね?」
麻衣が持つ紙袋に向けて、オレはスッと手を差し出す。「代わりに持つよ」のジェスチャー……のつもり。伝わるでしょ?
「あっ」
小さく声をもらした直後、とたんに麻衣は狼狽えた。
「そ、そだね〜。お願いしよっかなっ」
わかりやすく目を泳がせる幼なじみ。あっちこっちに忙しなく泳ぐ魚のように、動揺を湛えた小豆色が右へ左へ揺れ動く。
本屋に行く予定、ぜったい忘れてたでしょ。
や、いいんだけど。
「下に降りよっか。本屋、二階だし」
オレの言葉に、麻衣が短く返す。
「おっけ〜」
人が行き交う通路を抜けた後に、エスカレーターで下の階におりる。前の人に倣うように左側の列に並び、自動で運んでくれる昇降機に身を任せる。とっても楽ちん。
書店へと向かう道すがら、オレは過去の記憶を辿った。
麻衣、本屋好きだよね。
『本が好き』っていうよりは、本屋に行くのが好きって印象。
さっきも少し話してたけど、本屋の空気が好きなんだろね。図書館の緊張した静けさとも違くって、本屋って独特の空気あるような気がする。落ち着く系の静けさだよね。
紙とインクの匂いが漂ってて、周りは水を打ったみたいに静か。時間も忘れて気ままに本を眺めてると、不思議と心が落ち着くような気がする。
「……」
だんだん書店が近づいてきた。エスカレーターで下の階に運ばれながら、オレは眼下に広がる景色をボーッと眺めた。
ま、いまは本もネットが主流だけど。
ネット注文のほうが圧倒的にコスパいいもんね。電子書籍ならタイパも最強。わざわざ本屋に買いに行くコストも省ける。さいきんはオレも大半が電子書籍だから。
でも、わかる。
『本屋に行く楽しみ』ってあるよね。
書店員さんが作った手作りポップを見たり、書店ごとの人気ランキングを確認したりとか。「こういう本が最近は売れてるんだぁ」なんて考えながら、ズラーっと並べられた本を眺めるのも楽しかったりする。
本の遊園地。アミューズメントパークみたいな。
本が好きな人にとって、本屋は遊園地みたいなもの。ジェットコースターみたいな高揚感はないけど、一冊の本と向き合える静かな楽しみがあると思う。
本屋にはアトラクションが一つもない。観覧車もないし、お化け屋敷もない。バイキングもなければ、メリーゴーランドもない。本を読まない人からすれば、退屈この上ない空間かもね。




